この30年で何が変ったのか
街をぶらぶらして、景観は以前と比べきれいになった。しかし賑わいや活気が無くなった気がする。瀬戸物屋、布団屋、牛乳屋、駄菓子屋、小学校の前の文房具店、貸本屋、古本屋などみかけなくなった。ポルノ映画のポスターや、ストリップ劇場もなくなった。
いま古本は在庫リストのデータ・ベース化で通信販売で買うらしい。これからは古書情報が一度に検索できるシステムを計画していて近いうちには、金さえ払えば絶版本や稀こう本も入手できる時代になるだろう。だが、街の古本屋はそんな掘り出し本をさがすためだけにあるのではない。古雑誌やマンガの半端本を10円で買って、暇つぶしに楽しむ若者もいるだろう。古書店と古本屋とは似て非なるものがある。広辞苑には定義されていないが、業界用語では古書店というのが正しい。古本屋は1人あるいは2人以上の持主により所有されたことのあるセカンド・ハンド・ブックを主に取り扱うが、古書店は出版後時日を経たオールド・ブックを扱う。古書店は江戸時代の和本もあるし、絶版の本も多いが高価商品である。古本屋は定価より半値以下の本が多い。ケペルの愛するのは古本屋である。古本屋でルポルタージュ小田橋弘之「君が代は微風にのって」(晩聲社、昭和58年)を買った。中曽根康弘の右傾化を中心に書いている。このころは「国旗及び国歌に関する法律」が制定されるとは予想していなかった。いま学校現場では式典に国歌斉唱、礼拝を拒否すればどんなことになるだろうか。礼拝とは神道の公式作法のひとつで上半身を45度に折るとある。エホバを信ずる者にとってはどうなんだろうか。法律とは強制力を持つものだ。本は年数を経て、はじめて意味をもつものであることがわかる。
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