三好之長の死
三好之長(1458-1520)は細川政元、澄元に仕えた部将。室町時代、永正16年から17年にかけて、畿内は細川高国と澄元の激しい抗争が繰り広げられた。細川澄元と三好之長は兵庫に上陸、高国方の越水城(西宮)をめぐる攻防戦が戦われた。2月越水落城、高国は京へ逃れる。三好之長は京都を占拠する。近江勢4万~5万からなる細川高国の軍勢と、これを迎え撃った細川澄元の軍勢が、5月洛中等持院で激突した。三好之長は周到にも淡路水軍を支配下におさめて、一帯の制海権を手中にしていた。さらに西岡一揆衆を味方にとりつけ、京都への通路を確保していた。ところが阿波の国人にさえ逃げられ、わずか4000~5000の兵しかなかった。之長はとらえられ殺される。澄元も阿波の勝瑞城に逃れたが病死。あっけない幕切れとなった。
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