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2010年4月 3日 (土)

遊女なくして「君が代」なし

    平成11年に「国旗及び国歌に関する法律」が施行されて以降、卒業式、入学式などの学校行事で「君が代」が歌われることも珍しくなくなった。明治26年に文部省が官報で小学校における祝日大祭日の儀式用唱歌の一つとして公布して以来百有余年の星霜を経て、ようやくにして不動の国歌となった観がある。大阪府庁の任命式でも新規採用の職員が君が代を唱和されたというニュースがあった。橋下知事いわく「思想の自由なんて言ってる場合じゃない」と。ところが戦後育った人間にはあまり学校や職場の式典で君が代を唱和した記憶がない。やはり唱和することで天皇に対する服従の誓約として歌わされることへの抵抗感が心底にあるからだろう。もちろん「君」を「自分が敬愛する人」ととるのか「国民統合の象徴」としてとるのか英訳にあるように「The Enperor」とするのか意見は分かれるだろう。いずれにせよ古歌謡「君が代」は天皇を寿ぐ祝い歌として広まったものであろう。「わがきみは千世にやちよにさざれいしのいわほとなりてこけりむすまで」鎌倉時代から室町時代にかけて白拍子という遊女によって歌い舞われたとある。「白拍子(しらひょうし)」、つまり「素拍子(しらびょうし)」の意であったが、やがて歌い舞うその人、そのものを指す言葉となった。芸能史としての白拍子は、もともと男性の巫(かんなぎ)が歌う習わしであったが、遊女の装いもそれにのっとって、男装となった。男装の麗人は、タカラヅカの男役のように見栄えのする最高のスターでなければさまにならない。都の「白拍子」は遊女でありながら、当時のスターだったようだ。だが絶大な人気を誇っても、所詮は遊女(あそびめ)であることには変りない。遊女の功なしくて君が代は無かった。旋律は異なるものの(現在の「君が代」は奥好義と林広季の作曲)、歌詞についてはほぼ同じ。遊女の歌い舞った古歌を21世紀の式典で再び甦らせるとは日本人とは珍妙なものである。

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