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2010年3月31日 (水)

英語のことわざ動物篇

Care killed the cat.

心配ごとは猫をも殺した(心配は身の毒)

When the cat's away,the mice will play.

猫がいないとねずみがのさばる(鬼のいぬ間の洗濯)

Let sleeping dogs lie. 

眠っている犬は寝かせておけ(寝た子をおこすな)

Love me,love my dog.

私を好きなら私の犬も愛して(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い)

Kill two birds with one stone.

一個の石で二羽の鳥を殺す(一石二鳥)

Bird of a feather  flock together.

同じ羽の鳥は群れをなす(類は類を呼ぶ)

A bird in the hand is worth two in the bush.

やぶにいる二羽の鳥を狙うより、すでに手に入れたこの一羽を大切にしろ(明日の百より今日の五十)

The early bird catches the worm.

早起きの鳥は虫を捕らえる(早起きは三文の得)

The ass in the lion's skin.

ライオンの毛皮を着たロバ(虎の威を借る狐)

フリーペーパーは情報満載

    鳩山首相は昨日、閣僚懇談会で、ゆうちょ銀行の預け入れ限度額を2千万円に引き上げることを決めたそうだ。やはり郵便局はもっとも国民に身近な施設だろう。「最寄の郵便局で」という常套フレーズからとったのか「モヨリノ」という郵便局の情報マガジンが2008年秋から現在、№7まで刊行されている。無料なのにヤフーオークションで100円から200円で売られているのには驚いた。アンジェラ・アキ、乙葉、川原亜矢子、渡辺満理奈、小池栄子、優香、高嶋ちさ子の巻頭インタビュー。それより書店に在ったフリーペーパー「Love書店!」は内容は充実している。鹿島茂「パリの本屋さん」など読物満載。「長嶋有のウットリ堂書店」ではサイン会の面白い話が書かれている。ファッションモデルの田中美保や杏が本を紹介しているのも若い人が興味をひきそうだしビジュアル的に楽しめる。

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春日雑詠

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   めっきり春らしくなった。このような季節には蘇軾「春夜」がふさわしい。

 春宵一刻 直千金

 花に清香有り 月に陰有り

 歌管 楼台 声細細

 鞦韆 院落 夜沈沈

容貌魁偉のスターは誰か?

    最近の映画やドラマなどであまりユニークに容貌の役者を見なくなったと感じるのは、ケペルだけだろうか。たとえば父親役が風間杜夫や三浦友和といった二枚目スターが脇役に甘んじて演じているのは淋しい気がする。古い時代の映画は実に奇妙な顔をした脇役(主役?)がいた。容貌魁偉といってしまうのはご本人には失礼だが、先ず思い浮かべる顔は、洋画ではフェルナンデル(1903-1971)、邦画では伊藤雄之助(1919-1980)だろうか。フェルナンデルは戦前からのスターだが、日本では戦後の「ドン・カミロ」シリーズで知られた。なんと世界三大喜劇人の一人(他はチャプリンとトト)2人とも馬面だ。

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   フェルナンデル

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   映画「粘土のお面」伊藤雄之助(右)

正直サム

  No good deed goes unpunished.

   良いことばかりしている人は、もれなくひどい目に遭う。つまり、「正直者は馬鹿を見る」といわけだ。「逃亡者」第104話。「ジェラードを殺せ」で、ギャングの愛人はキンブルのことを「あなたって煮ても焼いても食えない人ネェ」といい「正直サム」と呼んだ。こんな2人の会話が効いている。元殺し屋だったギャングの親分はキンブルに命を助けられた。彼は恩を返そうとジェラード警部を殺そうとする。それを知ったキンブルは自らの危険を顧みず、ジェラードを助け出す。

    ところでアメリカ英語ではサム(Sam)というありふれた名前は、「善人」とか「正直者」という代名詞になっているのだろうか。むかし、ゲーリー・クーパーで「善人サム」という映画がある。

口にだしたくなる四字熟語

乾坤一擲

  乾は天で、坤は地。いちかばちかの大決心をする場合に用いもる。

臥薪嘗胆

  目的達成のため、つらい思いを重ねること。

刻苦勉励

  苦労を重ねて、勉学に励むこと。

単騎独行

  自分だけで行くこと。

沈思黙考

  落ち着いてよく考えること

切磋琢磨

  互いに励まし合って進歩向上を図ること。

濫淫漁色

  情欲におぼれること。

2010年3月30日 (火)

イムジン河

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   イムジン河は韓国と北朝鮮を分断する軍事境界線となっている。川の両岸にある非武装地帯(DMZ)は鉄条網のフェンスが張りめぐらされ、軍の歩哨が立ち並ぶ。1945年、日本の植民地支配からの解放直後、朝鮮半島には米ソ両軍が進駐した。そこから南北分断の悲劇が始まる。1953年の板門店で休戦成立後も、1968年の北朝鮮武装ゲリラによる青瓦台襲撃未遂事件、1983年のラングーン爆弾テロ事件、1987年の大韓航空機爆破事件など発生。2000年の南北朝鮮首脳初会談後も未だ朝鮮半島分断の悲劇は続いている。日本政府の北朝鮮制裁も継続される見通しだ。だが政府の立場と一個人は同じでなくてもいい。「圧力より対話」と言って脱会した蓮池透さんを支持したい。南北統一を祈願する。

髭なき青二才

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ハリウッドスターのノアー・エメリットのナチュラルな髭

  フランスには「汝、ひげなき者」という言葉がある。「地位のない者」「青二才」という意味で使われている。髭をたくわえるという心理には、自己顕示、自己隠蔽、虚栄心、ヒステリー症状、臆病の代償反応、とする説がある。しかし、髭の心理学的解釈はまだ未解決の問題である。1960年代後半から若者の間で髭、長髪は自由と平和、反体制の意志表示でもあった。髪や髭を剃るという行為は、体制への屈服を意味した。「♪就職が決まって、髪を切ってきたとき、もう若くないさと、君に言い訳したね」と自嘲気味に歌ったもんだ。小笠原道太が日本ハムから巨人に移籍の際、トレードマークの髪と髭をバッサリ落としたとき、日本男子が体制側に屈し、全体主義国家が出現したといえば大袈裟かな。ところが先日、変凡な一サラリーマンが髭裁判で勝訴した。当たり前だけど、清潔に手入れされた髪や髭であれば、会社はそこまで干渉する権利はないと思う。もし、これが敗訴だったら、ムダ毛や剃り残しの毛まで干渉されて、際限なき管理社会が進むだろう。

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   長い人類の歴史をみれば、無髭と有髭時代が交互にやってくる。だいたいにおいて古代社会は男子は髭をたくわえる一般成人の普通の姿だった。老人はとくに長い髭をたくわえる。秦始皇帝兵馬俑坑から出土した写実的な兵士の陶俑には豊かな髭がたくわえられているものが多い。古代エジプトでは体毛は不浄とされ、髪も短く刈るか完全に剃り、カツラをかぶっていた。ローマ帝国も髭を剃り落とすのが一般的だった。シーザーもアウグストゥスも髭がない。古代ローマでは、髭は罪人の標識とされた。反ユダヤも影響している。ユダヤ人は髭をはやす。旧約聖書の怪力サムソンの話では髪の毛は「生命のシンボル」だった。そしてイエス・キリストの肖像には髭がたくわえられるのが一般的である。イエスに髭があるということは、キリスト社会に男子が髭をはやすことは当然、流行るであろう。欧米では基本的には有髭時代が長く続いた。日本では江戸時代は、髭を剃刀でそり落すのが一般的であった。明治になって、欧米の風習をまねて、髭をはやすのが流行した。軍人はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世をまねたカイゼル髭が流行った。戦前まで政治家をみても有髭は多い。現代は無髭の時代である。それはビジネスとも関係している。若者向けの広告。「女の子はココを見ている。腕や脚・脛のムダ毛。これだけは絶対にNG。女子はみんなそうだと思うけど、どんなに性格がよくても清潔感ゼロの男子はムリ!判断基準はヒゲと腕の毛かな。モテたいならまずそこを何とかしないとね」除毛剤の広告だ。剃り残しの無いツルツルお肌がいいというのは、韓流スターやジャニーズのイケ面ブームによるものかも知れないが、首をかしげたくなる流行だ。男性の魅力は野性美。長嶋茂雄や朝潮太郎、デビッド・ジャンセン、バート・レイノルズ、ショーン・コネリーの胸毛に憧れた日本男性は多かったはずだ。髭や胸毛などは過去のものなのか。「スクリーン」という洋画雑誌を見る限りでは、欧米はまだまだ髭は男性のチャームポイントになっている。だから日本に在住する外国人は肩身の狭い思いをしながら生活しているらしく、髭をはやした日本人に出会うとホッとするという。無髭は日本、韓国、中国、台湾などアジアでの流行りなのだろう。過敏な除毛などはかえって健康に悪影響があると思うのだがビジネスへの配慮もあってあまり聞いたことはない。自然な体毛に祝福あれ!

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2010年3月29日 (月)

中国史 20

UNIT20.東漢の統一

光武帝 後25年、漢の一族の劉秀が豪族の支持で漢室を再興。赤眉の乱平定。都洛陽。後57年、倭の奴国が朝貢、印綬を授く(後漢書東夷伝) 満州の夫余・高句麗の朝貢。

班超の西域経営 北匈奴を討伐。4代・和帝より西域都護に任ぜられ、50余国を服属させて最大領土を現出(カスピ海以東) 部下甘英は大秦国(ローマ)に使いし、シリアにいたる。

ローマ皇帝の使者訪中 大秦王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニヌス)の使者が166年海路で来朝。

歴史用語、現代用語あれこれ

   手許にある扶桑社の「新しい歴史教科書」には、「このような徴用や徴兵などは、植民地でも行われ、朝鮮や台湾の多くの人々にさまざまな犠牲や苦しみをしいることになった。このほかにも、多数の朝鮮人や占領下の中国人が、日本の鉱山などに連れてこられて、きびしい条件のもとで動かされた。また朝鮮や台湾では、日本人に同化させる皇民化政策が強められ、日本式の姓名を名乗られることなどが進められた」とある。(284p)ここの表現では一般の多くの教科書で採用されている「強制連行」や「創氏改名」が意図的に記載されていない。大学試験問題に「強制連行」という語が使われたことで、無効の訴えをでた団体もあるが、退けられている。歴史ブログを記述するときは、用語の使用には注意が必要であるが、さまざまな立場の人からの指摘はある程度やむをえないのかな、と思っている。

   「太平洋戦争」でさえ、「大東亜戦争」とする人がいる。扶桑社の教科書でも、「日本の戦争目的は、自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして大東亜共栄圏を建設することであると宣言した」と主張している。つまり戦争の正当性を表す用語として強弁するのである。「侵略・侵入」もよく論議になる。国連で「侵略の定義に関する決議」というのがあり、それは宣戦布告の有無にかかわらず、他国の領土への侵入、占領、併合、封鎖、武装集団、傭兵の派遣その他を侵略行為とみなしている。先の日本の行為を自衛戦争とか侵略は無かったというのは明らかに欺瞞であろう。昭和12年の南京事件に関しても犠牲者数は確定できないものの、相当多数の市民や兵士が殺害されたことは事実であろう。歴史教科書が教育課程・指導要領に即しているとはいえ、編集者の立場や意識の相違によって、取り扱われる用語は異なる。当時の一般人が使用していた言葉よりも、後世の者が十分な資料をもとに検証を重ねてふさわしいという用語を創出していくものと考えている。

    たとえばシルクロード(絹の道)などという言葉は当時、誰も使用した言葉ではない。中国特産の絹が洛陽・長安から中国西北部・東西トルキスタン・イラン高原北部・メソポタミア・地中海東岸を結んだ東西交通路をドイツの地理学者リヒトフォーフェンが呼んだものである。世界史用語にはこのような造語に重要な用語が多い。「オリエント」、「中世封建社会」、「ルネサンス」、「絶対主義」、「近代市民社会」、「自由主義と国民主義」、「帝国主義」、「全体主義」、「ファシズム」、「民主主義」、「国際協調」などなど。こうした基本用語とは別に現代社会には欺瞞に満ちた名称が氾濫している。「民主党」は民主勢力とは思えないし、「動物愛護センター」は不用になった犬・猫を処分するところであるし、「図書館」という所は本を保存するところではなくて、5万冊購入したら、5万冊廃棄する所である。「幸福指数」という名の不幸指数。「徴用」という名の強制連行。「エコ○○」という環境破壊。この世は欺瞞に満ちた社会である。

