グルジア史
UNIT1.概観
北はカフカズ山脈の山上、東はアゼルバイジャンに、南はアルメニア、およびトルコに接し、西は黒海にのぞむグルジアは古くから東西交通の要衝に位置し、古文献にみえる。他民族の支配をうけたが、小国ながらも古代、中世には独立国を維持し、18世紀の一時期は完全な独立国家であった。19世紀の初めにロシア帝国に併合されたが、旧ソ連解体とともに、1991年4月、グルジア共和国として独立している。首都はドビリシ。
UNIT2.先史時代
トビリシ付近のトリアレティ遺跡から中期青銅器時代(前2千年紀中頃)の墳墓が発見されている。宝石細工の黄金の杯、銀製のバケツ形容器、彩文土器など。アナトリアの古代文化やギリシア文明との関連性がみられる。前10世紀頃は、コルヒダというギリシア植民地であった。ギリシア神話のアルゴ探検隊の話にも出てくる。
UNIT3.イベリア王国時代
前4世紀の終りには、地中海東部ではヘレニズム諸国の乱立に乗じて、前3世紀にはイベリア王国Iberiaが建国された。しかし前1世紀にはローマが黒海ンイからシリアにかけて、支配を拡大した。南部のアルメニア王国もローマと同盟し存続した。
UNIT4.中世イスラム時代
中世イスラム時代にグルズGruz、またはグルジGrijと称していたが、この地名が普及してグルジアGruziaとして周辺からも呼ばれていた。キリスト教は4世紀に入っているが、十字軍時代以前、グルジア帝国がキリスト教国であったか、イスラムであったかは調査中。11世紀にセルジュク・トルコに征服され、13世紀にはモンゴルの支配下にあった。15世紀にはチムールの封建諸侯のもとに分裂していた。首都はチフリスTiflis。18世紀にはトルコとペルシアの支配が弱まり、完全な統一国家として成立していたが、やがてロシアの勢力が南下してくる。
UNIT5.ロシア帝国、ソヴィエト連邦時代
1801年、ロシアがグルジアを併合し、その1州となった。言語、宗教などもロシア化がはかられたが、抵抗し続けた。帝政末期にメンシェビキによる運動で独立宣言をしたが失敗した。ボルシェビキを中心とするソヴィエト政権が成立してもグルジア支配は続いた。1936年、ソヴィエト連邦構成の共和国の一つとなった。
UNIT6.グルジア共和国
1991年グルジア共和国が誕生。初代大統領はガムサフルディア。1992年にシュワルナゼ大統領が就任。2004年にサカシュビリ大統領が就任。現在、南オセチアとアブハジアが実質的に独立状態にあり、これを承認するロシアとの間でグルジア問題が生まれ、グルジア・ロシアの国交は断絶状態となっている。(Georgia)
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