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2010年6月29日 (火)

漢字の運命

   改定常用漢字表が年内にも内閣告示されという。現行の1945字に196字を加え、5字を外し、計2136字になる。常用漢字が増えた背景には、情報機器の普及で漢字が書けなくても打てる時代になったため、難しい漢字でもよく使われる漢字は追加してほうが便利と判断したのであろう。「鬱」は、これまで、「憂うつ」「うつ病」「うっ血」「うっ憤」だったのが、「憂鬱」「鬱病」「鬱血」「鬱憤」と表記できる。もちろん国民一般にとっては強制するものでないから罰則もなく、たとえ常用漢字にない漢字を使おうとも一応自由であるが、新聞や官庁の文書などでは、ふりがなをつけるなどの工夫がいる。国民にとっては、生まれてくる子どもの名をつけるときに常用漢字、人名漢字という制限があることに気づくのであろう。

    むかし、当用漢字といっていた頃、人名用漢字はわずか92字であった。私は若い頃、市役所の市民課にいて出生届を受け付ける係をしていた。そのころ南沙織が「17才」でデビューしたころで、赤ちゃんに「沙」という字をつける人が多くいた。だが当時「沙」という漢字は人名用漢字になかった。おそらく全国の窓口で、せっかく子どもの名前を用意したのに、受け付けてもらえないと知って、失望とともに怒りがこみあげてトラブルが頻発したであろう。昭和51年に人名用漢字はは28字が追加された。このなかには「沙」「紗」「渚」「梓」「藍」「梢」「瞳」「絢」と、いまではよく命名される漢字が多い。しかし人名漢字をめぐる問題は裁判所にまでもちこまれるケースがその後もでてきた。「玻南」と名づけた夫婦が名古屋東区役所に出生届の受理を拒否されたため、家事審判を申し立てた。「玻」が社会通念上、常用平易な文字とはいえない、として却下された。だが最初92字だった人名漢字は追加されて985字となった。これと常用漢字とあわせると2930字である。今年、改定常用漢字が施行されれば3121字が子どもの名づけに使えることになる。だがどんなに漢字を増やしても家事審判は今後もますます増えるだろう。そもそも国が使える漢字を制限することに関して、専門家の考えは対立している。最近の朝日新聞をみても早稲田大学名誉教授の野村雅昭は「常用漢字を増やすな。日本語が滅びる」(6月26日)、京都大学准教授の安岡孝一は「人名漢字の制限再考を」(6月29日)と主張は正反対である。

    むかし、岩波新書から中国の国語国字問題に詳しい倉石武四郎の「漢字の運命」という本が出た。なかなか難しい内容であるが、漢字の専門家は漢字の将来に危機感を持っていて、難しい漢字を増やすと、読めなくなり、書けなくなり、ひいては英語にとって代わられる。つまり日本語が滅ぶ、とまで考えている。そのようなところから、戦前から漢字制限が唱えられたのであるが、一般国民は漢字は読めない、書けない、勉強しない、でも人と違う個性的な名前をつけてやりたい、という願いもあるようで、痛し痒しの問題である。

   ケペルは現行の3000字強の漢字制限におおむね賛成である。もちろん五万字の漢字を使いたい人はそれは個人の学習の自由である。しかし一般社会通用する漢字はある程度定めたほうがいいと考える。むしろ漢字は表意文字なので、その成り立ちや意味、中国の文化がある。しかし近頃の若い人のたいがいの意見は、中国の思想や文化は古くて誤ったものも多いのでそこから多くまなぶものはない、とする考えが顕著にみられる。漢学や東洋史を学ぶ若い人は減っている。日本の文化は多く漢字から学んだものであり、本質を究めるには漢学、漢文の学習は必要だとおもうのだが、時代の潮流はこのような漢字の将来にとって絶望的ともいえる状況に向かいつつある。漢字ブームは漢字ビジネスであって、検定という一面的、皮相的なライセンス化に疑問を感じている。

 

 

 

 

朝来の寺内ざんざか踊り

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     朝来市は但馬地方の南部に位置し、2005年に生野町、和田山町、山東町、朝来4町が合併し誕生した。生野銀山、明延鉱山などで有名。ざんざか踊りは但馬地方特有の太鼓踊りで、「ザンザカザット」という囃子言葉からその名がついたという。指揮をとる「シンボシ」2人と、「シナイ」とよばれる五色の紙で飾られた直径1.5mほどの大団扇を背負った中踊2人、茶褐色の衣装に身を包んだ大勢の踊子によって踊られる。2つの「シナイ」は太陽と月をあらわすとされる。県指定重要無形民俗文化財。山王神社(JR和田山駅下車)毎年7月第3日曜日。

2010年6月27日 (日)

中国神話と帝王伝説

   秦の始皇帝が紀元前221年に中国全土を統一してから、清朝の最後の皇帝宣統帝溥儀(在位1908-1912)まで2000年以上の歴史を有するが、しかし始皇帝以前の、いわばプレ皇帝時代というべき伝説上の三皇五帝夏殷周の歴史のほうが遥かに長い歴史がある。ただし三皇五帝の名も諸書によって異なり、歴史として取り上げるべきでなく、あくまで神話である。その順番もややこしいが、とりあえず古いと思われるものからあげてみる。あくまで創造上での話だが、もっとも古いと思われるのは盤古ということになっている。ただし盤古が創設されたのは秦漢時代以降のことである。まだ天地が開けず鶏卵のような状態にあったとき、その中に盤古が生まれた。

元始天王(盤古)→天皇→地皇→人皇→伏義・女媧→神農→黄帝→顗頊→帝嚳→堯→舜→禹→夏→殷→周→中国歴代帝王へ

   これらの中国古帝王のなかで最もよく知られているのは黄帝である。黄帝の名が現れる最古の文献は、斉の宣王の時代の銅器の銘文で、「高祖黄帝」とあり、黄帝が斉国の始祖とされている。またすこしのち斉でその学説を広めた鄒衍は、黄帝を天地開闢以来の最古の帝王としている。

