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2010年6月23日 (水)

昭和天皇の「お覚え」

    昭和天皇は英明な君主であり、決して軍部の傀儡でなかったことは数々の証言で明らかではあるが、その神格化された存在のため直接的な政策への発言は控えめであった。しかし、軍部の情報や関心は相当なものであった。海軍の鈴木貫太郎(1868-1948)は昭和4年から7年間、侍従長として仕えたこともあり、最も天皇が信頼をよせた軍人の一人であった。昭和20年、天皇から総理就任を下命されたが「軍人は政治に関わるべきではない」とする鈴木は、あくまで辞退をしたが、天皇は「鈴木の心境はよくわかる。しかし、この重大なときにあたって、もうほかに人はいない。頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい」と懇請された。それから4ヵ月後の終戦は、阿吽の君臣関係で実現されたものであった。鈴木のほかに米内光政(1880-1948)、岡田啓介(1868-1952)を加えた3人の海軍大将は天皇の「お覚え」が愛でたかったといえる。海軍に比べると、天皇の陸軍に対する「お覚え」は概して悪かった。不興を蒙った軍人たちには、田中義一、真崎甚三郎、本庄繁、山下奉文、杉山元、東条英機、石原莞爾など数多くいる。

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