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2010年4月15日 (木)

これからの国語

    大学の文学部はふつう国文学科、英米文学科、仏文科、ロシア文学科、中国文学科、史学科というふうに分かれているところが多い。(これも昔の話で最近のことは知らない)。史学科が文学部の中にいれられることには昔から議論があると思うがここではおいておく。

     史学科は歴女という言葉が流行し、最近は女子のほうが多いだろうが、むかしは男子が多かった。しかし国文科はむかしも今も男子は少ない。女子100人に対し、男子10人いればいいほうだろう。高校の古典の文法でほとんどの男子は嫌いになるのだろう。だが戦前までは「万葉集」や「古事記」などを一生涯を賭けて研究する男子は多かった。古典的知識が教養の拠所だった。「撃ちてし止まん」など国民の間に国文学的知識がなければ通用しないだろう。だが大正半ば頃から知識人の間では西洋の知識を求めるほうが圧倒的に多くなった。文芸評論家として名をなした人も、フランス文学などを専攻した人が多くて、国文科は意外と少ない。しかし、国文学の基礎をきちっとしていないので、あとでボロがでてくる。例えば三島由紀夫研究をするならば国文学の勉強が必要である。小林秀雄にしても中村光夫にしてもフランス文学に傾倒しながら、最終的には日本文学に回帰するところが面白い。日本文学はそれだけ懐の深いところがあるのだろう。近年とくに国文学に本気で取り組む人が少なくなって国文学が軽視されているように感じられる。大学側の体質にも問題があると思う。もちろん就職に不利なのはわかるが、目先の金銭を度外視して、真の宝の山を見つけ出すのは愚かしいことではないと若い人にいいたい。

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