始皇帝ブームの根底にあるもの
かつて始皇帝は極悪非道の暴君して知られていた。日本では、学術論文を除くと、戦前・終戦期の始皇帝関連で出版された本は極めて少ない。
宮地竹峰「秦始皇帝」大学館 1908
村上知行「秦の始皇」大阪屋號書店 1940
加藤繁「始皇帝」生活社 1946
戦後も長らく始皇帝本は出版されることはなかったが、1962年、大映映画「秦・始皇帝」(田中重雄監督)が勝新太郎主演でブームとなるや、鎌田重雄の「秦の始皇帝」が河出書房新社から出版されている。その後、中国で批林批孔運動が起こるや、始皇帝の歴史的評価は中国を統一した偉大なる英雄として最高位に浮上する。日本でも「秦の始皇帝その評価」東方書店(1975)など多数の出版がでる。1974年3月の兵馬俑坑の発見は、始皇帝ブームの到来を決定するものであった。映画では「テラコッタ・ウォリア秦俑」チン・シウトン監督、陸樹銘、1989、「異聞・始皇帝謀殺」周暁文監督、羌文、1996,「始皇帝暗殺」陳凱歌監督、李雪健、1998、「HERO」張芸謀監督、陳道明、2003。テレビドラマでは「始皇帝烈伝ファースト・エンペラー」チャン・フォンイー、ソージア、ガオ・ミン、ソンチュンリー。「大秦帝国」全51話は戦国時代から秦が強国になっていく過程が丁寧に描かれている。この映像をもとに歴史ドキュメンタリー「大秦帝国」がアメリカの歴史学者の解説付の番組まで制作されている。さすがに日本製作の映画は大映版以降ないが、出版物は盛んである。渡辺龍策「秦の始皇帝99の謎」産報ジャーナル、1978、「始皇帝 現代視点・中国の群像」旺文社、1985、A・コットレル「秦始皇」河出書房新社、1895、吉川忠夫「秦の始皇帝」集英社、1986、籾山明「秦の始皇帝」白帝社、1994、久松文雄「秦始皇帝」文芸春秋、1994、岳南「秦・始皇帝陵の謎」講談社、1994、NHK取材班編「始皇帝」日本放送出版会、1994、今泉恂之介「兵馬傭俑と始皇帝」新潮社、1995、陳舜臣「秦の始皇帝」尚文社、1995、伴野朗「始皇帝」徳間書店、1995、安能務「始皇帝」文芸春秋社、1995、樋口隆康「始皇帝を掘る」学生社、1996、保永貞夫「始皇帝」講談社、1996、守屋洋「始皇帝の謎と真実」青春出版社、1998、荒俣宏「小説始皇帝暗殺」角川書店、1998、津本陽「小説秦の始皇帝」角川春樹事務所、1999、鶴間和幸「秦の始皇帝」吉川弘文館、2001、鶴間和幸「始皇帝の地下帝国」講談社、2001、那珂太郎「始皇帝」思潮社、2003、塚本青史「始皇帝」毎日新聞社、2006、咲村観「始皇帝」PHP研究所、2007。
始皇帝再評価の背景には、国家統一の成功原因を秦国の政策に求める傾向がある。では何故、戦国乱世で中原からみると僻遠の地であった秦国が全国統一を成し遂げたのであろうか。その要因として4点が挙げられる。①秦の根拠地が要害を得ており、東方侵略に全力を傾注し得たこと②秦の国民の勇気③秦の君臣に英才逸材が多かった。孝公以降の歴代君主はおしなべて英明であった。臣下は商鞅、范雎、李斯など。④国の政策が一貫し、確立していた。日本にはないスケールの大きさを始皇帝に求めているのであろうか。
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