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2010年5月31日 (月)

心のオアシス

    昼下がり、3歳になる女の子とお母さんがやってくる。お母さんの絵本の読み聞かせが始まる。ここでは万代スーパーの買い物帰りに立ち寄るのを日課にしているそうだ。書店で絵本を買うのは難しい。見た目がきれいだからといって子供がよろこぶとはかぎらない。松居直は書店で絵本を選ぶ一つの目安として、「成人式を終えた絵本」といっている。つまり出版されてから20年以上、読者に支持されてきた絵本という意味だ。奥付に何刷とあり、その本が今までに繰り返し印刷された回数のことで、その回数が多いということは、その本の人気が高いということを意味する。「おおきなかぶ」「ぐりとくら」は出版されて40年以上になるがいまだに人気がある。よい絵本には寿命はないようだ。

   不況や活字離れで絵本や本に親しむ機会が少なくなったが、小さな文庫で、お母さんと子供たちがほっと一息つける心のオアシスをつくっていきたい。

「素直になれなくて」ドクター兄妹

    北川悦吏子脚本ドラマ「素直になれなくて」に出演している東方神起のジェジュンが好調だ。ドラマの中では、片言の日本語だが一途な性格が騒動をまきおこす。映画でも「天国への郵便配達人」が公開されている。天国へ旅立った「愛する人」に手紙を届けてくれるという郵便配達人。その日もポストへ手紙を受け取りに出かけるがねそこで恋人を失い、手紙を投函しに来たハナ(ハン・ヒョジュ)と出会う。ジェジュンの仕事に興味を持ち、配達人の仕事を手伝うようになるハナ。日韓合作ドラマプロジェクトの7作品の一つ。「トライアングル」「石ころの夢」「顔と心と恋の関係」「結婚式の後で」「楽園」「19(ナインティーン)」

    ところでジェジュンはこれまで日本進出で最も成功した男優になるかもしれない。パク・ヨンハ、リュ・シュウォンは日本ドラマに出演したが小さな役だった。「素直になれなくて」でジェジュンの妹を演じている本南晴夏も将来性がありそうだ。兄思いの妹。韓国語訛りの日本語が上手。1985年うまれで25歳だが、高校生に不自然さはない。9月には「君が踊る、夏」でヒロイン香織を演ずるそうだ。

ヴィック・ダモン

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    昨夜も「アンディ・ウィリアムズショー」(1965年)を見る。ゲストはヘンリー・マンシーニ、ヴィック・ダーモン、ボビー・ダーリン。アンディ、ヴィック・ボビー3人の歌声は素晴らしい。ボビー・ダーリンは1960年にサンドラ・ディーと結婚し一児をもうけたが、1967年に離婚している。ヒット曲「マック・ザ・ナイフ」「おんぼろ汽車ポッポ」。

 

ヴィック・ダモンもピア・アンジェリと結婚したが、すぐに離婚している。ピアはジェームズ・ディーンの恋人だった女優で1950年代は清純派として日本でも人気があった。イタリア系なのでハリウッドでヴィックとは親しくなったのだろう。ジミーの数少ない恋の話でいつも登場するビィック・ダモンの映像が見れてうれしい。イタリア系歌手はみんな上手い。フランク・シナトラ、ペリー・コモ、ディーン・マーチン、トニー・ベネット、ポール・アンカ、そしてヴィック・ダーモン。オペラ系とカンツォーネ系があるが、ヴィック・ダーモンは本格オペラ系。「トゥナイト」「君住む街角」が代表作。

2010年5月30日 (日)

ブームを過ぎても

    NHKの歌番組で作詞家・松本隆の特集があった。ユーミンとの対談は興味深いものがある。松本隆は歌謡曲とニュー・ミュージックとの狭間で都会的センスで成功した作家である。同じ作詞家で佐伯孝夫も戦後都市のモダニズムを描写した。阿久悠とも明らかに異なる。ここで作家論には触れないが、松本は「自分の作品は古びない」と自らの自信のほどが見えた。死んでからも作品は残る、と。確かに、松田聖子の歌う1980年代ポップスは今でも新鮮である。コンビレーション・アルバムで綾瀬はるかが「赤いスイートピー」を歌っている。だが流行歌でブームを過ぎても時代遅れではない、古びないものがこれまでにあっただろうか。ことに音楽の世界では百年間歌われることは稀であろう。

    昨夜「グーグーは猫である」という映画を見た。むかしの「子猫物語」を思い出した。子猫チャトランの冒険物語で、子猫ブームを生んだ。畑正憲が監督だが、市川崑が協力し、坂本龍一の音楽、谷川俊太郎の詩、小泉今日子の詩の朗読。だが「子猫物語」はいま見ると古臭い。動物に名演技をさせることがわざとしくて嫌になる。そういえば「名犬ラッシー」にしてもターザン映画にしても、動物が活躍するが、どこかサーカスに近いものがある。現代人は動物にサーカスのような曲芸を見て喜ぶのではなく、生き物たちとの身近なふれあいで癒されることを第一にしているようになった。だから「子猫物語」は古いのだろう。

2010年5月29日 (土)

おじいさんのランプ

    むかし近所に「下駄屋」があった。庶民の足は下駄の時代で、販売もするが、もっぱら修繕費で稼いでいた。もちろん消費時代でスニーカーをはくようになり、下駄屋はみかけなくなった。人力車は鉄道や自動車の普及とともに消えた。呉服屋も洋服を着るようになると少なくなった。牛乳屋も家庭で冷蔵庫に紙パック牛乳を保存できるようになると無くなった。ランプは電気の普及とともに消えた。昨日の朝日新聞夕刊に「必要なくなるもの。本棚と書庫。本屋と図書館」(素粒子)とある。ipad発売の日のことで、ジャーナリズムは関心が高い。だが無責任な放言のように思える。本に関わる仕事をしている人は多いだろう。みんな電子書籍への転職を考えるとは思えない。なかには紙の図書に生涯関わって生きていこうと決心した人もいるだろう。無法松や「おじいさんのランプ」のような生き方もある。

2010年5月28日 (金)

貧乏くさい昭和がマイ・ブーム

   NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」を毎日見ている。お金の心配ばかりなのがいい。食費はもとより、電気代、ガス代が支払えない。もちろんついには家賃も。立退き、夜逃げの心配。わが家はそこまでではない。とりあえずなんとか生きている。昭和30年代はみんなそんな暮らしだった。でもあまりリアルな感じは伝わってこない。ケーブルで渥美清の「泣いてたまるか」を見ている。こちらはまさに同時代の貧乏話の宝庫だ。「雪の降る街で」。万年刑事の渥美は左幸子と3人の子供と貧しいながら幸せな家庭を築いている。人情深い渥美は赴任地の北海道、鹿児島、広島で身寄りのない子どもを引き取って育てた。北夫(渡辺篤史)はもうすぐ大学だが、昼間をあきらめて夜間の大学に行くといいだす。そんなとき強盗事件があった。二人組みの犯人の一人は警察官に射殺され死んだ。のこされた妻(夏圭子)は妊娠しているが自殺を図る。身を案じた渥美は子供を引き取って育てる話をもちかける。家族のみんなも賛成したが、北夫だけは反対した。子供を母親から引き離すのではなく、子供を預かって将来、母親が一緒にくらせるようになれば返すべきことを説く。みんなも成長した北夫の意見に同意する。北夫は夏圭子を家によぶことを提案する。クリスマスの近い日のことであった。すぐれた脚本、ベースは貧しいながら懸命に生きる庶民の哀感が描かれている。松竹映画得意の市井ものだが、そこに演技力のある新劇系の若手俳優が多数登場。1時間ものながらまとまりの良い名作が多い。

