ピーター・フォークは3人目のコロンボだった
リチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクが刑事コロンボを構想したのは何時頃であったか明らかではない。嘗てのラジオの人気番組「エラリー・クイーンの冒険」(1939ー1948)の影響があるといわれるが日本人のわたしたちには真偽のほどはわからない。リンクは短編小説「DEAR CORPUS DELICTI」を書いた。二人はそれをテレビ用に脚色し、「ENOUGH ROPE」というタイトルで放送される。このとき生れたばかりのコロンボ刑事を演じたのは、バート・フリード(1903‐1977)という俳優だった。
その後、1962年「ENOUGH ROPE」は舞台化される。「殺人処方箋」の誕生である。犯人である精神科医を演じたのはジョゼフ・コットン。対するコロンボに抜擢されたのは、70歳前後のトーマス・ミッチェル(1892‐1962)だった。
数年後、レヴィンソン&リンクは、「刑事コロンボ」をテレビムーヴィーの企画として提案する。かくして「殺人処方箋」のテレビ化はスタートしたが、肝心のコロンボ役がなかなか決まらない。舞台でコロンボを演じたトーマス・ミッチェルは故人となっていた。ピーター・フォークの名も候補者に上がっていた。しかしコロンボは年輩の俳優が演じるべきと考えていたレヴィンソン&リンクは、リー・J・コッブとビング・クロスビーが有力だった。だがオファーは双方とも断わられる。一度は「若すぎる」ということで選に漏れたピーター・フォークの名が再浮上することになった。かくして3人目のコロンボ刑事ピーター・フォークが1967年に誕生した。
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