2010年6月26日 (土)

高校世界史および地理と南米

    高校世界史教科書における南米に関する記述は少ない。山川出版社の「詳説世界史」(1994)は次のとおり。

 

    「ラテンアメリカでは、1970年、チリで人民連合に推されてアジェンデ大統領が当選し、銅資源の国有化など社会主義をめざす政策をとったが、1973年アメリカに支援されたクーデターによって倒され、その後は軍事独裁政権ができた。しかし1988年の国民投票の結果、軍事政権は信任されず、しりぞいた。また、中米のニカラグアでは、長年続いた独裁政権が倒され、左翼政権が登場したが、アメリカの援助をうけた反革命派との戦いが続き、1990年、選挙に敗れて退陣した。一方、1976年に成長したアルゼンチンの軍政政権は、経済危機が続くなかで1982年イギリス領のフォークランド諸島を占領したが、イギリスに敗れ、1983年民政に復帰した」

 

    ここの記述では、サッカーワールドカップ決勝トーナメント出場の、「ウルグアイ」「パラグアイ」の記述は皆無である。高校程度の学習ではパラグアイ共和国の歴史の知識は一般的な人でゼロに近い。

 

    日本と対戦するパラグアイの情報はここ数日間の新聞報道が貴重である。ラプラタ川流域の内陸国。農牧業や林業が盛んであるが、少数の大地主による土地の独占がなされている。人口は約640万人であり、その96%がインディオのグアラニ族とスペイン人が混血したメスティーソである。パラグアイは16世紀にスペイン領となり、1811年に独立している。国土面積は約40.7万平方キロであり、日本の面積より2.9万平方キロも広い国である。

2010年6月24日 (木)

十年一昔

    世の中の移り変わりが激しく、10年もたつともう昔のこととなってしまう。歳月の流れを、10年をひと区切りとして考える見方はいつごろ生まれたのだろうか。

    「十年一昔」という言葉の起源は、あまりはっきりとしない。江戸時代の歌舞伎などでは、「二十一年一昔」という台詞が見られる。これは一世代交替の年限から出てきたのであろう。「大むかしは66年を一昔とし、中比は33ヵ年、当代は21ヵ年を一昔とす」(幸若「元服曽我」)などとある。「十年一昔」は幕末から明治以降に生まれた考え方と解される。

2010年6月23日 (水)

何でも観ちゃうぞ

    ディズニー・チャンネルは日本語吹き替え版が多いからお気に入り。アリソン・ストーナーちゃんの「アリスは悩める転校生」。中年のおばさんの先生がいい先生だったというのが、いいストーリーの結末ですね。お父さん役は「ビバリーヒルズ高校白書」のディラン・マッケイ役のルーク・ペリーだ。1966年うまれのルークも今年で44歳。ハンサムな彼もお父さん役が似合う頃になったのだ。

     次は黒木メイサ初主演の「昴~スバル」。沖縄アクターズスクール出身だけにダンスも上手。本格バレエの映像は迫力があると思ったら、監督はリー・チーガイ(李志毅)という香港の人。メイサのライバルは韓国女優コ・アラ(現在はアラに改名)も綺麗だ。ともかく日本・上海などを舞台にアジアン・ビューティーの魅力いっぱいで最高。

    韓国映画「ユア・マイ・サンシャイン」。HIVに感染した女性を愛する演技でファン・ジョンミンは2005年の各映画大賞の主演男優賞を総なめにした。チョン・ドヨンは韓国で最も愛される女優といわれる。映画のなかで、「どんな女性がすき?。キム、ヒソン、イ・ヨンエ?」男は「シム・ウナ」と答える。女は「私の名はウナよ」と。三人の美人女優に比べれば、美人度ではチョン・ドヨンは見劣りするかもしれない。でも親しみやすさでは韓国女優でピカ一だろう。それと韓国映画の特徴の一つとして、気取らない、本音を出す、ことがあげられる。「ユア・マイイ・サンシャイン」の前半部の設定は、日本映画、根岸吉太郎の「遠雷」に共通するような自然な感情表現が秀逸である。2人が出会い。泡のお風呂に入るシーンまで似ている。日本と韓国、ともに共感できる国であることは映画をみれば明瞭である。

    「夕凪の街 桜の国」(2007年)広島の原爆被災者の家族の今日までを描く。麻生久美子の昭和30年代と田中麗奈の現代を結びつけるスタイルがいい。個人的には田中麗奈と中越典子がラブホテルでの入浴シーンが印象に残る。

   洞口依子の「ドレミファ娘の血が騒ぐ」(黒沢清監督)もともとは「女子大生恥ずかしゼミナール」という日活ロマンポルノがお蔵入りになったので改作した作品。伊丹十三、洞口依子コンビの初作品。美少女が伊丹十三のトンデモ研究のために実験台になるシーンが印象に残る。

    韓国ドラマ「生きていく間後悔することを分かっていながらもやってしまう事」(KBS 2008年)。美人女優キム・ジョンファのコメディ。夫の浮気を気にしているうちに、妻も若い男性に心をときめかせるという話。KBS Worldではあたらしい単発の韓国ドラマが見れるようになった。

    桜田淳子のドラマ「麗子の決闘、銃口に愛をこめて」(1992年)対決するゴン中山の妻、生田智子が綺麗だ。桜田淳子の晩期の作品として一見の価値あり。

   「美少女探偵ナンシー・ドリュー」(2007)は、25年前に死んだ女優デリアの死の謎を追うナンシー(エマ・ロバーツ)。主演のエマはジュリア・ロバーツの姪。19歳だが将来が期待できる。1950年代ファションと何事にも完璧なナンシーの性格が面白い。犯人を追跡するときもスピード違反しないで安全運転するので追跡できずに断念。いつもケーキを持ち歩いていることなどキュートな魅力一杯。

現代心理の複雑性

   「いろはかるた」に「かったいのかさうらみ」というのがある。なんのことか分からない方もおおいだろう。「かったい」(癩)が「かさ」(瘡)を羨む。人々の不幸が多かった時代を思わせる諺である。しかし、この諺はむしろ現代社会の底流にもあるように思える。