「ゲゲゲの女房」はオモシロそうだ

   いよいよ今日からNHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」がスタート。武良布枝「ゲゲゲの女房、人生は終わりよければ、すべてよし」という漫画家・水木しげるの妻のエッセイが原作。水木は戦争中ラバウルでマラリアで伏せっているところを空爆を受けて左腕を失った。ふたりが結婚したのは茂39歳、布枝29歳のとき。ドラマ初回は、布美枝が7歳のときから始まる。おとなしい性格のため大家族の中では目立たない存在である。おどおどした少女を菊池和澄(きくちあすみ)ちゃんがとても可愛く演じている。大杉漣、古手川祐子、風間杜夫、竹下景子、有森也美、松阪慶子、村上弘明と超豪華な脇役陣だ。布枝さんの話では「向井さんは、眼鏡をかけて、ちょっとだぶっとしたセーターを着ると、不思議なことに、あの頃の水木によく似ているのんです」と語っている。なるほど、若い頃の水木さんの面影がある。ヒロインの松下奈緒は映画「砂時計」をみた。夏帆が主役の映画みたいでちょっとかわいそうだった。「ウェルかめ」の倉科カナも映画に出ていた。「つばさ」「ウェルかめ」と川越、徳島と地域が全面にでていたが、今回は舞台が東京中心になるだろう。もちろん境港や安来も描かれているが、やはり調布が主な舞台だろう。

    主題歌はいきものがかり「ありがとう」朝から吉岡聖恵の元気な歌声を聞くと幸せな気分になる。

中国史 19

UNIT19.王莽の簒奪

新王朝 外戚の王莽が漢の帝位を奪い新を建国

尚古的理想主義 周の封建制を理想とする復古主義 土地の国有化 奴隷の売買の禁止

反乱 豪族・商人の反抗 匈奴征討の失敗から周辺諸国の反乱 赤眉の乱を機に全国的反乱が起こる わずか15年で滅ぶ

2010年3月28日 (日)

1945年の朝鮮駅名抄

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   韓国ドラマ「クッキ」の少女時代は日本の朝鮮統治下時代の海州が舞台。海州は現在は北朝鮮にあり、平壌から南に約100㎞に位置する黄海南道(ファンへナムド)の道都。クッキとシニョンは汽車で京城(ソウル)に向かう。ドラマをよく見ると駅に運賃表が貼られていた。京城まで15円10銭(約160㎞)。一方、当時の日本の運賃、新橋ー大阪間(約550㎞)の鉄道旅客運賃は15円50銭。当時の朝鮮半島の物価が日本に比べいかに高いかがわかる。

京城       けいじょう
西小門  せいしょうもん
阿峴里  あけんり
新村    しんそん
水色    すいしょく
花田    かでん

陵谷    りょうこく
一山    いちざん
金村    きんそん
汶山    ぶんざん
臨津江  りんしんこう(イムジン河のこと)
長湍    ちょうたん
鳳東    ほうとう
開城    かいじょう
土城    どじょう
礼成江  れいせいこう
星湖    せいこ
白川温泉 はくせんおんせん
紅峴    こうけん

無仇    むきゅう
延安温泉 えんあんおんせん
延安    えんあん
鳳西    ほうせい
楓川    ふうせん
天台    てんだい
深桂    しんけい
青丹    せいたん
来城    らいじょう
泉決    せんけつ
迎陽    げいよう
東海州   ひがしかいしゅう
海州    かいしゅう

恐ろしい強制連行の実態

Img_0026 花岡鉱山事件

   第二次世界大戦中、日本政府は、中国侵略による戦線拡大の労働力不足を補うため、中国・朝鮮・台湾などアジア各地から強制的に日本に連行した。その数は1945年までに約150万人以上と考えられる。炭鉱をはじめ軍事施設、ダム、港湾などのはげしい肉体労働で酷使され、死亡者も続出した。逃亡などの抵抗は厳しく弾圧された。昭和20年6月30日の夜、秋田県花岡鉱山の中国人労働者850人は虐待に抗議して蜂起したが、付近の警察官や消防団員と戦闘、数日間に約420人が殺された。戦後調査され、その遺骨が収拾され恐ろしい強制連行の残虐性が明らかとなった。

   「強制労働」という用語は当時なかった(徴用という)という論者もいる。教科書にも一部だが採用していないものがある。手許にある第一学習社の高校「日本史B」には「戦争の長期化により日本国内の労働力が不足してくると、これを補うために多数の朝鮮人を強制連行した。また戦局の悪化による兵力不足を補うため、1944年には朝鮮人に対して、徴兵制を実施した」とある。(321p)2004年度の大学入試センターの世界史の問題で「日本統治下の朝鮮で、第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」という出題が出された。法廷闘争の結果、強制連行という用語の出題は認められた。広辞苑にも「朝鮮人強制連行」「従軍慰安婦」の項目が記載されている。

美しい日本人、醜い日本人

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                      春

     野ゆき山ゆき海辺ゆき

     真ひるの丘べ花を藉き

     つぶらな瞳の君ゆえに

     うれひは青し空よりも

                            佐藤春夫「少年の日」

   青年というのはいつの時代も美しいものである。だが今の日本という国は明治のような青年国家ではなく、ケペルのような退職者がいっぱいいる老人国家である。平均寿命が延びて人口高齢化の傾向が進み出したこと、核家族化に伴い老人介護の問題がでてきたこと、これらのために公的な老人福祉政策が打ち出されてきた。ところがお年寄りを大切にとブログに書くと、ずいぶんと叱られた。コメントは現代の棄老政策を唱えている。ブロガーの方は同様のことを他のブログのコメントにも書き込んでいる。このブログの基本姿勢として一つの意見として尊重し削除はしない方針である。もちろん賛同するわけではない。まるで路傍で「目があった」と言いがかりをつけられ、ナイフで切られたような感じがする。匿名性のコメント欄は礼儀やマナーがないのだろう。醜い日本人をかいまみた。昨夜のボクシング、亀田興毅の父親も醜い。試合後、大声で怒鳴りちらしたという。ボンサクレックは「6年前に会ったときはマナーが悪く、外国人でなければ殴っていた。今日は礼儀正しかった。これからはみんなファンになってくれる」というコメントには、タイ人に1本やられたと思う。素行や行儀の悪い日本人は世界で知られているのだろう。少なくとも戦後の日本人はみな美しかった。ファイティング原田がタイのポーン・キングピッチを破った試合はその果敢な奮闘ぶりにみな熱狂したのだ。1日1ドルで放浪した「何んでも見てやろう」の小田実、太平洋単独横断に成功したヨットの堀江謙一、タクト1本で世界を渡った指揮者の小沢征爾、みんな爽やかですがすがしい青年だった。かつての清々しい青年もみんな年をとった。石原慎太郎など若い世代の代弁者だったがみる影もない。青年は老いる。思考も衰える。長期化する不況のしわ寄せが社会的な弱者に向けられる。ブロガーの棄老政策もそうだろう。北朝鮮への強硬外交で在日朝鮮人への差別もその一環であろう。ナチスのユダヤ人狩りや50年代のジョゼフ・レイモンド・マッカーシー(1908-1957)上院議員の赤狩りに似ている。大衆を扇動するデマゴギーが現われる。橋下徹や中井洽もデマゴーグ(扇動政治家)タイプである。そんな醜い日本人ばかりではない。浅田真央は1ヵ月前に苦杯を味わいながらも、世界選手権で優勝した。金メダルより価値があると思う。よほどの精神力がないと、短期間で雪辱などできるものではない。美しい日本人だけを見ることにしょう。

2010年3月27日 (土)

満鉄の駅名抄

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  日本人の満州移民は日露戦争後から小規模な農業移民はあったが、大規模になったのは昭和6年の満州事変以後である。満州国の領域は奉天、吉林、黒竜江の3省に、昭和8年以降、熱河省を加え、昭和18年に新京特別市と19省(吉林、竜江、北安、黒河、三江、東安、牡丹江、浜江、間島、通化、安東、奉天、四平、錦州、熱河、興安西、興安南、興安東、興安北)に分けられた。南満州鉄道の初代総裁・後藤新平(在任期間明治39年11年13日~明治41年7月14日)は、鉄道経営によって大量の日本人移民を満州に送り込み、将来、この地に対する日本の主権を中国に認めさせるねらいがあった。明治39年に南満州鉄道株式会社を設立するにあたって、児玉源太郎は満州経営の成功の要件として、第一に鉄道、第二に炭鉱、第三に移民、第四に牧畜諸農業といっている。だがこれまで戦前外地の鉄道地図など詳しいことはなかなか一般書ではわからなかった。最近、新潮社から「日本鉄道旅行地図帳」として「満州樺太」と「朝鮮台湾」が刊行された。時刻表や駅名などがわかり便利である。

   日本本土の3.5倍の広大な領域を有する満州なので、駅数も多い。とりあえず、大連から新京までの連京線の主な駅名を記す。

大連      だいれん 
沙河口    さかこう
周水子    しゅうすいし
南関嶺    なんかんれい
大房身    だいぼうしん
金州      きんしゅう
三十里堡   さんじゅうりほ
石河      せっか
普蘭店     ふらんてん
瓦房店     がぼうてん
得利寺     とくりじ
松樹      しょうじゅ
万家嶺     まんかれい
許家屯     きょかとん
熊岳城     ゆうがくじょう
蘆家屯     ろかとん
沙崗      さこう
蓋平      がいへい
太平山     たいへいざん
大石橋     だいせっきょう
分水       ぶんすい
海城      かいじょう
南台      なんだい
湯崗子     とうこうし
千山       せんざん
鞍山       あんざん
立山       りつざん
遼陽       りょうよう
張台子     ちょうだいし
沙河       さか
蘇家屯     そかとん
渾河       こんが 
奉天       ほうてん 
虎石台     こせきだい
新台子     しんだいし
乱石山     らんせきざん
鉄嶺       てつれい
平頂堡     へいちょうほ
中固       ちゅうこ

開原       かいげん
金溝子     きんこうし
馬仲河     ばちゅうが
昌図       しょうと
泉頭       せんとう

双廟子     そうびょうし
虻牛哨     ぼうぎゅうしょう
四平       しへい
十家堡     じっかほう
郭家店     かくかてん
大楡樹     だいゆじゅ
公主嶺     こうしゅれい
劉房子     りゅうぼうし
范家屯     はんかとん
大屯       だいとん
孟家屯     もうかとん
新京       しんきょう

鉄嶺は東海林太郎が図書館館長をしていたところ

年をとっても学び続ける

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  今の日本の高齢者は「もう死を待つばかりだ。人生の経験は全部した。もういかに楽に死ぬかを考える」という人が比較的多いのです。しかしオランダでは「これからあなたの本当の人生が始まるのです。さあがんばりましょう」という考え方が浸透しています。われわれは年をとっても、それをハンディとして受けとめるか、豊かな人生を経験知として受け止めるかで、異なります。つまり前向きに考えるか、後ろ向きに考えるかの違いです。いかに長寿社会といっても、寝たきりのまま200歳まで生きようとは誰も思わないでしょう。健康で幸せだから長生きしたとい思うのです。人間はよい意味でも、悪い意味でも成長の生き物です。でも蓄財や権勢などの欲望はいくら求めても際限ありません。むしろ、年が長ずると、経験が豊かになり、いままで若いころに読んでも意味を本当に理解できなかったことが、理解できるようになることがしばしばあります。年をとっても一生学び続けることが大切だと思います。若いときの勉強は受験に合格するとか、昇進するとか、結果を求めていたと思います。老人の学問は名利を求めるものではありません。「ミネルヴァの梟は夜はばたく」というヘーゲルの言葉のように、真理の探究は年老いてから可能になると思います。

