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2010年5月19日 (水)

俺は嵐と共に去ったが鷹は死んだ

    昭和32年9月、映画「鷲と鷹」が封切り、翌月には「俺は待ってるぜ」、そして正月映画は「嵐を呼ぶ男」。昭和33年は日本中が石原裕次郎ブームに沸いた。ところで映画のタイトルに使用された「鷹」「俺」「嵐」はいずれも1981年の常用漢字には無かった。常用漢字は文化的、教育的に重要な漢字と限定するという意味ではないらしいので別段に不自由をした記憶はない。ところが改定常用漢字が発表されるや、議論が噴出してきた。「俺」と「嵐」は追加の196字に加えられたが、「鷹」は取り残され、改定常用漢字への加入は見送られた。まるで平家物語で平氏追討の謀議のため鬼界ヶ島に流罪となった俊寛を思い起こさせる哀話である。「能ある鷹は爪を隠す」など古来から多くのことわざや格言に使われる鷹の字だが、不採用の理由はいまひとつ明らかではない。邪推するに「一富士、二鷹、三なすび」つまり徳川家康の好物。菊は栄えて、葵は廃る。尊王思想の政府の役人が決めたことなのだろう。俊寛は叫ぶ「お上、理不尽なり」と。三鷹市の女性市長の懇願もあったが聞き入れてもらえなかったようだ。これが通れば他にもいろいろな漢字があって制限の意味がなくなるらしい。一旦決められたことを覆すのは難しいだろう。

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