   広島マツダ工場の退職した期間限定労働者の暴走は無差別殺人として憎むべきものである。しかしこの理不尽な犯行も組織や会社へのもっていきようのない反抗の一つのあらわれのような気がする。むかしイギリスの19世紀初期のラダイツという暴行を穂積文雄は社会思想として捉えて注目を浴びた。日本航空にも大量の退職者はいるだろう。うらやましいような退職金だろうが、当人にとっては在職者に羨む気持ちがあるかもしれない。「羨む」は「恨む」であり、「怨む」である。企業や組織でしか生きられなくなった現代人が、組織から切り捨てられたとき、自分の居場所を探し出すことは容易なことではない。しかし人間はいつまでも企業人や組織人にはいられない。いかなる時代、状況になろうとも「一個人」の尊厳を見失ってはいけない。

昭和天皇の「お覚え」

    昭和天皇は英明な君主であり、決して軍部の傀儡でなかったことは数々の証言で明らかではあるが、その神格化された存在のため直接的な政策への発言は控えめであった。しかし、軍部の情報や関心は相当なものであった。海軍の鈴木貫太郎(1868-1948)は昭和4年から7年間、侍従長として仕えたこともあり、最も天皇が信頼をよせた軍人の一人であった。昭和20年、天皇から総理就任を下命されたが「軍人は政治に関わるべきではない」とする鈴木は、あくまで辞退をしたが、天皇は「鈴木の心境はよくわかる。しかし、この重大なときにあたって、もうほかに人はいない。頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい」と懇請された。それから4ヵ月後の終戦は、阿吽の君臣関係で実現されたものであった。鈴木のほかに米内光政(1880-1948)、岡田啓介(1868-1952)を加えた3人の海軍大将は天皇の「お覚え」が愛でたかったといえる。海軍に比べると、天皇の陸軍に対する「お覚え」は概して悪かった。不興を蒙った軍人たちには、田中義一、真崎甚三郎、本庄繁、山下奉文、杉山元、東条英機、石原莞爾など数多くいる。

2010年6月22日 (火)

捨てる神あれば助ける神あり

   日本は神の国である。だがキリスト教やイスラーム教のように唯一絶対神ではない。「捨てる神あれば助ける神あり」は、ゴッドならば「神に捨てられることもあれば助けられることもある」という意になるが、日本では捨てる神と助ける神とは、それぞれ別の神である。つまり天照大神を祭る伊勢大神宮もあれば、菅原道真を祭る大宰府天満宮もある。神はいくらでもいるのである。毛吹草には、「棄つる神あれば引き上げる神あり」とあるが、「故事ことわざ辞典」(鈴木裳三)によれば、上総では、「倒す神あれば起こす神あり」、信濃では、「寝てる神あれば起こす神あり」と言われているそうである。(参考:金子武雄「続・日本のことわざ」現代教養文庫 1969)

iPadもいいけどやっぱり本が一番や

   ご近所の方から読まなくなった本を店へ寄付していただいた。高齢で本が読めなくなって、身辺整理しているという。なんだかさびしくなる話だが、ほかの誰かが本を読んで利用されたらうれしいということ。人と本とをつなぐことは、一見たやすいことのように思うけど、継続的にプロの仕事としてやっていくことは、工夫やアイデアがいる。自動車の出現と小倉の無法松のような人力車夫、電気の普及とおじいさんのランプ、テレビの普及と紙芝居のおじさん、のように本屋や文庫は消えていくかもしれないが、自分は死ぬまで今の商売を続けたい。

1万円の世界地図 図解日本の格差、世界の格差 佐藤拓 祥伝社

百歳まで歩く 田中尚喜 幻冬社

その場がど~ともりあがる雑学の本 雑学倶楽部 講談社α文庫

幻の時刻表 曽田英夫 光文社新書

百言百話 谷沢永一 中公新書

遥かなる俊翼 日本軍用機空戦記録 渡辺洋二 文春文庫

ある家族の昭和史 酒井美意子 講談社文庫

海軍式気くばりのすすめ 幾瀬勝彬 光人社NF文庫

昭和史の軍人たち 秦郁彦 文春文庫

ある初級将校の敗戦日記 吉富利通 光風社文庫

日本残酷物語2 忘れられた土地 宮本常一、山本周五郎、楫西光速、山代巴 平凡社

鉄道パズル 西村京太郎 光文社文庫

まちがいの食品学 河野友美 中公文庫

健康に暮らすための水百科 河野友美 中公文庫

リアル・フード 体が求めている食事の54章 丸元淑生 廣済堂文庫

熱いが御馳走 平野雅章 文春文庫

40歳からの元気食「何を食べないか」 10分間体内革命 幕内秀夫 講談社α新書

2010年6月21日 (月)

幕末の津藩(藤堂家)

    昭和40年代、藤堂明保(1915-1985)という漢字博士がテレビによく出演していたが、彼は藤堂氏津藩上野城代の家系である。藩祖・藤堂高虎は豊臣秀吉に仕えたが、秀吉死後は家康に接近し、関ヶ原では東軍で功があった。11代目の高猷(1825-1871)は討幕軍につき鳥羽伏見の戦いで、淀川左岸八幡附近を後退する幕軍を右岸山崎周辺から砲撃を浴びせ、決定的な打撃を与えた。

論語読みの論語知らず

2426591    論語は、日本で古くから道徳の基本の書とされてきた。ところが、論語を読んでいながら、実践はこれを伴わない先生が世の中にはいる。論語をいくら知っていても、それが実践されないならなんの益があろうか。それでは論語を読まないのも同然だ。毛吹草に「論語読みの論語知らず」とある。英語にも「A mere scholar,a mere ass.」(単なる学者は、単なる馬鹿だ)がある。

2010年6月20日 (日)