大統領と皇帝

Img_0014 1860年にマシュー・ブラディが撮影したリンカーンの写真

   大統領といえば米国第16代大統領、アブラハム・リンカーンを思い浮かべる人は多い。皇帝といえば、リンカーンに近い時代の人物といえばフランスのナポレオンである。ではリンカーンとナポレオンとの年の差はいくつか?リンカーン1809年、ナポレオン1769年、わずか40歳の差である。もっと離れていると感じる人は多いだろう。なぜだろう。19世紀と18世紀の違いか。写真が残っているリンカーンと肖像画しかないナポレオンのイメージからくるものなのか。あるいは「人民の、人民による、人民のための政治」と「余の辞書に不可能という言葉はない」という有名な言葉の違いからくるのかもしれない。40年というのは、大学生と大学教授のような年の差であろう。旧世代と新世代。ナポレオンが長命で政権を維持していれば、2人が面会することも不可能とはいえない世代である。ナポレオンが死んだときはリンカーンは小学生だった。奇妙な感じもするが、リンカーンとナポレオンは同時代人なのだ。

夜の想い

    トスカーナ地方の古い港町リヴォルノ。冬のある晩に青年アンドレは毎晩のように運河の橋際で人を待っている美しい女イザベラと出会った。彼女は1年ぐらい前に町を去った男を愛し、1年後にこの運河の橋際で再会を約束したのだという。男は結局現われず、悲嘆にくれるイザベラにアンドレはダンスに誘う。だが夜の10時になるやイザベラはまた橋際に駈けて行った。絶望の中でイザベラはアンドレの愛の告白を聞く。雪が降りはじめ、イザベラはアンドレの愛を受け入れようとした。その時、イザベラの目が橋の上に釘づけになった。待ちわびたあの男がいる。イザベラはアンドレを振り切って男のもとに駆け寄って行った。

2010年5月26日 (水)

南北戦争の終結

Img_0013 グラント将軍(左)とリー将軍(右)

  ユリシーズ・グラント(1822-1885)は南北戦争が起こるや、義勇軍を率いて奮戦、1863年、北軍の最高司令官となり、1864年5月から6月、ロバート・リー将軍(1807-1870)の率いる南軍をミシシッピー川の線で分断し、リーの軍団をリッチモンド付近のピーターバラに固定させ、1865年4月、リーのピーターバラ防衛線を破ってアポマトクスで降伏せしめた。

2010年5月25日 (火)

石は語らず

   歌人として知られた源俊頼の歌に「石」と題して「石はさもたてける人の心さへ かたかと有てみえもすかな」というのがある。書は人をあらわす、というが、この歌は、石組は人をあらわすといっている。禅宗寺院の枯山水は、その形の上からみて、旧来の林泉庭園を縮小集約した築山枯山水(大仙院書院庭園)と、平庭枯山水(竜安寺方丈庭園)とに大別できる。一石のなかに山岳をみるというのは同じである。これは盆の上に自然石や砂を配置した盆山も同じであろう。「石組は人をあらわす」とは如何なる意味であろうか。枯山水とは石組によって地形をあらわし、水を表わすのに砂礫を用いることがある。竜安寺は1450年細川勝元の創建であるが、石庭は当初からあったのではなく、いつ、だれによって作庭されたか不明である。室町末期頃作られたということしかわかっていない。(一説に相阿弥という)

ジョディー・フォスター

   グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン。しかし彼女たちは男達によって原石が磨かれたスターである。いまは容姿、外見だけではなく、自らをコントロールし高めていく時代である。映画界にはかってのように名前だけで客をよべるような女優は少なくなった。だがジョディー・フォスターの35年以上のキャリアは奇跡に近いものがある。彼女の近作「フライトプラン」「幸せの1ページ」を見た。飛行技術者のハード・アクション、引きこもりの冒険作家と風変りな役ながらそれぞれ面白い作品になっている。大ヒットにはつながらないが、一定以上の水準を保障できるスターであろう。やっぱり日本の女優にはない何かが彼女にはある。社会派、あるいは知性だろうか。社会派といってもかってのジェーン・フォンダのように政治に走らず、現代性を求めるスタンス。保守でもなく、流行を求めるでなく、通俗的な文芸作品を求めず、たえず新奇に挑戦する姿勢。やはりジョディー・フォスターはスゴイ。

アンディ・ウィリアムショー

    チャンネル銀河で「アンディ・ウィリアムショー」を放送している。1927年生れのアンディは今も元気だ。この日の放送は1964年のもので、同年齢のブラジル音楽のアントニオ・カルロス・ジョビンがゲストで「イパネマの娘」を披露した。ほかにフィル・ハリス、リベラーチが出演。リベラーチはテレビ・ピアニストとして当時人気があった。伝説の派手な衣装を画像で確認できた。

2010年5月24日 (月)

ガンボスープご飯

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   日本国内でもクレオール料理が食べられるらしい。トマトをベースにした濃いスープで「ガンボ」といわれる名物料理があるが、それにご飯やパンと一緒に食べる店がある。クレオール(creole)料理とは、一言でいえば、フランスの地方料理にスペイン、西インド諸島、アメリカインディアンなどの料理法がミックスされて、ニューオーリンズで発達した料理。安くてとても美味しいらしい。ガンボとはもともとアフリカ語でオクラを意味している。

2010年5月23日 (日)

アノミーと社会変動

    エミール・デュルケム(1858-1917)は、社会の客観的変動過程によって生じた社会解体で個人が生ずる主観的に付随するその状況を「アノミー」(anomie)という概念で証明した。例えば、19世紀における資本主義的産業化による社会変動、両大戦期間の西欧社会に生じた既存の価値観の崩壊や信仰の揺らぎ、幕末維新の激動や1945年の敗戦で生じた士族層や大地主層のなかに急性のアノミーをもたらしたことなどが考えられる。だが社会変動におけるこのアノミー状況をもっぱらネガティヴなことと捉えることは誤りである。旧来の価値や規範の崩壊状況である反面、これに代替する新しい価値がひそかに胎動しはじめる状況にもある。むしろ活動を秘めたカオス(混沌)なのだ。

吉田松陰の大和国滞在について

   幕末の河内・大和国の地は尊攘運動の一中心地として知られる。とくに土佐の吉村寅太郎らの天誅組挙兵など幕末哀話として語られる。だが長州の吉田松陰(1830-1859)が江戸入府の前に約3ヵ月大和、河内に滞在したことはあまり知られていない。嘉永6年1月、萩を出発した松陰は三田尻から海路で大和に入る。2月13日、雨をついて大和五条に森田節斎(1811-1865)を訪ねる。節斎と共に、大和河内の楠公遺跡を訪ね、富田林から岸和田へ。岸和田藩の相馬九方(1802-1879)に会う。そして森田節斎の弟子、岡村閑堂(1826-1919)に会う。松陰にとって節斎や閑堂との出会いは有益であったと思われる。そして5月1日伊勢に赴いて斎藤拙堂を訪ね、そして江戸に向かった。6月にはペリー来航、密航未遂に終る。

    閑話休題。NHK大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬(福山雅治)は吉田松陰(生瀬勝久)に出会ったことになっている。(第6話「松陰はどこだ?」)これはあくまでドラマの創作である。松陰に出会い龍馬は感銘を受けたというふうにストーリーをつくるのであろうが、名利を求めない尊王攘夷の志士や儒者は各地いた。むしろ松陰や龍馬より見識の高い人物である。五条や生駒にも人物が多かったが、隠棲の風潮があって政治的なパフォーマンスに向かないようだ。

2010年5月22日 (土)

基礎英語「嘘は罪」

  彼はうそをついた

  ○ He told a lie.

