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2010年8月31日 (火)

拉致事件は千年も前からあった

    10世紀から11世紀はじめにかけての東アジア諸国は激動の時代だった。907年に唐が滅亡し、五代十国の諸国が分立した。10世紀後半に宋が中国を統一したものの、契丹、遼、西夏が周辺を脅かしていた。高麗が朝鮮半島を統一したが、ツングース系の女真が満州、沿海州に進出してきた。1019年、女真族(刀伊)と見られる海賊団が九州北部を襲撃してきた。日本人多数を拉致したが、高麗が奪還して日本へ送還するという事件が起きている。これを日本史では「刀伊の入寇」というが、返還された日本人は270人だった。なぜ日本人を拉致したのだろうか?当時の女真族は遊牧民で農耕の習慣を持っていなかった。そのため日本人を拉致して農業技術を習得しようと考えたのかもしれない。なにやら北朝鮮の拉致事件の事例は1000年も前から日本海で起こっていたのである。

スクリーンのあの美女は今どうしてる?

   「ルシアンの青春」ユダヤ少女の役、オーロール・クレマンは今どうしているのだろうか?映画では美しいヌードを披露しているが当時は22歳くらいだった。イタリア移民で修道院を出てから、ファッション・モデルをしていた。ジャンヌ・モローやブリジッド・バルドーを撮っているマル監督の審美眼にかなうほどの美女だった。ネットで調べると、「パリテキサス」(1984)、「地獄の黙示録」(2000)名作映画に出演し、現在も女優として活動中である。

  「ベスト・キッド2」のダニエルの恋人、沖縄の少女クミコを演じて一躍アイドル女優となったタムリン・トミタも気になる女優さんの一人だ。当時19歳くらい。日本女性の役も多かったが、今はほとんどハリウッドで活躍しているが、こちらでは新作はあまり見かけたことが無い。一度、日本映画「ハワイアン・ドリーム」(1989)に出演したくらい。もっと日本のテレビなどにも出演してもらいたい。独特のしなやなムードとやさしい笑顔は最高ですね。日本でもクミコに恋焦がれた男性ファンは大勢いるのではないだろうか。

越後人国記

    親鸞が越後に配流となったとき、身の回りの世話をした越後の豪族の三善為教の娘・恵信尼(1182-1268)がいる。親鸞との間に7人の子をもうけた。最近、手紙が発見され、教養のあった女性であることがわかる。戦国武将としては、長尾為景(1489-1543)、上杉謙信(1530-1578)ら。江戸期の殖産では伊藤五郎右衛門、竹前小八郎、真柄仁兵衛、徳光屋覚左衛門、堀将俊、植村覚左衛門、本多利明、松田伝十郎、涌井藤四郎。江戸後期の歌人・良寛(1758-1831)は出雲崎の出身。「北越雪譜」の鈴木牧之(1770-1842)は塩沢の出身、長岡藩家老の河井継之助(1827-1868)、高橋竹之介(1842-1909)、勤皇家・遠藤七郎(1839-1892)、海軍中将・山本五十六(1884-1943)は長岡市の生まれ。旧長岡藩士高野貞吉の六男。文学では会津八一(新潟市)、青野季吉(佐渡島)、小川未明(上越市)、坂口安吾(新潟市)、相馬御風(糸魚川市)、西脇順三郎(小千谷市)、宮柊二(魚沼市)らがいる。田中角栄は柏崎市の生まれ。

2010年8月30日 (月)

戦国大名領域研究1572年

    三河の徳川家康(1542-1616)は織田信長とむすんで遠江、駿河に進出。三方ヶ原で武田信玄に敗れる。翌年、織田信長(1534-1582)は室町幕府を滅ぼし、年号を「元亀」から「天正」と改元する。大和の松永久秀(1510-1577)や若江の三好義継(1549-1573)らも織田軍に屈する。1573年、越前一乗谷の朝倉義景(1533-1573)、近江の浅井長政(1545-1573)らも翌年に滅ぶ。

    甲斐の武田信玄(1521-1573)は信濃に侵入するも、1573年、病没。武田勝頼(1546-1582)が継ぐ。加賀の一向一揆が起こり、越中に侵入。上杉謙信(1530-1578)と戦う。上杉謙信の養子、上杉景虎(1553-1579)が継ぐ。今川家は今川義元で滅んだが、今川氏真(1538-1615)が北条氏、徳川氏を頼る。伊豆・相模・上野の北条氏康(1515-1571)は亡くなり、北条氏政(1530-1578)が継ぐ。上総国では里見義弘(1530-1578)が北条軍を破る。

    阿波では1572年、篠原長房が三好長治に敗れる。そののち長治も、土佐の長宗我部元親(1539-1599)に下った細川真之と会戦し、敗北する。結局、四国全土は長宗我部により平定される。

    安芸・周防・長門を支配する毛利元就(1497-1571)が前年に病没し、孫の毛利輝元(1553-1625)が継ぐ。尼子氏再興の悲願のため尼子勝久(1553-1578)、山中幸盛(1545-1578)ら奮戦する。豊後は大友義鎮(1530-1587)、肥前は龍造寺隆信(1529-1584)、南九州の薩摩・大隅・日向を領する島津家も貴久(1514-1571)から義久(1533-1611)へ変わる。このほか織田信長の家臣団、豊臣秀吉(1537-1598)、柴田勝家(1522-1583)、前田利家(1538-1599)、山内一豊(1546-1605)らが台頭する。

太宰治「葉桜と魔笛」「黄金風景」

Photo_2 小説「津軽」の像

    太宰治ブームである。生誕100年、没後60年を過ぎ、さらにブームは過熱しているようだ。最近、あまり知られていない作品「葉桜と魔笛」「黄金風景」(もちろんファンはよく知っているのかも知れないが)もドラマ化された。読んでみると5分とかからない短編だ。「葉桜と魔笛」は『若草』昭和14年4月号に発表された。島根県の山間の家に父し姉妹が暮らしている。父は頑固そうな学者肌の勤め人。妹は病気で寝たきりの状態。余命100日という。ある日、姉は妹あてのラブレターの束を読む。だがその男は妹が病気と知ると手紙は途絶えた。そこで姉が手紙を書いて、妹を慰めようと考えた。だが、「姉さん、心配なさらなくても、いいのよ」「あれは、ウソ。あんまり淋しいから、あたしに宛てて投函していたの」その時、ふたりは、軍艦マーチの口笛を聞いた。ひょっとしたら、父の仕業か。あるいは神さまのお恵みなのか。それは誰にもわからない。

    まあ、だいたいそのような話である。太宰の得意とする女性の口語文。秘密は口述筆記にあるらしい。前年、太宰は石原美智子と結婚し、妻に口述筆記をさせている。妻も太宰の力にあることがうれしかつたようだ。太宰はよどみなく口からスラスラと文章が浮かんで出てきたという。それと東北のゴタクという囲炉裏を囲んでの世間話をする風習も太宰のストーリーテラーとしての才能を醸成したらしい。また太宰の母たねは病弱で、越野タケ(旧姓・近村、1898-1983)が子守をしていた。タケが語る昔話や絵本を読んで、太宰は創造の世界を開化されたのではないだろうか。

    口述筆記で脱稿した「黄金風景」は、一連の「故郷もの」の始まりで、国民新聞短編コンクールに入選している。

三浦哲郎と太宰治との共通点

    小説家の三浦哲郎が29日午前4時33分、うっ血性心不全のため亡くなられた。79歳だった。新聞の訃報記事を読んで太宰治との共通点が多いと感ずる。出身地は共に青森県(太宰は金木村・現在の五所川原市、三浦は八戸市)。大学での専攻は共にフランス文学(太宰は東大、三浦は早稲田)。交友・師弟関係として共に井伏鱒二に師事している。若いときから死の問題に向き合うことになる。太宰は自ら学生のとき心中事件をおこしている。三浦は2人の姉が自殺、2人の兄が失踪。文学として共に東北の伝承や昔話の語りが活かされている。純文学・私小説の基本スタンスも共通している。2人が大きく違う点は、太宰は芥川賞を熱望したが貰えず、三浦が若くして「忍ぶ川」で受賞していることだろう。昨今、小説が売れないという時代だが、文学賞だけで作品の良し悪しの基準とすることは文学の堕落になってしまうのではないだろうか。

2010年8月29日 (日)

呉の諸葛一族

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  諸葛孔明(亮)には、7歳年上の兄がいた。諸葛瑾(174-241)という。諸葛亮とは異母兄弟で、亮が蜀の劉備に、瑾が呉の孫権に用いられたのはよく知られている。瑾には恪、喬、融の3人の子がいた。長子諸葛恪(203-253)は、若くして名を知られた奇才であった。しかし父親亡き後、あまりの専横に、呉帝孫亮らによって殺される。家族も全員処刑された。父は生前、恪について、「聡明すぎて家を全うするまい」と語っていた。

   恪についてこんな話が残っている。恪は、宴会の前夜、胸騒ぎがして眠れず、翌朝、洗面しようとしたところ、水も着物も生臭かったとして、いきなり侍女を斬ったという逸話が「三国志演義」にみえる。陳寿は「驕慢で狭量であったので身を滅ぼした」と評している。

2010年8月28日 (土)

平成の関ヶ原

    今朝の朝日新聞には、民主党代表選をめぐる駆け引きの中で、「脱小沢」路線の転換の証として、菅首相は最高顧問会議のポストを用意したが、小沢はこれを拒絶したという記事がある。首相は鳩山に「小沢は最高権力者でないと納得しない。個別のポストを与えてすむ話ではない」と、話したとある。菅と小沢とは、小政党と自民党田中派出身という経歴からくる際立った違いがある。菅vs.小沢の対決は、昭和47年7月の田中vs.福田の自民党総裁選を思い起こさせるものがある。だがあの頃の角栄には今太閤と呼ばれた庶民的な人気があった。政治とカネの問題にけじめをつけていない小沢が勝利したとして、民意を問うことをするのだろうか。自民党の一部との連立の構想もあるという。政治の先は読めない。先週、サンデー・モーニングのコメンテーター浅井信雄が小沢出馬予想をしたのに対して、岸井成格は「小沢の出馬は有り得ない」と断言していた。岸井のほうが政治部の記者だけに情報の信憑性が高いと視聴者は感じたが結果は岸井がハズレた。今日の番組で岸井のどのようなコメントが聞けるのか期待したが、自分の間違いに一切言及しなかったのは、呆れることを通り越して、視聴者をバカにしているように感じた。

2010年8月27日 (金)

氏姓制度と戸籍

    江戸時代に生まれた人が除籍されずに戸籍上は生存扱いになっている問題で、長崎県壱岐市は、文化7年(1810)生まれの200歳の男性の戸籍が残っていると発表した。文化7年は国定忠治の生年であるという。防府市では文政7年(1824)生まれで186歳、大村益次郎と同じ年、姫路市では天保11年(1840)生まれで170歳、黒田清隆と同じ年になる人の戸籍が残っている。