宇宙ミステリーゾーン

    探査機「はやぶさ」が7年の歳月を経て帰還した。カプセルの中に砂粒はなかったが埃が入っている可能性はあるという。だがいまだ宇宙は神秘に満ちている。1957年、ブラジルのアントニオ・ビラス・ボアスという青年はUFOに連れ込まれて、小柄で金髪の美人エイリアンとセックスをしたという。女性は性行為の最中うなりを発し、ボアス青年は動物と行為をしているように感じたという。青年の話がつくり話であるのか、真実なのか誰にもわからない。疑ぐれば「はやぶさは」本当に小惑星「イトカワ」へ行ったのだろうか。なぜカプセルは空っぽだったのか。金銀ダイヤが一杯とは言わないが、一粒の砂があったら物的証拠になるのだが。むかしの田道間守は偉かったゾ。10年の歳月を経て、橘を持ち帰ったのだから。

2010年6月19日 (土)

大相撲と暴力団

    大相撲の力士たちの野球賭博の実態が次第に明らかになりつつある。賭博に関わった者は協会の調査によれば65人ということであるが、かなり以前からも行われていたものらしい。琴光喜は5年以上前から賭博をしており、負け金は3000万円を超えていた。負け金は暴力団に流れ、その資金源となっていた。事件が発覚したのは、琴光喜が、勝ち金数百万円を、別の部屋に属する現役力士に要求したところ、逆に元力士の男から脅かされて口止め料を要求されて、数百万円を支払ったとされる。元力士側はさらに1億円要求したという。仲介には床山らがあたっていて、床山は胴元である暴力団と関係があるとみられる。

    琴光喜のほか大嶽親方、時津風親方らの名前もあがってきた。時津風部屋は2007年に起きた力士暴行事件で当時の親方が解雇された後、名跡を継いだ若い親方だ。大嶽部屋は2008年に大麻の陽性反応が出て力士が解雇されており、いずれも過去に問題が起きた部屋が再び不祥事の温床となっていたことが判明している。

    いま文部科学省の大臣がいうように、「大相撲は存亡の危機」になっていることを協会は自覚し、深く反省してほしい。そしてこれから何をなすべきかが大事だ。大相撲が賭博行為で暴力団と関係をもち、大麻などを蔓延させる社会的に容認されない団体であれば、「国技」「伝統」という特権もいつまでも通用しないだろう。野球賭博問題は氷山の一角で、床山や元力士など大相撲の組織や古い体質すべてが原因となっているので、近代的な組織づくりを根本から改革していかないと不祥事は繰り返し起こるだろう。

2010年6月17日 (木)

掃除が暮らしを豊かにする

   あなたの部屋はキレイですか?自分の部屋は自分できちんとかたずけましょう。シンデレラ、白雪姫…幸せになったお姫様はみんな掃除が好きでした。掃除には不思議なパワーがあるようです。それと幸運の数字の「7」です。グリム童話によると、7歳の白雪姫は7つの丘を越えて行った森の中で7人の小人の住む家にたどりつく。「お掃除をしたことがないのね。」と。動物たちと一緒に、掃除や洗濯、片付けなどをして、あっという間に部屋をピカピカにする。つまり幸運の鍵は掃除と7。昔のミュージカル映画「略奪された7人の花嫁」もやはり幸運の数字は7です。

    ディズニーの長編アニメ「白雪姫」は今みても古さを感じさせないすぐれた描写ですが、「白雪姫」を描くときにモデルとなった女優は、2人いるそうです。当時6歳のシャーリー・テンプルと28歳のジャネット・ゲイナーだそうです。アニメをみると納得します。

2010年6月16日 (水)

新作、旧作なんでも見る

   先日、映画「風の歌を聴け」(大森一樹監督)を見ていると、なんとクリスボンが写っている。西宮の夙川付近の国道二号線沿いあった円形のレストラン。阪神間で育った若者なら誰でも知っていて、夜の明るいライトで男女が楽しそうにしている風景がガラス越しに見える。いつかは彼女とデートで行こうと思っていたら、建物はなくなっていた。この映画でも閉鎖された昭和56年ころ。やはり昭和40年代が全盛期だったのだろう。「オリオン座からの招待状」もどこの町にもあった場末の映画館。ありふれたストーリーだが、心にしみる。「樹氷悲歌」は心中するのかと思っていたら、関根恵子だけが死んで、篠田三郎は助かっていたいたのは意外な展開。映画としては平凡。「神童」は成海璃子が将来性を感じさせる。やはり最近見た映画のなかでは「煙突が見える場所」が一番か。

近頃よく見るチャンネル

451  洋画★シネフィル・イマジカ

501  日本映画専門チャンネル

554  TBSチャンネル

602  カトゥーンネットワーク

603  ディズニー・チャンネル

757   チャンネル銀河

2010年6月15日 (火)

国民読書年の記念行事

     12日、日本青年館で「ことばがひらく未来~読もう、本と新聞を~」というシンポジウムが開催された。(落合恵子、尾鍋史彦)2010国民読書年の記念行事が各地でこれからも予定されている。7月11日には「坂東真理子講演会」(寝屋川市立図書館)、9月16日には「亀山郁夫記念講演会」(ホテル日航奈良、全国図書館大会)など。このようなイベントが国民の読書振興や文字・活字文化の振興、紙メディアの未来にどの程度寄与するのかこころもとない気がする。政府臭、行政臭がプンプンするが、盛り上がりのない「国民読書年」にならなけばよいのだが…。

イスラーム教とキリスト教

  サッカーW杯で日本がカメルーンに快勝。NHK高校講座「世界史」の録画を見ながら、ふとイスラーム諸国はサッカーをするのだろうか、と思った。イスラーム圏ではW杯はキリスト教文化に属するものとして観戦やプレーが禁止されている。これは日本などキリスト教とは無縁の不信心国も参加しているので大きな誤解であるが。ソマリアでこっそりサッカーをTV観戦していた若者2人が射殺されたという恐ろしいニュース。イスラーム教とキリスト教との対立は根深い。

