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2010年5月13日 (木)

宗教のパラダイム不思議の国ニッポン

   韓国には教会が多い。国民の25%くらいがキリスト教徒という統計がある。日本はおよそ2%弱。日本のキリスト教の普及率は世界的にみても異例の低率である。ザビエル来日以来450年も経つがキリスト教信者は増加する傾向はない。それどころか最近は教会への消火器の投棄という暴行事件が頻発しているが、なぜか警察当局は本腰をあげようとしない。そして日本のある与党の大物政治家の「キリスト教は排他的な宗教、仏教は寛容性がある」の発言。諸外国にこれらのニュースが配信されているが、海外から見るとまさに「不思議の国ニッポン」である。たしかに日本は古来から八百万(やおよろず)の神という言葉があるように、神々の数は多かった。すべての神様の名前を正確に言える日本人はおそらく一人もいないだろう。そのため外来の宗教にも寛容であり、複数の宗教を信じるていても不思議とは思わない。キリスト教は、その神が「わたしをおいてほかに、神があってはならない」(「聖書」出エジプト記20-3)と要求する絶対的な神である。キリスト教徒であり、仏教徒であり、神道である、ということになれば、それは宗教の自殺である。絶対と相対、排他と寛容の矛盾をいかに超克するかがいつも問題となる。だが絶対的で排他的で独善的なのが悪い、と単純にいいきれるほど宗教の問題はやさしくない。近代の合理主義が人間の自己中心主義を助長したように、宇宙全体から見れば人類の生み出した宗教も一つの仮構であり、虚構である。キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ今日、仏教、ラマ教、ジャイナ教、シーク教、ゾロアスター教、モルモン教、神道、道教、その他もろもろの宗教の優位性はない。つまり宗教は思想ではなく無意識のものではないだろうか。

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