  × He  said  a  lie.

「嘘は罪」(1936年)というビリー・メイヒューBilly Mayhew(1889-1951)作詞・作曲のスタンダードな歌がある。原題は「It's a  sin to tell a lie.」である。

2010年5月21日 (金)

老年期

    老年期をいつからとするか学者により異なるものの、かつては60歳以降であったが、いまでは70歳以降とするらしい。(法律上の高年齢者とは55歳以上)その背景にはもちろん医学の進歩による平均寿命の急速な伸びがある。現在の平均寿命は男性79.29歳、女性86.05歳。昭和22年は男性50.06歳、女性53.96歳だった。男女とも30年ちかく伸びた。どんなに寿命がのびても死はだれにでもやってくる。人間はもともと生物体として死ぬようにプログラムされており、成人期の半ば過ぎるころから、生物学的な老化現象が目立つようになっている。人生において老人期を体験するのがよいのか、老人期を知らぬまま早逝するのがよいのか、見解は個人によって分かれるだろう。

    大正10年から14年の平均寿命は男性42.06歳、女性43.2歳、明治13年の平均寿命は男性36歳、女性38歳である。樋口一葉享年24歳、国木田独歩享年36歳、石川啄木享年26歳。啄木がもし現代の平均寿命を生きていたとしたら昭和40年まで存命したことになる。安保闘争や東京オリンピックなどを歌ったのであろうか。

井上靖「黙契」

    黙契とは「無言のうちに互いの意思が一致すること」(広辞苑)

    捷次が小学生のときに芝居小屋の男に頼まれて無理やり出演させられた。だが舞台の上からみたのは父の勝平と女中のおみよの姿だった。勝平も全く思いがけず、舞台に自分の息子を発見して、驚いたに違いなかった。おみよは十人近い女中の中で一番きれいな女だった。捷次は父が亡くなるまで、父がおみよと芝居に行ったことは一度も口外しなかった。いってみれば一つの黙契のようなものが、父と子供の間には成立していたかのようであった。勝平は3年後に脳溢血で亡くなった。それから30年が経つ。もちろん母も他界し、捷次自身がいつか当時の父親の年齢に近づいている。捷次は親の思い出の中で、芝居小屋の中の一件が一番好きである。おみよの消息は、その後何も聞いていない。その気になればすぐ判ることであろうが、彼女については何も知らない方がいいような気がしている。(「小説公園」昭和30年2月号)

2010年5月20日 (木)

胸より胸に

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    有馬稲子が東宝から松竹へ移り、「にんじんくらぶ」第1回自由作品。高見順の原作に惚れこんだ有馬が映画化を切望したといわれる。浅草のストリッパーの役。宮島志津子は戦災孤児だが、踊り子をめざして明るく生きる。しかし恋人(冨田浩太郎)と意見が合わず別れ、ペット吹きの吉植(大木実)と同棲生活をはじめる。退廃した生活に嫌気がさし、別れ話のもつれから殺される。高見の浅草物のひとつだが、戦後の左翼的に潮流を取り入れているが、階級的な目線でみているため、ストリッパーの本質が描けていない。有馬のダンスも宝塚歌劇団のようで、戦災孤児の志津子役には不似合いな感がある。有馬稲子は戦後女優の中でも芸への意欲と美貌でトップクラスだが、なぜかゴタゴタが多かった。東宝映画出演、松竹移籍、もず事件、離婚騒動、元祖トラブル女優だった。自己主張の強い女性だったが、自分を見失うことなく大女優となった稀有な例である。

上海万博日本館にようやく「日の丸」が掲揚された日

    5月1日に開幕した上海万国博覧会。各国が堂々と国旗を掲げる中、日本館だけは「日の丸」をずっと掲揚していなかった。理由は、中国国民の反日感情を配慮してのことだそうだ。中国では抗日戦線を題材にしたテレビ番組が頻繁に放映されており、日の丸が軍国主義の象徴と受けとめられる傾向が強いからだという。国内からはこのような卑屈な態度に対して批判的な意見がブログ論壇からもみえる。日本館では19日から、悪天候時を除いて毎日掲揚するようにした。なぜ関係者は今回のように国旗をしぶしぶ揚げるようなことになったのか。掲揚しなければ批判されるし、掲揚したら事件が起こるかもしれない、つまり板挟み。国内では法律で拝礼を強化しているが、対外的には恐る恐る様子をみてから掲げているような状態だ。オリンピックにしろ、万国博覧会にしろ、多くの国は「国威発揚」というスローガンがあったが、日本側は中国大陸への産業・経済進出だけが目的、だから無事が一番、「日の丸」掲揚はしないほうが得策と考えたのだろうか。

2010年5月19日 (水)

姦通罪と不敬罪

    戦前の日本の刑法には姦通罪やら不敬罪やら放浪罪やらいろいろあった。姦通罪では夫のある婦人が夫以外の男と性交したとき、その婦人と相姦者とを夫の告訴をまって処罰することにしていた。しかし、これでは憲法14条の「法の下の平等」にそぐわないので、夫の姦通をも処罰するか、両方とも処罰しないか、議論が分かれたが、結局、後者の立場をとることになった。ところが、いまでも韓国では姦通罪(男女を問わず)が残っているので、しばしば話題となる。日本の不敬罪は天皇の人間宣言とともに無くなったが、タイでは不敬罪があって、王室批判は刑法の罪にあたる。ある女性が映画館へ入った。上映前に王室の写真がスクリーンに写しだされて、国王讃歌が流れる。みんなは起立したが、その女性一人だけは起立しなかった。そのため周囲の客が怒り出して大騒ぎになった。女性は不敬罪で逮捕された。有罪となれば最大15年の禁固刑となる。姦通罪や不敬罪は外国人にも適用されるので旅行中は要注意である。