    国民がもっと氏(うじ)姓(かばね)や戸籍について関心をもつ必要があるのではないだろうか。そもそもわが国では5世紀から6世紀にかけて大和・河内やその周辺を基盤としたヤマト政権が誕生すると、まず豪族は、氏という政治・社会組織が編成された。一般に氏族制度というのは、共通の祖先を認め合うことによって連帯感をもつ人々で、氏族名が弁別される。だがわが国における氏族制度は社会組織が氏族を単位とし、血縁関係を骨幹として形成されというものではなく、豪族が私有地をもち、そこに居住する部民を私民として支配する政治組織である。ゆえに、これまでの「氏族制度」という用語にかえて、「氏姓制度」という語を採用している。わが国の氏姓制度は、おそくとも6世紀前半ごろには成立していた。しかし、一般の民は姓を称することはなかった。一般の公民が姓を有するようになるのは、庚午年籍(670年)、庚寅年籍(690)という戸籍に登録されるようになってからである。これによって公地公民が徹底した結果、地方豪族の不満を高めることとなり、壬申の乱で近江朝が敗北する一つの要因となった。律令国家の末期には「偽籍」という現象が現れる。これは国司が農民や役人と結託して、男を女として戸籍に登録し、中央に納める租税を少なくする、脱税行為である。不明高齢者問題で遺族が住民票をそのまま残しておき、年金を不正受給する現代とあまり変わらない話である。

    現行の杜撰な戸籍制度の管理は、嘆かわしいことである。これによって徴税や選挙権にかかわるわけでもなく、また4年ごとに行われる国勢調査とも無関係らしく、ただ役所の吏員が機械的にコンピュータに入力し、管理しているだけのことなので特段の弊害はないと言えばそれまでの話であるが、戸籍が最も重要な国民の記録文書であることは歴史的にみて明らかであり、関係責任者に猛省をうながすものである。

2010年8月26日 (木)

佐藤家三代148年

    23日夜、東京新宿駅で酔客がぶつかり転落して死亡された男性が、「田園の憂鬱」などの作品でしられた佐藤春夫の長男・方哉さんだったことは哀しいニュースだった。

    佐藤方哉さんは昨年7月、自宅にあった夏目漱石の手紙を「佐藤春夫記念館」(新宮市新宮1番地、熊野速玉大社境内)に寄託されたばかりだった。佐藤春夫の父・豊太郎(1862-1942)は和歌山県新宮市で医院を開業していたが、かたわら鏡水、梟睡、梟叟と号し、子規に私淑していた俳人でもあった。手紙には「東牟婁郡志速玉神社小史並びに熊野牛王拾葉いづれも到着、有難頂戴致候」などと感謝が述べられている。方哉さんは、佐藤春夫が前谷崎潤一郎夫人・小林千代との間の子で(いわゆる小田原事件)、昭和7年、春夫40歳のとき生まれた。佐藤家親子三代は、江戸から平成まで148年に及ぶ。

豊太郎 文久2年~昭和17年

春夫 明治25年~昭和39年

方哉 昭和7年~平成22年

チャーチル誘拐作戦

   映画「鷲は舞いおりた」の原作はジャック・ヒギンズのベストセラー小説。時は1943年11月末、敗色濃厚となったヒットラーはイギリスのチャーチル首相を誘拐して講和を有利にしようと工作する。工作隊にシュタイナー少佐(マイケル・ケイン)、現地のアイルランド工作員にデブリン(ドナルド・サザーランド)、ドイツ軍将校ラードル(ロバート・デュバル)、ほかアンソニー・クエールなど。英国ノーフォークの美しい田園風景を舞台に、のどかな片田舎に突如起きた一事件を描くが、戦争スペクタクルを期待するとがっかりする作品かもしれない。みどころはパラシュートで降下した部隊が町の人にばれて、教会に人質として捕らえて籠城作戦。銃撃戦のすえ敗れて、一人シュタイナーが本部に侵入し、チャーチルを狙撃する。死んだはずのチャーチルは替え玉で、本物はスターリン、ルーズベルトらとテヘランにいた、という落ち。マックイーンやブロンソンがいないので戦争アクションとしてはイマイチとおもうだろうが、イギリス的な品のいい映画である。意外なのはあの容貌魁偉なドナルド・サザーランドが二枚目役なのだ。現地の少女モリー(ジェニー・アガター)が惚れて協力する。ありえそうもない設定が笑える。ジェニー・アガターは70年代少女スターとして有名だったが、いまもイギリスではお茶の間で人気があるらしい。神保美喜に似ている。

2010年8月25日 (水)

奥州の栄華を支えた十三湊

Photo 義経寺(青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩家ノ上)

  青森県津軽半島の最北端・竜飛崎に近いところに義経寺という古刹がある。三陸沿岸の各地には数多くの源義経北行伝説が残されている。義経は平泉で死んだのではなく、主従ともども密かに居館を脱出して津軽十三湊から船で蝦夷島へ渡ったと伝えられている。

   中世・北辺の港町・十三湊は北陸とウスケシ(函館)を結ぶ航路の中継点であるとともに、高麗船も出入りする国際的な港だった。安藤氏の拠点「尻八館」(しりはちやかた)から良質の中国磁器が出土している。安藤氏は、前九年の合戦で敗れた安倍氏の末裔だとも伝えられる。水運に長じ、朝鮮半島から中国大陸、さらに東南アジアまでも交易ルートを広げていった。十三湊は中世後期、北海道ー十三湊ー小浜を経て、畿内の堺に至る交易港として栄えていた。「夷船・京船群集し、舳先を並べ艫を調え、湊は市をなす」という『十三往来』の描写は、必ずしも誇張ではない。

男の髪にバイタリス

    サラリーマンを辞めてから変わったこと。通勤電車に乗らなくなったこと。整髪油を使わなくなったこと。散髪屋へ行かなくなったこと。家内に適当に刈ってもらっている。よく、散髪屋から「どの油つかいます」と聞かれることがある。「バイタリス」か「MG5」しか名前がうかばない。もっと新しい男性整髪料が発売されているのだろうが、普段使わないから知らない。やっぱり時代遅れかな。

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2010年8月24日 (火)

夢の工場

    1919年にウォルト・ディズニーはアーティストとして初めての仕事を得て、最初の会社ラフォグラム社を立ち上げた。この会社は成功しなかったが、彼はあきらめなかった。1923年にカリフォルニア州ハリウッドに移住し、兄のロイと無声アニメーション製作のためのスタジオを設立した。のちの大エンターティメント会社デイズニー社も、そのスタートは小さなものだった。ミッキーマウス、プルート、グーフィー、ドナルドダック、ピノキオ、ダンボ、バンビ、ピーター・パン、ふしぎの国のアリス、それに白雪姫やシンデレラ。1960年代になるとアニメーションだけでなく実写でもすぐれた作品をつくるようになった。「メリー・ポピンズ」は素晴らしいミュージカル映画だったし、「ラブ・バッグ」は1969年アメリカで最大の興行収入を収めた映画だった。しかし1970年代、「黒ひげ大旋風」「テニス靴をはいたコンピューター」などの作品ははなばなしい結果を残せなかった。一時期、ディズニーは実写から撤退したように思えた。しかし、最近、テレビをみるとディズニーチャンネルで放送の番組からティーンエージャーの人気アイドルが出てくるようになった。「ハイスクール・ミュージカル」のトロイ役のザック・エフロン、「サニーwithチャンス」のチャド役のスターリング・ナイト、「ハンナ・モンタナ」のマイリー・サイラスなどである。ディズニー・チャネルの番組は全部日本語吹き替えなのも嬉しい。思えば、テレビ初期から隔週金曜8時に放送されていた「ディズニーーランド」が楽しみだったころから50年になる。ディズニーの世界は夢と魔法の国である。(だが自分は一度も東京ディズニーランドへは行ったことがないが・・・。)映画「最高に幸せ」(レスリー・アン・ウォーレン主演)の「バヤン・パン・パン」というナンバーは今でも覚えている。

2010年8月23日 (月)

女性アイドルたちの30年後

    いまTBSチャンネルで放送中の「高校聖夫婦」を見ると、80年代女性アイドルの宝庫である。主演の伊藤麻衣子、伊藤かずえ、比企理恵、甲斐智枝美、横田早苗、佐久間レイ、橋本清美、玉岡加奈子ら主なアイドルだけで8人いる。(岡まゆみ、山田邦子は除外する)なぜかNHK「レッツ・ゴー・ヤング」のサンディーズのメンバーが3人もいる。比企理恵はホリプロタレントキャラバンの優勝者で今年はめでたくご結婚された。伊藤麻衣子はミス・マガジン。甲斐智枝美は「スター誕生」出身だが、2006年に惜しくも亡くなられた。佐久間レイも「スター誕生」で中森明菜に決戦大会で敗れたものの、現在も声優として活動を続けている。横田早苗はミス・セブンティーンからソニーへと松田聖子と同じ路線を狙ったが、大人しい性格のためか芸能界を引退。橋本と玉岡も引退している。ただし橋本清美は秋本理央と改名して再デビューした。いつも笑顔で性格のよさそうな女の子だった。ネットで調べると、中日ドラゴンズの平野謙選手の奥様であった。平野選手の活躍の陰に橋本清美ちゃんの内助の功があったとは、知らなかった。

梨元さん、芸能情報をありがとう

    芸能リポーターの草分け的存在の梨元勝さんが肺がんのため死去された。思えば80年代のテレビは芸能ワイドショーの全盛期だった。友和・百恵の婚約(1980.3.7)萩原健一・いしだあゆみ結婚(1980.5.27)ピンクレディ後楽園球場でさよならコンサート(1981.3.31)沖雅也「オヤジ、涅槃で待つ」と遺書を残して自殺(1983.6.28)夏目雅子、伊集院静と婚約発表(1984.7)松田聖子、郷ひろみと「今度生まれ変わったら一緒になろうね」と涙の会見(1985.1)岡田有希子、サン・ミュージックの屋上から飛び降り自殺(1986.4.8)チャールズ皇太子とダイアナ妃来日(1986,5.8)森昌子、森進一結婚(1986.10.1)郷ひろみ、二谷友里恵結婚式テレビ中継(1987.6.12)石原裕次郎、52歳の若さで死去(1987.7.17)美空ひばり、間質性肺炎による呼吸不全のため52歳で死去(1989.6.24)中森明菜、恋人と噂される近藤真彦の部屋で自殺未遂(1989.7.11)天皇の次男礼宮と学習院大学大学院川嶋紀子との婚約発表(1989.8.25)勝新太郎、ハワイに入国の際、マリファナとコカイン所持のため逮捕される(1990.1.16)荻野目慶子の部屋で、映画監督河合義隆首つり自殺(1990.3.5)若人あきらが熱海海岸で行方不明(1991.3.3)なべおさみ、息子のなべやかん、明治大学替え玉入学発覚(1991.5.14)石田純一に16歳になる隠し子がいることが発覚(後のいしだ壱成)(1991.10.23)宮沢りえヌード写真集「Santa Fe」発売(1991.1113)伊丹十三が暴力団員に顔や首を切られて重傷(1992.5.22)韓国で桜田淳子、山崎浩子ら国際合同結婚式(1992.8.25)貴花田と宮沢りえの婚約記者会見(1992.11.27)などなど。結婚・離婚・自殺・薬物など「すったもんだ」があったが、芸能事件は大騒ぎしたほど、何もなかった。から騒ぎが多い。

処暑なのに・・・

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    今日はニ十四節気の一つ処暑。暑さが止み、すこし涼しくなるころ。ところがラニーニャ現象とかで日本列島には太平洋高気圧が強まり記録的な猛暑が続いている。日照りが続く。エアコンとビール特需。最近は、飲んでも運転できるノンアルコールビールも需要が伸びている。