  いまヨーロッパでは、ベルギーに続き、フランスでもブルカ禁止の法制化が進んでいる。ブルカとは、イスラム女性が頭から足元まで全身をすっぽり覆う黒い民族衣装。もともとフランスは宗教の自由を保障するという良き伝統があったのだが、サルコジは望ましからざる外国人を追い出す政策で人気を獲得した。日本にも東京都渋谷に「東京ジャーミイ」というモスクがある。高校講座「世界史」の寺田ちひろちゃんがスカーフをして入館していた。

    われわれの世代、なぜかイスラームには親近感がある。たぶん「アラーの使者」波島進、千葉真一のヒーロー像のためだろう。アラーという厳格な唯一神も子どものころから聞いている。キリスト教やユダヤ教と同じ一神教である。ムハンマドはアダム・ノア・アブラハム・モーセ・ダヴィデ・ソロモン・イエスなどとともに、ムハンマドは最後に現れた最もすぐれた預言者であるとされる。同根異種がやっかいなのだ。イスラーム原理主義者への批判は多いが、世界史学習する者としては、異文化理解の立場でイスラーム世界は重要テーマのひとつである。

2010年6月14日 (月)

連合艦隊、発進せよ

    気象庁は13日、近畿地方が梅雨入りしたと発表した。この季節、持病の関節痛で膝がはれている。だがなんとか店番はできる。ブログ更新はできない。精神的スランプ状態。ベッティンガー先生の考えられた三角測量法は、自分に向いているが、この手のがむしゃらな勉強法で成功例はきいたことはない。桑田真澄によれば、がむしゃらな努力は時間の無駄で、効果的なトレーニング法が効果的。おそらく桑田が正解だろう。しかし、自分はがむしゃらな勉強法を選ぶ。たとえば連想法。小惑星往復7年60億km→はやぶさ→8823海底人→46億年前、地球は全体が海だった→地球大進化→釣り→杉浦太陽→ねずみ男→連合艦隊→山本五十六→初戦大勝→カメルーン戦

    自分流の連想ゲームでブログネタを見つける。小学生のころ作った壁新聞の記事もこの方法だった。創作に行き詰ると誰しもスランプとなり、自信喪失となる。作家の柏原兵三(1933-1972)はスランプになるとアパートの窓をあけて、「おれは天才だァ」と夜空に叫んだという。本日の「ゲゲゲの女房」で村井がプラモデルの軍艦を紙の海の上において、連合艦隊を発進させていた。同じようなことをして遊んだので懐かしい。当時、どこの家にも行水用のタライがあったので、それに軍艦を浮かべていた。水につけるとプラモデルなので部品が壊れることもあるが、やはり浸水式をすることが最高の喜び。つくる楽しみ、眺める楽しみ、そして水にうかべて遊ぶ楽しみ。最後は雑誌「丸」などで勉強して戦史を知る楽しみ。そして歴史が好きになったこどもは多い。もちろん軍艦をペン画で書くのは得意だった。

轟夕起子とジュディ・ガーランド

    CSで放送していた映画「ハナ子さん」(昭和17年)を見る。まず「撃ちてし止まん」の文字が映しだされる。映画は宝塚歌劇のようなレビューと歌。戦時中にもかかわらず明るい。美しくて気立てのよい娘ハナ子・轟夕起子と恋人の灰田勝彦が主役。ヒット曲「お使ひは自転車に乗って」もある。轟夕起子(1917-1967)は戦時女優という印象がある。戦時中は元気で明るい歌が好まれた。それはアメリカでも同様でジュディ・ガーランド(1922-1969)という少女スターが人気だった。昨夜「アンディ・ウィリアムショー」(昭和40年)に晩年のジュディがゲスト出演していた。アンディと化粧メイクのコントまでサービス。アンディが「あなたにはとても素晴らしい歌がある。そうレインボー…?」と言いながら、「虹を追って」を歌う。(この歌はアル・ジョルスンの持ち歌だがジュディも「美人劇場」で歌った)変な顔をしたジュディがおもむろに「虹の彼方に」を歌う。万来から大きな拍手がわく。これだけでも保存版映像だろう。ほかに「トロリー・ソング」を路面電車のセットで歌う。むかしの映画「セントルイスで会いましょう」(1944年、邦題「若草の頃」)でのワン・シーンを再現したものだ。それから少女のジュディがクラーク・ゲーブルの写真を前に「親愛なるゲイブルさん」と歌う「ユー・メイド・ミー・ラブ・ユー」(恋のとりこに)邦題は「踊る不夜城」アンディはゲーブルのものまねをする。ジュディは「あなたは最低のゲーブルのものまねだわ」という。数々のトラブルがありながらもジュディは最高にアメリカ国民から愛されたスターだった。

2010年6月12日 (土)

「東京ラブストーリー」の時代

   ドラマ「東京ラブストーリー」をCSで毎日見ている。1991年1月といえば湾岸戦争が始まったころだった。仕事に追われて、テレビもニュースも関心がなかった。それほど遠い昔でもなく、ついこないだのような気もするが、ドラマを見ていると、公衆電話やポケ・ベル、ワンレン、ボディコンで濃い眉など時代の変化も感じさせる。だが現在の日本の状況はあの時代から少しづつ変わっていっているのだった。朝日新聞のオピニオン「政党政治はどこへいく」で中村敦夫が語っているのがわかりやすい。長年続いた自民党の一党優位態体制が90年代に入ると一部が割れ、幾つかの小党が誕生した。しかし日本はここで過ちを犯す。「政治改革」の名のもとに、衆議院に小選挙区制度を導入したことである。結果、小選挙区は二大政党制をもたらした。この二つの政党はより多数の支持を得ようと、互いに似通う傾向にある。そして理念なき政党ができた。だから「政権交代」しかいえなかった。中村は「欲得離れ新しい理念を掲げよ」という。俳優の中村は政治の世界に一時期その身を置きながらいまは離れた。敗れた将が兵を語るものであるが、なんとなくわかったような気がする。

2010年6月11日 (金)