俺は嵐と共に去ったが鷹は死んだ

    昭和32年9月、映画「鷲と鷹」が封切り、翌月には「俺は待ってるぜ」、そして正月映画は「嵐を呼ぶ男」。昭和33年は日本中が石原裕次郎ブームに沸いた。ところで映画のタイトルに使用された「鷹」「俺」「嵐」はいずれも1981年の常用漢字には無かった。常用漢字は文化的、教育的に重要な漢字と限定するという意味ではないらしいので別段に不自由をした記憶はない。ところが改定常用漢字が発表されるや、議論が噴出してきた。「俺」と「嵐」は追加の196字に加えられたが、「鷹」は取り残され、改定常用漢字への加入は見送られた。まるで平家物語で平氏追討の謀議のため鬼界ヶ島に流罪となった俊寛を思い起こさせる哀話である。「能ある鷹は爪を隠す」など古来から多くのことわざや格言に使われる鷹の字だが、不採用の理由はいまひとつ明らかではない。邪推するに「一富士、二鷹、三なすび」つまり徳川家康の好物。菊は栄えて、葵は廃る。尊王思想の政府の役人が決めたことなのだろう。俊寛は叫ぶ「お上、理不尽なり」と。三鷹市の女性市長の懇願もあったが聞き入れてもらえなかったようだ。これが通れば他にもいろいろな漢字があって制限の意味がなくなるらしい。一旦決められたことを覆すのは難しいだろう。

2010年5月18日 (火)

田子ノ浦

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    万葉の歌人、山部赤人は「田子の浦ゆ うち出て見れば真白にぞ 不尽の高嶺に雪は零りける」と歌った。富士川口西方の蒲原町吹上ノ浜での作といわれているが、この歌ほど人口に膾炙されてきた歌も珍しい。大伴家持が「山柿之門」と仰いだのは山部赤人と柿本人麻呂である。自然に対して呪術的な性格を多く残している人麻呂に対して、自然と美的知巧的に把握した赤人の歌は、平安時代以後の歌風ともつながる。

2010年5月17日 (月)

コスモポリタン木下杢太郎

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    近代文学において医学と文学とを両立させた人物は、森鴎外と木下杢太郎(1885-1945)である。杢太郎の本業の医者としては皮膚科であったそうだが、ハンセン病の研究にも熱心であった。文学では詩、戯曲、小説、随筆、評論、翻訳など広い分野に活躍したが、切支丹・南蛮美術の研究で知られる。東洋西洋を問わず、コスモポリタンであるとともに古典主義者であった。詩集「食後の唄」、戯曲「和泉屋染物店」などがある。

レオニダスの墓

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    紀元前480年8月、ペルシアのクセルクセスが率いる10万の大遠征軍はレオニダス指揮下のスパルタ兵300人とテルモピュライで戦った。レオニダスの必死の反抗にあって手こずったが、スパルタ兵は全滅した。

    レオニダスの墓の碑には、「旅ゆく人よ。帰ってラケダイモンの人々に告げよ。命令を守って、われわれはここで倒れたのだ」と記している。

   ラケダイモンというのはスパルタ人の国の正式な呼び名。ジェラード・バトラー主演の映画「300(スリーハンドレッド)」(2007年)は最新の合成技術でパワフルに描いている。

2010年5月16日 (日)

刑事コロンボの好物「チリ料理」

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    チリ(chili)は代表的なアメリカの国民食。正式にはチリコンカーンというが、略してチリという。豆を柔らかくなるまで煮て、そこに挽肉、玉ネギ、トマト、ニンニク、チリパウダーなどを加えて煮込んだスープ。豆の入ったものがチリビーンで、入らないものを単にチリと呼ぶ。「刑事コロンボ」では店員が豆(ビーン)がいるか、いらないのか確認するシーンがある。「死者の身代金」ではクラッカーを添えて食べていた。

なつかしき顔

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    古い映画やドラマを見ていると、懐かしき顔と出会う。昨夜は渥美清の「泣いてたまるか」を見た。「ぼくのお父ちゃん」という話で、露店商の渥美が傘の販売をしている。得意の口上が聞ける。春川ますみが離婚した妻。小学校へ行く息子が作文で総理大臣賞をとる。頭がよいので子どもの将来を考え、渥美は泣く泣く息子を手放そうとする。いつみてもいいシナリオ、元気な渥美清、きれいな春川ますみ、子役も見覚えがある役者だ。殿山泰次、吉村実子なども出演。

    「ムーン・リバー」(作詞はジョニー・マーサ-)という歌に「ハックルベリ・フレンド」という歌詞がある。この歌は月のかなたまで旅したい、というイメージだがら、ハックルベリ・フィンの冒険がイメージにあると思うが、「ハックルベリ・フレンド」とは「なつかしき友」と訳している本があった。なぜか「ティファニーで朝食を」を思い出すと、宝石店の店員の太っちょの禿頭の役者がうかぶ。名前は知らない。「昼下りの情事」「真夜中のカーボーイ」にも出演している。ネットで調べると、ジョン・マクギバー(1913-1975)John McGiverという。意外と若くて当時50歳前後だった。コメィアンだが暗い顔しているのに面白い味があった。

なんのへのカッパ

    岩波新書、中公新書、新潮新書、三一新書とたいがい出版社の名がつく。カッパブックスというのは光文社から出された老舗の新書シリーズだが、最近、新刊はでていない。創刊の言葉(昭和29年10月)によれば、「カッパはいかなる権威にもヘコたれない」ところからきいているという。岩波新書のような権威やアカデミズムへの対抗意識もあったのかもしれない。多湖輝、竹村健一など新人発掘にも貢献した。安田徳太郎など在野の人にも注目した。伊藤整「文学入門」、波多野勤子「少年期」、川喜田二郎「鳥葬の国」、尾崎秀実「愛情はふる星のごとく」、岩田一男「英語に強くなる本」、渋沢龍彦「快楽主義の哲学」、添田知道「日本春歌考」、多湖輝「頭の体操」、立原えりか「はじめての愛のために」、ディック・ミネ「すりこぎ随筆」、塩月弥栄子「冠婚葬祭入門」など。

2010年5月15日 (土)

ツィッターの利点はつぶやき機能、それとも友達連携機能か?

   簡易投稿サイト「ツィッター」が人気をよんでいる。ケペルは携帯電話もないし、話しをする相手もいないので全く関係のないことである。ツィッターはまず政治家が飛びついた。浜田幸一は「ツィッターは、すぐまけるビラみたなもの。金もかからない」と。次にドラマ「素直になれなくて」ではツィッターを出会い系みたにするな、とツィッター利用者から脚本家に抗議があった。ドラマは5人の都会で暮らす若者達がそれぞれ別な仕事で頑張っているが、お互いに助け合う。スナナレ会という飲み会を開いている。前回はハルの勤める学校の生徒が覚せい剤を売買しているところを発見したが、ヤクザに殺されそうになる。ピンチに携帯で「タ・ス・・・」と打つ。救援にきたのはドクター(ジュジュン)。ツィッターって現在地点がわかるらしい。SOSには必須のアイテム。ドラマの展開はテンポよく、出演者も好演。端役でもジュジュンの妹の木南夏、桐生高校の逢沢りな、などチェックすべき子がいっぱいでている。やっぱり北川悦吏子は上手い!