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2010年8月22日 (日)

織田信雄の読み方について

    織田信長の二男信雄の読み方は、ほとんどの昔の事典には、「のぶお」とある。だが、最近大河ドラマなどを見ていると「のぶかつ」と呼んでいる。「信雄(のぶお)」とする根拠は、「寛政重修諸家譜」第489にルビが記載されているからである。しかし、近年の研究では、戦国武将が、子供や家臣に自分の名乗りの一字を与える風習に着目して調査した結果、「雄」の字をどう読んでいるかみると、例えば瀧川雄利(かつのり)のように「かつ」と読んでいる。これは瀧川雄利が織田信雄から諱字を与えられたことが記されており、信雄は「のぶかつ」と読まれていた可能性が高いものと推察される。

歌謡メロドラマ小史

    歌謡曲に着想を得た歌謡映画(ここではミュージカルではなく、便宜上、こう呼ぶことにする)が作られるようになったのは、いつごろからであろうか。ヒットした流行歌をそのまま映画のタイトルにすれば知名度にあやかりある程度の観客層が見込めるというねらいがある。最近では新垣結衣・生田斗真の映画「ハナミズキ」も「君と好きな人が百年続きますように」がモチーフになっている。 

   東海林太郎の「国境の町」は昭和9年に曲が大ヒットして、翌年に新興キネマで映画化された。これが歌謡映画の最初ではないだろうか。この歌謡メロドラマを日本映画に定着した人は島耕二(1901-1986)ではないだろうか。島は戦前「情熱の詩人啄木」「裸の町」「青い背広」など二枚目俳優であったが、戦後、大映「十代の性典」など娯楽映画の監督として知られる。彼のもう一つの功績が「歌謡メロドラマ」である。カルピスの宣伝「銀座カンカン娘」(昭和24年)、そごう百貨店の宣伝「有楽町で逢いましょう」(昭和33年)、「上海帰りのリル」(昭和27年)など都会的なロマンス物を得意とした。昭和30年代半ばになると各社、歌謡映画を製作するようになった。日活は「南国土佐を後にして」「上を向いて歩こう」「硝子のジョニー」「いつでも夢を」「美しい十代」「学園広場」「花咲く乙女たち」「高原のお嬢さん」「哀愁の夜」「骨まで愛して」「逢いたくて逢いたくて」、松竹は「黄色いさくらんぼ」「川は流れる」「アンコ椿は恋の花」、大映「高校三年生」など。1970、80年代には「神田川」「赤ちょうちん」「関白宣言」「俺ら東京さ行ぐだ」などフォーク・演歌の作品の映画化も流行った。最近のJ-POPにはほとんど見られない傾向である。とくに島耕二の「有楽町で逢いましょう」は大映全盛期を飾るオールスター作品であるが、明るい都会的センスに溢れた名作で歌謡メロドラマ史の金字塔である。愛煙家の菅原謙二と可愛い京マチ子の名コンビが織りなすツンデレ・ロマコメの逸品。

思い出の「東山敬司」

    昨夜NHK夏の恒例「思い出のメロディー」を見る。中村雅俊が「先生役は僕は5人目です」と語った。「6人目の間違いではないか」とふと思った。「ふれあい」は日本テレビ系の青春学園ドラマ「われら青春」の挿入歌。東宝制作・テアトルプロ共同制作で日本テレビ系で放送された青春学園ドラマは次のとおりである。

①「青春とは何か」夏木陽介 藤山陽子

②「これが青春だ」竜雷太  弓恵子

③「でっかい青春」竜雷太 広瀬みさ

④「進め!青春」浜畑賢吉 亀井光代

⑤「炎の青春」東山敬司 柏木由紀子

⑥「飛び出せ青春」村野武範 酒井和歌子

⑦「われら青春」中村雅俊 島田陽子

    昭和40年代の同じ枠の学園ドラマは7作品であるがこのうち、竜雷太は2回主演しているので、主演の青年教師役の俳優は6人のはずである。なぜ中村雅俊は5人と言ったのだろう。このなかで「炎の青春」の東山敬司は俳優として大成しなかった。作品も評判は悪かったが、水谷豊や岡崎友紀も出演している。不運だったのは、日曜八時の放送枠が「コント55号の裏番組をぶっとばせ」という人気番組があったので、月曜夜に移動した。またアポロ11号の月面着陸の放送のため突然の打ち切りも不運であった。東山敬司は当時現役の大学生で美男であったが、演技力不足という面もあったことは否めない。やはり俳優仲間でも「炎の青春」は除外しているのだろうか。

学童疎開船・対馬丸の沈没

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  昭和19年7月にサイパン島が陥落し、沖縄での攻防戦が必死となって、沖縄本島・宮古島・石垣島の老幼婦女子を疎開させることが政府の緊急閣議で決定された。8月21日、疎開学童と一般疎開者を合わせた1,788名(うち学童834名)が対馬丸(675トン)に乗船。他の疎開船と船団を組んで、長崎を目指し出航したが、翌22日夜、奄美諸島悪石島付近でアメリカ潜水艦ボーフィン号の魚雷を受けて沈没した。攻撃の理由は乗客の一部に軍関係者がいたためとされる。沈没が夜で波も高く、犠牲者は1476人といわれる。生存者には緘口令が敷かれ、撃沈の事実を口外することを禁じられ、調査も行なわれなかった。遺族が事実を知るのは終戦後しばらくしてからである。平成9年12月12日、海洋科学技術センター(現独立行政法人海洋研究開発機構)の探査機「ドルフィン3K」によって対馬丸の船体が確認され、悪石島沖10キロメートル、海底約870メートルに対馬丸は今も眠っている。学童疎開船「対馬丸」の沈没は「ひめゆりの塔」の話のようには知られていないが、日活の吉永小百合主演の「ああ、ひめゆりの塔」(1968年)には撃沈された悲劇が語られている。他の「ひめゆりの塔」や沖縄戦映画には無いものが多い。

   

2010年8月21日 (土)

中世末期の摂津・山科・播州の本願寺

    石山本願寺は1496年蓮如によって創建された浄土真宗の寺である。当時の呼称は大坂御坊・大坂本願寺である。石山本願寺の呼称が普及したのは寺が消滅して以後の江戸時代になってからである。寺地は上町の北端にある小高い丘に造られた。台地にそった坂に町が形成されたことから、この地は「小坂」といわれた。「大坂」と呼ぶようになったのは、2年後の1498年頃からである。本願寺が淀川下流の低湿地に築城されたことは、すぐれた治水技術をもち、それで農民の指導にあたったものと推察される。周辺にある本願寺も若江(東大阪市)にあった若江城なども低湿地にあり、何度となく水害に襲われたが、治水に成功したと思われる。石山本願寺を中心として周辺にも多くの寺が存在していた。船場、深江、大物道場(尼崎市)、門真、若江(東大阪市)、萱振(八尾市)、顕証寺、堺御坊、播州に東本願寺姫路別院・船場本徳寺(船場御坊)など大寺院があった。1532年、法華宗徒(日蓮宗徒)らが山科本願寺を攻撃、炎上したため、証如は大坂へ退去して、石山本願寺が全国本願寺門徒の本山となり、以後大いに発展して戦国の一大勢力となった。1580年、織田信長との抗争の末、顕如は勅命により本願寺を明け渡し、同年8月2日、炎上した。秀吉による大坂城の築城が始まったのは、それからまもなくのことである。(1583年に開始、1585年に完成)

Photo 東本願寺姫路別院船場本徳寺(船場御坊)1515年創建

2010年8月20日 (金)

あなたのひと言が大切です

  ミス・ユニバースの美女たちは皆さん尊敬する人物にマザー・テレサをあげます。日本でも藤原紀香さんやアグネス・チャンさんは海外に行かれて世界の貧しい人の救済を訴える活動をさかんにしています。そのことは立派なことのように見えるでしょうが、マザー・テレサ本人は次のように言っています。

 

自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である。大切な事は遠くにいる人や、大きな事ではなく、目の前にいる人に対して愛を持って接することである

 

    この豊かと思える日本にも電気代が払えず、クーラーを使えず熱中症で死んだ老人のニュースがありました。生活保護の認定にも欠陥があります。民生委員の責任だけではありません。何ができるかまだまだ考えなければならない問題がたくさんあります。そしてまず家族のことを大切にしましょう。奥さんの話をきちんと聞いていますか。子供と向き合っていますか。職場の周りの人のことに関心をもっていますか。隣近所の人と雑談できますか。そんな誰にでもできる小さな一歩から初めてはどうでしょうか。

大正アララギ短歌の2、3の特徴

①写生主義。アララギは正岡子規の根岸短歌会が出発点である。作例として島木赤彦の「隣室に書よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり」がある。病気で臥せっていると、隣りで子供たちの本を読む声が聞こえてくる。まず情況を詠んで、五句に「生きたかりけり」と心情の発露が泣けてくる。

②万葉調。赤彦の「高槻のこずゑにありて頬白のさへうる春となりにけるかも」は「石そそく垂水のうへのさわらびの萌えいづる春になりにけるかも」(志貴皇子)からインスパイアーされているらしい。長塚節の有名な歌「垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をずかしといねつたるみたれども」のように枕詞「垂乳根」が効果的で、またまた泣かせてくれる。

③生活即文学。農家の古泉千樫は「牛の歌人」と呼ばれた。「茱萸の葉の白くひかれる渚みち牛ひとつゐて海に向き立つ」(千樫)。伊藤左千夫の「おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く」単なる季節感を表現するのではなく、自然と自己との対峙が感じられる。

④ポスト印象派。大正初期の島木赤彦はボスト印象派の影響がみえる。「夕焼空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖の静けさ」(大正2年)翌年、赤彦はタヒチに渡ったゴーギャンのように、突如、八丈島に渡った。

⑤病弱。なぜかアララギ歌人は短命な人が多い。長塚節、島木赤彦、古泉千樫、門間春雄、松倉米吉など40歳ならずにこの世を去っている。子規が短命だったことと関連するのだろうか。「生活即文学」病気を詠んだ名歌が多い。母の死の歌も多い。(なぜか父の死の歌は少ない)

結論。アララギ短歌は泣ける。自分もつくりたいが、万葉集の勉強が不可欠である。だから歌人になれずに、万葉研究者や評論家になった人も多い。もちろん自然と共に暮らすことも必要なアイテム。都会の片隅で冷房完備でパソコンに向かう毎日では、とてもよい歌は作れそうもない。

マザー・テレサが本当にライトアップを望んでいるのだろうか?