中国史 18

UNIT18.西漢の衰退期

宦官と外戚の争い 元帝・成帝になると、宮廷内では宦官と外戚が権力を争うようになり、皇帝の権威は急速に衰える。

地方豪族の台頭 農民は没落して豪族の奴隷となる。

讖緯説の流行 陰陽五行思想と儒家官僚が進出

王莽の出現 王氏は元帝の皇后となった王皇后の外戚として台頭した。

中国史 17

UNIT17.昭帝・宣帝期 

霍光の専横 昭帝・宣帝の二代にわたって大司馬大将軍の霍光が権勢を振るった。

塩鉄論争 塩鉄専制に関する肯定派と否定派との間に激しい論争が展開され、桓寛が「塩鉄論」を著わした。

社会不安 外征による財政難打開のたる重税を課す。大土地所有が進行し、農民は没落して豪族の奴隷となる。

命の尊さを知る

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   新しい医学の進歩は、治療だけにとどまらず、これまで治る見込みがない難病でさえ、全快するようになる場合がある。医学はどんどん進歩している。つらい病気でも明るく希望をもって生きることが人間にとって大切だと思っている。医師という崇高な職業がある。ヒポクラテスはギリシアの神々の名にかけて、医学に生涯をささげ、自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない、また不正を犯すことなく、医術を行う、なとどとした誓いを宣誓した。これは「ヒポクラテスの誓い」としてアメリカではすべての医学校の卒業式に誓われている。ドラマ「逃亡者」のリチャード・キンブルもいかなる状況にあっても、この誓いを忘れることはなかった。真犯人の片腕の男フレッド・ジョンソンやジェラード警部でさえ治療している。わが身の危険を知りながら、病人や怪我人を見捨てることはなかった。キンブルの行為は医療倫理に基づくものであるが、人としてのあるべき姿をわれわれに教えてくれるように思う。汝の敵を愛せよ。命の尊さこそ倫理の基本である。

セも開幕

    開幕試合に負けたからといって優勝しない、ということはない。むしろ開幕をおとしたチームがよく優勝している。だがやはり開幕試合は特別な意味がある。阪神は城島の加入でチームのムードは大きく変った。打線に厚みとつながりがでてきた。巨人も高橋の復帰でさらに強力打線。不安はクルーンのスピードがないことか。内海にエースの自覚がでてきた。勝利インタビューで「20勝します」と言っていたのには少し驚いた。いまから阪神、巨人戦が楽しみだ。

2010年3月26日 (金)

脅迫状で言論封殺

    兵庫県井戸敏三知事は16日「高校無償化は拉致問題と引き換えにするような事柄ではない」と述べ、授業料補助の対象に朝鮮学校も含める方針を表明した。今日の新聞によれば、その後23日に薬莢と脅迫状が、26日には神戸の朝鮮学校にナイフの刃と脅迫状が郵送されたことが県警の発表で明らかにされた。如何なる団体が脅迫状を作成し言論封殺をしているのかわからない。政府の方針に楯て突く者は殺すという卑劣な脅しである。黒幕が政府・民主党とは言わないまでも、下部組織、つまり右翼団体など国家主義者の組織は常に国の命令に反するものは殺すという闇の警察気取りでいる。日本の黒い政府といえる。この組織を元気づけた張本人は、中井哈や橋下徹であることはいうまでもない。拉致問題や北朝鮮バッシングをすれば人気を得ることができるからだ。だがこのような状況は北朝鮮との関係だけでなく、韓国はもとより、世界からも日本の政治への信頼を失ないかねない状況になりつつあることが理解できないらしい。無償化問題を8月まで先延ばししたことで、問題が長期化し、一般民間人の被害が出ないことを祈る。かって1994年に列車内などで民族服チョゴリが切り裂かれるというチョゴリ切り裂き事件が12件あった。ネットでの差別発言や暴行などあとを絶たないが、政治的な措置が発端で事件が拡大化していくことが許せない。

2010年3月25日 (木)

野村になれなかった名監督

    センバツ一回戦敗退の弁で責任をとり、開皇(鳥取)の野々村直通監督が辞任した。「向陽や21世紀枠制度を侮辱、批判するつもりはなかった」だろう。試合直後の高揚した心境で口が滑ったのだ。「敗軍の将、兵を語らず」というが、「弱いから負けた」とボヤく野村克也になるにはまだまだ修行が足りないか。

    それよりも、冬季の国母和宏のときも同様だが、クレームや抗議をする人たちはどのような人なのだろう。向陽や高野連の関係者ではない、何のかかわりのない人たちだろう。被害当事者でなく、感情論で野次馬がウヨウヨたかり、それをマスコミが煽る。このような歪んだネット社会の構図のほうが問題だ。政治家の言動を批判したり、政策を批判するのは国民として正当な意見を言うのは当然、認められるが、一般人の多少のミスを集団ヒステリーのようにバッシングする日本人がとても醜い。

民族教育を尊重すべし

    高校無償化をめぐる問題で日本政府の在日朝鮮人への差別の実態が明らかになった。政府は朝鮮学校に対して民族教育を認めないとした昭和40年の通達を撤回すべきである。いまや外国人が自国語を学ぶことなど民族的アイデンティティを尊重することは、国家としては当然のことである。JRの定期券割引差別事件や高野連などのスポーツ大会も参加できるようになり少しは改善されるようになった。これらの人権侵害を除去し、社会差別のない国になってほしいと願っている。いま外国籍の弁護士が調停委員になれないことに対して改善することが求められている。日本籍であろうと外国籍であろうと、同等の待遇を与える社会の実現をめざすべきだろう。政治的な理由で差別してはいけない。今日発売の週刊誌で民主党の中井洽国家公案委員長の女性スキャンダルが出ている。議員宿舎をラブホテル代わりに使っているという。本人は「俺は独身。問題はない」としているが、もし、女性が他国の工作員やスパイだったら、国家の一大事となるのに本人は何もわかっていないようだ。この中井は拉致問題担当であり、今回の朝鮮学校除外の強硬論の張本人である。政治権力で人権侵害をするエロ政治家はやはり自ら墓穴を掘って自滅する。

2010年3月24日 (水)

楚漢抗争と漢王朝の成立

鴻門の会 前206年12月、項羽は咸陽に入城したが、既に劉邦が陥れていた。劉邦は項羽100万の大軍に恐れて鴻門に入り謝罪する。項羽の謀将范増はこの機に劉邦を殺そうと図ったが、部下の張良と樊噲によって劉邦は危うく逃れることができた。

十八王の分封 項羽は西楚覇王、劉邦は漢王となる。

垓下の戦と漢の成立  漢の臣下韓信は、斉の都の臨菑を陥落させた。斉王韓信、漢王劉邦は項羽を垓下に包囲する。前202項羽は年に項羽を敗死せしめて中国を統一し、諸侯は漢王を挙げて皇帝とした。これがすなわち漢の高祖であり、ここに漢王朝が誕生する。

児童ポルノ規制と読書の自由

    東京都が18歳未満と判断される架空の人物の性描写を規制対象とする青少年健全育成条例の改正案を都議会に提出している。刺激的な性的描写のある漫画キャラが氾濫していことが背景にある。「児童ポルノのはんらんをはじめ、青少年をみだりに性の対象として扱う風潮を見逃せない」と元太陽族、作家の石原慎太郎が都議会で説明しているが、これほど矛盾する言動を平気でとる人も珍しい。たぶんポルノの規制はどんなに論議をつくしても基準が個人によって異なり、曖昧なものになるだろう。たとえば18歳に満たない架空のキャラクターの性描写はダメというのは大きな基準の一つだが、流石景の「GE~グッドエンディング」はどうなるの。ちょうど今週号「少年マガジン」は巻頭カラー。黒川雪、池谷昌、大沼リサが下着姿でベッドに横たわっている図柄。おそらくPTAの委員や児童ポルノ規制を推進派はこれをみて、けしんらことだ、というだろう。前後のストーリーなどは知らないでも、漫画はある意味で即物性、視覚性の芸術だから、エロい、と直感的に判断されると、開架室にあるのを見てクレームする。「これは児童ポルノだ。すぐ撤去しなければ、条例違反だ」と脅かされる。だが、このような小さな読書室にも「読書の自由」を守るという責任があるので、たとえ一個人からのクレームがあったとしても、すぐ開架から撤去したりはしない。(ピノキオ事件などの事例)雑誌などの場合、多数の作品が収録しているので、他の作品を継続する人の「読書の自由」を奪うことにもなる。そして当該作品がポルノであると認定を誰が、どういう基準でするのか、という具体的な過程が問題となる。問題の絵柄、黒川は高校生なのでおそらく18歳未満だろう。入浴シーン、胸の谷間、肢体など性を強調する絵柄は毎回、サービスのようにいれてくれる。描写は精緻のきわみ、パンティーストッキングのデンセンまで描かれている。ストーリーは草食系男子の内海は勇気を出して黒川に告白したが、恋は実らず、気まずい距離感にある。そんなとき、かつて恋した晶先輩が健人の浮気現場に遭遇する。内海は「晶先輩に謝れ」と、いつにない強気で迫るところで今週は終った。(いいぞ内海、成長したゾ)ドラマチックな展開、心が揺さぶられるセリフの数々、多角的アングルからの精緻な描写、すくなくとも石原慎太郎の小説よりは遼に芸術性は高い。ビルディング・ロマンスというのが外国にはあるが、これは草食系男子が成長して、恋に悩みながらも一人前の男子になる物語が骨子で、その成長過程に女性の心を理解しようとする誠実な会話が随所にみられる。もちろん思春期の物語なので当然、若い女の子が登場し、風呂に入れば、着替えもする。当たり前の場面が描かれているにすぎない。作家の流石景はエロを売り物にする漫画家ではなく、むしろ言葉や心理を大切にする作家であり、おどろくほど有望な新人である。遠近法を駆使した北斎のような浮世絵師の伝統が日本に生きづいていることを感じる。日活ロマンポルノの中から新しい自由な表現が生まれたように、映画、漫画などの視覚メディアの無定見な規制は芸術の破壊行為である。そもそもセックスは人間の深層心理に内在する問題だけに文学その他の芸術では抽象的に表現されるが、映画・アニメ・漫画の世界では自然に容赦ない具象的な表現は必然性をともなう。

スイートピー

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    スイートピーは17世紀シチリア島で発見され、その後イギリス王室で愛され、品種も多彩になった。松田聖子の「赤いスイートピー」は結婚式ソングの定番。実はスイートピーの花言葉は「別離」

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2010年3月22日 (月)

中国史 13

UNIT.13  秦の滅亡

始皇帝の死 前210年、東方巡幸の途中、沙丘の平台で病没。享年50歳。暗愚な胡亥が継ぐと、農民反乱が起こった。

兵馬俑坑 1974年、皇帝の死後の軍隊ともいえる兵や軍馬の俑がおさめられた坑が発見された。坑は4つあり、1号坑だけで6000体をこえる俑がある。ただこの坑が始皇帝のものだとする文献的な証拠はまだ発見されていない。

陳勝・呉広の乱 前209年、農民反乱が各地で起こり、旧六国の遺臣も挙兵した。前206年、咸陽は劉邦によって落とされ、項羽によって滅ぼされた。

滅亡の原因 あまりに急激な改革は、人民の反感を高め、外征や長城の修築などが負担となり、人民の苦しみは極点に達し反乱が起こった。

option 中国史上における秦の重要性を述べよ

   秦の治世はわずか15年に過ぎなかったが、その天下統一の歴史的意義は大きい。中国4000年の歴史というが、秦はほぼ半ばに位置し、中国史を二分している。「先秦」という言葉が、中国では使われるが、秦以前と秦以後とを明確にへだてる史観の表れである。

第1の業績は全国統一にあるが、最大領域は今日の中国の領土に近い。秦の時代に中国民族の居住地域が確定したといえる。

第2は皇帝制度の採用である。1911年の清朝滅亡まで2100余年も存続した帝政は、アジアの周辺諸国にも影響を与えた。

第3は封建制を郡県制に代えたことである。漢のように郡県制と封建制とを併用(郡国制)したことはあっても、大筋としては中央集権の郡県制が採用された。

教育の機会均等

    日本人の多くの親たちは自分の子どもの将来の幸福を願うであろう。子どもを義務教育をすませただけで自分の義務を果たしたとして、わが子を丁稚奉公させる親はいないだろう。もし成績がズバ抜けてよくて、学問がしたい、だが貧乏で上級の学校へ行けない次郎がいたとして、国家がその教育費用を補償して高校へ無償で行けるというこになるのであれば、普通で考えれば、まことに喜ばしい限りの話になるはずであった。ところが、これに朝鮮学校だけは除外するという政府判断がなされていれば話は別である。それだと、もし経済的に貧しくて、高校進学を諦めざるをえなかったとする。高校、大学を出ないことは就職範囲は限定される。日本社会で日本人と同じように生きようとしながら、スタートラインで差をつけられている。こうしたことが何年も制度として存続すれば、また格差が生まれ、新しい差別がうまれる。その差別に抵抗しようとしても、なにしろ少数派だから、多数決主義の社会はこれを相手にしない。この問題は、いわゆる「教育の機会均等」を奪う基本的人権の侵害に所在することである。日本国憲法は、基本的人権の尊重を「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」としてとらえ、「すべての国民は、法の下の平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定している。しかし、現実には、部落差別をはじめ、在日朝鮮人や身障者に対する差別、男女差別等が厳然として存在し、多くの人々が、就職や結婚の機会を奪われ、人間としての幸福追求が阻まれている。現在59万人を数える日本に在住する韓国・朝鮮籍の人々に対しても、日本国民と差別のないように配慮することが必要である。この問題を考えるとき日本の植民地時代に強制的に連行され、過酷な労働や兵役等に課せられ、戦後そのまま放置されてきた朝鮮人の歴史を知らねばならない。