素直になれなくて

    連続ドラマ「素直になれなくて」もいよいよ終盤へ。第9話。リンダ(玉山鉄二)がナカジに同性愛を知られたことで、自殺を図る。もともと職場の女性上司から性的関係を迫られていたこともリンダの精神を傷めた一因がある。リンダはなせ強く拒否しなかったのか。自分が同性愛であることを知られ、強度の自己嫌悪感から自殺を図るという設定も理解しがたいものがある。リンダはこれまでスナナレ会のリーダー的存在であり、誰にもやさしく、気配りがあり完璧な男性だった。それがなぜ壊れたのか?このままではツイッター・トレンディー・ドラマがあまりに悲しい。リンダよ、強く生きれ。

模範亭主の憂鬱

   NHKドラマ「離婚同居」というコメディは途中からあまりに馬鹿馬鹿しくなって見るのをやめた。いまは妻に対して言いたいこともいえない亭主が多いらしい。滑稽をとおりこして哀れにみえてくる。そんななかで巨人の谷選手は二岡選手の騒動のとき、なにかと比較されて模範亭主の代名詞のような存在となった。ところが今季はどうしたことか極度の打撃不振が続いている。79打数の16安打、打率.203という低打率で一向にあがる気配はない。外野はラミレス、高橋、亀井、松本、長野がいる。先発は無理でもせめて代打でもでてほしい。ところが近頃は代打にも出ない試合が多い。やはり美人妻の出馬が影響しているのではと心配している。とくに巨人はOBの堀内や中畑が出馬しているだけに、選手としての立場がビミョーである。谷が干される背景に政治的なことがあるとすれば遺憾なことだ。スポーツマンだからそういった周囲の雑音は気にせず、グラウンドでの溌剌としたプレーを期待している。

孟子の生年

    孟子の生没年は多くは、まことしやかに周の烈王の4年(前372年)から赧王の26年(前289年)までと定めている本が多い。これは明代の通俗書「孟子譜」によってこれが通説となっているが、ほんとうは生年も父母の名前もわかっていない。有名な孟母三遷の教えすら、どこまでが本当であるか、疑問である。二松学舎大学・赤塚忠教授湯によると、孟子の生年は梁恵王に会った時を50歳として逆算すれば、前370年となる。

労働なき富

「働けど働けど我が暮らし楽にならざり じっと手をみる」

    NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」は貧乏神に取り付かれている。ついに電気も止められ、蝋燭で過ごす日々。赤ちゃんのミルク代もない。おまけに買った家の敷地の一部が国のものだという。大ピンチだ。

   貧乏生活は身にしみてわかる。これはみんな実話だろう。そんなときこんなニュースもある。ある議員が本会議1日出席しただけで、国会にはほとんど出席せず、あとは地元で選挙準備に専念している。それでも毎月数百万円の議員歳費を貰っている。本人は「職責をまっとうしている」と強弁しているが、ほんとうに良心があれば歳費を返還して参議院選挙に出ればいいのに。「労働なき富」で肥えた議員に本当にまつりごとができるだろうか。

ダウ急反発

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2010年6月10日 (木)

世襲議員ってダメなのか?

    朝日新聞の世論調査によると菅内閣の支持率は60%、鳩山内閣の最後の支持率17%から大きく回復した。人事への評価や民主党の変化への期待が支持率を押し上げたようだ。小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫と世襲議員が続いたことも一因だろう。(森喜朗の父は村長)とかく批判の声がある世襲議員。「菅内閣の閣僚で世襲議員はいない」と仙谷由人官房長官が発言。これは世の世襲議員批判を受けた発言にとれるが、実は中井国家公安委員長(再任)の父、中井徳次郎は衆議院議員だったので、さらにお粗末な話だ。一方では「世襲がなぜ悪い」という意見もあろう。麻生は「世襲だからいいとか悪いとか言うのはおかしい」、鳩山は「憲法の職業選択の自由に反する」と世襲議員制限に反対した。しかし国民の多くは議員の3割、4割ともいわれる世襲議員にイヤケがさしているように思える。ともかくサラリーマンの家庭から宰相が出現したことが、いまの菅人気であることは間違いない。それがいつまで続くかはわからない。

2010年6月 8日 (火)

内野5人の変則守備

   むかしから「人気のセ、実力のパ」というが、今年のセパ交流戦は実力差が明白となった。昨日の試合もロッテとオリックスが10打数連続安打の猛攻。パの圧勝ながらセは巨人だけがなんとか勝ち越しているのでペナントレースの順位にはさほど変化が起こらなかった。巨人・楽天戦は内海、ラズナーの投手戦。試合は0-0のまま延長にもつれこんだ。10回裏の巨人の攻撃。1死満塁で小笠原。投手川井。このときブラウン監督は選手を集め指示を与えた。なんと内野5人体制。つまり外野が2人。川井は低めに投げて併殺打をうちとろうとする。小笠原は外野フライを狙う。ブラウン監督の捨て身の覚悟は球場内全体が驚いた。結局、小笠原の犠飛で楽天はサヨナラ負けだった。だが楽天の強さが印象に残った試合だった。ヤクルト高田監督の突然の辞任劇に象徴されるように、セにとって屈辱的な大敗北は危機的状況にある。野球ファンもそろそろ弱いセを見捨てて、パのリーグ争いのほうが面白いことに気づくだろう。

2010年6月 7日 (月)

人生は得るものもあるが失うものもある

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兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷

志をはたして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷

   ダークダックスの喜早哲(愛称ゲタさん)は、海外演奏の折には最もリクエストの多い曲が「ふるさと」だという。たしかに「ふるさと」は日本を代表する歌のひとつであろう。夕焼けのなかで赤とんぼを追った記憶、川で釣りをした思い出、友だちと一緒に森へ行ったこと、幼き日の思い出がこの歌にはこめられている。しかしただ懐かしさ、いとおしさだけではない。現実には小学校は廃校になったり、村はダムの下に消えてしまったりするし、もう故郷には戻れない。この歌には「人生は得るものがあれば失うものもある」という悲しさも秘められているような気がする。

2010年6月 6日 (日)