    8月26日は、貧しい人々の救済に尽くした修道女マザー・テレサの生誕100年にあたる。キリスト者はキリストの誕生日や復活祭は祝うが、信者の一個人の誕生日をビルのライトアップで祝うというのは、あまり聞いたことのない新しい風習である。光輝くネオンで夜の帳を照らしたいと思うのはいかにもアメリカ人的な発想かもしれない。ところがニューヨークの摩天楼の象徴であるエンパイア・ステートビルでは、マザー・テレサ生誕100年のライトアップ申請を断ったというニュースがあった。宗教色の強いニューヨークでは、これに対して大規模な抗議集会が開かれるという騒動にまで発展している。他国の話、それもキリスト世界の話、無関係なのでどうのこうの言える立場ではない。「特定の宗教家をたたえるライトアップはしない」という拒否の理由には、うなずけるものがある。摩天楼のライトアップと比べると、話の規模は小さいけれども、日本でも公共施設のロビーの管理などで同様の問題が起きている。公共の大きな施設には、かなり広いロビーというか余裕スペースがある。そこを潤いのあるものにしたいので、花や美術品を飾る。役所の職員だけでは、なかなかセンスあるものもできないので、見かねた市民グループがボランティアの美化の一環でロビーの展示をいろいろと工夫する。花を飾り、絵画(かなりの芸術家の作品)、コンサート(音楽大学を卒業されたセミ・プロ)など素晴らしい。ここまでは誰が考えても賞賛されるべき活動である。だがコンサートの人が集まり、地元のケーブルテレビが実況中継するようになると、市長がいつも現れて市民に挨拶をして、テレビに登場する。選挙活動であることはいうまでもない。善男善女が多数集まる。いつもピアノや声楽の方は特定グループの発表の場となる。絵画も特定のグループの指定席となる。本来であれば、公民館などで使用料を払って、絵画の展示会や音楽会をしなければいけないところ、このロビーを使えば無料で感謝されて何でも思いのままに企画できる。何年間も特定グループがロビーを意のままに使用すれば、担当課長といえども異を唱えることなどできなくなる。「庇を貸して母屋とられる」の譬えのごとく、団体はあれこれ善意のようにみせかけて実利を得ている。だから公共を預かる者は強い覚悟で拒むべきで、最初から拒むのが正解なのである。もちつもたれつの関係、地方にいくほどよくある構図だがそこが悪の温床となる。行政の特定団体との癒着は好ましいことではない。アメリカでキリスト教団体が強いからこそ、むしろケジメをつけることは正しいことのように思える。そもそも天国のマザー・テレサが本当にネオンぎらぎらと自分の誕生日を祝ってほしいのだろうか。イスラム原理主義者のテロのターゲットとなって抗議集会で多数の死者の生け贄の血を見てマザー・テレサがお喜びになるとでも思っているのだろうか。マザーの行動を広めようとしている者たちは、何か別の目的で自分たちの権勢を拡張しようとしているとしか思えない。公共施設の花を代えたりする善行は隠れてするもので、仰々しく市民文化賞などもらう団体にも何かしらの魂胆があるのである。

怖い女子の名について

江戸時代、女子の名で「かさね」というのは一般的であった。ところが鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭円朝の「真景累ヶ淵」でその名が使われたことから、その名をつける親はいなくなった。四谷怪談の岩にしても少ないだろう。明治の女性社会事業家に瓜生岩という偉い人がいるが、そういう迷信、俗信に負けまいという強い意思が親にあったのだろうか。

最近では、映画「リンク」で使われた貞子だろうか。それまで一般的な名であったが、いまではほとんど使われない。もちろん映画が公開以前に生まれた方がたくさんおられるので不愉快な話かもしれないが。「なんであたしの名を勝手にホラーに使うのよ!」と文句の一つも言いたくなるだろう。アメリカに実在した殺人犯にべラ・ガニスという女性がいたが、日本ではアニメ「妖怪人間べム」の中にべラという恐ろしい女性が登場する。「吉備津の釜」「牡丹燈籠」「番町皿屋敷」などに登場する磯良(いそら)、お露、お米、お菊などもいまでは使われなくなった名であろう。明治大正期には日本を代表する一般的な女性名であった「花子」「ハナコ」「はな」も「トイレの花子さん」でほとんど使われなくなってしまった。マス・メディアによる影響は大きい。

2010年8月19日 (木)

明治大正期のアララギ歌人たち

  「牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いに起る」正岡子規没後の根岸短歌会は伊藤左千夫を中心に起こった。長塚節らと機関誌「馬酔木」を出し、ついで「アカネ」にひきつがれた。しかし後者の編集を担当した三井甲之と左千夫との間に対立が生じ、改めて左千夫編集のもとに千葉県山武郡睦岡村の蕨真一郎方から刊行されたのが「阿羅々木」である。はじめは小さな結社にすぎなかったが、茂吉、千樫、中村憲吉ら新世代の新しい傾向によって注目をうけ、赤彦が編集、経営に専念した大正中期以後歌壇の主流を占めるにいたった。明治・大正期のアララギ派の主要歌人を列挙する。

伊藤左千夫  1864-1913

島木赤彦   1876-1940

岡 麓     1877-1951

平福百穂   1877-1933

長塚節     1879-1915

石原純     1881-1947

斎藤茂吉   1882-1953

古泉千樫   1886-1927

三ヶ島葭子  1886-1927

釈 迢空    1887-1953

原 阿佐緒  1889-1919

門間春雄   1889-1919

中村憲吉   1889-1934

土屋文明   1890-1990

結城哀草果  1893-1953

松倉米吉   1895-1919

土田耕平   1895-1940

坂本嘉治馬

    慶応2年、高知県宿毛に生まれた。父・坂本喜八は藩老伊賀家の足軽で、戊辰の役に参加したが、帰郷後重病にかかり、藩の軍医だった酒井融(1840-1920)の治療をうけて一命をとりとめた。嘉治馬は明治16年上京、酒井融の世話で同郷の先輩・小野梓(1852-1886)が経営する東洋館に入社。明治19年、神田裏神保町9に古長屋を借りうけて古本を主とした書店冨山房を創業。天野為之の『経済原論』を処女出版、以来、学術書・教科書などを出版。昭和の円本合戦のさなかも、時流に超然としてわが道を行くの態度で『日本家庭大百科事彙』全4巻をはじめ多く出版を成功させた。昭和9年から『国民百科大辞典』が刊行され、多項目主義と一項一解主義の併用、左開き横組という画期的な編集で、満3年を経て、全12巻は完結した。小野梓の遺訓「益世報効」を社是とし、「良い本は高くとも売れる」という信念をもって生涯良書の出版事業に専念した。

2010年8月18日 (水)

山岳遭難・生と死の分岐点

    登山ブームである。ガイドブックや地図が売れ、百名山をビデオでみて、映画「剣岳 点の記」に感動する。まだまだ元気な中高年は山へ山へと出かける。ハイキングともトレッキングとも区別がつないまま、登山家になったような気分になれる。だが夏山は天候が変わりやすく、危険と背中あわせである。そして登山はあくまで自己責任である。遭難したら誰かが救助してくれるという甘い考えの登山家も増えている。

     15日、芦屋市の山岳会「アルペン芦山」に所属する男女8人のパーティーが、剣岳に登ったまま行方不明になった。パーティーは自力下山のためビバークしていたらしいが、連絡不能なので、警備隊は天候を判断して救助隊を出動させた。県警の判断は正しかった。救助隊が捜索したところ、山頂付近でビバークしている一行を発見し、ヘリコプターで救助された。8人全員、けがもなく、無事で本当によかった。だが同じころ、北海道日高山系で東京理科大学のワンダーフォーゲル部の3人が死亡していた。生と死との運命は紙一重である。登山者は安全登山に気をつけ、くれぐれも御用心を。はたして剣岳のような山が中高年の女性に適切な計画なのかわからないが、今回の一件についてはアルペン芦山として反省すべきところは大いに反省すべきである。生きて帰れたのは、ただ運がよかったからではないだろうか。富山県警警備隊の皆さんに感謝、感謝。

非女子図鑑

    タイトルの「非女子」とは、意味不明だが、いわゆる普通の女子にありがちなイメージ、可愛い、女の子ぽい服装、料理好き、など嫌いな女性もいるだろう。一般的にこうあるべきステレオタイプの女性像ではなく、自分なりに正直に一所懸命に生きている女性のことか。

  映画「非女子図鑑」はオムニバス形式で現代に生きる様々な女性像を描く。神官を好きになって、マジナイに凝る女子高生。武闘派女子。ブラジャーをしない考古学女子。男子になろうと男役のオーデションを受ける女子。混浴が趣味の女子。化粧にも流行の服にも興味のない悪趣味な女子。ちょっと風変わりなテーマでありえない話ばかりだが、非女子をいろいろと並べるとそこには現代の女性問題がみえてくるように思える。一方でカワイイという日本語が海外にまで知られるほど産業化しつつあるなか、男性と女性の性の分化にせめぎ合いがみられるのが現代であろうか。とくに最後の一編、仲里依紗の「死ねない女」。失恋して自殺を図ろうとするが、死んだあとのことを考えると死ねなくなった。そこで部屋をかたずけたり、料理をしたり、お化粧したり、新しい服を買ったりする。もともと美形なので変身すると人生やりなおしできるようにおもえるのだが。他の一編「混浴heaven」でも露天風呂につかって朝日を見たら死ぬことをわすれたという人もいる。人生をいろいろな角度から眺めるのも精神にとってよいようである。

2010年8月17日 (火)

名利を求めるな

    後漢の光武帝が下した詔のなかに、「羊頭を懸げて馬膞を売り、盗跖、孔子語を行う」がみえる。つまり、店頭に善い品をみせておいて悪い品を売る、羊頭狗肉である。2000年も前の話だが、人の行いは昔も今も変わらず。輸入した牛肉を国産和牛として偽る。中国冷凍ウナギを別の業者に転売する。死んだ父母を生きているようにみせて年金を不正受給する。水増しのジュース。見た目はふかふかだがカスカスの食パン。底上げの惣菜。書道日本一の高校が実は不正に水増し応募。沖縄サンゴの損壊を捏造する新聞社。旧石器時代の遺物を「ゴッド・ハンド」で発見。すべて不正、偽り、でっちあげ、まがいもの、インチキである。なんでもランキングを重視する世の中。人が評価したものを信じで自分の価値判断がない人が多い。企業や行政が○○甲子園とか○○栄誉賞などをつくるのも考え物。世俗にながされず、名利、名声を追わず、栄光何するものぞ、という生き方をしたいものだ。

晩夏

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   厳しい暑さが続いているが、少し秋の気配が感じられる。朝、庭にでるとセミの死骸がころがっている。あんなに元気で泣いていたのに、もうこの世のものではない。この世に恨みも未練もなく死んでしまったのだろうか。セミは偉い。

9733  +48

9672  -61

9806  +134

9800  -6

9742  -58

2010年8月16日 (月)

学問と人生

諸君よ、正義を守る人物を社会は常に要求する。おのが生命を惜しむことなかれ。世の栄華を求めることなかれ。人生は短く、学問は長い。  矢内原忠雄(1893-1961)

 

労働は神聖なり、結合は勢力なり。 高野房太郎(1868-1904)

 

あらゆる歴史書は人間の全体性の理解に関係するかぎりに於いて、人間の自叙伝である性質を有っている。  西田直二郎(1886-1964)

イエスの譬え

   イエスが宣べ伝えられた教えのなかには聴衆を日常の身近な世界に導き入れるために、また子供にも理解できるほどわかりやすくするために、譬えの表現が数多く見られる。イエス以前の時代のユダヤ教の伝統表現をふまえているのかもしれない。しかし、とくに日本人にとっては信仰者でない限りイエスの譬えは解説書なしには理解できないこともしばしばある。

