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2010年7月27日 (火)

鄭和南海遠征の目的とは?

   鄭和(1371-1434)は1405年の冬、およそ200隻の沙船とよばれる外洋船と総勢2万7000人の乗組員で編成された大艦隊を率いて蘇州の劉家河を出発した。最大の船は全長50mとも100m以上あり、8000tに相当すると推測される。大航海時代にカリカットに到着したバスコ・ダ・ガマの旗艦が120tというから、いかに大きかったか想像がつく。ほぼ60隻の大艦隊の遠征は、7回にわたって行われ、南海諸国の珍奇な物品が中国にもたらされた。中国人の南方進出は、のちの華僑が急増する端緒ともなっている。

    だが莫大な経費のかかる大遠征の真の目的は何だったのだろうか。諸説あるが、①永楽帝がクーデターで倒した明朝第2代皇帝・建文帝(逃亡説あり)の行方を捜すため②モンゴル勢力の海からの攻撃に対して備えて、先手をうつため③南海の珍しい物産を手に入れるため④イスラーム商人の協力を得ながら、東南アジア・南アジア・西南アジアの諸国の朝貢を呼びかけるため

   鄭和は、本姓は「馬」で、雲南省に住む代々のイスラーム教徒で、ハッジHajji(哈只)の次男。永楽帝はイスラーム教徒の鄭和を登用することでイスラーム商人との関係を有利なようにしようとしたと考えられるので④説が近いかもしれない。

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