恐ろしい強制連行の実態
第二次世界大戦中、日本政府は、中国侵略による戦線拡大の労働力不足を補うため、中国・朝鮮・台湾などアジア各地から強制的に日本に連行した。その数は1945年までに約150万人以上と考えられる。炭鉱をはじめ軍事施設、ダム、港湾などのはげしい肉体労働で酷使され、死亡者も続出した。逃亡などの抵抗は厳しく弾圧された。昭和20年6月30日の夜、秋田県花岡鉱山の中国人労働者850人は虐待に抗議して蜂起したが、付近の警察官や消防団員と戦闘、数日間に約420人が殺された。戦後調査され、その遺骨が収拾され恐ろしい強制連行の残虐性が明らかとなった。
「強制労働」という用語は当時なかった(徴用という)という論者もいる。教科書にも一部だが採用していないものがある。手許にある第一学習社の高校「日本史B」には「戦争の長期化により日本国内の労働力が不足してくると、これを補うために多数の朝鮮人を強制連行した。また戦局の悪化による兵力不足を補うため、1944年には朝鮮人に対して、徴兵制を実施した」とある。(321p)2004年度の大学入試センターの世界史の問題で「日本統治下の朝鮮で、第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」という出題が出された。法廷闘争の結果、強制連行という用語の出題は認められた。広辞苑にも「朝鮮人強制連行」「従軍慰安婦」の項目が記載されている。
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