死刑廃止と死刑存置
今夜NHK教育テレビETV特集「死刑囚・永山則夫・獄中28年間の対話」を観る。(昨年10月11日放送分)永山則夫は1997年8月1日午前死刑執行、享年48歳だった。千葉県の民家には今も永山の原稿、書簡1万5千通、書籍など膨大な遺品が眠る。一審死刑、二審無期懲役、最高裁死刑、と判決は一転、二転していく。永山は「無知の涙」で次のように記している。
私は発見した。自分の無知であった事を、そして、この発見はこの監獄での今の少しばかりの勉強の功であることもである。(中略)人間ゆえ、思考可能な人間ゆえ私は知ってしまった。知らなくてよいのではなく、唯知らなく、教えられないだけであった。囚人の私には極端に避けなければならない事であったかも。しかし生きていて良かったと思う本当に。私は若かった。しかしその青い怒りは当然の怒りだったのである。怒りは本物だった!
永山は獄中で和美さんと結婚する。初めてこの世に生をうけた喜びを感じたことであろう。また武田和夫のような支援者も現われた。しかしこの事件は死刑廃止か死刑存置かの問題となり、一切の情状酌量を排して高裁は一審の死刑判決を支持し、平成2年、最高裁は被告側の上告を棄却し、永山の死刑は確定した。二審のときの判決文に「死刑は慎重でなければならない。どの裁判所においても死刑が相当と認められるときのみに限定すべきである」という箇所が問題となった。永山裁判は結局、日本の裁判史において「生涯を贖罪にささげて生きる意味、罪を負った人間を裁くことの意味」を問う裁判でもあった。永山則夫を死刑執行したことが本当に妥当であったのか、刑罰よりも更正して贖罪に生きる人生を歩ませてやりたかった、という思いが強く残る。
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