廃仏から神仏習合へ

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    在来的な神祇信仰に対して、6世紀に仏教が日本に伝来して、飛鳥時代には崇仏、排仏の主張が対立したことはよく知られている。しかし奈良時代には仏教の信仰が隆盛をみるようになり、神は仏法を喜び、仏法を擁護するという神仏習合の思想があらわれた。しかしながら両者の習合は決して一朝一夕にスムーズに進展したものではなかった。

    たとえば、平安時代の貴族たちは、その邸内に持仏堂をもち、平素は仏像をそこに安置したが、内裏で神祭りの行われる日には忌みのかかっているものと同様に、僧侶を参内させなかった。神事と仏事はその場所を別にし、両者がたがいに障りあいしないように配慮がなされていた。

    平安時代の末、藤原頼長の日記「台記」天養2年(1145)3月7日条には、伊勢神宮への勅使の役を命ぜられた左大将雅定が、邸内の仏像・経文の類を邸外に出して精進潔斎していたとこめ、にわかに寝殿の屋根から煙があがったので放火かと思い、あわてて天井を破ってみたら、天井裏に絵像の仏五体と法会に使う色旗など゛があったので、これらを門外に運び出したら煙が消えたという話が記されている。これなど、王城鎮護の神である京では神祇信仰が第1であり、私邸でさえ、清浄を保持して異物の侵入を防がねばならないという事例である。

    本日の葵祭。祭の起源は欽明天皇の時代といえが明らかではなく、賀茂神社の創建は社伝によれば、天武6年(677)とある。文武2年(698)に賀茂祭(葵祭)の記事があり、このころすでに賀茂神社は強大な神社となっていた。平安帝奠都以後、祭は皇室のなかば公的な祭として盛行をみた。祭の中心人物は斎王であり、9世紀中頃以後は内親王がこれにつくのが慣例となり、皇室との関係が深まった。

中国史 28

UNIT28.隋帝国(581-618)

建国 581年、北周の外戚であった楊堅(文帝)が国を奪い、589年南朝の陳を倒して中国を統一

内政 北魏ではじまった均田制を行い、大土地所有を制限し、科挙(官吏資格試験)を実施した。西魏で創設された兵農一致の府兵制度を採用して軍事力の中央集権化をはかった。

第2代煬帝 東都洛陽の造営。通済渠、永済渠、江南河を開掘し、文帝時に竣工した邦溝、広通渠と併せ大運河を完成した。北京~杭州間2800㎞

外交 北方民族突厥の東西分断に成功するが、朝鮮北部の高句麗遠征に失敗する。

option 隋が統一後30年足らずで滅亡したのはなぜか。

大土木事業や高句麗遠征などによる民衆の酷使と租税の加重は一般民衆の経済生活を困難にし、社会不安を増大させて各地に叛乱が起こり、混乱のなかで滅亡した。

2010年5月14日 (金)

亦楽山荘(えきらくさんそう)

Photo 亦楽山荘(昭和8年頃)
   宝塚の奥座敷・武田尾駅(JR福知山線)を降りてJR廃線に沿ってトンネルを2つ抜けると、桜の園「亦楽山荘」がある。ここはむかし桜の研究で知られた笹部新太郎(1887-1978)が桜の品種保存や接木などの研究に使用された演習林があったところだ。いまは宝塚市の里山公園として一般開放されている。

    園内はサクラだけてなく、ヤマボウシ、イロハモミジ、ヤブツバキなど四季楽しめる緑のオアシスとなっている。笹部新太郎は水上勉の「桜守」の竹部庸太郎のモデルとなった人物で、本来の日本の桜であるサトザクラ、ヤマザクラの保護育成に努めた。

2010年5月13日 (木)

御稜威(みいつ)

    歴史研究で難しいことは、当時の人々が何をどのように思っていたかという感覚的なことである。たとえば終戦後、天皇は人間宣言をしたが、ほんとうに当時の国民がみんな天皇を神だと思っていたのであろうか。このことに関して司馬遼太郎は時代の現場証人であるとして面白いエッセーを書いている。(「人間が神になる話」)だが司馬は自分ひとりだけの思いこみもあるので1歳年下の安部公房も引き合いにだして、大人から小学生にいたるまで誰ひとりとして天皇を神だと思っていなかったことを述べている。

    このような当たり前のような話が、もう百年すれば、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」「不敬罪」「現人神」「御稜威」「人間宣言」という言葉の表面上だけを理解するようになり、戦前の日本人はみんな天皇を神と信じていた、と思い込むようになるのではないだろうか。もっと古くさかのぼれば、江戸時代の人は今と比べて信心深かったようだが、お稲荷さん、天満さん、伊勢参り、福の神、そして天朝さんはどのようなランクだったのだろうか。幕末のドラマもよく見るが、そこらへんがどうも違和感がある。幕末ものが当たらないというジンクスがあるそうだが、150年前の人がどう思っていたのか、Old&New、時間の流れが微妙に難しい問題なのだ。

宗教のパラダイム不思議の国ニッポン

   韓国には教会が多い。国民の25%くらいがキリスト教徒という統計がある。日本はおよそ2%弱。日本のキリスト教の普及率は世界的にみても異例の低率である。ザビエル来日以来450年も経つがキリスト教信者は増加する傾向はない。それどころか最近は教会への消火器の投棄という暴行事件が頻発しているが、なぜか警察当局は本腰をあげようとしない。そして日本のある与党の大物政治家の「キリスト教は排他的な宗教、仏教は寛容性がある」の発言。諸外国にこれらのニュースが配信されているが、海外から見るとまさに「不思議の国ニッポン」である。たしかに日本は古来から八百万(やおよろず)の神という言葉があるように、神々の数は多かった。すべての神様の名前を正確に言える日本人はおそらく一人もいないだろう。そのため外来の宗教にも寛容であり、複数の宗教を信じるていても不思議とは思わない。キリスト教は、その神が「わたしをおいてほかに、神があってはならない」(「聖書」出エジプト記20-3)と要求する絶対的な神である。キリスト教徒であり、仏教徒であり、神道である、ということになれば、それは宗教の自殺である。絶対と相対、排他と寛容の矛盾をいかに超克するかがいつも問題となる。だが絶対的で排他的で独善的なのが悪い、と単純にいいきれるほど宗教の問題はやさしくない。近代の合理主義が人間の自己中心主義を助長したように、宇宙全体から見れば人類の生み出した宗教も一つの仮構であり、虚構である。キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ今日、仏教、ラマ教、ジャイナ教、シーク教、ゾロアスター教、モルモン教、神道、道教、その他もろもろの宗教の優位性はない。つまり宗教は思想ではなく無意識のものではないだろうか。

2010年5月12日 (水)

海の男ギルバート・ローランド

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   「逃亡者」第25話「忘れ得ぬ顔」雇い主ガス(ギルバート・ローランド)はキンブルが死んだ弟に似ているため何かと親切にしてくれる。ガスは自分の命が長くないことを知る。キンブルを身代わりにして故郷のギリシャに逃亡させようとする。

  今回のゲスト・ギルバート・ローランド(1905-1994)はまさに映画の黄金時代を飾った活劇スターだ。メキシコ出身。あのサイレントの美人女優ノーマ・タルマッジが「椿姫」(1926)で無名だった彼を相手役に抜擢した。ギルバートは長い映画歴を誇る。代表作はエロール・フリンとの「シーホーク」(1940)、ジェーン・ラッセルとの「海底の黄金」(1955)、「悪女と美女」など美女と海の香りとテキーラが似合う。
一時、女優のコンスタンス・ベネットと結婚していた。

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一歩、一歩、着実に

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   天性と野性の戦い。幕之内一歩がついに対ウォーリー戦で勝利した。何のことかって?実は「少年マガジン」連載の森川ジョージの「はじめの一歩」の話。第8ラウンド、一歩の渾身のリバーブローが炸裂した。ボデーブローはだんだんと効いてくるのだ。なんでも一歩、一歩の積み重ねが大事だ。仕事でも勉強でも。