    ところで憲法上の解釈となるが、日本領土内在留外国人は日本国憲法上に保障された人権享有主体たりうるか?という論点を整理したい。もちろん憲法学者間で、肯定派、否定派と両論存在するであろう。しかし、判例では多く、肯定派、つまり日本の憲法上の人権を享有できるとしている。たとえばマクリーン事件では最高裁(大判昭和53年10月4日)は、憲法第3章による「基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」としている。憲法第26条に「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とある。「能力に応じて、ひとしく」とは、教育の機会均等を保障することであり、高校無償化をめぐる問題で、子どもの教育を受ける権利が、拉致問題などの政治的理由で左右されてはならない。政府機関や政権与党といえども、憲法で保障された「教育を受ける権利」を自由勝手に制限し、差別化することは人道上、決して許されることではない。

プラトンの「ポリティア」

   いまから2千数百年も前に書かれた、プラトンの現存の著作は36篇伝えられている。そのうち数編が偽作とされ、30篇前後、あるいは28篇が真作とされている。ほか碑文、叙事詩、30数篇の断片などが残っている。そのうちプラトンの代表作というべき著作が「ポリティア」である。これを「国家」とか「理想国家論」と訳するのは適切でない。確かにプラトンは本書において国家論を扱っている、それは本書を成立させた動機の一部をなすにすぎず、全体の内容をいいつくしてはいないからである。後世において、本書は「正義について」という副題で知られていた。この方が全体の主題を表すのにふさわしい。本書を一言でいうならプラトンは「政治とは教育である」という理想を述べている。それは衆愚政治に陥ったギリシア民主主義の病弊をつぶさに見てきたプラトンの悲痛な叫びであった。経済力、学歴、出自に恵まれたもののみが政治家となるが、脳ミソには哲学がない、こんな政治家が国民にとってどれだけ不幸であるか、いうまでもないであろう。プラトンの政治理念は、政治の目的は市民の一人一人その素質にふさわしい教育をほどこし、それによって得た各人の能力を正しく調和させて、共同体全体の幸福に資することであり、これが「正義」なのである。国家の安定はそれをなくしては実現できない。権力や法律によって市民を規制することは下策である。

アメリカの人種問題

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    映画「ゼブラヘッド」(アンソニー・ドレイザン監督、1992年)はアメリカの公立高校を舞台にした物語。ユダヤ系の高校生ザックは、転校生の黒人少女ニッキーと恋に落ちるが、周囲はふたりに冷たい反応をしめす。18年前の映画だが、アメリカの人種問題が浮き彫りにされている。人種問題は1960年代に黒人が市民権を得たことで解決したと思いこんでいるかもしれない。また白人と黒人との問題と考えるかもしれない。ところが実際のアメリカ社会はあらゆる国から移民が来た国だけに人種問題は複雑で根が深い。アメリカでは経済的余裕のある親は私立学校に行かせ、公立学校には貧困層の子どもたちが集る。黒人、ヒスパニック系、アジア系、、それにプア・ホワイトと呼ばれる労働者階級のイタリア系の学生というような状況になる。こうした学校では暴力、ドラッグ、アルコールなどの問題があり、悪循環はいまも続いている。ユダヤ人が差別されるのは彼らが宗教的伝統を守っていて「自分たちは神に選ばれた民族である」という信念があり、長い歴史のなかで他の民族から嫌われてきたという経緯があり、それが今でも偏見として根強く残っている。例えば女優のバーバラ・ストライサンドでさえ、ニューヨークの一等地のアパートを買おうとした時、ユダヤ人であることを理由に断われたことがある。ゼブラヘッドとは、人種の違うカップルを指す言葉で、白黒のシマ馬のように、白人と黒人のカップルをいう。

死刑廃止と死刑存置

    今夜NHK教育テレビETV特集「死刑囚・永山則夫・獄中28年間の対話」を観る。(昨年10月11日放送分)永山則夫は1997年8月1日午前死刑執行、享年48歳だった。千葉県の民家には今も永山の原稿、書簡1万5千通、書籍など膨大な遺品が眠る。一審死刑、二審無期懲役、最高裁死刑、と判決は一転、二転していく。永山は「無知の涙」で次のように記している。

私は発見した。自分の無知であった事を、そして、この発見はこの監獄での今の少しばかりの勉強の功であることもである。(中略)人間ゆえ、思考可能な人間ゆえ私は知ってしまった。知らなくてよいのではなく、唯知らなく、教えられないだけであった。囚人の私には極端に避けなければならない事であったかも。しかし生きていて良かったと思う本当に。私は若かった。しかしその青い怒りは当然の怒りだったのである。怒りは本物だった!

   永山は獄中で和美さんと結婚する。初めてこの世に生をうけた喜びを感じたことであろう。また武田和夫のような支援者も現われた。しかしこの事件は死刑廃止か死刑存置かの問題となり、一切の情状酌量を排して高裁は一審の死刑判決を支持し、平成2年、最高裁は被告側の上告を棄却し、永山の死刑は確定した。二審のときの判決文に「死刑は慎重でなければならない。どの裁判所においても死刑が相当と認められるときのみに限定すべきである」という箇所が問題となった。永山裁判は結局、日本の裁判史において「生涯を贖罪にささげて生きる意味、罪を負った人間を裁くことの意味」を問う裁判でもあった。永山則夫を死刑執行したことが本当に妥当であったのか、刑罰よりも更正して贖罪に生きる人生を歩ませてやりたかった、という思いが強く残る。

2010年3月21日 (日)

制裁より人権

    天に向かって吐いた唾は己に落下する。高校無償化をめぐり、朝鮮学校の実態が問題となって川端文科相は「高校の課程に類するかどうか」という口実をつけて、除外措置をとった。これまで全国の大学は朝鮮学校の卒業生に対して「高校を卒業した者と同等以上の力がある」としてきただけに、逆行しており、民族差別といわれてるのは当然である。実際に朝鮮学校除外という政策が拉致問題の解決に役立つのか疑問である。おそらく政府もそんな甘い見通しは持っていない。では国連の人権委員会の勧告を無視してまで何故この問題にこだわるのだろうか。拉致家族への配慮か。むしろ本質は、少数民族を差別して、国民の政府への批判の矛先をかわすことにあるとみている。これまでも近代日本国家はこの差別化の手法を繰り返している。関東大震災の朝鮮人虐殺がそうである。殺された総数ははっきりとわからないが、おそらく6000人以上とみられている。人権の尊重とは、憲法にある「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって」とあるこのような過去に流された多くの血の歴史をふまえてのことである。そして前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。つまり、北朝鮮への制裁よりも、人権を重視するのが政治道徳の本道である。今回の朝鮮学校除外は憲法の理念に反する行為であり、高校無償化は朝鮮学校にも同様に適用すべきものである。

2010年3月20日 (土)

ユニバーサル

   帝国書院から「図説ユニバーサル新世界史資料」という本がある。2002年の刊行で、オールカラー、248頁、定価が890円と安い!

   ところで、「ユニバーサル」とは何か?。映画会社や証券会社などの社名に多い。英語のuniversalは①全世界の②普遍的な③万能の、という意味。

ユニバーサル・タイム(universal time)万国標準時

ユニバーサル・ファッション(universal fashion)年齢や体型、障害の有無にかかわらずだれでもおしゃれが楽しめる着こなし。

ユニバーサル・ドナー(universal donor)O型の血液型の人。どんな血液型の人にも輸血できるから。

ユニバーサル・ジーニス(universal genius)万能の天才

動物愛護という名のホロコースト(大量虐殺)

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   ペットは世界中で、推定で5億匹いるといわれる。アメリカでは毎年1700万匹の子犬と3000万匹の子猫がうまれている。そして毎年400万匹から600万匹が安楽死させられている。なぜそれほど多くの動物が施設に送られるのか。よくあるのはペットに流行があることです。大きくなって世話ができなくなると、飽きてカワイイ小さなペットと交換するのです。生き物が使い捨て商品となっている現代の風潮に問題があります。無許可の悪徳ブリーザーにも勿論問題はありますが、おそろしい自己本位の飼い主がたくさんいることがもっとも問題です。また動物の命を軽視する動物愛護センター(この名称が怪しいのですが、実態はほとんど不要の犬、ネコを引き取り殺すところです)が税金で大量虐殺をしていることに問題があります。いま建設予定の横浜市動物愛護センターでは最新鋭の「ドリームボックス」を設置する計画です。殺処分が全行程機械の流れ作業。二酸化炭素で年間4000匹の犬猫を殺せる。まるでアウシュビッツのガス室のようである。

    兵庫県の尼崎市で小さな事件が昨年の4月にありました。子どもが捨て猫を見つけて交番署へ届けました。交番のおまわりさんは尼崎警察へ連絡しました。警察の職員は、そのネコを尼崎の動物愛護センターに届けずに、故意に逃がすように指示しました。あとで飼い主が現われましたが、ネコは見つからず、警察の職員は訓戒処分となったのです。当時はなぜ職員が動物愛護センターにネコを引き渡さなかったのかよくわかりませんでした。ところが、昨年末からの悪徳業者と動物愛護センター、保健所などの一連の不祥事で露見しました。尼崎では「動物愛護センターへ送ったら殺される」ということは誰れでも知っている事実で、ネコをかわいそうに思った職員は自分が処分されても猫の命を助けたいという行為だったのです。役所は規定どおりに処理しないと処罰されますが、いかに動物愛護センターが地元で恐ろしい所であるか噂になっているのです。いまに動物の祟りがあるかもしれません。そんなことになっても女性市長の平気な神経は理解に苦しみます。現在では4Rの原則というのが知られています。

一時保護(レスキュー)

元の飼い主に渡す(リユニット)

社会に戻す(リハビリテーション)

新しい家庭に送り出す(リホーム)

   の四つの作業が、シェルターワークの4Rといわれるものです。犬やネコを一時保護すればいいと思うのですが、作業の手間がかかるのと場所や餌の問題で日本流にどんどん殺してしまうのでしょう。ついに徳川幕府の生類憐れみの令、の時代以下の人でなしの日本人なんでしょうか。

2010年3月19日 (金)

世界史の概説に挑む

Img_0026 タキシラのジャウリアーン寺院址

    むかしから世界史の概説を書きたいと思っていた。高校世界史より少し詳細で、「世界史ノート」のような簡潔な叙述のもの。各国別にして、通史として理解しやすくした。参考書を執筆されるプロの教師の話から、アマチュアが書くのならどんなものになるだろうかといろいろ考えた。プロが書く参考書はもちろん商品なのでよく売れることが絶対条件だ。出版社は売れないものは出さないだろう。だが売れる、売れない、を意識しては、いいものはできない。売文業はたいへん。ケペルは巷の学者なのでブログで自分のノートを公開するつもりで好き勝手に書こう。そしてあくまで自分流。学習指導要領なんか完全に無視。日本だけで通用する歴史用語や過去の通弊を駆逐する。たとえば中国史の王朝名は「殷」ではなくて「商」、「前漢」「後漢」でなくて「西漢」「東漢」とする。政治史を中心として、文化史は簡略にする。1980年頃のノートが見つかったので、それをもとにして書いているのでどんどん進む。中国史だけでも100ユニット以上になる。全体で1000ユニットは超える。世界中の国の歴史を完成するには数年はかかるだろう。第三世界にスポットをあてよう。でもブログネタには困らないようになった。なにより自由は楽しい。

