奥州の栄華を支えた十三湊
青森県津軽半島の最北端・竜飛崎に近いところに義経寺という古刹がある。三陸沿岸の各地には数多くの源義経北行伝説が残されている。義経は平泉で死んだのではなく、主従ともども密かに居館を脱出して津軽十三湊から船で蝦夷島へ渡ったと伝えられている。
中世・北辺の港町・十三湊は北陸とウスケシ(函館)を結ぶ航路の中継点であるとともに、高麗船も出入りする国際的な港だった。安藤氏の拠点「尻八館」(しりはちやかた)から良質の中国磁器が出土している。安藤氏は、前九年の合戦で敗れた安倍氏の末裔だとも伝えられる。水運に長じ、朝鮮半島から中国大陸、さらに東南アジアまでも交易ルートを広げていった。十三湊は中世後期、北海道ー十三湊ー小浜を経て、畿内の堺に至る交易港として栄えていた。「夷船・京船群集し、舳先を並べ艫を調え、湊は市をなす」という『十三往来』の描写は、必ずしも誇張ではない。
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