2010年5月11日 (火)

カールスプラッツの駅舎

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   オーストラリアの建築家オットー・ワーグナー(1841-1918)の設計。1890年代にアール・ヌーボーに共鳴し、伝統様式を否定し、新しい建築を目指した。カールスプラッツ、つまりカールス広場はウィーン1区、ウィーンでも重要な空間のひとつで、カールス教会、歴史博物館などがある。

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日英100年

    日本とイギリスとはともに島国で比較されることも多い。100年前は帝国主義の時代で日英同盟の誼で日本は第1次世界大戦に参加。当時のイギリス首相はハーバート・ヘンリー・アスキス(1852-1928)。映画ハリー・ポッターシリーズで知られるヘレナ・ボナム・カーターはアスキス卿の曾孫である。アスキスから先ごろ退陣表明したブラウンまで17人の首相がいる。ところが日本は西園寺公望から鳩山由紀夫まで55人もいる。日本の内閣総理大臣が頻繁に交代したかがわかる。

    ところが皇室はスキャンダルや話題には事欠かないものの、君主の座は意外と安定している。後鳥羽上皇や後醍醐天皇の配流はいにしえの話だ。わが国は大正天皇、昭和天皇、平成天皇の三代の御世で、イギリスもジョージ5世、ジョージ6世、エリザベス2世の三代と共に長期安定している。明日はジョージ6世がロンドンのウエストミンスター寺院で1936年に戴冠してから74年が経つ。

2010年5月10日 (月)

貸本屋のおばさん

   「ゲゲゲの女房」に松坂慶子が貸本屋のおばさんの役で出演している。「水中花」のような美女というイメージを払拭して逞しいオバちゃんを楽しんで演じているようだ。NHKはむかしは劇団の新人女優を発掘するのが上手だった。「おはなはん」の樫山文枝は劇団民芸、「旅路」の日色ともゑも劇団民芸、「あしたこそ」の藤田弓子は文学座、大河ドラマ「三姉妹」の栗原小巻は俳優座である。松坂慶子はどこで演技の基礎を学んだのだろうか。彼女をテレビで初めて見たのは実写版「忍者ハットリくん」だ。その後、岡崎友紀のライバル役で出ていた。映画は「夜の診察室」。映画が斜陽産業といわれて頃に女優としてスタートしたが厳しい状況のなかをよく生き残ったものだ。松坂慶子、関根恵子、秋吉久美子、原田美枝子ら映画出身の女優さんのほうが劇団の女優さんより活躍しているのは何故だろうか。

墓場まであとどのくらい

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    NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」を毎日楽しく見ている。ようやく「墓場鬼太郎」が出版された。水木は「墓場めぐりは楽しい」と言った。近所に墓場があれば行きたいが、最近は都市化で墓場をなくして、山に霊園を新設している。新しくて綺麗な墓地は公園みたいで、むかしのお化けのでそうな墓場の風情がなくなっている。京都の化野念仏寺にいけば、まるで人魂が飛んでいるような風情がある。もともと風葬の習慣があったらしいる無数の風化した石仏や石像が並んでいる光景は、諸行無常を感じさせてくれる。最近ネットの画像検索で歴史上の人物の墓標を見ることも多い。ネットの墓場めぐりだ。高野山には多数の有名人が眠っている。弘法大師御廟をはじめ織田信長、豊臣家、徳川将軍家、千姫五輪塔、松平秀康と母の石廟、春日局の逆修五輪塔、浅野内匠頭赤穂四十七士。法然・親鸞、明智光秀、石田三成、柴田勝家、伊達政宗、武田信玄・勝頼、上杉謙信霊屋、大岡越前、多田満仲、佐竹義重廟、熊谷直実、平敦盛、曽我兄弟、源頼朝・頼家・実朝五輪塔。

    よく「揺りかごから墓場まで」という。この世に生まれた者はいつかは必ず死ぬ。それが私たち人間の避けられない宿命である。墓場は生存したことの唯一の証であろう。しかし、最近は家族制度もなくなり、祖先代々の墓もないという人も多い。ひどい場合は、通夜もせず、葬儀もせず、死んだら火葬場へ直行して、ハイそれまでよ、である。遺骨は誰かが檀那寺のロッカーに納骨するか、さもなくば散骨するという。「千の風になって」の影響は大きいものがある。

ゲストハウスOLD NEW

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   宝塚市役所ロビーに村野藤吾賞を受賞された建築家の伊丹潤の作品のパネル展示があった。「二つの手のMuseum」と「水、風、石のMuseum」のパネル。いずれも風景に完全にとけこんだようなユニークな建築物である。韓国ソウルの南部に「ゲストハウスOLD NEW」が建っている。来客が宿泊できるらしい。いずれも田舎にあって一見しても何の建物かわからないような、小屋かと思わせるような外観が特徴である。韓国では今ブームだそうだ。

アイリーン・ヘッカート

Photo_3 映画「悪い種子」のアイリーン・ヘッカート

 

   「逃亡者」第23話、24話「天使は淋しい道を行く」キンブルは山道でベロニカという修道女に出会う。彼女の車を修理し、シエラネバダ山脈を超えてサクラメントまで一緒に旅するロードムービー。修道女にはアイリーン・ヘッカート(1919-2001)という舞台の名女優が演じている。「バタフライはフリー」(1972)でアカデミー助演女優賞も受賞している。映画出演作「ピクニック」「バス停留所」「悪い種子」「下り階段をのぼれ」など多数。

 

   「逃亡者」の脚本家たちは当時、評価の高かったウイリアム・インジの作品(ピクニック、バス停留所など)のような田舎が舞台で一人の流れ者がやって来て起こるアメリカの人間模様をお手本にしているような感がある。アイリーン・ヘッカートも舞台「ピクニック」で絶賛を浴びた女優さんである。

 

    なおキンブルに想いを寄せる美人の未亡人ルタ・リーRuta Lee(1936年生まれ)はオードリー。ヘプバーンの「パリの恋人」(1957)に端役ででている。

2010年5月 9日 (日)

ブラジル料理シュラスコ

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    ブラジルの焼肉料理。牛肉、豚肉、コブ肉、ガーリックステーキ、もも肉、リブ肉などを200~300gの切身にして塩、酢、にんにく、タマネギなどで味をつけ、これを串に刺して炭火で焼く。もともとは南部のガウショ(カウボーイ)の野外での食事だといわれている。最近は日本にもシュラスコの専門店ができているみたい。

女性ドライバー

Photo_4 20歳の頃、教習所に通っていた聖子ちゃん

    「逃亡者」を見ていると1960年代、女性ドラバーはアメリカ社会では当たり前だったことがわかる。リチャード・キンブルの逃走を手伝い、マイカーで運転して大活躍。それを見ていた日本の女性もずいぶんと驚いたらしい。日本女性が昭和40年代から教習所に通うようになったのは、おそらく「逃亡者」の影響もすくなからずあるのではと思う。当時、芸能人でもマイカーを運転する女性は少なかった。おそらく美空ひばり、都はるみは運転しないだろう。昭和55年デビューの松田聖子もいまだ運転免許はないらしい。(8日放送のミュージックフェアで自ら言っていた)松田聖子はいつも免許がほしいと言っている。なるほど不便だろう。いまは現場への行き帰りはタレントの自主性に任せていることが多い。若い芸能人はほとんど免許を持っている。芸能人の交通事故が多発しニュースには事欠かない。人身事故も起こりうるし、聖子ちゃんのような大物はやはり自ら運転しないほうがベターだろう。

