面白かった「草燃える」
NHK大河ドラマ「草燃える」を全編通じて見て鎌倉史に興味がでてきた。鎌倉と京の対立を軸として、北条政子が歴史の浪に翻弄されるさまがが鮮明に描けていたと思う。最終回が「承久の変」後鳥羽院は隠岐へ、順徳院は佐渡へ配流される。天皇の廃位、上皇の配流という未曾有の事件をどのように考えるべきか。武士の時代になったことだけでなく、皇室の権威の失墜の物語でもある。つまり天皇にも帝徳が必要であり、無道の君、不善の主は討伐してもよいという思想を是認していることである。このことは明治期以来昭和の敗戦にあっても皇室が国民の信頼を得、安定している現在にあっては、ドラマ的共感をよぶことが少なかったのは歴史の皮肉でもあろう。
興味を覚えたのは、実朝(篠田三郎)の巨艦建造の一話である。あの話は史実なのかと調べたら、史書に本当にしるされているようである。建保4年(1216)、東大寺大仏の鋳造に功のあった宋人陳和卿は、鎌倉に下って実朝に会い、「あなたは宋の育王山の長老(住職)の生まれかわりです」と告げた。実朝は育王山を訪れるため渡宋を計画し、陳和卿に唐船を造らせ、執権北条義時らの諫言にも耳を貸さなかった。このころ後鳥羽上皇との関係が悪化し、実朝の言動には奇矯が目立つようになっていた。1217年、船は完成したが、鎌倉の由比ヶ浦は浅瀬のため大船は浮かばず、渡宋計画は失敗に終った。
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