画家とヌードモデル

Img_0028_2 「女優アルレッティの裸像」という大作の前で語りあう二人。パリ、ジョゼフ・バラ街のアトリエにて 1932年

    「芸術の都パリ」この言葉はもう懐かしい響きとなってしまったが、パリが正真正銘、世界の芸術の中心地であった19世紀後半から20世紀前半、なかでもモンマルトル、モンパルナスには、世界中から画家、文学者などが集まり、議論を闘わせ新しい芸術を生み出そうとしていた。イタリアからモディリアーニが、ベラルーシからスーティンが、ポーランドからキスリング、オランダからヴァン・ドンゲン、日本からフジタが、ウクライナの出のシャガールも、すでにいち早く名声を得たスペインのピカソもここパリに集まってきた。エコール・ド・パリといわれた画家で最も知られている画家は、モディリアーニであるが、彼は1920年に突然亡くなった。やがてモイーズ・キスリング(1891-1953)が「モンパルナスの貴公子」といわれるほどパリの展覧会で成功を収め、その名声は高まった。キスリングの得意は裸婦だが、キキという有名なモデルもいた。舞台女優で有名なアルレッティ(1898-1992)のキスリングのヌードモデルになっている。2人は親密な関係だったのだろうか。一流の女優がヌードになるほど当時の画家の地位は高かった。そしてキスリングの周辺には当時まだ無名だが後には世界的に有名になった芸術家も多い。クレメーニュ、パパゾラ、ブランクーシ、マン・レイ、マルセル・デュシャン、ジャン・コクトー。見事成功を収める者、売れない絵描きのままで死んで、後に名声を得るもの。キスリングは南仏のサナリーに別荘を建て、妻と子と幸せな暮らしだった。1933年にはレジョン・ドヌール勲章を受賞している。ナチスに追われてアメリカに亡命するが、戦後フランスに帰国し、1950年には上級のレジョン・ドヌール勲章を受賞している。62歳で亡くなるが、生前に若くして世界的に名声を得たキスリングは稀な幸福な画家である。

Photo 「女優アルレッティの裸像」一部分(頭部のみ)

恋人たちの場所

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   読書施設「女性の書斎・ひとり好き」は平日は女性専用ですが、土曜、日曜は男性も入室できます。ということは、アベックでもOK。めったにアベックのお客様は見かけないけど、たまにフラリと来られることもある。あまり気にしないことにしている。先週、お見えになった女性客は「私、今度結婚します」と言っていました。以前、彼氏と一緒にこられた方でした。恋人同士でデートする場所はもっと他にありそうに思えるのだが、二人で静かに本を読んでいるなんて、よほど親密に仲なんだろうな、と勝手に想像していましたが、それは当たりでした。つまり遊園地や映画館のデートは、まだ初期の段階。マイナーなマイお店を見つけて一方が自分の好みをはっきり示して、相手の方も共感できたら、最高のパートナーになれるはず。この店は恋人たちにとってはリトマス試験紙かも。

2010年3月18日 (木)

オレ本大賞は「GE」

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   「本屋大賞」とは書店員が投票で選ぶ小説で今年で7回目。ノミネートは、村上春樹「1Q84」、夏川草介「神様のカルテ」、三浦しをん「神去なあなあ日常」、有川浩「植物図鑑」、東野圭吾「新参者」、沖方丁「天地明察」、小川洋子「猫を抱いて象と泳ぐ」、藤谷治「船に乗れ!」、川上未映子「ヘブン」、吉田修一「横道世之介」の10作品。ケペルは小説が苦手なのでまだ1冊も読んでいない。もっぱらコミック派。オススメの1冊は流石景「Ge~グッドエンディング」(講談社コミックス、第1巻、第2巻刊行中)大好きなテニス部の晶先輩を遠くから見つめているだけで満足している内海聖志。そのことがクラスメートの黒川雪にバレて、雪から恋愛の指南をうける。だが告白に失敗。落ち込む聖志をやさしくする雪に異性として意識しはじめる。動き出した片想いはGE(グッドエンディング)にたどり着けるのか?

   「GE」は草食系男子の読む漫画だけれど、モテない歴40年の老人が読んだら刹那さ百倍。若者言葉も学習できて一挙両得。この本を若いときに読んでいたら違った人生を歩んでいたろうと確信させる一冊。もし映画化すれば、黒川雪はゼッタイ沢尻エリカ。池谷晶は戸田恵梨香。内海聖志は山田孝之がベスト。

「当選御礼」それは法令違反ですョ!

    和歌山県北東部、紀ノ川流域にある橋本市は昭和30年、橋本町と隅田、山田、紀見、学文路(かむろ)、岸上村が合併して誕生した人口6万6千人の大阪近郊の住宅都市。紀見は霊場高野山の宿場町として栄えた。この度、市長選で木下善之市長が再選されたが、なんと選挙人およそ450人に印刷した礼状を郵送していた。公職選挙法では選挙期日後の挨拶行為には制限があり、その行為は自筆の手紙を除いて法令に抵触する恐れがあるという。「法律を知らなかった」と弁明しているが、側近たちも誰一人も公選法のイロハを知らなかったとは何ともお粗末な話である。これで行政が任せられるのだろうか。橋本市では数年前にも市議会議員が買収により公職選挙法違反で逮捕されている。ともかく法令遵守は自治体運営の基本ですね。

中国史 11

UNIT.秦始皇帝と皇帝制度

称号「皇帝」 統一君主の称号として三皇五帝から皇帝なる名を用いたとする説は誤り(三皇五帝伝説は後代の創作)。泰皇の「泰」の字を削除し、代わりに「帝」という字を付け加えて、「皇帝」という称号をつくった。

諡法の廃止 諡法とは、君主の死後、その君主の業績に適しておくり名を定めることである。始皇帝はこのような諡法は、子として父を批判することであるから、みずからを始皇帝と称し、2世、3世と万世に伝えることにした。

皇帝専用語 一人称を「朕」、命を「制」、令を「詔」という。「制詔」とは命令一般をさす。配偶者を「皇后」といい、墓を「陵」という。居処を「宮闕」という。

アジアの皇帝制度 始皇帝の皇帝制度は中国の国家構造の基本形態として、1911年の清朝末、宣統帝廃位まで2132年間存続した。アジアの周辺諸国にも影響(朝鮮王朝、日本の天皇制など)日本の天皇家が万世一系であるのは、秦始皇帝が創始したものである。

option 英語チャイナは秦が語源か?

    秦(Chin)の名は匈奴により西方に伝わり、インドではチナ(China)またはチニスタン(Chinista)となり、ローマに伝わり、シネイ(Sinae)またはティン(Thin)となる。これが現在の英語のチャイナ(China)、仏語のシーナ(Chine)、独語のヒーナ(China)となる。

    ところで戦前に日本でも中国のことを「支那」と呼んだがいまでは使われない。差別語と考える人も多いが、語源を調べると古い言葉で、玄奘の「慈恩伝」の中に「支那」という語が見える。7世紀ころ仏教関係者は使っていたことばで、差別的な意味は含まれなかった。また、秦(Chin)とも音が似ているが、語源的には無関係。

2010年3月17日 (水)

中国史 10

UNIT10.商鞅変法と秦の東方進出

第1次変法 衛鞅は秦の孝公に仕えるや、左庶長に任ぜられ、前359年、第1次変法を行う。什伍制、分家奨励、重農策、私闘禁止、軍功尊重、二十等爵制。

第2次変法 10年後の前350年、次の改革を実行。咸陽遷都、県制、耕地整理(開阡陌)、度量衡統一、分家分財強化。

変法の結果 衛鞅は、この功により商に封ぜられ、商鞅とよばれる。商鞅の改革により秦は最初に富国強兵のもとに中央集権体制を生み出し、のちの秦漢帝国形成の基礎となった。

秦の東方進出 秦の恵文王時代には、張儀の連衡策により、東方6国の連合勢力を破り、昭襄王のとき、范睢を登用し、遠交近攻策によって秦は七雄の第1となる。

長平の戦い 秦は趙と激しく覇権を争うと共に南方の楚に対しても攻勢を加える。前260年、秦は長平の戦いで趙に勝利する。これ以後、秦の東方進出と全国統一は進展する。

秦王政の天下統一 荘襄王は呂不韋を丞相とし、文信侯に封ずる。王は即位3年で亡くなり、前246年、太子の政が13歳で秦王となる。後の始皇帝である。10年後、呂不韋は漏相嫪毒の乱に連座して失脚する。政は法家の李斯を登用し、遠交近攻の策によって、前221年六国を滅ぼし、天下を統一した。

中国史 9

UNIT9.戦国時代

封建秩序の崩壊 周は王室の権威を失って一諸侯に転落。有力諸侯は各自王を自称し、実力主義による下剋上の風潮。秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の「戦国の七雄」が出現。各国は中央集権化策をとり、一部では郡県制を実施。

農業生産力の向上 春秋時代に現われた鋳鉄は農具として使用され、鍬で耕し、牛に犂を曳かせるなど耕作技術が進歩した。戦国時代はさらに技術が進んで、土を深く耕すことを容易にした。さらに、それによって新しい開墾地や耕地も増加し、除草や収穫の能率も向上した。

商工業の発展 分立と抗争のなかで、諸国は富国強兵に努めた。それにともなって商工業も活発となり、蟻鼻銭、刀銭、布銭、銭などの青銅貨幣が流通した。商人のなかには諸侯と比肩しうる富豪も現われ、各国の首都は大いに繁栄した。

魏の文侯 魏の都安邑は文化の中心となり、孔子の弟子のト子夏、段干木、子貢をはじめ、田子方、李悝、魏成、翟璜、西門豹、呉起など賢臣策士らが有名。

斉「稷下の学」 臨淄に都をおく斉は威王、宣王のとき最盛期であった。人口30万人くらいで、その繁華街は車が行き交い、人と人が押し合うほどであった、と「史記」蘇秦伝には記されている。孟子、荀卿、騶衍、接予、田駢、騶奭、淳于髠、環淵らの稷下の学士が有名。

秦の発展 7国のなかで陝西の秦が最も強大となり、諸国は秦を中心に合従と連衡など、外交上の術策をめぐらして抗争した。秦が他の6国をつぎつぎに征服して中国を統一した。

中国史 8

UNIT8.春秋五覇

五覇 周初1000余国あったと伝えられた諸国も春秋初めは140余国となり、魯、衛、晋、鄭、曹、蔡、燕、斉、宋、陳、楚、秦の12国と周と呉をくわえた14国が「史記」十二諸侯年表には記されている。その他に杞憂(キ)、薜(セツ)、虢(カク)、刑(ケイ)、邾(シュ)などがあった。この中から「春秋の五覇」といわれる覇者が出現した。5という数は後世五行思想に基づくもので実数ではない。斉桓公、晋文公、楚荘王、呉闔閭、越勾践(荀子の王覇篇の説)や斉桓公、晋文公、宋襄公、秦穆公、楚荘王(西漢の趙岐の孟子の注の説)がある。

晋の滅亡 晋では晋侯の実権が衰え、実力者であった知伯が趙を攻め、晋陽の戦いがおこった(前455)。3年続いた戦いにより、知伯は敗れ、晋の領土は趙、韓、魏によって三分された。(前453)

   それから50年ほどしての前403年に周王朝から趙・韓・魏が正式に諸侯としての称号を賜ったので、一般にはこの年をもって戦国時代の始まりとする。

中国史 7

UNIT7.春秋時代(東周)

周室の衰退 遊牧民犬戎の侵入を受け、前770年、都を東の洛邑に遷した。周室は統率力を失い、権威のみを保有。有力諸侯は諸侯の同盟を指導して覇者とよばれ、尊王攘夷を唱えて勢力の拡充を図る。この時代を春秋時代(前770~前403)とよぶのは孔子の祖国魯の年代記『春秋』に由来する。

周代の社会 大きい邑は周囲数kmに及ぶ洛邑のような王都(大邑)があり、その下に地方氏族の邑があり、さらにその末端には数個~10数個の住居からなる集落も邑と呼ばれていた。人々は農民もすべて、城壁の中で生活し、城壁の外で生活する者は人でない「野人」といわれていた。
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周代の地理概念 『書経』禹貢篇には夏王朝の始祖禹が洪水を治めて全国を9つの州に区分したとある。禹貢図は戦国時代のものと考えられるが、天下を九州説であらわす地理概念はかなり古くから用いられたものとみられる。
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中華思想の成立 漢民族は夷狄蛮戎と総称される異民族の侵入に苦しんだが、文化的優越性から強い中華思想をもつようになり、中国民族のアンデンティティーが確立されるようになったのもこの時代からである。

2010年3月16日 (火)

中国史 6

UNIT6.西周

周武王の商討伐と建国 周は陝西省の渭水流域に起こり、すぐれた西方伝来の武器と農業技術をもって、周武王は前1023年に殷の紂王を倒して、鎬京(カチン)に建国した。周公旦は反抗的勢力を洛邑に移住させた。このため西周時代は先祖の宗廟のある鎬京と、中原を統治するのに便利な東の洛邑の二都が並立した。

封建制度 王は同族の功臣・土豪に征服地を封土として与え、その土地・人民を世襲させて、貢納・従軍の義務を負担させた。これらの諸侯は王に貢納を納め、戦時には出陣の義務をもったが、だいたい独立を認められ、王族より統制は比較的弱かった。

礼教政治 王は道徳的実践を理想とする礼を重んじて、政治を礼に一致させようとした。

宗族と宗法 宗族とは父系制にもとづく同姓・同氏の親族集団。その上限は4代まえの高祖父、下限は4代後の玄孫にいたるまでの九族ともいう。嫡長子を中心として長子相続の形で組織づけられ、団結を維持するために、祖先の祭祀その他を規定した宗法がつくられた。

土地制度 土地私有制がなく、『孟子』によると、農民は社(土地神)・稷(穀物神)を中心とする村落共同体で支配され、井田により土地を配分して租税を納税させたという。

共和元年 厲王は暴虐であったため、共伯和が摂政となった。この年を共和元年(前841年)という。これが中国最古の実年代である。(『史記』十二諸侯年表)

諸侯の抗争 血縁に支えられた部族都市国家は衰え、周の封建制はくずれはじめた。

option 周の封建制と西欧のフューダリズムとの違いとは?