母の日

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  あお葉わか葉に 風かおりて

  せせらぎに聞く 奇しき調べ

  木かげに立てば とわのみ母

  みもとに行き 我ら憩わん

                                  聖母月(カトリック聖歌)

「母の日になんにもしないそれがうち」

ある俳句大賞で選考委員特別賞に選ばれた小学生の一句。「好きなことは好き、嫌いなものは嫌い」という竹を割ったような性格で、「それがうち」と決定的に言い切ったことが評価された。

 

2010年5月 8日 (土)

粋で現代的な芸者が似合う加藤勢津子

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   南原宏治の「無法松の一生」(昭和39年)を楽しんでいる。吉岡夫人は南田洋子。松五郎を慕う元・芸者で瀬戸物屋を営む女タミを加藤勢津子が演じている。昭和16年生まれ。「これが青春だ」「でっかい青春」「ザ・ガードマン」「飛行機雲」「ある女の四季」、映画には、「飢える魂」(1956)、「こちら婦人科」(1964)がある。長門裕之・津川雅彦の妹、マキノ省三の孫である。60年代、女優として活躍していた。阪妻「無法松の一生」には長門が子役で出演していたが、テレビ版にもマキノ一族が共演している。

2010年5月 7日 (金)

同行二人

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    四国八十八か所霊場めぐりは、およそ1200年前に弘法大師が修行した足跡を弟子たちがたどったのが始まりといわれる。巡礼の旅は、お大師さんに必ず会うことができるという信仰であり、供養や善根をつむことによって、悩みや病気をお大師さんに治してもらう旅である。かつてのお遍路は野宿もするような苦難の旅だった。お遍路の白装束は死装束であり、白い経帷子を身につけ、手足に手甲、脚絆、白足袋をつけた死者と同様に、死出の旅の用意を意味している。菅笠には、お大師さんと二人連れを意味する「同行二人」のほかに、笠の頭から四方にかけて、「迷故三界城、悟故十万空、本来無東西、何処有南北」(迷うがゆえに三界は城なり、悟るがゆえに十万は空なり。本来東西無く、いずくんぞ南北あらん)と、仏道修行者の願いがこめられている。そして金剛杖をつき「南無大師遍照金剛」と唱える。お遍路は、お大師さんが師からいただいたこの宝号を唱えることによって、大日如来になったお大師さんに帰依して敬うことを誓う。四国遍路の88の札所は、四国4県をめぐるように、第1番から88番まで配置されている。番号順にめぐることを「順打ち」、逆にめぐるのを「逆打ち」という。後者は逆境にあえぐお遍路が多く、これをなしとげた結願のご利益はひときわ大きい、と信じられている。

面白かった「草燃える」

  NHK大河ドラマ「草燃える」を全編通じて見て鎌倉史に興味がでてきた。鎌倉と京の対立を軸として、北条政子が歴史の浪に翻弄されるさまがが鮮明に描けていたと思う。最終回が「承久の変」後鳥羽院は隠岐へ、順徳院は佐渡へ配流される。天皇の廃位、上皇の配流という未曾有の事件をどのように考えるべきか。武士の時代になったことだけでなく、皇室の権威の失墜の物語でもある。つまり天皇にも帝徳が必要であり、無道の君、不善の主は討伐してもよいという思想を是認していることである。このことは明治期以来昭和の敗戦にあっても皇室が国民の信頼を得、安定している現在にあっては、ドラマ的共感をよぶことが少なかったのは歴史の皮肉でもあろう。

    興味を覚えたのは、実朝(篠田三郎)の巨艦建造の一話である。あの話は史実なのかと調べたら、史書に本当にしるされているようである。建保4年(1216)、東大寺大仏の鋳造に功のあった宋人陳和卿は、鎌倉に下って実朝に会い、「あなたは宋の育王山の長老(住職)の生まれかわりです」と告げた。実朝は育王山を訪れるため渡宋を計画し、陳和卿に唐船を造らせ、執権北条義時らの諫言にも耳を貸さなかった。このころ後鳥羽上皇との関係が悪化し、実朝の言動には奇矯が目立つようになっていた。1217年、船は完成したが、鎌倉の由比ヶ浦は浅瀬のため大船は浮かばず、渡宋計画は失敗に終った。

2010年5月 6日 (木)

白いリボンのような道

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    第11話「白いリボンのような道」は「逃亡者」シリーズ中でも最高のシナリオの一編であろう。ウェストヴァージニア。かつて炭鉱で栄えたが今ではさびれた町をリチャード・キンブルは訪れる。酒場でならず者たちにからまれて、保安官に追われる羽目になる。山に逃れキャシー(サンディ・デニス)という若い女に出会い、家に匿ってもらう。ジェラード警部の追跡を逃れて山の上の廃坑に女はキンブルを連れていく。女は自分も町へつれていってほしいと懇願する。キンブルは君なら一人でも十分に生きていけると説得する。ジェラードと保安官が廃坑を入ってきた。女は道を土砂で埋めてキンブルを反対側の抜け道へと案内する。キャシーも自立して都会へと旅立つだろう。キンブルも果てしない孤独な旅が続く。米では第3話。初期の作品には演劇の舞台の脚本のような人生の苦悩が鮮明に描かれている内容が多い。その中でも本編はアメリカ社会の小さな一地方を舞台に閉山になった炭鉱、女性の自立をテーマに問題提起している。「逃亡者」をジェラード警部、片腕の男、キンブルの三者三様の追跡劇、アクションと見なす人は多いが、良質な部分はウイリアム・インジの戯曲「ピクニック」のような家庭劇にこそ深い味わいがある。

    キャシー役は日本でいえば、牧織江(「青春の門」)か。アメリカの大竹しのぶ・サンディ・デニス(1937-1992)は劇団出身で当時、若手演技派ナンバーワンだった。「バージニア・ウルフなんかこわくない」でアカデミー助演女優賞、ジャック・レモンと「おかしな夫婦」(71)で共演している。ほか「下り階段をのぼれ」(67)「今宵かぎりの恋」(68)「雨に濡れた舗道」(70)など名作映画が多い。

Photo_2 名女優サンディ・デニス

2010年5月 5日 (水)

頼経と頼嗣

   源頼朝の死後、狂躁無能な頼家、文学青年の実朝が将軍を継いだが、1219年、実朝が公暁によって暗殺され、源氏の正統は3代27年で断絶した。北条義時は親王を奉じて将軍に立てようと願ったが、後鳥羽上皇はこれを許さなかった。そこで頼朝の遠縁にあたる左大臣九条道家の子の頼経(1218-1256)を迎えることにした。大納言公経の孫で、頼朝の妹の曾孫に当たる。わずか2歳であった。実質的には北条政子が将軍といってよく、いわゆる尼将軍である。頼経は1256年、39歳で急死した。翌月には頼嗣も死去している。北条氏はつねに実権を握る体制を維持するために、承久より幕府滅亡に至る115年間に頼経、頼嗣2代の藤原将軍と宗尊、惟康、久明、守邦4代の親王将軍を送り迎え、北条氏の絶対的地位の確保を図った。

