幕末の津藩(藤堂家)
昭和40年代、藤堂明保(1915-1985)という漢字博士がテレビによく出演していたが、彼は藤堂氏津藩上野城代の家系である。藩祖・藤堂高虎は豊臣秀吉に仕えたが、秀吉死後は家康に接近し、関ヶ原では東軍で功があった。11代目の高猷(1825-1871)は討幕軍につき鳥羽伏見の戦いで、淀川左岸八幡附近を後退する幕軍を右岸山崎周辺から砲撃を浴びせ、決定的な打撃を与えた。
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