    「マタイによる福音書」10-16にある「いまわたしがあなた達を送り出すのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように純真であれ。」(塚本虎二訳)の解釈に悩むであろう。羊と狼は判るとして、蛇と鳩との対比はどうであろう。聖書においては、蛇はアダムとイブを誘惑したサタンの化身のように扱われ、鳩はノアの洪水の際、オリーブの枝をくわえて水の引けたことを知らせた平和の象徴として描かれている。弟子たちに「蛇になれ」ということについてどうのように理解したらよいのであろうか。キリスト者はしばしばこの世にあって、素直で純真であっても、融通がきかず、逞しさに欠けると見られてきたのであろうか。この世で使命を果たしていくためには、鳩のような素直さと共に、蛇のような賢さと図太さ、大胆さが必要なのだ、と言っている。よく似た比喩に「あなたがた自身の内に塩(=賢さ)を持ち、互いに和らぎなさい」(マルコ9-50)がある。

サラリーマンの勲章

   フジテレビの恐怖劇場アンバランスはいわゆるお蔵入りになっていたドラマで1973放送されたが、製作は1969年ごろである。シリーズ中、もっとも注目すべき作品は、現代サラリーマンの実存的不安の心理を見事に描いたのがこの第10話「サラリーマンの勲章」である。原作は樹下太郎(1921-2000)の「消失計画」(文春文庫の「サラリーマンの勲章」に所収)

    一流会社に勤める平凡な係長・犬飼一郎、39歳は課長に昇進した。だが彼にとって昇進は苦痛以外の何ものでもなかった。ある日、遅刻したのがきっかけとなって会社をずる休みする。バーのマダムの家にとめてもらう。やがて彼は奇妙な計画を思いつく・・・・。人間蒸発が社会問題視された頃のサラリーマン小説か。円谷作品では脇役が多かった梅津栄が小心なサラリーマンを好演している。共演も富士真奈美、津島恵子、中丸忠雄、神田隆、南広と豪華である。

潜水艦ドンガメ暮らし

   潜水艦を扱った映画は戦前から片山明彦の「潜水艦1号」(1941)がある。戦後「人間魚雷回天」(1955)「人間魚雷出撃す」(1956)「深く静かに潜行せよ」(1958)「Uボート」(1981)などがある。昨夜は昨年公開された「真夏のオリオン」を見る。敵駆逐艦と潜水艦との激しい攻防戦は「眼下の敵」(1957)を想起させる。「一枚の楽譜」に当世風の平和へのメッセージが込められている。だが藤田進や三船敏郎のような男性的な俳優のいない戦争映画はなんとなく甘いものに仕上がっている。

   日本に限らず潜水艦の居住性はとても悪い。冷暖房の設備はなく、船内の空気が汚れている。8月の艦内は暑い。それに出撃したら風呂には入れないし、水も貴重だから髭そりも十分ではない。服も不潔であろし、身体から異臭を放つ。真夏のオリオン星を見るより、鼻のもげるような臭いがする。そんな不潔な感じが全然しないイケメンスターぞろいだった。また潜航中は煙りを出すので、煮炊きはできない。映画には調理係が調理するシーンがあったが、あのような美味しそうな食事だったのだろうか。本によれば、白米飯はあるが電熱器は、電気が最大の動力源なので使わない。乾パン、赤飯もみんな缶詰。野菜は出航三、四日で使いきってしまう。惣菜は粗末なものである。一説によれば艦内は機械音以外に音はなく静かだという。映画のように乗組員がハモニカを吹いたり、大声で復唱しているのは本当だろうか。海軍といえばハンモックだが、潜水艦にはハンモックがない。床寝が一般である。朝晩の区別なく、だれかが交代で船内で寝ている。朝か昼かわからなくなる。長時間潜航がおわって艦橋のハッチがあけられて、一気に新しい空気が艦内に入る。空気がうまい。これは潜水艦に乗ったものでないとわからないという。潜水艦乗りで現在、生き残っている者は少ないという。沈没すれば戦死する確率が高いこともあるが、生き残ったとしても、胸部疾患、ビタミン不足による脚気、視力の低下、など全身に与える悪影響は大きいものがある。潜水艦勤務は想像を絶する過酷なものであろう。

可愛い魚雷と一緒に積んだ

青いバナナも黄色く熟れた

男世帯は気ままなものよ

髭も生えます 髭も生えます

不精髭

2010年8月15日 (日)

恐怖劇場「吸血鬼の絶叫」

    恐怖劇場アンバランス第11話。地下牢に横たわる男、鬼崎(富田浩太郎)の胸から杭が引き抜かれた。吸血鬼は甦った。鬼崎に妹を殺された一平(勝呂誉)は、死体の体内に血液がなかつたことから吸血鬼の犯行ではないかと疑う。父親を吸血鬼に殺された玲子(弓恵子)と共に、独自に捜査をはじめる・・・・。

    吸血鬼。バンパイア。生者とも死者ともわからない存在。夜ごとに死体からよみがえり、人の生血を吸う悪霊。映画ではドラキュラのような伯爵の姿をイメージするが、実は吸血鬼はそれぞれの国でさまざまである。このような怪物は、古くはギリシアやローマ、ヘブライの神話にもあり、中国の古い文献にも、月の光から魔力を得る吸血鬼が記されている。特徴としては、キラキラと光る目で見つめられると誰でも催眠術にかかってしまう。指の爪は長くとがっていて、まゆ毛は左右つながっている。手のひらに毛が生えている。吐く息は強い悪臭を放ち、やせ衰えた外見にもかかわらず、人間を常食にしているおかげで超人的な力を発揮できる。コウモリやオオカミなどの動物に変身することができ、夜の生き物をすべて支配する力がある。しかし、夜が明けると吸血鬼はその力を失うため、棺に入らなければならない。吸血鬼を退治する方法はいろいろある。ルーマニアは、吸血鬼を捕らえる吉日は土曜日で、この日だけは彼らは墓をぬけ出る力を失う、と信じる人々がいる。白亜の粉と聖水をふり注ぐと吸血鬼は力を失うという人もいる。もっと直接的な手段としては、昼間、吸血鬼が墓に眠っているときに、木ないし鉄の杭をその心臓に突き立てる。さらに念を入れて、その口にニンニクをつめるといった方法がある。太陽の光は吸血鬼を滅ぼし、十字架も吸血鬼を防ぐ強力な武器になる。

モスキート爆撃隊

   第二次世界大戦下のイギリス空軍のパイロット・クイント(デヴィッド・マッカラム)は新型ロケットの研究所を破壊する命令が下される。そこには同僚のスコット(デヴィッド・バック)ら捕虜たちが人質となっているが、パルチザンと協力して脱走に成功する。スコットの妻べス(スザンヌ・ニーブ)とのロマンスも交えながら、戦争アクションが繰り広げられる。モスキート機は蚊のように高速で低空でドイツ領内に侵入したことから名づけられた。映画「633爆撃隊」にも登場する。モスキートを開発したデ・ハビランド社のジェフリー・デ・ハビランドは女優オリビア・デ・ハビランドの従兄弟にあたる。主演のデヴィッド・マッカラムはTV「ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリヤキンで人気を得た。「大脱走」では仲間を救うためわざとゲシュタポに撃たれる。元妻ジル・アイアランドは離婚後、チャールズ・ブロンソンと結婚した。

2010年8月12日 (木)

ウィンドサーフィン

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   夏といえば湘南、いやハワイ・オアフ島でサーフィン。いや、嘘。したことない。「TUBE」というバンドは、いまごろサーフィンしているのだろうか。バンド名の「チューブ」とは、もちろんサーフィン用語の「チューブライディング」に由来する。チューブとは波が巻いている状態をいう。プロウィンドサーファーの飯島夏樹の「天国で君に逢えたら」の一節。

ハワイ大学の学生で、夏休みを利用して女友達とマウイに休暇に来ていたお前を何とかディナーに誘えた時は、もう天にも昇る気分。何と言ったらいいか、自分がケリー・スレーターになってノースのパイプラインのチューブに勇ましく入っているようなハイな気分だった。

    ノースとはハワイ・オアフ島の地名。チューブは波の渦。とろころで「パイプライン」という語が問題である。

   人にはそれぞれ勘違いをしたままずっとずっと長い間、思い込んでいることがしばしばある。人に話したら笑われるだろう。実は自分はベンチャーズの「パイプライン」という曲、これはエレキブームの代表曲だから当時の若者はだれでも聞いてしびれていた、これをなんと石油などを輸送する砂漠をはしる「パイプライン」だと思っていた。なんとはなく変だとは、うすうす感じながらも、サーフィンとは別世界に生きてきた自分は、波を連想できなかった。知らないとは恐ろしいことである。飯島夏樹のこの本を読んで、はたと気づいた。

127歳翁は明治、大正、昭和を生きぬいた日本男児である

    いまのお盆の時期に連日のようにテレビのニュースから「生きていれば…」という前置きを聞く。

    今年の流行語大賞は、「生きていれば…」が世相をあらわす言葉だと考える。家族も地域も自治体も国家も「あっしにゃァ、かかわりござんせん」「登録抹消いたします」で人生オシマイでござんす。大阪市西成区で生きていれば国内最高齢127歳の所在不明の男性がいることが、新たに市関係者の取材でわかった。神戸の125歳の女性を上回る。127歳であれば明治16年生まれだが、東条英機と山本五十六は明治17年生まれで彼らより1歳年上のお兄さんということになる。「人の歴史あり」いかなる人にもさまざまな人生があったであろう。127歳翁は、どのような人生を歩んだのだろうか。無縁仏として何れかの寺で供養されるのか、あるいはただ住民登録や戸籍が職権で抹消されるだけなのであろうか。個人情報保護法とやらで名前も公表されない。すくなくとも何らかの職業につき、日露戦争には従軍したかもしれない。住民登録されているということは太平洋戦争後も生きていたと思われるが、どのように経緯で西成区に住むようになったのだろう。安保の年(昭和35年)は77歳だった。ただ一つ言えるのは、127歳翁の人生は明治、大正、昭和の激動の時代を生き抜いた一庶民のささやかな近現代史だと思うのだが・・・。追記:夕刊によると、男性は昭和41年に83歳で死亡して浪速区に死亡届が提出されていた。縦割り行政弱点であり、住民基本台帳の抹消手続きをせずに放置されていたようだ。

2010年8月11日 (水)

御巣鷹25年

   スイス鉄道事故、米バス事故と観光客の不慮の事故が続く。1985年の日航ジャンボ機墜落事故から25年が経つ。いまでは経営破綻し、会社更正法の適用をうけているが、あの頃、日本航空は全盛であった。成田空港が開港し、「スチュワーデス物語」の「教官!」が当時の流行語だった。(最近の映画「ハッピーフライト」はANAだ。)四半世紀という歳月は、遠い昔ではないが、すこし時代が経った、という感じをさせる微妙な時の流れである。ただあまりに交通機関の事故が多発しているが、人命軽視の風潮は少しも変わっていない。

夏の読書

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    図書館から疎遠になると、人気作家やベストセラーを知らなくなってきた。冲方丁の読み方がわからない。「うぶかたとう」と読むらしい。夏の暑い午後、ひさしぶりに本屋へ行く。夏の読書感想文対策の文庫リストが無料で置いている。涼しい木陰に寝転がって本を読むのもいいだろう。でも何を読んだらいいのか?多部未華子ちゃんの表紙の「ナツイチ2010」から面白そうなタイトルを拾い出してみる。