    封建制度とは領主対農民の間の支配隷属関係、すなわち農奴制を封建制度とみなすならば、西ヨーロッパだけでなく、世界中どこにもみられる普遍的な現象である。しかし歴史用語フューダリズム(feudalism)と相違を明確にするならば、周の封建制度は血縁で結ばれた階級組織をもつ支配階級が村落共同体を通じて農民を支配する制度であるが、西洋のフェーダリズムは、氏族制とは縁のない中世社会に生れたもので、主従関係を結びつけたものは契約のみであった。

option  井田法は本当に実在したか?

    郭沫若は「あのような整然たる土地区分法は後世儒家の理想であって歴史的事実でない」と説いた(『中国古代社会研究』1930年)その後、井田制をめぐり学界で論議されたが、現在では井田制度の実在は否認されている。

中国史 3

UNIT3.新石器時代

原中国人 黄河中流域の黄土台地に新石器文化が生まれた。文化の担い手は現在の中国人の直接の祖先で原中国人とよばれる。

仰韶文化 彩文土器を用いたところから彩陶文化、あるいは河南省にある代表的遺跡の名をとって、仰韶(ヤンシャオ)文化ともいう。磨製石器、土器の製作、アワ・キビの栽培、犬・豚の飼育、竪穴式住居で生活し、定住村落を形成。前5000年から前4000年ころ。

龍山文化 黒色磨研土器がさかんにつくられたことから黒陶文化、あるいは山東省にある代表的遺跡の名をとって龍山(ロンシャン)文化という。三本の足をもつ三足土器がつくられ、後代の鬲、鼎の起原となっている。前2000年から前1500年ころ。

各地の文化 中原地域以外にも新石器時代の古代文化が各地に存在した。浙江省の河娒渡(かぼと)遺跡からは稲作農耕や高床式建築技術をもち、独自の高い文化がみられる。

中国史 2

UNIT2.旧石器時代

北京原人 スウェーデンの地質学者ヨハン・ギュンナー・アンダーソン(1874-1960)は1921年ごろから中国古生代の地層に着目し、オットー・ツダンスキーは周口店で北京原人の歯を発見した。その後、裴文中により猿人洞で完全な頭蓋骨を発見。(オリジナルな頭骨は1941年紛失により現存せず)原人に属するホモ・エレクトス・ペキネンシス(旧学名シナントロプス・ペキネンシス)。北京原人は更新世のころ活動し、洪積世中期には絶滅したと考えられ、中国民族の直接の祖先ではないが、モンゴロイドと共通する特徴がみられ、アジア人の祖先であると考えられる。打製石器。狩猟・採集。火の使用を確認。言語の発達。食人の風習。洞穴生活。その後、北京原人よりも古いとみられる元謀原人(約170万年前)、藍田原人(約70万年前)など化石人類が確認されている。

山頂洞人 およそ10万年前、後期旧石器のホモ・サピエンス。埋葬の習慣。その後、現在の中国人と関係の深い原中国人と呼ぶべき人類が現われ、その子孫たちがやがて河南・山西・陝西の黄土地帯で村落生活を営むようになり中国民族を形成していく。

option 北京原人はおよそ何年くらい前に中国に生息していたのか?

    これまでの研究によると、第四紀洪積世前期、約50万年から60万年前とされているが、近年の研究によればこれより20万年以上前である可能性があると考えられ、およそ78万年前という説もある。ちなみに元謀原人は170年前、藍田原人は70万年前くらいと推定されている。これら原人はいずれも現生人類の祖先ではなく、絶滅したらしい。

2010年3月15日 (月)

狡兎死して走狗煮らる

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    作家司馬遼太郎は司馬遷には遼かに及ばない、という意からペンネームをつけた。野末陳平は、漢の劉邦の一参謀である陳平から名前を拝借しているらしい。だが政権交代を成就した政治家とは気が大きい。前原誠司は「鳩山首相は人の話を聞く劉邦タイプ。突っ走る項羽タイプではない」と総理を持ち上げた。天下を取った気分で、比較する歴史上の人物も大きい。だが、このたえと話にはちょっと危ない落ちがある。

    漢の劉邦は天下を取ったが、楚漢抗争の第一の功労者である韓信(股くぐりの故事で知られた武将)を捕縛した。「すばしこい兎が死ぬと良犬は無用のもとなって煮られてしまう。敵対の国がなくなると忠臣がいなくなる」と韓信は身をもってその言葉を味わった、と司馬遷の「史記」にある。劉邦もさすがに気をとがめたとみえ、韓信を淮陰侯に格下げにしただけだった。劉邦の死後、のちに呂后にはかられて斬殺される。前原の本心は己を韓信に譬えて、マニフェストでの功臣第一の私が半年経つと亡ぼされた、ということを暗示しているのであろうか。

グルジア史

UNIT1.概観

    北はカフカズ山脈の山上、東はアゼルバイジャンに、南はアルメニア、およびトルコに接し、西は黒海にのぞむグルジアは古くから東西交通の要衝に位置し、古文献にみえる。他民族の支配をうけたが、小国ながらも古代、中世には独立国を維持し、18世紀の一時期は完全な独立国家であった。19世紀の初めにロシア帝国に併合されたが、旧ソ連解体とともに、1991年4月、グルジア共和国として独立している。首都はドビリシ。

UNIT2.先史時代

   トビリシ付近のトリアレティ遺跡から中期青銅器時代(前2千年紀中頃)の墳墓が発見されている。宝石細工の黄金の杯、銀製のバケツ形容器、彩文土器など。アナトリアの古代文化やギリシア文明との関連性がみられる。前10世紀頃は、コルヒダというギリシア植民地であった。ギリシア神話のアルゴ探検隊の話にも出てくる。

UNIT3.イベリア王国時代

Img_0029 ローマ帝国時代(前2世紀~後2世紀)

    前4世紀の終りには、地中海東部ではヘレニズム諸国の乱立に乗じて、前3世紀にはイベリア王国Iberiaが建国された。しかし前1世紀にはローマが黒海ンイからシリアにかけて、支配を拡大した。南部のアルメニア王国もローマと同盟し存続した。

UNIT4.中世イスラム時代

Img_0026_2 18世紀のグルジア

    中世イスラム時代にグルズGruz、またはグルジGrijと称していたが、この地名が普及してグルジアGruziaとして周辺からも呼ばれていた。キリスト教は4世紀に入っているが、十字軍時代以前、グルジア帝国がキリスト教国であったか、イスラムであったかは調査中。11世紀にセルジュク・トルコに征服され、13世紀にはモンゴルの支配下にあった。15世紀にはチムールの封建諸侯のもとに分裂していた。首都はチフリスTiflis。18世紀にはトルコとペルシアの支配が弱まり、完全な統一国家として成立していたが、やがてロシアの勢力が南下してくる。

UNIT5.ロシア帝国、ソヴィエト連邦時代

   1801年、ロシアがグルジアを併合し、その1州となった。言語、宗教などもロシア化がはかられたが、抵抗し続けた。帝政末期にメンシェビキによる運動で独立宣言をしたが失敗した。ボルシェビキを中心とするソヴィエト政権が成立してもグルジア支配は続いた。1936年、ソヴィエト連邦構成の共和国の一つとなった。

UNIT6.グルジア共和国

   1991年グルジア共和国が誕生。初代大統領はガムサフルディア。1992年にシュワルナゼ大統領が就任。2004年にサカシュビリ大統領が就任。現在、南オセチアとアブハジアが実質的に独立状態にあり、これを承認するロシアとの間でグルジア問題が生まれ、グルジア・ロシアの国交は断絶状態となっている。(Georgia)

大佛次郎と映画

Img_0028 映画「風船」

   大佛次郎(1897-1973)は流行作家として評価されることが多いのだろうか。大家でありながら「日本文学全集」の類には、そのラインナップから外されることが通例である。最も完成度の高い文学全集、「昭和文学全集」(講談社)において、ようやく第18巻に「大佛次郎、山本周五郎、松本清張、司馬遼太郎」の4人を1巻にまとめた豪華な本がでた。そしてこの4人の作家に何れにも共通するのは「歴史」である。大佛は「鞍馬天狗」「赤穂浪士」などの時代物でも知られるが、「ドレフュス事件」「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」などの史伝物がある。そして「帰郷」「宗方姉妹」「風船」「旅路」などの現代物がある。現代小説も曲折した複雑な家族、夫婦の愛情、心理を繊細に描いているので映像化しやすい内容である。

  昨夜、大佛次郎の毎日新聞の連載小説の同名映画「風船」(昭和31年、日活)を観た。まさに大人の観賞にたえる映画である。主演の森雅之は戦前戦後の暗い時代を生きた男の哀愁を表現するにふさわしい役者である。その独特のしゃがれ声が生活に疲れたデカダンな雰囲気を醸している。息子が三橋達也なので、実年齢では無理があるが、不思議と老け役に違和感がない。(森は当時まだ45歳であったが60歳を演じている)前年の東宝「浮雲」の富岡兼吾のイメージをそのまま演じたようにも思われる。

  画家としてもてはやされた村上春樹(森雅之)は今では写真工業会社の社長として成功していた。妻(高野由美)との間はしっくりいっていない。息子の圭吾(三橋達也)は無気力で、久美子(新珠三千代)という愛人がいるが、歌手(北原三枝)に心がうつり別れ話を久美子につげる。妹の珠子(芦川いずみ)は知的障害はあるが心優しく久美子を慕う。だが久美子はガス自殺する。京都にいる左幸子はヌードモデルをしながら生計をたてているが、春樹はむかしのように京都に住んでみたくなる。そして冷酷な圭吾を叱りとばして、自分は一切の地位と財産を捨てて、京都への永住を決意する。妻と別れるが、娘の珠子は京都へやって来るのだった。涙ぐむ春樹。ラストで珠子が盆踊りをおどるシーンは暗くなりがちな映画に光明をもたらす。まるで松竹大船調である。

    監督は「幕末太陽伝」の川島雄三。日活初期には西河克己、斎藤武市、中平康、今村昌平、蔵原惟繕、神代辰巳、松尾昭典、鈴木清順ら若手監督が松竹から移籍したが、川島もその一人である。川島は複雑な人間心理を描くことが得意である。同年に古川卓己の「太陽の季節」が熱狂的な人気を集めたが、日活作品にはアクション映画・青春映画路線よりも、今村昌平、浦山桐郎、蔵原惟繕らの野心作に今日でもみるべき作品群が多い。

朝鮮王朝ルネサンス時代

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   乱れた支配秩序を立て直し、文化的復興をとげたのは、李氏朝鮮第21代の英祖(在位1724-1776)と第22代の正祖(在位1776-1800)の75年間の時代である。在位年数51年7ヵ月の英祖(チョンジョ)は学問を好み、印刷技術を改良し、図書の編纂と刊行に努めた。李瀷をはじめとする学者が現われ、実学が興った。正祖(チョンジョ)は宮内に奎章閣を設立して学問研究と伝統文化の継承と発展を推進した。英祖・正祖の代は朝鮮の文芸復興期と呼ばれている。正祖を李祘(イ・サン)という(祘サンは諱)。

