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2010年8月10日 (火)

近代映画協会・ATG「心」

    夏目漱石の映画化作品はかなりあるとおもうが、誰しもが満足するような成功例は少ないと思う。ユーモア小説と解してドタバタ喜劇になったり、「三四郎」や「心」は原作に忠実に映像化すれば退屈な映画が出来上がる。また観客はすでに原作を読んだ人が多いので、イメージとのギャップに不平をいう。観客は批評家ではないので、映画を楽しむ見方を上達させたほうがいいのではないだろうか。この映画は文芸映画の一つの新しい大胆な試みにおいて成功していると思う。

    新藤兼人の「心」は原作のテーマ性だけを追求して、現代におきかえ若い男女の愛憎劇(かなり通俗的な)に仕立てている。映画「心」(1973)を2010年にみると、風俗的に古く、なにか時代が映画の魅力を後押ししているように思える。杏梨という無名の女優が演技しつくしていない虚無的で肉感的でエロチックなところがとてもいい。松橋登のエキセントリックな魅力、細身で女の子にモテそうな嫌な男、というイメージ、漱石の作品とは対極にある俳優をもってきた試みもいまなら賞賛できる。そして乙羽信子の貫禄の演技。この映画の主役は乙羽のような気がする。小説では先生と学生が中心であるが、この「心」では学生は登場しない。つまり先生(松橋)が中年になった20年くらい後の時代、墓参りに行く、その墓の主は自殺した辻萬長。そして先生も長い遺書を残して死ぬ。つまり映画「心」は先生の遺書をもとにした再現フイルムのようなものになっている。この映画からは漱石とはかなり違うテーマがうかがえるが、それを指摘するのはあまり無意味なことのように思える。映画は映画としての独立性のある芸術作品で、それも製作時代の制約を嫌でもうけるので、むしろ開き直って昭和の「心」を味わうことも別な楽しみであろう。

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