「美晴さんランナウェイ」 山本幸久

「夏と花火と私の死体」 乙一

「蛇行する川のほとり」 恩田陸

「永遠の出口」 森絵都

「オリガ・モリソヴナの反語法」 米原万里

正しきを踏んで怖るるなかれ

    世界で最初に新聞と呼べるものが登場したのは17世紀といわれている。1609年、ドイツに最初の週刊紙「レラチオン」と「アビソ」(「アヴイソ」あるいは「アブイソ」とも表記される)が現れた。つまり新聞400年というわけだ。日刊紙は1660年に同じくドイツで「ライプチガー・ツァイトゥング」が刊行された。日本で最初の新聞は、1862年に江戸幕府の蕃書調所が発行した「官板バタビア新聞」である。以後、日清戦争あたりまでは、政治的論議を主体とした政論新聞と、通俗的な談物中心の小新聞の2つのタイプ。しかし、日清・日露の報道合戦を経て、次第に報道本位の新聞に移っていく。1923年の関東大震災を契機に、東京の有力新聞は衰退して、大阪から進出してきた朝日、毎日の両紙が全国紙としての体制を確立。昭和初年から終戦までは軍部による統制の時代であったが、戦後、言論の自由により、巨大メディアへと成長していく。新聞・雑誌・TV…だが激しく変動する報道競争の中で、巨大マスコミは大企業と政治権力の前に自由で公正な立場に立った報道が本当になされているかは疑問である。最近は個としての自己主張のできるブログという情報発信手段もできた。権力や大衆に迎合せず、個の信念で発言したい。「正しきを踏んで怖るるなかれ」

仲良きことは美しき哉

    「まことに遺憾に存じます」猛暑のさなか連日どこかの役場の責任者が謝っている。神戸市東灘区の125歳の女性の行方がわからないという。現在100歳以上の所在不明者は日ごとに増えて75人。内訳をみると、家族同居35人、ひとり暮らし21人、わからない19人。家出老人か?。家族は何故、いままで届け出をしなかったのだろう?市は居住実態がないことを把握しながら何故いままで放置していたのだろう?高齢者リストを見て気がついた職員は、「このまま放っていたらどんどん年齢が増えてしまう」と語っている。だが市高齢福祉課、区政振興課など「縦割り」行政の壁にはさまれて情報を伝達することはしなかった。人手不足を理由にあげるかもしれないが、ホンネの裏事情は、職員は与えられた仕事さえすればいい、ツケを後に残す、どうせ人事異動で変わる、という役所の根本的体質にあると思う。もう役所の釈明会見やお詫び会見も飽きてしまった。

   もし武者小路実篤が生きていれば125歳(明治18生まれ)だという。ロシアの文豪トルストイが家出して小さな駅舎で死んだのが100年前のことである。トルストイも実篤も人道主義を唱えた文学者だ。古いようでも身近な時代だ。道徳の基本は孝であり、年長者を大切にしてこそ文明国といえる。所在不明老人を住民基本台帳から抹消するだけならこの問題はたやすいことだが、これからの家族のあり方について日本人が真剣に考えるべきではないだろうか。

2010年8月10日 (火)

カルヴィンかカルヴァンか?

   山川出版社の古い教科書(1982年)では「カルヴィン」とあるが、最近の本ではだいたい「カルヴァン」となっているようである。

  フランスの宗教改革者 ジャン・カルヴァン Jean Calvin (1509-1564)。初め法律を学び人文主義者として出発したが、1531年パリ大学に学んだ頃に回心。改革派へ荷担したため追われてバーゼルに逃れ、1536年「キリスト教綱領」を出版する。スイスを中心にカルヴァン派を形成。英語読みではカルヴィン、フランス読みではカルヴァンとなる。この場合は、カルヴァンがよいだろう。

伊丹が副首都になる!?

    伊丹は城と酒と俳諧のまちである。14世紀中ごろには伊丹氏の小さな砦のような城があった。歴史に伊丹が登場するのは、管領細川氏の被官となり、やがて一向一揆と対決するようになる。織田信長が入京すると、伊丹氏はいちはやく信長に応じ、池田、芥川の城主とともに摂津三守護といわれたが、荒木村重が伊丹城を滅ぼし、有岡城とした。その村重も石山合戦で、信長に反抗したために、有岡城は信長の攻撃により落城した。日本史の中で伊丹が登場するのはこの時期だけではないだろうか。ところが伊丹空港の存廃をめぐる論議のなかで、いま空港の跡地利用として、東京の首都機能をバックアップするという構想が浮上している。ケペルの住んでいるところは昆陽池から1キロ以内のとろこである。実現すれば副首都圏内の読書施設になるのだが。

ツァラトゥストラ

   大導寺信輔は或る雪の夜、神保町の古本屋を一軒一軒覗いて行った。その内に或る古本屋に「ツァラトゥストラ」を一冊発見した。それもただの「ツァラトゥストラ」ではなかった。二月ほど前に彼の売った手垢だらけの「ツァラトゥストラ」だった。彼は読み返せば読み返すほど、だんだん懐かしさを感じた。「これはいくらですか?」「1円60銭」信輔はたった70銭でこの本を売ったことを思い出した。が、やっと売りの価の二倍、1円40銭に値切った末、とうとうもう一度買うことにした。(芥川龍之介「大導寺信輔の半生」より)

    こんな体験は誰にもあったように思う。でもいまは懐かしい青春の日々。

近代映画協会・ATG「心」

    夏目漱石の映画化作品はかなりあるとおもうが、誰しもが満足するような成功例は少ないと思う。ユーモア小説と解してドタバタ喜劇になったり、「三四郎」や「心」は原作に忠実に映像化すれば退屈な映画が出来上がる。また観客はすでに原作を読んだ人が多いので、イメージとのギャップに不平をいう。観客は批評家ではないので、映画を楽しむ見方を上達させたほうがいいのではないだろうか。この映画は文芸映画の一つの新しい大胆な試みにおいて成功していると思う。

    新藤兼人の「心」は原作のテーマ性だけを追求して、現代におきかえ若い男女の愛憎劇(かなり通俗的な)に仕立てている。映画「心」(1973)を2010年にみると、風俗的に古く、なにか時代が映画の魅力を後押ししているように思える。杏梨という無名の女優が演技しつくしていない虚無的で肉感的でエロチックなところがとてもいい。松橋登のエキセントリックな魅力、細身で女の子にモテそうな嫌な男、というイメージ、漱石の作品とは対極にある俳優をもってきた試みもいまなら賞賛できる。そして乙羽信子の貫禄の演技。この映画の主役は乙羽のような気がする。小説では先生と学生が中心であるが、この「心」では学生は登場しない。つまり先生(松橋)が中年になった20年くらい後の時代、墓参りに行く、その墓の主は自殺した辻萬長。そして先生も長い遺書を残して死ぬ。つまり映画「心」は先生の遺書をもとにした再現フイルムのようなものになっている。この映画からは漱石とはかなり違うテーマがうかがえるが、それを指摘するのはあまり無意味なことのように思える。映画は映画としての独立性のある芸術作品で、それも製作時代の制約を嫌でもうけるので、むしろ開き直って昭和の「心」を味わうことも別な楽しみであろう。

2010年8月 9日 (月)

モニーング娘。ふたたび5人になる

    1998年「モーニングコーヒー」で素人の5人組の女の子がメジャーデビューしてから、モーニング娘。がなんともう早や12年が経つ。メンバーの増減が幾度となくあり、最近では3人が卒業し、当初の5人に戻ることになった。モー娘。の最大の転機は福田明日香が学業専念のために卒業し、後藤真希が加入したときだった。その年「ラブマシーン」という大ヒットを放つ。次の転機は第四期生の高橋愛、新垣里沙、紺野あさ美、小川麻琴が加入したとき。このうち高橋、新垣がモー娘。の柱となって成長していく。時代は変わり、モー娘。のテレビ出演やメディア露出は減少したものの、モー娘。の伝統は引き継がれ、実力はメキメキ上達している。パリ公演は大成功だった。初心にかえり、新生モー娘。の活躍におじさんは大いに期待している。

軍国の母・与謝野晶子

    明治37年、与謝野晶子が日露戦争旅順に出征した弟の無事を思って「君死にたまうことなかれ」という長詩をつくったが、今日では戦争反対の詩として一般に理解されているところである。ところが晶子自身は、この詩は出征兵士の家族が駅頭などで「無事に帰って、気をつけて」と見送っているのと同じ意味であり、日露戦争という戦争そのものを否定しているわけではない、と弁明している。なぜ、本人の意図とは大きくはなれてこの詩が反戦詩として読まれるようになったのだろうか。戦後の平和教育の中ではいつも与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」が大きくとりあげられる。晶子には11人の子がいた。子供が太平洋戦争に出征するとき詠まれた歌がある。

水軍の大尉となりてわが四郎み軍に征く猛く戦へ

    出征していく我が子の武運長久を祈っているものの、「猛く戦へ」と激励の言葉をかけている。与謝野四郎は職業軍人で大尉にまで昇進していることからも、晶子には反戦思想や反国家思想などはなく、「軍国の母」であったのだ。

ああ、「大日本史料」哀話

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    作家は史料を集めるためには金に糸目はつけないものらしい。むかし遠藤周作がキリシタン物を書くために「大日本史料」を買ったという逸話は友人の安岡章太郎が語っている。脚本家の市川森一はNHKから「花の乱」の脚本を頼まれた。いろいろ史料を漁ったが、室町時代の資料がなかなか見つからない。神田の古書店で室町時代の資料を10冊くらい見つけた。「大日本史料」と書いてあり、箱に入った綺麗な本だ。店主に頼むとも「ばら売りはしない」という返事。「全部でいくら?」「全巻337冊で800万円です」という。市川は衝動買いで購入した。その本を納める専用の書架も大工に作らせた。妻は涙眼で「半年間、どうやって生活してゆけばいいの」とぼやかれたという。

    市川森一が購入した「大日本史料」は、県立図書館クラスであれば所蔵しているが、市立図書館ではやや負担になるだろう。なぜならいまだに完結していないシリーズ物だからである。ほんとうに全巻をそろえようとすれば、これからも毎年10万円くらいの出費は覚悟しておかなければならない。おそらく我々が生きている間までに完結しないであろう。東京大学史料編纂所「大日本史料」は言うまでもなく、日本史研究の基礎的な資料集ではあるが、1900年から刊行して、2010年に至っても刊行中で、未完の部分も多い。やはり図書館を利用すべきであろ。現在では大日本史総合データーベースという検索機能もできている。

一朝目ざめて有名人

    楽天から移籍したばかりの巨人の朝井秀樹投手が昨日の広島戦で好投をみせた。7回を2安打、無得点、無四球と、投手壊滅状態の巨人にとってまさに救世主現る、という感がある。人気球団の巨人である。朝刊を広げて、まさに「一朝目ざめて有名になったのを知った」と言いたいところだが、なんとお盆で新聞の休刊日だった。原監督や斉藤ピッチングコーチも大喜びといいたいところだが、それでもなぜか表情は押さえぎみ。一試合では喜べない。次からは各球団も研究してくる。それがプロの世界だ。油断大敵。でも昨日のヒーロー・インタビューは、胸にジンときたぜ。

2010年8月 8日 (日)

戦国英雄の信仰生活

    上杉謙信は幼いとき禅寺にあずけられたこともあり信仰心が深い。とりわけ毘沙門天を生涯深く信仰した。武田信玄も禅宗、天台宗、真言宗など諸宗わけへだてなく篤く敬っている。織田信長・豊臣秀吉の人となりは謙信・信玄とは大きく異なるようである。当時、比叡山や高野山は一大武装勢力になっていた。延暦寺、金剛峰寺、石山本願寺など焼き討ちにし、男女数千人を殺戮している。また全国にいた高野聖を惨殺した。信長は仏罰や祟りは信じなかったが、神や祈祷、祝詞は信じていた。神社に戦勝祈願もしている。戦国時代、卜占・筮竹を信じるのは普通だった。

