画家とヌードモデル
「女優アルレッティの裸像」という大作の前で語りあう二人。パリ、ジョゼフ・バラ街のアトリエにて 1932年
「芸術の都パリ」この言葉はもう懐かしい響きとなってしまったが、パリが正真正銘、世界の芸術の中心地であった19世紀後半から20世紀前半、なかでもモンマルトル、モンパルナスには、世界中から画家、文学者などが集まり、議論を闘わせ新しい芸術を生み出そうとしていた。イタリアからモディリアーニが、ベラルーシからスーティンが、ポーランドからキスリング、オランダからヴァン・ドンゲン、日本からフジタが、ウクライナの出のシャガールも、すでにいち早く名声を得たスペインのピカソもここパリに集まってきた。エコール・ド・パリといわれた画家で最も知られている画家は、モディリアーニであるが、彼は1920年に突然亡くなった。やがてモイーズ・キスリング(1891-1953)が「モンパルナスの貴公子」といわれるほどパリの展覧会で成功を収め、その名声は高まった。キスリングの得意は裸婦だが、キキという有名なモデルもいた。舞台女優で有名なアルレッティ(1898-1992)のキスリングのヌードモデルになっている。2人は親密な関係だったのだろうか。一流の女優がヌードになるほど当時の画家の地位は高かった。そしてキスリングの周辺には当時まだ無名だが後には世界的に有名になった芸術家も多い。クレメーニュ、パパゾラ、ブランクーシ、マン・レイ、マルセル・デュシャン、ジャン・コクトー。見事成功を収める者、売れない絵描きのままで死んで、後に名声を得るもの。キスリングは南仏のサナリーに別荘を建て、妻と子と幸せな暮らしだった。1933年にはレジョン・ドヌール勲章を受賞している。ナチスに追われてアメリカに亡命するが、戦後フランスに帰国し、1950年には上級のレジョン・ドヌール勲章を受賞している。62歳で亡くなるが、生前に若くして世界的に名声を得たキスリングは稀な幸福な画家である。
« 恋人たちの場所 | トップページ | 世界史の概説に挑む »
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 画家土佐光則没す(1638年)(2023.01.16)
- 現代彫刻(2020.08.04)
- カナの婚礼(2019.11.24)
- ラ・ボエーム(2018.10.15)
- 上方の浮世絵(2018.09.01)
コメント