2010年3月14日 (日)

ニュージーランドの名峰

Photo_2 エグモント山。Mt Egmount 富士山に似た美しい山容。標高2518mの死火山。

Photo_3 クック山。Mt Cook ニュージーランドの象徴といわれる最高峰アオラキ山(標高3764m)はマオリ族に崇拝されてきた。

Photo_4 トンガリロ山。Mt Tongariro 標高1987m。

Photo_5 ルアペフ山。Mt Ruapenu 標高2797m

Img_0026 ヌアルホエ山。Mt Ngaruhoe標高2291m

Photo アオラキ山。Mt Aorraki 標高3764m。別名クック山。「アオラキ」とはマオリ族の言葉で「雲を突き抜ける山」という意味。

動物虐待には日本人の意識を変える必要がある

   尼崎市の犬繁殖業者の問題で市保健所や動物愛護センターが事実を知りながら業者と癒着していたことが明らかとなった。問題発覚後に動物愛護センター所長が公文書を改ざんしていたことも判明、これを受けて尼崎市の白井文市長は17日、「市民の信頼をそこねた」として陳謝した。同センターの上司にあたる保健所の所長は「業者からの近年の取り引き頭数はすでに公開されており隠す必要はなかった」とコメントしている。小さな地方版の記事なので誰も関心をしめさないだろう。そして動物愛護センター所長の改ざん行為は小さなことと捉えられるだろう。小心者の管理職にはよくあること。だがこれは裏を返すと、動物を処理している行為が正当なものではない、つまり動物虐殺と知りながら業務をしていることを自らやましいことであると認めたから、改ざんに及んだと解することができる。上司の保健所所長は現場の感覚が理解でないので、なぜ改ざんに及んだのか理解できないのだろう。
    なにも所長などの小役人を責める意図は全然ない。この問題は根深いものである。ペットブームの裏で生きものを商品として扱い、儲けるもの、飽きたら捨てる飼い主、自己の昇進と目の前の懸案を事務的に処理する行政マン。(つまり善悪の判断、見識のないロボット人間)一方で「命の尊さ」を叫びながら、陰では平気で殺生する日本人たち。鯨、イルカ、マグロなど海外から指摘されると、「やかましい」と、日本の食文化を主張するが、国際感覚とは大きな隔たりがあることにまだ気きずいていない。死刑廃止問題もそうだし、朝鮮差別など人権感覚も鈍い。なんとかこのどうしょうもない愚かな日本人の意識を変える必要がある。

ニュージーランド史

Photo エグモント山の裾野に広がる羊牧場

UNIT1.概観

   北島と南島の2島を中心に、スチュアート島、オークランド島、クック島などの小さな島から成る。国土の面積は約27万k㎡で、およそ日本の本州と九州を合わせた広さに相当する。森と湖、山と峡谷、氷河とフィヨルドなど変化に富む大自然が美しい。海洋性気候で温暖、雨量も通年平均しているため農・牧畜業に最適である。

UNIT2.探検家と開拓者

    ニュージーランドに最初にやってきたポリネシア人は、クペという航海の名人で西暦950年の頃だったという。確証のない伝説ではあるが、すでに9世紀頃にはポリネシア人開拓者が島々にやって来たであろう。マオリ族はこの島を「アテオアロア」(長く白い雲の地)と呼んで、言い伝えでは、ハワイキ(タヒチ島らしい)からの大船団が島到着して、大規模なポリネシア人の移住をもたらしたらしいことになっている。

    ヨーロッパ人として初めてこの島を発見したのは、オランダ人のアベル・タスマン(1603-1659)で1642年に南北両島を探検した。1769年から1770年にかけてイギリスのジェームズ・クック(1728-1779)がエンデバー号でオーストラリア、ニュージーランドなどの太平洋地域を探検した。この調査の結果、イギリスを初めヨーロッパから移民活動がおこった。

NUIT3.植民活動

   1788年、イギリス人がオーストラリアのシドニーに植民するようになってまもなく、流刑囚の仕事のために、ニュージーランド北島特産の木材と亜麻の開発が始められた。北島では、捕鯨船や貿易船がアイランズ湾を、水の補給や修理のための基地として利用していた。

UNIT4.マオリ族との抗争

    1840年、1000人を超すヨーロッパ人がニュージーランドに入植してきた。新しい植民地にはウェリントン市が建設された。1842年、最初の入植者はネルスンという都市計画地区を開拓した。その後、ニュージーランド会社は、農耕と牧畜に適した土地をを探してタラルア山脈をめぐりワイララ湖に達した。1840年にイギリスは先住民マオリ族との間にワイタンギ条約を締結した。その後、1843年と1872年の二度にわたってマオリ族と大きな抗争があったが鎮圧した。

  1852年、E.J.リーが1800匹のヒツジを引き連れて、ネルスンから峠を越えて東海岸に達することに成功した。これから牧羊業が本格的に始まり、今日の酪農国の基礎が築かれた。

UNIT5.民主主義の発達

1880年代にはバター、チーズ、食肉などを冷凍にしてイギリスに積み出しすることができるようになり、牧畜農業が着実に発達した。1889年には、普通選挙法が制定され、1893年には世界最初の女性参政権が導入された。1907年イギリスの自治領となり、その地域はウェストミンスター憲章で確認される。リチャード・ジョン・セットンは1893年から1906年まで首相の地位にあり、産業・労働政策で成果を収めた。

UNIT6.第1次世界大戦から第2次世界大戦まで

二度の大戦では軍隊の海外派遣、食糧など本国イギリスを支持した。国内においては、輸出市場が確保され、戦争が繁栄をもたらした。1942年のシンガポール陥落以後はアメリカ軍がニュージーランドの唯一の防衛力となった。

UNIT7.戦後

せんごははアメリカはイギリスに代わって主導権を握り、ニュージーランドは反共軍事体制の一翼を担うことになる。1975年政権を握った労働党は中国を承認し、アジア諸国、特に日本を重視する外交政策をとった。1975年には国民党が、1984年には労働党が、1990年にはボルジャー国民党が誕生した。1997年には初の女性首相シップリーが、1999年にはヘレン・クラック率いる野党労働党が政権を回復し、連続して女性が首相を務める。

option 地名「ニュージーランド」の由来は?

    発見者タスマンはこの島を「スターテンランド」Stoten   Landtに国有地)と名づけたが、この地名は固有名詞として定着しなかった。1665年には、「ノヴァ・ゼーランド」いう地名がオランダの公文書に見られる。「ノヴァ」は「新」の意味であるが、「ゼーランド」というのは、オランダ南部の島の多いゼーランド地方のことである。海と海岸線からなるこの島の風景が似ているため、「新ゼーランド地方」なる地名がつけられたとされる。しかし命名者が誰であったのかは、明らかではない。1766年、クックがこの島を探検して、イギリス領となり、それが英語化してニュージーランドNew Zealandとなった。

option ワイタンギ条約の問題点とは何か?

    ワイタンギ条約とはイギリスとニュージーランド先住民マオリ族との間に1840年に締結された約定。ニュージーランドの基本法とみなされているが、わずか3条の簡単なもので、多様な解釈が可能で、これがマオリ戦争(1860-1872年)の悲劇をもたらした。内容は、

①ニュージーランドの主権はイギリスに帰属すること

②その代わりに、マリオ族はイギリス国民としての権利と特権を与えられる

③イギリスは彼らの土地所有権を十分保障するが、売る場合には必ずイギリス政府に対して売ること

    二度にわたるマオリ戦争によって、マオリ族の数は4万人に激減し、民族の意義はすっかり沈滞してしまった。政府は1996年10月ワイタンギ条約に違反して土地を奪われたと訴えるマリオの二ターフ人に、イギリス植民地時代の不正土地取得を正式に謝罪している。

ユニット構成

   世界史の概説書、テキストを構想している。各国別でわかりやすい簡便なもの。スタイルはユニット構成。JLA図書館情報学テキストシリーズは授業時間数を考慮して組み立てたユニット方式を採用している。各ユニットはスタンダードな内容の解説、発展的に取り扱うことが望まれる内容はオプションとして構成している。

    ところで「ユニット」て何んだろう。あまりにも多方面で使われるので本来の意味があいまいかもしれない。広辞苑には「単位」とある。おそらく情報の起源が軍事であるように、軍隊の部隊、戦術単位、第○師団、などがルーツだろう。もっともわかりやすい例は「ユニットバス」。工場であらかじめ天井、浴槽、床などパーツを成型しておいて、現場で搬入して組み立てる方式。

    このようなユニット方式を最初に学問分野で応用したのはアメリカの図書館人だろう。情報を整理するうえでカード方式が最も簡便で検索しやすい。デューイは5×3インチサイズに規格をきめ、その記入方式の統一を提案した。1886年のことである。日本にも明治時代からカード目録が輸入された。学生は図書目録カードをノートのルーズリーフのように使用した。字数は制限されるが、主題ごとに編成が可能である。京大カードといってB6サイズのものも登場した。梅棹忠夫の「知的生産の技術」で広く知られるようになった。コンピュータのまだない時代、各自がカードに記入して、情報を整理していた。とくに法曹界をめざす司法試験の受験生たちの勉強ぶりはカード第一主義だった。

   現在のブログも考えてみれば、目録カードのようなユニット単位で構成されている。この「ケペル先生のブログ」の記事数は2972件あるが、1記事が1ユニットといえる。カテゴリーで一応分類されている。記述に誤りがありば修正も簡単である。だから勉強ノートがわりにブログを書く人も現われるのであろう。実は「カンボジア史」は世界史の1ユニットとして記述した。これから世界各国の歴史が完成するにはどれくらいの歳月を要するだろうか。「日暮れて途遠し」の感があるが「千里の道も一歩から」でもある。

2010年3月13日 (土)

カンボジア史 2

UNIT6.ポル・ポト政権

   ポル・ポト(本名サロト・サル)は北京に亡命したシアヌークと手を組み、反ロン・ノル闘争を進め、1975年に全土を制圧すると同時にシアヌーク派を排除して、翌年1月、民主カンプチア政府を樹立。4月、ポトは首相に就任。親中国のポル・ポト政権(クメール・ルージュ)は過激な共産化を断行して、大量虐殺を行う恐怖政治を敷いた。1979年以降はヘン・サムリン軍とベトナム軍とにより政権を追われて内戦を続けた。

UNIT7.ヘン・サムリン政権

   東部方面地方軍のヘン・サムリン師団長はプノンペンを制圧し、カンボジア人民共和国を樹立した。旧ソ連・ベトナムの支持を受けた社会主義国だったが、1989年に国名を「カンボジア国」と改め仏教を国教とするなど、社会主義色を薄めた。1990年にパリ和平協定が調印され、国連カンボジア暫定統治機構による停戦監視と総選挙実施が合意された。

UNIT8.カンボジア王国の誕生

    1993年の総選挙の結果、カンボジア王国が誕生し、シアヌークが初代国王に就任した。シアヌーク派の民族統一戦線と旧プノンペン政権の人民党との連立内閣だったが、1998年の総選挙では人民党のフン・センが単独で首相となった。1999年4月には念願のASEANに加盟し、長く続いた内戦が終り、2000年代に入って政治状況は安定している。シハモニ国王が就任(2004年10月)

option ポル・ポト政権で行なわれた大量虐殺の実態とは?