セカンド・ラブ

    「恋も二度目なら 少しは上手に 愛のメッセージ 伝えたい♪」だが何度恋をしてもいつもふられるのも人生。イギリスの諺には「Third time lucky.(三度目はうまくいく)」がある。中国にも「孟母三遷」がある。ダンテの「神曲」も詩人ウェルギリウスに連れられて、地獄、煉獄、そして天国へと旅する。バニヤンの「天路歴程」も壊滅の町、虚栄の市、天の都へと至る。三番目が最高とするのが古人の教えである。だがモームの小説「人間の絆」のフィリップは画家のファニー・プライス、悪女のミルドレッド、作家のノーラと関係するがうまくいかず、結局、4番目の17歳の娘サリーと結ばれる。女性遍歴は数多いほうがよいようだ。

2010年8月 7日 (土)

ミイラが訴える、果てしなく続く東京砂漠

    海老蔵・麻央の超豪華披露宴が行われていたころ、東京都足立区の閑静な住宅街で111歳の男性のミイラ化した遺体が発見された。そばには1978年11月5日付の朝刊があった。この奇怪な事件以降、高齢者の所在不明問題が表面化していく。だが政府、行政、マスコミはタテマエ論や調査だけの会見を連日、繰り返している。つまりは「行政にも限界はある」という責任回避論だ。なるほど高齢者になれば低所得となり、子供にも見放され、やがては孤独死にいたる。わが国には「姥捨て」という悪弊があり、棄老思想が底流に蔓延し、福祉国家というのは単なる幻想かもしれない。「政治より披露宴が優先する」と言い張った前原大臣が紋付袴の姿で暢気に鏡開きをしていた様がこの国のいい加減さを如実に物語っている。この猛暑のなかクーラーも買えず、電気代も払えず、毎日、菓子パンで何とか生きている老人も多い。そして近所の人にも知られず、死んでいく。孤独死は新聞にはのらない。女優の園佳也子さんは有名人だからたまたま報道されたのだろう。なるほどいつの世も人は金持ちに群がる。だが海老蔵の披露宴に出席していたシャンペンをあおる者たちにも同じように老いはやってくる。一休がいたら髑髏をかざして「御用心召され」と、人の世の無常を説いて披露宴会場に現れただろう。「誰もがたどる老いの道」いつかはみんなに死はやってくる。東京砂漠、不毛地帯は果てしなく日本列島に広がっている。

2010年8月 6日 (金)

女中っ子

    現在では忘却された感のある女流作家・由起しげ子だが、戦後再開第1回の芥川賞の受賞者である。素九鬼子は処女作「旅の重さ」を由起に送ったが、そのままになっていた。昭和44年に由起は亡くなり、筑摩書房が遺品を整理していたところ、偶然に素の原稿が見つかり、出版したところベストセラーになった。由起は林芙美子と並ぶ流行作家だったが、デビューは遅く40歳半ばを過ぎてからだ。「女中っ子」は人気があり、二度も映画化されている。山形県から上京し、お手伝いとして働く織本初と少年との心の交流が見事に描かれている。

世界の平和を願う

   本日、広島で平和記念式典が行われた。被爆者ではないが、今日は私の父の命日でもある。生きていたら101歳である。100歳以上の所在不明が問題になっている。帰省もせず、墓参りもせず、親不孝者である。若い人たちには100歳以上の人がどのような時代を生きていたか知らないだろう。まさに人生の中ごろに戦争があった世代だった。家には国民服とか使えなくなった古銭が残っていた。戦後をドラマとしてしか捉えられないことは、戦争体験者にとっては言いたいことがあるかもしれない。戦記文学も優れた作品はみな実体験がもとになっているもので、戦後の後知恵のものは虚構がみえる。映画などは戦争アクションであったり、紋きり型のストーリーが多い。だが歴史研究者の立場でいえば、太平洋戦史の研究がしやすくなるのは、これからなのだ。政治的立場やイデオロギーに左右されず、豊富な資料をもとに多面的に検証できる。司馬遷の「史記」の楚漢抗争やトルストイの「戦争と平和」などのナポレオン戦争など半世紀以上経て書かれている。65年という歳月はいろいろなものを流してくれるように思う。戦後、核抑止論や原子力平和利用が世界の趨勢であったが、いまは「核なき世界の平和」が国際社会の合言葉となってきている。科学の発達は戦争に勝つための兵器開発であったことは事実である。いまは世界に多数ある核施設の廃棄処理に頭を悩ましている。

水鳥が鳴く川の丘に

    パク・ヨンハ主演ドラマ「甘浦悲歌(ガンボビガ)」(1999)青年ソンス(パク・ヨンハ)は雨の中にひとり佇み、子供のころを思い出す。妾の子だった。母の記憶は母が蓄音機で聞いていた歌「水鳥の鳴く川の丘で あなたと歌う愛の歌 流れる川の行き先はいずこ 小船に愛をのせて 幸せをさがしにゆきましょう 水鳥が鳴く川の丘で あなたと歌う愛の歌」受験勉強のために甘浦の民家に下宿する。そこで下女のミスン(パク・ウネ)が母が聞いていた歌を歌っている。二人は愛しあうが、ソンスの父親に反対され結局別れをむかえる。10年後に再会するソンスとミスン。フランス映画「シェルブールの雨傘」のようなラスト。素朴な味わいのある佳作。父親チョン・ドファンは「冬のソナタ」でもパク・ヨンハの父親であるし、二人の住んでいた海辺の民家はユジンとチュンサンが泊まった民家を思い起こす。数年後の「冬のソナタ」を予測させるようなドラマである。

2010年8月 5日 (木)

胡散臭い「国民読書年」

    およそ現代人であれば読書をすることが大切であるとか、文化が人類にとって価値のあるものだということは、誰しも頭の中では理解しているであろう。だが残念なことに、いかにコンピュータや科学文明が高度に発達した現代にあっても、ほとんどの人は、その文化の真の姿を理解しないで世を終わることになる。またその人の知識は、ほとんどすべては文化を理解し得ないで、ただ文化を享受するのみで終わるというのが一般人の一生である。車を運転する人でさえ詳細な機械のトラブルはわからないだろうし、コンピュータを毎日利用している人でさえ、本当の仕組みは専門家でなくてはわからないし、医療にしても治療はしてもらうが、細部にわたる医学的な知識は多くの人は持ち得ない。つまり現代の科学的知識、文化的知識は高度な発達はしているものの、堀り探ってみると、その知識の程度は大正時代の大学卒のインテリとさほどかわらない。むしろ、人によっては小学・中学の程度で留まっているかもしれない。携帯を片手に世界のあらゆる情報を享受しているかのようにみえるが、実は半世紀前の人と大して違わないといのが本音である。むしろ読書をしないだけ知的レベルは劣化したように思える。読書は誰しも大切だと考えているが、それを本当に生活の中に根づかせることは容易いことではない。

   今年は国民読書年ということで、ロゴまでつくって読書キャンペーンを展開しているが、はたしてその成果はあがっているのであろうか。かつて椋鳩十の「母と子の20分間読書運動」(1960)とか石井富之助の「テレビの下の本棚運動」(1968)とかあったが、今年の「国民読書年」運動が記憶にのこるような成果をあげるとは思えない。その原因は何か。いつのころからか推進団体が政治家と連携するようになったが、読書運動が国策的になるため民衆からの反発がみえるからである。予算採りなども出版業界や電子機器との業界との癒着といえないこともない。この話はかなり心理的な側面の微妙な話なのだが、上からの掛け声で「読書をしなさい」と言うとかえって、したくなくなるのが自然の心理である。行政や図書館などが声高に読書運動と叫ぶと一般の人は耳をふさぎたくなるものである。「母と子の20分間読書運動」や「テレビの下の本棚運動」というのは、草の根的で、趣旨が明快で実践しやすいが、「国民読書年」というのはまるで具体性がない。いま行方不明老人が問題になっているが、これまでの戸籍事務や住民登録はあきらかに形骸化したものであったように、お役所仕事は、掛け声だけですまされるものかもしれない。読書運動に取り組んでいるものからみると、「国民読書年」というのが偽善的で嘘っぱちであるように思えてならない。

脇谷亮太15試合連続得点セ新記録

    野球ほどいろいろな記録があるスポーツもめずらしい。得点という記録は自身が本塁打をうたないかぎり、他者の働きがないと達成できない記録である。本日の阪神戦で巨人の脇谷亮太がセ・リーグ新記録となる15試合連続得点という記録を達成した。プロ野球記録は小笠原道大が日本ハム時代に記録した17試合連続。

    だれが8番打者の脇谷がこの記録をつくることを予測したであろうか。昨夜の巨人阪神戦は2-8と負けていた。9回裏、脇谷自らの2ランで記録をつなげた。本日は2回、松本哲也の二塁打で生還した。自身の出塁はもちろんながら、一番、二番、三番あたりの打撃にも左右される。まさに奇跡の記録といえる。

えっ、本当?35歳のラミレスに孫がいる

    昨夜の巨人阪神戦。アナウンサーが「ラミレス選手のお孫さんも観戦しています」という。なんと35歳のラミレスに今年、初孫が誕生していた。エリザベス夫人の前夫との間にできた義理の息子デニーのミンディ夫人が第1子となる男子を産んだのだ。流石に一流は人生することが早いもんですね。35歳、球界最年少おじいちゃんかな。

近道しても行き止まりだ

    「ゲゲゲの女房」今朝の放送でやっと「ゲゲゲの鬼太郎」が誕生した。水木しげるの弟子の倉田は努力家だが、なんとか新人賞をとろうと焦っている。水木は「焦ってはダメだ。近道しても、そこは行き止まり。資料を集めたり、本を読んだり、まずは実力をつけることだ」至言である。しげるの蔵書とスクラップが雄弁に物語っている。地道な努力を積み重ねなければ、かりに幸運にも新人賞をもらったとて、あとが続かないだろう。いまは本当の実力を養ういい時間のはずだ。もちろん若い倉田にはつらいだろうが・・・。でも、このドラマ、めずらしくイイねぇ。

信長入京と付藻茄子

    永禄11年(1568)9月26日、織田信長は大軍を率い将軍義昭とともに入京した。信長は東寺に陣をとり、義昭は清水寺に入った。京の町は騒動し、家財をもって逃げ出すものもいたが、入京した信長は、藤川藤孝に御所の警備を命ずる一方、軍勢を厳格な軍規統制のもとにおき、市中の動揺もまもなく鎮静した。畿内の諸大名・商人らが、先を争って新しい支配者に追従した。「甫菴信長記」によると、連歌師の紹巴・昌叱、医師の半井驢庵・雖知苦斎道三、そのほか諸道の名人たちが訪れた。大和多聞城城主松永久秀が人質をだし、「我朝無双」と称された唐物の茶入れ「付藻茄子」を献上して、大和一国の支配をまかされた。こうして信長による畿内経営がはじまった。大名物「付藻茄子」は本能寺の変をくぐり、1615年に落城した大坂城の焼け跡から拾いだされた。いまは静嘉堂文庫美術館に所蔵されている。

