世界の平和を願う
本日、広島で平和記念式典が行われた。被爆者ではないが、今日は私の父の命日でもある。生きていたら101歳である。100歳以上の所在不明が問題になっている。帰省もせず、墓参りもせず、親不孝者である。若い人たちには100歳以上の人がどのような時代を生きていたか知らないだろう。まさに人生の中ごろに戦争があった世代だった。家には国民服とか使えなくなった古銭が残っていた。戦後をドラマとしてしか捉えられないことは、戦争体験者にとっては言いたいことがあるかもしれない。戦記文学も優れた作品はみな実体験がもとになっているもので、戦後の後知恵のものは虚構がみえる。映画などは戦争アクションであったり、紋きり型のストーリーが多い。だが歴史研究者の立場でいえば、太平洋戦史の研究がしやすくなるのは、これからなのだ。政治的立場やイデオロギーに左右されず、豊富な資料をもとに多面的に検証できる。司馬遷の「史記」の楚漢抗争やトルストイの「戦争と平和」などのナポレオン戦争など半世紀以上経て書かれている。65年という歳月はいろいろなものを流してくれるように思う。戦後、核抑止論や原子力平和利用が世界の趨勢であったが、いまは「核なき世界の平和」が国際社会の合言葉となってきている。科学の発達は戦争に勝つための兵器開発であったことは事実である。いまは世界に多数ある核施設の廃棄処理に頭を悩ましている。
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