江戸の測量方たち

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    55歳の時から17年もかけて全国を歩き、精度の高い日本地図を作った伊能忠敬(1745-1818)のことはよく知られている。だが当時、各藩にも測量方という役職があり、伊能隊とも協力しあっていたという展示の企画が面白い。いま富山県の射水市新湊博物館で「伊能忠敬と地域の測量家たち」展が開催中。加賀藩に仕えた石黒信由(1760-1836)は「加越能三州郡分略絵図」を、岡崎三蔵(1742-1822)は「淡路国全図」を作成している。加賀藩、徳島藩の学芸が進んでいたことを物語る。

Photo_2 岡崎三蔵「淡路国全図」(岐阜県図書館所蔵)

漢の刑罰

 漢代の刑罰には、次のような種類があった。

死刑(梟首、要斬、棄市)
肉刑(宮 刖右趾 刖左趾 劓 黥)
髠刑(髠鉗城旦春)
完刑(完城旦春)
作刑(鬼薪 白粲 司寇作 罰作 復作)
贖刑
罰金
奪爵
除名
夷三族
徒遷刑
督刑
鞭杖刑
顧山刑
禁錮刑

    これらの正規の刑律の規定のほか、決事比(けつじひ)といわれるものがあった。現在でいう判例にあたるもので、成文法体系が未成熟なため決事比を引用して罪を決定することが多かった。漢の武帝時代には1万3472の数の決事比があったと「漢書刑法志」に記されている。

    髠刑(こんけい)とは髠(剃頭)・鉗(鉄の首枷)を施す5年の労役刑。完刑(かんけい)とは4年以下の軽罪。

  なお、このブログ記事で法律や医学に関わる事柄などなるべくならあいまいな記述になるので避けたいところである。しかしながら人の生き死に関わりのあること故、避けては通れないことでもある。門外漢であるため定めし間違いのあることをご容赦願いたい。

2010年5月 3日 (月)

本歌取り

    むかし野島伸司脚本のドラマで「人間失格」があったが、太宰治の遺族から抗議があったことから、第2話からタイトルを「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」と一部修正して放送した。村上春樹の小説「ノルウェイの森」はビートルズの楽曲と同名のタイトルであるし、現在放送中の北川悦吏子脚本の「素直になれなくて」はシカゴに同名の楽曲がある。これらはいわば和歌の世界でいう「本歌取り」に近いものであろうか。名作と同名のタイトルをつけることで、意識的に複雑な味わいを出す技法である。パクリとか盗用ではなく、誰もが知っていて堂々と劇中でも元ウタの話が登場することが多い。

    「人間失格」のケースは本当に同名のタイトルでは著作権侵害に当たるのか法的なことはわからない。遺族の主張が認められれば、自費出版などで過去に出した作品のタイトルと同名となった場合でも問題が派生するだろう。著作権は幼児の書いた絵でも登録しなくても発生するので判断は難しいが、小説などの題名は通常著作物としては保護されないことになっている。「人間・失格」の事例はクレームに対する過敏な反応であったのかもしれない。

    これとは別に商標制度というのがある。最近、大手パチンコメーカーが「ヒトラー」「リンカーン」「聖徳太子」「空海」「織田信長」などの歴史上の人物名を特許庁に商標出願したが「公序良俗に反する」などの理由で登録を拒絶されたという。しかしすでに「空海」「織田信長」など数件の登録商標はされているらしい。これらの話も専門家でないと詳しいことはわからない。

    上海万博PRソングが岡本真夜の「そのままの君でいて」と酷似している問題で、日本側のきわめて寛容な態度がかえってこれからも起こりうるであろう著作権問題を考えるとマズかったともいえる。元ウタが話題性を集めセールスに影響するという算盤ずくがあるようだが、音楽のパクリに寛容な姿勢はいただけない。引用と盗用の違いを見極めることが大切だろう。

2010年5月 2日 (日)

ベルギーのモンスと芸術家たち

Photo_3 ムーニエ「この人を見よ」

    画家ゴッホはボリナージュの炭鉱地帯に宣教師としてしばらく滞在していたのがベルギーのモンスという町。ブリュッセルの南西55㎞にある。1878年以降、ここを訪れたコンスタンタン・ムーニエ(1831ー1905)は、そこで働く悲惨な生活をおくる労働者をみて社会批判的な作品をテーマとした彫刻を制作する。炭鉱夫、製鉄工、人夫などの肉体労働者が多い。ムーニエはかつて日本でもロダンと同じくらいに知られた彫刻家だった。

あのスターは正義の味方?悪役?

    時代劇をみていて、大正3年生れの母親は市川百々之助、羅門光三郎らかつてのスターが脇にまわっていることに違和感を感じているらしい。そこで子供のケペルが「生涯脇はやらぬという大スターならいざ知らず、普通の俳優であれば加齢とともに脇にまわるのは宿命のようなものだろう」と人生の無常を説明した。

    脇でも悪役はしないという俳優もいる。「ウルトラセブン」の森次晃嗣はかつて正義の味方を演じ、子供たちのイメージを損なわぬため悪役はやらない俳優として知られる。だが脇役は数多くこなしてナンボで、生活の糧をえるため役を選ばないのは大方だろう。

    北原義郎や倉石征一郎ら二枚目俳優も後年、時代劇でキンキラの絹の羽織を着た悪役スターとなった。もともと主役で悪役となった俳優で最も個性的なのは、南原宏治ではないだろうか。南原はもともと東映のスターだったらしいが、五社協定を破ったため独立プロの作品に出演するようになった。「蟻の街のマリア」はその頃の作品。映画出演が減ったためテレビに出演。昨夜みた「無法松の一生」(昭和39年)はなかなかの珍品。脇の上田吉二郎、浜田寅彦、潮万太郎、中村是公、高橋とよ、南田洋子など演技派揃い。セピア色の画面がレトロ感を漂わす。辰巳柳太郎、阪東妻三郎、三船敏郎と名優が演じているが、南原の無法松もコミカルで現代的でいい。南原宏治という個性派俳優はもっと評価されてもいいと思うお気に入りのスターである。番組では柳澤慎一の軽妙な語りでの解説もある。

2010年5月 1日 (土)

荻原守衛没後百年

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    荻原守衛(1879-1910)ははじめアメリカに渡って絵画を勉強したが、その後さらにフランスに渡って、ロダンの「考える人」をみて深く感動し、彫刻に転向した。しかし、その活動期は日本に帰ってきてからのわずか数年間で、30歳の若さで急逝した。

    守衛の代表作「女」は、立膝で腕を後ろに組み、反り気味に上体をひねりながら顔を上向きにダイナミックなポーズで流れるような量感を表出している。このみずみずしい生命感は、彫刻が単に形だけをうつすものではないことを証明したものである。この像の顔は新宿中村屋の女主人の相馬黒光をうつしたものであるといわれている。この像は、近代彫刻として最初に指定された重要文化財である。明治43年4月22日、喀血し死亡。本年は守衛の没後百年にあたる。いま碌山美術館(長野県安曇野市)で5月23日まで「没後100年記念彫刻家荻原守衛新宿角筈アトリエ展」を開催中。

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