韓国はキム姓とキムチの国

    韓国にはキムという姓が多い。韓流スターもキム・レウォン(屋根部屋のネコ)、キム・ハヌル(リメンバー・ミー)、キム・ジェウォン(わが家)、キム・ジョンウン(パリの恋人)、キム・ジョンフン(カフェ・ソウル)、キム・ソナ(シティーホール)、キム・ソンス(姉さん)、キム・ボム(花より男子)、キム・ミョンミン(白い巨塔)、キム・ミンジョン(チング)など。イ・ビョンホン主演のドラマ「IRISアイリス」が放送中だが、このドラマもキム姓が多い。ヒョンジュン(イ・ビョンホン)の恋人スンヒは韓国を代表する美人女優キム・テヒ。北の女工作員キム・ソヨン(イヴのすべて)、二枚目キム・スンウ(ホテリアー)、NSS副局長キム・ヨンチョル、とズラリとキム姓が並んでいる。

愛は金にまさる

    「人間というものは愛が得られないためよりも、金が得られないために自殺することが多いものだ」とサマーセット・モームは「人間の絆」で言っている。経済的窮乏による自殺。年老いて身体も弱くなって働けないから収入がない。病院に通うにも金がかかる。子供や孫の世話にもなりたくない。どこか知らないところへ行って死んでしまおう。人知れず、死んで、遺体も発見されず、家族も捜索願いを出すこともせず、ただ歳月だけが流れ、戸籍では100歳を超える。こんな人が案外と世の中には多いのではないだろうか。決して不幸な人生だったわけでもなく、それなりに普通の人生を歩んできた人たちだろう。ケペルもそんな死に方になるかもしれない。両親はすでに無く、あてにできる係累もない。つれあいがいるのでいまは幸せだが一人になれば、どこか知らないところで樹海か雪に埋もれてひっそりと死んでいくだろう。誰も届けをしないから長寿日本一になるかもしれない。いやこのブログの更新がないので誰が不審に思い通報して死んだことが発覚するかもしれない。私はモームの言葉とは反対に「人間は愛が得られないから自殺する」という説に一票を入れたい。

ラスト・ホリディ

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  余命あと3週間と医師から宣告されたデパート販売員のジョージア(クイーン・ラティファ)。会社を辞めて、貯金を全部おろして、これまで我慢していた贅沢をする。豪華な料理、ドレス、そしてカジノ。そして愛する彼氏からプロポーズを受ける。結末が読めるベタな展開だが、ポジティブで明るい。むかしのイギリス映画のリメイク作品。ジェラール・ドパルデューやティモシー・ハットンも脇で出演。

  「あなたはまもなく死ぬだろう」こんな映画は過去に何本もあるだろう。黒沢明の「生きる」が典型かもしれない。余命を公園つくりに捧げる物語は感動的だが現実味はない。普通なら預金をつかいはたして好きなことをして死ぬだろう。どちらを選択するかは本人の自由。医師の宣告はなくとも実は人の明日はわからない。生きとし生けるもの、すべてのものへのテーマかもしれない。

2010年8月 4日 (水)

東京砂漠

    ミイラ化した遺体発見に端を発した100歳以上の高齢者所在不明騒動は真夏の日本列島を震撼させる事件へと発展している。朝日新聞によれば全国で100歳以上で14人の所在不明者がいた。都内最高齢の杉並の女性もその行方は杳として知れない。この広い東京砂漠の中をどこに消えてしまったのか、案じられる。100歳以上と限定せずに、いわゆる失踪を含めた所在不明者は全国でどれほどの数にのぼるのだろうか。マスコミも長い間、希薄社会が当たり前になったのか、ほとんど問題視してこなかった。昭和40年前後、「人間蒸発」というのが流行語となったのは昔語りとなって、平成の世は人には無関心な時代のである。しかしマツリゴトとは本来、人のためにすることである。政治家やマスコミたちは、芸能人の超豪華な披露宴に出席する暇があったら、日本人の実態に目をむけることをしてもよいとおもうのだが。

2010年8月 3日 (火)

夏祭り・世界の墓場の盆踊り

  アドルフ・ヒトラーが生きていれば121歳になる。世界の著名人を調べてみよう。チャーチル136歳。アインシュタイン131歳。マッカーサー130歳。ピカソ129歳。ルーズヴェルト128歳。チャップリン121歳。ベーブ・ルース115歳。へミングウェー111歳。アル・カポネ111歳。オーエン・ラティモア110歳。リンドバーグ108歳。ビング・クロスビー107歳。サルトル105歳。楽しいな、楽しいな、お化けは死なない、病気もなんにもない。

将軍を討った武将・松永久秀

    松永久秀(1510-1577)というより、松永弾正の名のほうが知れているかもしれない。もとは三好長慶の家臣であったが実権を握っていく。長慶の子義興を毒殺し、1565年、三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩城友通)とはかって、将軍足利義輝を殺し、足利義栄を迎えた。それより三好三人衆とわかれ、1567年、三好党のよる東大寺を急襲し、ついで大仏殿を焼き、畿内諸国を平定した。1568年、織田信長が足利義昭を奉じて入京すると降伏した。以後、信長に従って石山本願寺攻めなどに参陣したが、1577年、にわかに叛いて信貴山城に帰る。同年信長の子信忠を将とする軍に攻められ、城に火を放って名物「平蜘蛛の釜」とともに自害した。三大悪業といって信長にかからかわれたことがある。

上海リル

   「リル、リル、どこにいるのかリル、誰かリルを知らないか♪」むかし流行った津村謙の「上海帰りのリル」がいま役所や巷で流行の兆しをみせている。100歳以上の高齢者の所在確認がとれないからだ。人間の最期を見届けることは簡単なようで難しい。たとえば参議院議員の辻政信は昭和35年8月22日に16ヶ国に視察するため日本を旅立ったが、翌年、東南アジア視察中、ラオスで行方がわからなくなった。昭和43年になって死亡宣告が出された。いま生きていれば108歳だろう。冒険家の植村直己もマッキンリーで消息を絶ってから20年以上がたつが、その遺体を確認したわけではない。生きていればまだ69歳という若さである。俳優の伏見扇太郎や水木譲の消息もわからないらしい。反対の話もある。日露戦争で死んだと思われていた杉野孫七兵曹長は実は生きていたという。人の一生、さまざまである。

   昭和天皇がもし生きていれば109歳。棟方志功107歳。源田実106歳。織田幹雄105歳。高見順103歳。太宰治101歳。黒沢明100歳、双葉山99歳。「死んだ人の年を数える」マラソンの円谷幸吉は生きていれば70歳。まだまだ元気にジョギングをしている年齢だ。

名ばかり高齢者はどれくらいいるのだろうか?

   日本は世界に誇る長寿大国である。だが住民票や戸籍の届けはあくまで自己申告なので、高齢になって本人が届けられなくなったとき、身内の人が届けるのが普通であろう。だが大都市に住む家族が子供たちも70、80歳の高齢者になった場合、悪意はなくとも役所への届けが不十分になることは当然考えられることである。つまり放ったらかしの状態のまま、100歳、110歳とどんどと年齢があがっていく。仕舞には都内最高齢者となって世間の注目を浴びる。だが、実際に本人に面会すると、所在不明となる。このようなことは誰でも想定できることではある。皆が勤める会社の顧客データーで生年月日が入力されていれば、死亡の連絡などは無いので、どんどん年齢があがって100歳以上がズラリでてくる。コンピュータを導入して25年近く経つからだ。民間の場合は、データの整理すれば済ませられるだろうが、国民の基本データである役所のデータ管理がずさんだといろいろ困ることが起きる。国勢調査も本人確認をしているわけではなく、届出にまかせている。信頼のうえに成り立っている。かつてのように米穀通帳や配給制度であれば正確な届けが維持できたであろうが、現状のシステムでは基本的な国民動態すら正確に把握できない国家であることが明らかとなった。東京都内に住む113歳の最高齢者の正確な所在がわからないという。杉並区役所の課長の会見では「所在を確認せずに認定している」「訪問制度はない」という。もちろん一課長を責める気持ちはない。日本の役所そのものが書類さえあれば、実態までには及ばない、という仕事ぶりであることは、経験上知っている。だが、いったいこれでいいんだろうか。日本の人口が正確でない、というのは自治体の責任であると思うのだが。家庭訪問するか、隣組制度を復活するとか、いろいろな知恵をしぼったらどうだろうか。「これまでやっていないからしない」という釈明は役所への信頼を損なうものである。

2010年8月 2日 (月)

テラビシアにかける橋

   ジェス(ジョシュ・ハッチャーソン)は学校にはスクールバスで通う片田舎にすむ小学生。ちょっと気が弱くていじめられている。ジェスの隣に引っ越してきた転校生レスリー(アナソフィア・ロブ)は髪の短い元気な女の子。だが少し風変わりだ。かけっこしても男子より速い。ジェスはレスリーに秘密の森に案内される。そこにはテラビシアという王国がある。だが現実はレスリーは川で溺れ死ぬ。原作はキャサリン・パターソンの児童文学。神を信じないレスリーは地獄に落ちた、という話もあり、いかにもアメリカらしい。ともかくこの映画はアナソフィア・ロブのキュートな魅力につきる。将来、どのような女優になっていくのだろうか。神木隆之介・福田麻由子の「リトルDJ 小さな恋の物語」と比較したくなる。ティーンの友情、あるいは初恋をどちらも描いているが、両者は全くちがう。ドラマには新しいモノはない。出会い、友情、別れ。全てこのパターンの微調整でしかない。でも2つの作品はなぜこんなに違うのだろうか。「テラビシアにかける橋」には夢や希望がある。「リトルDJ」のように大人の純愛物を子どもに移し変えただけのようなストーリーに目新しさが感じられない。「小さな恋のメロディー」にも無邪気にトロッコなどで遊ぶシーンがある。自然でまだ無邪気ななかから新しい自分を発見する、それがティーン映画の醍醐味だろう。

2010年8月 1日 (日)

テレビ草創期から現在も活躍するスターたち

    女優の園佳也子さんが亡くなられた。「細うで繁盛記」や「ありがとう」などドラマ黄金時代の名脇役だが、デビューはなんと昭和28年のドラマ「ボーナス」。つまりテレビ草創期から半世紀出演し続けていたのである。赤木春恵さんのように映画の大部屋女優からドラマの女優へと転身した人も多いが、園佳也子さんはテレビスターだった。昭和28年から30年代にかけてのテレビ草創期から今も現役でご活躍の俳優・タレント・歌手はどれくらいいるのだろうか。年齢は80歳近くになっているだろう。草笛光子、朝丘雪路、中村玉緒、八千草薫、三国連太郎、大村崑、芦屋小雁、ペギー葉山、島倉千代子、マヒナスターズ、熊倉一雄、黒柳徹子、水谷良重、野際陽子、宇津井健、品川隆二、長門勇、梅津栄、菅井きん、池内淳子、加藤武らは今も第一線で活躍している。千石規子は映画出身女優だが現役か。石井トミコ(旧芸名は石井富子)は映画・テレビ・舞台1000本の出演という。小太りのおばさんのイメージだが、若いころは水着が似合うグラマーガールだった。ほかにも脇役の方でおられるだろうが、50年のキャリアはご立派としかいいようがない。島かおりも娘役からお婆さん役をやるようになってまだまだ現役、芸能生活50年になる。

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