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2010年3月12日 (金)

木曽義高と大姫

   寿永2年3月、木曽義仲の長男である義高が、頼朝の娘・大姫の許婿となって鎌倉へやってきた。体のいい人質である。義高は、このとき11歳、大姫はまだ6歳である。ままごとのような夫婦だが、ずいぶんと仲睦まじく、微笑ましいふたりだった。このあたりの話はドラマ「草燃える」で丁寧に映像化している。

   ところが寿永3年1月、義仲は頼朝の追討軍によって、近江で討死した。このままでは義高の身が危ない。気配を感じた妻の北条政子は、義高を女装させて、女房たちが、皆、協力して屋敷から脱走させた。鎌倉街道を逃げた義高は、入間川のあたりで追っ手につかまり、藤内光澄に斬り殺された。

   大姫は嘆きのあまりすっかり心を閉ざしてしまった。「なぜ、あのようないたいけな子どもまでも」と政子は頼朝を激しく非難した。大姫はのちに20歳で、はかない生涯を終えるが、けっして他の縁談にうなずくことはなかったという。

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