藤原道綱と道長
藤原兼家(929-990)の子、藤原道綱(955-1020)は大納言にまでなった平安中期の貴族である。「蜻蛉日記」の作者として知られる道綱の母(935?-995)は、古代以来の信仰的な習俗として、女性の名はみだりに人に明かすことをしなかったから、今日その本名が伝えられていない。道綱母は954年藤原兼家の二番目の妻となり、翌年道綱を生んだ。兼家は990年に関白となったが、まもなく病のため没し、道綱母も5年後には没している。兼家の五男の道長(966-1027)と道綱は、異母兄弟にあたる。
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