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2010年5月13日 (木)

御稜威(みいつ)

    歴史研究で難しいことは、当時の人々が何をどのように思っていたかという感覚的なことである。たとえば終戦後、天皇は人間宣言をしたが、ほんとうに当時の国民がみんな天皇を神だと思っていたのであろうか。このことに関して司馬遼太郎は時代の現場証人であるとして面白いエッセーを書いている。(「人間が神になる話」)だが司馬は自分ひとりだけの思いこみもあるので1歳年下の安部公房も引き合いにだして、大人から小学生にいたるまで誰ひとりとして天皇を神だと思っていなかったことを述べている。

    このような当たり前のような話が、もう百年すれば、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」「不敬罪」「現人神」「御稜威」「人間宣言」という言葉の表面上だけを理解するようになり、戦前の日本人はみんな天皇を神と信じていた、と思い込むようになるのではないだろうか。もっと古くさかのぼれば、江戸時代の人は今と比べて信心深かったようだが、お稲荷さん、天満さん、伊勢参り、福の神、そして天朝さんはどのようなランクだったのだろうか。幕末のドラマもよく見るが、そこらへんがどうも違和感がある。幕末ものが当たらないというジンクスがあるそうだが、150年前の人がどう思っていたのか、Old&New、時間の流れが微妙に難しい問題なのだ。

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日本史」カテゴリの記事

コメント

百五十年前は平田篤胤の「霊能真柱」が出て、日本は神州である理論が物流の人に乗って人づてに流行ったのではないでしょうか。

あの世?未来?過去?の幽界とこの世の顕界が繋がっていて、魂は行き来出来る場合がある。

地震や世情不安が重なり、維新前後の新宗教が興るきっかけにもなった。

当時の志士(その後の新政府人)は国土は天子のものであり、幕府や藩は土地を借りていると信じて動いていた。
キリスト的な神が゙世界を作って、日本がその世界の一部であるとは腑に落ちないかったのではないかと思います。

神社では楠木正成が神になり湊川神社になっていく経緯が、国力や人材の結集に役だったと思います。
稲荷や天神様と異なる意図の創建です。

幕府側の紀州や水戸と薩長が結び付くのは、武士が「太平記」を好んで読んでて、正成信仰でつながりがあったのです。

テレビドラマでは、第二次大戦の原因とされる皇国史観の宣伝になる危険があるので、意識的に脚本から除かれてるのかと思ってます。

さぶろたさん。こんにちは。いつも私の素朴な疑問を実にストンと落ちるようなコメントをいただきありがとうございます。

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