アキノブ対決

   オリックスの岡田監督と阪神タイガースの真弓監督はどちらも名が「アキノブ」という。岡田彰布、真弓明信。どこからどこまで因縁というものは続くが、名前がもつ力の不思議の一つといえるだろう。

眺めの悪い国

    この4年間で毎年のように国のリーダーがかわっていく。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、そして菅直人へ。このような国を新聞などで批判するような記事をみたが首相の短期政権はここ4年だけのことなのであろうか。また外国ではどのように評価しているのだろうか。情報や情勢は詳しく知られていても、やはり本質がなかなかつかめない国と思うだろう。言い換えれば日本は「眺めの悪い国」のように思える。映画「眺めのいい部屋」の時代は1900年代初めのイギリス。フィレンツェ旅行でしりあった貴族の令嬢の恋のお話。主演のヘレナ・ボナム・カーターは本物の令嬢で、曽祖父はハーバート・ヘンリー・アスキス(1852-1928)。第一次大戦時のイギリスの首相である。アスキスから新首相デービット・キャメロンまで約100年の間に18人の首相が生まれた。日本は西園寺公望から菅直人まで56人もいる。首相の在位平均年数はイギリス5.5年、日本1.7年である。とくに長期政権だった首相が平均をあげているものの、毎年交代することは平均的な長さでほぼ1年が寿命とみなすのがいいのではないだろうか。

2010年6月 5日 (土)

椎名麟三と演劇

    映画「煙突の見える場所」(昭和28年)の原作は椎名麟三の短編小説「無邪気な人々」である。このころ椎名は思想的に行きづまり、毎晩のように新宿西口のハモニカ横町を飲み歩いていた。「太宰治の次に自殺をするのは椎名か」と噂された。

    その前後、椎名は梅崎春生と中村真一郎らと映画「橋の上の女」(仮題、五所平之助監督)のシナリオを書くことになった。(完成しなかったようだ)中村の誘いでシナリオや芸能人ともつきあいだした。当時の演劇界には芥川比呂志という若手俳優を中心に活気があった。椎名と芥川は親しくなった。五所・椎名・芥川という関係の中から映画「煙突の見える場所」は生まれた。主演は田中絹代と上原謙、それに高峰秀子と芥川比呂志という超豪華なキャスト。(同年に「雁」で共演している)

   通称「おばけ煙突」がある北千住の貧乏長屋が舞台だが、捨てられた赤ん坊の登場で、長屋の人々に今までにない連帯感が生まれる。高峰と芥川がジャンケンをするシーン一つ見ても清々しさを感じる。

2010年6月 4日 (金)

中宮定子と清少納言

    ある雪の日、中宮定子が、「少納言、香炉峰の雪はどんな様子だろうか」と言ったとき、清少納言は黙って御簾をするすると巻き上げて定子に庭の雪を見せた。「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」という詩の一節を理解していた彼女は、瞬時に定子の謎を解き、言葉ではなく自らの行動でもって応えて見せたのである。

   清少納言が中宮定子に仕え始めたのは28歳の時、その時定子は17歳であったという。だが中宮定子の兄弟である伊周・隆家と中宮彰子の父である道長との間で政争が起こった。結果、伊周・隆家は左遷され、一条天皇に寵愛されていた定子も24歳の若さで亡くなって、定子の一門は権勢を失った。

山口県出身の総理大臣

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    第94代首相菅直人は山口県宇部市出身(本籍地は岡山県)。つまり山口県はこれまで8人の内閣総理大臣を育んだ地であるが、9人目の宰相、菅直人内閣総理大臣が誕生することになった。伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三。同郷諸先輩の名を汚すことなきよう、国政執行に励んでもらいたい。山口県とはいっても菅は閨閥(長州閥)とは無縁で、自身の努力と才覚で今日の地位を築いた人である。名家出身の首相の短期内閣が続いているが、菅には庶民感覚を生かした政治をしてほしい。長州出身の高杉晋作に因んで「奇兵隊内閣」と呼んでいる。

源頼光の鬼退治

    平安中期、京の洛中洛外で奇怪な出来事が続いた。「昨日は堀河中納言さまの姫君が見えなくなってしまった」「一体どこへ消えてしまったのか。恐ろしいことよ」都の人々は寄るとさわると、その噂で持ちきりとなった。一条天皇は、このことを深く憂慮され、陰陽師に相談した。すると「これより西、丹波の大江山に酒呑童子と名乗る鬼神の頭あり、多く眷属を以って人心を悩ます。すみやかに退治すべし」という結果がでた。そこで、帝は酒呑童子退治の勅命を、武勇の誉れ高い名将源頼光におくだしになった。勅命を受けた頼光は、卜部季武、坂田金時、渡辺綱、碓井定光の四天王と武者平井保昌らを連れて主従6人は山伏姿となり、大江山へと分け入った。頼光主従は酒呑童子の寝所に忍び込み、まず頼光が首をはね、五人が手足や胴に斬りつけた。酒呑童子の首は空中に舞い上がり、頼光めがけて噛みつこうと狙ったが、三神に賜った星冑を恐れ、ついに空中から降下した。物音に鬼どもも目を覚ましたが、いずれも毒のため身体の自由が効かず、次々に討ち取られていった。このとき鬼の岩屋から救い出された者は、13人におよんだという。

一条戻橋

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    京都市上京区の堀川に架かる「一条戻橋」は794年の平安京造営のときに架橋され、橋そのものは何度も作り直されているが、現在でも同じ場所にある。第66代一条天皇の時代に摂政であった藤原兼家も二条京極邸に住んだが、この橋を幾度となく渡ったことであろう。一条天皇の世は道隆・道長兄弟のもとで藤原氏の権勢が最盛に達し、皇后定子に仕える清少納言、中宮彰子に仕える紫式部、和泉式部らによって王朝文学が花開いたときである。「蜻蛉日記」の作者道綱の母子、源頼光もこの付近に住んだと伝えられる。

2010年6月 3日 (木)

