吉田松陰の大和国滞在について
幕末の河内・大和国の地は尊攘運動の一中心地として知られる。とくに土佐の吉村寅太郎らの天誅組挙兵など幕末哀話として語られる。だが長州の吉田松陰(1830-1859)が江戸入府の前に約3ヵ月大和、河内に滞在したことはあまり知られていない。嘉永6年1月、萩を出発した松陰は三田尻から海路で大和に入る。2月13日、雨をついて大和五条に森田節斎(1811-1865)を訪ねる。節斎と共に、大和河内の楠公遺跡を訪ね、富田林から岸和田へ。岸和田藩の相馬九方(1802-1879)に会う。そして森田節斎の弟子、岡村閑堂(1826-1919)に会う。松陰にとって節斎や閑堂との出会いは有益であったと思われる。そして5月1日伊勢に赴いて斎藤拙堂を訪ね、そして江戸に向かった。6月にはペリー来航、密航未遂に終る。
閑話休題。NHK大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬(福山雅治)は吉田松陰(生瀬勝久)に出会ったことになっている。(第6話「松陰はどこだ?」)これはあくまでドラマの創作である。松陰に出会い龍馬は感銘を受けたというふうにストーリーをつくるのであろうが、名利を求めない尊王攘夷の志士や儒者は各地いた。むしろ松陰や龍馬より見識の高い人物である。五条や生駒にも人物が多かったが、隠棲の風潮があって政治的なパフォーマンスに向かないようだ。
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