異端者の悲しみ
雑誌「中央公論」の編集長だった滝田樗陰(18882-1925)の遺族が日本近代文学館に谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」、室生犀星「性に目覚める頃」、志賀直哉「雨蛙」などの原稿を寄贈したというニュース。「異端者の悲しみ」は肺病の妹の死が印象的である。
「かあちゃん、・・・・あたいウンコがしたいんだけれど、このまましてもいいかい」
「ああいいとも、そのままおしよ」
母はわが子の最後のわがままを、快く聴き入れてやった。暫くの間、病人はハッキリ意識を回復して、左右の人々にぽっりぽっりと言葉をかけた。
「あああ、あたいはほんとに詰まらないな。十五や十六で死んでしまうなんて、・・・だけど私は苦しくも何ともない。死ぬなんてこんなに楽な事なのか知ら・・・」
その言葉こそ、今肉体から離れて行こうとする霊魂の、断末魔の声であった。それが終わると、次第に病人は息を引き取った。
潤一郎には園、伊勢、末の3人の妹と精二、得三、終平の3人の弟がいた。「異端者の悲しみ」は長女園がモデルになっている。園は明治44年腸結核のため数え16歳で亡くなっている。
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