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2010年8月 5日 (木)

胡散臭い「国民読書年」

    およそ現代人であれば読書をすることが大切であるとか、文化が人類にとって価値のあるものだということは、誰しも頭の中では理解しているであろう。だが残念なことに、いかにコンピュータや科学文明が高度に発達した現代にあっても、ほとんどの人は、その文化の真の姿を理解しないで世を終わることになる。またその人の知識は、ほとんどすべては文化を理解し得ないで、ただ文化を享受するのみで終わるというのが一般人の一生である。車を運転する人でさえ詳細な機械のトラブルはわからないだろうし、コンピュータを毎日利用している人でさえ、本当の仕組みは専門家でなくてはわからないし、医療にしても治療はしてもらうが、細部にわたる医学的な知識は多くの人は持ち得ない。つまり現代の科学的知識、文化的知識は高度な発達はしているものの、堀り探ってみると、その知識の程度は大正時代の大学卒のインテリとさほどかわらない。むしろ、人によっては小学・中学の程度で留まっているかもしれない。携帯を片手に世界のあらゆる情報を享受しているかのようにみえるが、実は半世紀前の人と大して違わないといのが本音である。むしろ読書をしないだけ知的レベルは劣化したように思える。読書は誰しも大切だと考えているが、それを本当に生活の中に根づかせることは容易いことではない。

   今年は国民読書年ということで、ロゴまでつくって読書キャンペーンを展開しているが、はたしてその成果はあがっているのであろうか。かつて椋鳩十の「母と子の20分間読書運動」(1960)とか石井富之助の「テレビの下の本棚運動」(1968)とかあったが、今年の「国民読書年」運動が記憶にのこるような成果をあげるとは思えない。その原因は何か。いつのころからか推進団体が政治家と連携するようになったが、読書運動が国策的になるため民衆からの反発がみえるからである。予算採りなども出版業界や電子機器との業界との癒着といえないこともない。この話はかなり心理的な側面の微妙な話なのだが、上からの掛け声で「読書をしなさい」と言うとかえって、したくなくなるのが自然の心理である。行政や図書館などが声高に読書運動と叫ぶと一般の人は耳をふさぎたくなるものである。「母と子の20分間読書運動」や「テレビの下の本棚運動」というのは、草の根的で、趣旨が明快で実践しやすいが、「国民読書年」というのはまるで具体性がない。いま行方不明老人が問題になっているが、これまでの戸籍事務や住民登録はあきらかに形骸化したものであったように、お役所仕事は、掛け声だけですまされるものかもしれない。読書運動に取り組んでいるものからみると、「国民読書年」というのが偽善的で嘘っぱちであるように思えてならない。

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