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2010年8月 9日 (月)

軍国の母・与謝野晶子

    明治37年、与謝野晶子が日露戦争旅順に出征した弟の無事を思って「君死にたまうことなかれ」という長詩をつくったが、今日では戦争反対の詩として一般に理解されているところである。ところが晶子自身は、この詩は出征兵士の家族が駅頭などで「無事に帰って、気をつけて」と見送っているのと同じ意味であり、日露戦争という戦争そのものを否定しているわけではない、と弁明している。なぜ、本人の意図とは大きくはなれてこの詩が反戦詩として読まれるようになったのだろうか。戦後の平和教育の中ではいつも与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」が大きくとりあげられる。晶子には11人の子がいた。子供が太平洋戦争に出征するとき詠まれた歌がある。

水軍の大尉となりてわが四郎み軍に征く猛く戦へ

    出征していく我が子の武運長久を祈っているものの、「猛く戦へ」と激励の言葉をかけている。与謝野四郎は職業軍人で大尉にまで昇進していることからも、晶子には反戦思想や反国家思想などはなく、「軍国の母」であったのだ。

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