室町時代の関東
関東では、足利成氏(1434-1497)が上杉憲忠を殺害したことから享徳の乱(1455-1482)が起こった。成氏は幕府からの追討を避けるために下総の古河に移った(古河公方)将軍善政は成氏追討のために兄弟の足利政知を関東に派遣したが。政知は鎌倉に入れず、伊豆の堀越に御所を構えた(堀越公方)古河公方と堀越公方の対立は30年近くに及んだが、文明14年、幕府と和議が成立し、享徳の乱は完全に終息した。しかし、これによって関東の政治秩序は乱れ、これ以後も関東の動乱はおさまることはなかった。
成氏は鎌倉公方将軍の庶子に生まれながら、永享の乱・結城合戦によって父と兄弟を討たれ、信濃に逃避行の漂泊生活を送った。12歳で鎌倉に迎えられて第5代の鎌倉公方となったが、反上杉勢力の旗頭にたてまつられたのであった。
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