藤原道綱と道長

    藤原兼家(929-990)の子、藤原道綱(955-1020)は大納言にまでなった平安中期の貴族である。「蜻蛉日記」の作者として知られる道綱の母(935?-995)は、古代以来の信仰的な習俗として、女性の名はみだりに人に明かすことをしなかったから、今日その本名が伝えられていない。道綱母は954年藤原兼家の二番目の妻となり、翌年道綱を生んだ。兼家は990年に関白となったが、まもなく病のため没し、道綱母も5年後には没している。兼家の五男の道長(966-1027)と道綱は、異母兄弟にあたる。

2010年6月 2日 (水)

摂関政治の展開と藤原氏

    平安時代9世紀初め、藤原冬嗣は、嵯峨天皇の信任を獲得し、娘の順子を正良親王(のちの仁明天皇)の妃とし、外戚政策を進めた。その子良房は、仁明天皇と順子との間の子である道康親王を皇太子とした(承和の変)。藤原良房は娘の明子を道康親王の妃とし、親王が文徳天皇として即位すると、両者の間に生まれた惟仁親王を皇太子に立て、858年わずか9歳で清和天皇として即位させる。ここに良房は、天皇の外祖父として実質的に摂政の役割を果たすようになつた。養子の基経は884年光孝天皇から関白に任じられ、887年、宇多天皇の即位直後におきた阿衡の紛議によって、その地位を確立する。基経の死後、醍醐天皇から村上天皇にかけての時期は、天皇親政がおこなわれたが、969年の安和の変以降、11世紀半ばころまでの間、原則として摂政・関白が常置されて、そのもとで国政が運営される摂関政治の時代となった。10世紀末までは兼通と兼家、道隆と道兼、伊周と道長ら、摂関家内の同族間の氏長者をめぐる争いが続いたが、結局、道長がこれらの争いに勝利し、彼とその子頼通の時代、摂関家は全盛期を迎えた。

素直な心で学ぶ

    エチオピア人(クシュ王国)の女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていた男が、馬車に乗ってアフリカに帰る途中、イエスの弟子フィリポと出会った。彼は聖書を朗読していた。フィリポは読んでいる事柄が分かりますかと尋ねた。男は「だれかが手引きをしてくれなければ、いったいどうして分かるでしょうか」と素直に答えた。そこで、フィリポは口を開き、聖書の箇所を説明し、イエスについて福音を告げ知らせた。そして、男は神の言葉の理解を得るとバプテスマを受け、歓びながら自分の道を進んでいった。(使徒8:27-39)

立場や身分の低いと思える人たちでも素直に学ぶことは大切です。

小鳩政権崩壊

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  308議席の圧勝で、歴史的な政権交代を果たした鳩山由紀夫だが、わずか8ヵ月で今朝の退陣表明となった。20分以上に及ぶスピーチは、目がしらを熱くし、無念な思いは伝わるものの、突然の辞任表明は参院選の戦術と見られても仕方あるまい。それに「国民が聞く耳持たなくなったから辞める」という発言はまずいだろう。子ども手当、高校無償化と財政悪化の置き土産を残して去っていった。所詮はおぼっちゃだったのか。支持率低下というが、おかしなことに東京見物では鳩山邸のバスツアーや土産物がいまだに売れているという。鳩山の家柄がいいことが中高年の女性には人気があるらしい。政府への批判よりも国民の政治意識を高めることが大切だ。

    明後日には民主党の新代表が決まる。菅直人、岡田克也、前原誠司、原口一博、細野豪志あたりだろうか。いずれにしても政権の「たらい回し」という印象は自民党時代と変わらない。新内閣誕生という茶番劇で国民は蜜月といわれる1ヶ月くらいは支持率も回復し、夏の参院選も有利に戦えるかもしれない。菅新内閣が誕生しても党内最大派閥の小沢一郎の動向が最大の問題だろう。

「風車のある街」と干拓事業

    吉永小百合主演映画「風車のある街」(昭和41年)はさわやかな青春映画である。昭和35年の「ガラスの中の少女」以来の浜田光夫(浜田光曠)とのコンビも6年目、30本以上になりマンネリの感はあるものの、やはり吉永小百合の恋人役は浜田光夫しかいないと確信させられる映画である。この映画でとくに注目すべきは日活初の海外ロケ、オランダである。なぜオランダであるかは、浜田光夫演じる倉石という青年が孤児院で育ち貧しい人の役に立ちたいと決心し、土木作業をしながら苦学し大学へ進み、オランダへ干拓事業を調査するからである。倉石の夢は「東京湾の干拓」である。戦後の食糧不足を打開するために始められた国営干拓事業は1970年度あたりから減反政策の転換で曲がり角となったが、それ以前の国土開発・幸福論的な映画であることが興味深いものがある。つまり環境破壊や漁業被害といったデメリットは一切でてこない。映画は時代の空気のようなものを素直に反映している。

2010年6月 1日 (火)

八条宮智仁親王と豊臣家後継者問題

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  桂離宮の創始者・八条宮智仁(1579-1629)は、誠仁親王(正親町天皇の子)の第6子、後陽成天皇の弟で、幼名を胡佐麿といい、1588年、豊臣秀吉はこの胡佐麿を猶子として迎え、豊臣家の継承君として期待した。しかし、翌年に淀君に鶴松が生まれたため、秀吉はこの養子計画をとりやめた。親王のために特別に八条宮家を創設した。当時親王は12歳で、下柱の地を所領され、桂離宮の造営にかかるのは、これより約30年の後となる。

    一方、豊臣秀次(1568-1595)は秀吉の姉とも(瑞竜院日秀)の子で、養子となって、1591年に秀吉から関白を譲られていた。が、1593年8月に秀頼が生まれると、秀次が誕生した。この時点で、秀次の立場は以前の胡佐麿とよく似た立場に置かれたのである。秀次はその不行跡により高野山で1595年7月15日、自害する羽目になる。このとき智仁親王は17歳である。智仁は政治的なことよりも歌道・茶道の道一筋に研鑽するようになる。

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