   ポル・ポト派は60年代にフランス留学経験者らが結成したカンボジア共産党が母体である。最高実力者のポル・ポトは私有財産を廃止し、農本主義的政策を採用。都市住民を農村に移住、強制労働に従事させた。1975年から1979年にかけて過労や病気で200万人近くが死亡したと推定されている。ポル・ポトは内部分裂でタ・モク参謀総長に実権を奪われ、1984年4月に死亡したが、ポト派は99年3月まで存続した。20年にわたった内戦で今もなおカンボジアには600個の地雷が埋まっている。

国家よりも先ず人間であること

    いま北朝鮮は昨年11月に実施したデノミの失敗によって食糧難に陥っているらしい。そのためアメリカ特使はもし北朝鮮からの食糧支援の要請があれば「確実に真剣に検討するだろう」と述べている。つまり政治事情がどうであれ、人道上の問題は最優先に考えるというヒューマニズムの精神が徹底しているのだ。ところで日本では政治と教育、そして利権が複雑に絡み合っているため話がややこしくなる。いま高校無償化で朝鮮学校を除外するかどうかでもめている。拉致問題をひきおこした国への強い反対論があり、政府は当面朝鮮学校を除外し、第三者機関で日本の高校に類する教育が行われているかどうか検証してから判断するという。また大阪府の橋下知事は府独自の補助金を出す条件として朝鮮総連との関係を絶つことや、金日成主席らの肖像を外すことを条件にあげている。これではキリストやマリアの聖像を足で踏ませ、真偽を試し、棄教させようとした江戸幕府の踏み絵と同じやり方ではないか。民族の誇りを金(補助金)で奪おうとする卑劣な言い分である。だが各種ブログをみれば除外するのは当たり前とする人のほうが多い。政治家の動向もこういう勢力の声を重視しているのだろう。つまり日本人はこれまで「日本と関係のない連中には税金を使うな」というのがホンネなのだ。だが実際に在日朝鮮人が「日本と関係ない」とは言えない。やがて日本社会の中で活躍し、国に税金も納めてくれる。そういう子どもたちの高等教育だけを無償化から除外することは明らかにおかしいことをわかってほしい。

   朝鮮学校が日本に存在することは歴史的に淵源を探れば、明らかに明治日本の帝国主義の産物である。ポーツマス条約の一項に「韓国に対するいっさいの指導、保護、監督権の承認」をロシアと取り決め、やがて保護国となり、韓国併合し植民地とした。すなわち日本人みずからが種をまきながら、民族差別をくのかえし、人権差別撤廃条約をも平気で違反する。アメリカも軍事力で強権発動するものの、自由と人権を尊重するということは最優先としている。日本は人間よりも先ず国家なのである。ヒューマニズムがない。「人間らしさ」という言葉を最初に言ったのはローマ人のキケロだといわれる。ローマ人の「フマニタス」は本来「異邦人」に対して使われた言葉である。つまり、異邦人とは風俗習慣が違い、ローマ人は洗練されている、という自負がこの言葉の裏にある。そしてヒューマニズムはたえず自己中心的なものになりがちである。「ヒューマニズムを越えて」ということが、実はヒューマニズムの本質ではないだろうか。

     いま国際社会はヒューマニズムが基本にある。国連の人権委員会。日本は死刑制度で国際的な非難を浴びている。ここでまた朝鮮学校の無償化除外が人種差別であるとして、差別改善を勧告された。昭和8年、国際連盟「満州国」否認決議で日本代表松岡洋右が退場の挙で大半の国民は喜んだが、それから日本の破滅が始まった。今回の騒動も「勧告なにするものぞ」「人権なにするものぞ。やかましい」という態度では、この国はダメになる。日本の人権感覚が問われている。

カンボジア史 1

Photo アンコール・ワット

UNIT1.概観

  カンボジア(Canbodia)は紀元前後からメコン、トンレサップ両川流域にクメール族によって古代文化が開いた地域である。宗教はクメール王朝時代はヒンドゥー教であったが、タイの植民地となって小乗仏教になった。古い中国の文献には扶南(フナン)国、眞臘(シンロウ、チェンラ)国の名で知られた。日本語「カボチャ」の語源は、16世紀ポルトガル船に積み込まれたカボチャがカンボジア産だったことから、その名がついたといわれる。朱印船が「簡浦寨(カンボジア)」へ渡航した記録が多く残っている。明末の地理書「東西洋考」(張燮撰)には「東埔寨」の名で記されている。

UNIT2.クメール帝国

    インド文化の東漸で、メコン川流域の平野部を中心にインド人が先住民のクメール人を支配して東南アジア最初の国家「扶南」を成立。(紀元1世紀ころ)3世紀初めにはカンボジア、コーチシナ、マレー半島を支配。農業を基盤とする国家であったが、海上貿易も発達。海港都市オケオ(Oc-eo)の遺物から、公用語としてサンスクリット語を用い、仏教やヒンドゥー教を奉じ、インド的な工芸技術が発達していたことがわかる。遺物の中には、遠くローマや中国(漢)との交渉を示すものがある。

    6世紀末、眞臘(クメール人)おこり、7世紀前半、扶南を滅ぼす。705年頃、北の陸眞臘(ラオス)と南の水眞臘(カンボジア)に分裂。一時水眞臘はジャワのシャイレンドラ朝に支配される。802年、クメール族は南北を統一し、ジャヤバルマン2世のときアンコール地域を中心としたカンボジア王国は最盛期を向かえ、その繁栄は13世紀初頭まで続いた。14世紀以降シャム、ベトナムから攻撃され衰える。

UNIT3.仏日のカンボジア支配

   1863年、フランスの保護国となったが、王制は存続。第二次世界大戦中、日本軍が進駐したが、1941年シアヌーク国王は即位。1945年3月、独立を宣言したが、日本の敗戦により、フランスの支配にもどる。

UNIT4.シアヌーク時代

   シアヌーク国王は1953年11月、完全独立を達成。1955年、王位を父スラマリットに譲り退位。以降シアヌークは首相、元首として独自の中立政策をとるが、ベトナム戦争で解放戦線側を支持しアメリカに敵対政策をとる。

UNIT5.ロン・ノル政権

   1970年3月、親米派のロン・ノル元帥が外遊中のシアヌークから元首の地位を奪い実権を掌握。10月クメール共和国と改称して共和制に移行、1973年3月大統領に就任した。シアヌークは北京に亡命し、1970年3月、カンボジア民族統一戦線を結成。1975年4月17日、共産党がプノンペンを陥落させ実権を掌握。

option ユネスコ世界文化遺産に登録されているアンコール・ワットの遺跡はいつ頃造営されたのか?

   カンボジアのアンコールには二大遺跡がある。9世紀末に第1次アンコール・トムが建設されたのが、大建築の序曲で、12世紀前半、ジャヤバルマン2世によって、30年の歳月をかけて建設された。続いて13世紀の初め、ジャヤバルマン7世によって、現在に残る一辺約3㎞の正方形をした第4次アンコール・トムが造営された。この建物は当初、ヴィシュヌ神を祭るヒンドゥー教の祠堂であったが、後世仏教寺院に変更され、他の多くの遺跡がタイ族の侵入によって放棄され、熱帯の巨木にうずもれて忘れられていた。

2010年3月12日 (金)

きょうの健康「本態性振戦」

    年をとると手足のしびれを感じることがある。ケペルは薬指が微小に震える。「中風」か「よいよい」か。むかし植木等が歌っていた。「♪しびれちゃった、しびれちゃった、しびれちゃったョ~」数年前に阪大病院で診てもらったが原因がどこにあるのかわからなかった。昨夜、「ためしてガッテン」という番組で「突然、襲う!手のふるえ」を観た。謎のふるえに悩む人は、なんと400万人以上いるという。ふるえは病気の前ぶれである場合がある。神経回路のどこか異常があるのかもしれない。動脈硬化や糖尿病が原因であるかもしれない。パーキンソン病かもしれない。しびれには悪いものと良いものがある。良いものは「本態性振戦」という病名があるそうだ。つまり、「原因のわからないふるえ」少しでもふるえがあると、否が応にも自分のふるえを意識させられることになる。ここで自律神経のコントロールがうまくいかないと、さらに興奮してしまい、ふるえはどんどん増幅される。微小な指先のふるえでも何らかの医学的な説明を聞くとナットクする。なおこの記事は曖昧な医学知識をもとに書いているので、ふるえに悩む方は専門医に診てもらうことをすすめます。

宇治川の先陣

    寿永3年正月13日、木曽義仲は源氏の軍勢が攻め寄せてくるのを聞くと、宇治川の橋板をはずして迎え撃った。源氏の軍勢は大手の源範頼に、搦め手の源義経に別れ、梶原景季の「磨墨(するすみ)」と佐々木高綱の「生ずき」の先陣争いとなった。

    最初は梶原の方が先に進んでいた。佐々木は背後から、「いかに梶原どの。馬の腹帯がゆるんでおるぞ」と声をかけた。梶原がそうかと思い、それを締め直している隙に、佐々木はさっと駆けぬいて、河へざっと乗りいれた。さてははかられたかと、梶原もすぐに後につづいた。生ずきも磨墨も頼朝の愛馬だったのを、戦に発つ前、梶原と佐々木がもらった馬であった。世に名高い「宇治川の先陣争い」は、ついに佐々木四郎高綱が制した。

木曽義高と大姫

   寿永2年3月、木曽義仲の長男である義高が、頼朝の娘・大姫の許婿となって鎌倉へやってきた。体のいい人質である。義高は、このとき11歳、大姫はまだ6歳である。ままごとのような夫婦だが、ずいぶんと仲睦まじく、微笑ましいふたりだった。このあたりの話はドラマ「草燃える」で丁寧に映像化している。

   ところが寿永3年1月、義仲は頼朝の追討軍によって、近江で討死した。このままでは義高の身が危ない。気配を感じた妻の北条政子は、義高を女装させて、女房たちが、皆、協力して屋敷から脱走させた。鎌倉街道を逃げた義高は、入間川のあたりで追っ手につかまり、藤内光澄に斬り殺された。

   大姫は嘆きのあまりすっかり心を閉ざしてしまった。「なぜ、あのようないたいけな子どもまでも」と政子は頼朝を激しく非難した。大姫はのちに20歳で、はかない生涯を終えるが、けっして他の縁談にうなずくことはなかったという。

2010年3月10日 (水)

日本の貧困率は高い

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る

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    日本は格差社会か?イタリアの統計学者コッラド・ジニ(1884-1965)が考案した所得分配の不平等さを表す指数をジニ係数という。全員が同じ所得の完全平等社会であればジニ係数は0となり、格差が大きくなるほど1に近くなる。ジニ係数を国別にみると、北欧はじめとするヨーロッパ諸国は低い。一方、ジニ係数の数値が高いのは、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国や中南米諸国で、ひと握りの階層に富が偏在している。

格差が大きい国
ナミビア     0.743
レソト           0.632
シエラレオネ   0.629
中央アフリカ  0,613
ボツワナ     0.605

格差小が小さい国
デンマーク    0.247
日本       0.249
スウェーデン  0.250
チェコ       0.254
ノルウェー   0.258

国や地域によって統計年が異なる。(成美堂出版「世界地図2009」より)

    日本はジニ係数は低い。かつて日本は生活程度や社会的地位が中程度の階層が多い、中流階級の国といわれた。だが近年、高齢者世帯の増加、若年層における格差や地域間格差がみられ、ジニ係数が低いからといって格差がないという実感はまったくない。むしろ、日本は貧困率は高い。貧困率とは、さまざまな算出方法があるが、OECDでは年収が全人口の平均年収に満たない人口の割合を貧困率と定義している。非正規雇用者の増加による労働市場の二極化などにより所得格差は拡大しつつある。

架空の都市と実在の都市

   アメリカのドラマ「逃亡者」のリチャード・キンブルはインディアナ州スタッフォードの小児科医。だが米国インディアナ州にスタッフォードStaffordという地名は実在しない。バージニア州にスタッフォード郡という地名はある。また英国イングランド中部にスタッフォードは実在する。なぜあえて架空の都市にしたのだろうか?キンブルの逃亡先はほとんど実在する地名である。キンブルの故郷を架空の都市としたのは、アメリカにどこにでもある理想的な閑静な住宅街をイメージさせようとしたのだろう。そしてその狙いは見事に適中し、驚異的な高視聴率となった。アメリカのテレビシリーズにはロードムービーとか放浪さすらい物の伝統がある。「ルート66」「名犬ロンドン」など。なぜテレビ小説などNHKのドラマがつまらなくなったのか。それは「産業地域振興」という呪縛があるからであろう。ドラマづくりには必ず県の観光宣伝がタイアップするようになった。視聴者はその観光PRを見せつけられるのに嫌気がさしているのであろう。「ウェルかめ」はあまりに露骨になってきた。

   ところで米国と英国とで同じ地名がある。たとえばニューヨークNew York。1626年オランダ人のピーター・ミヌイットはマンハッタン島をインディアンより購入し、ニューアムステルダムと名づけた。1664年、イギリス人がこの島を占領し、ヨークと改め、ニューヨークと呼ばれるようになった。イングランド北東部の地名ヨークがアメリカのニューヨークの地名の基である。

    マサチューセッツ州のボストンBostonは、イギリスのリンカンシャー州にあるボストンに由来する。

   日露戦争の講和条約締結で知られるニューハンプシャーのポーツマスPortsmouthはイギリスのハンプシャー州にある軍港都市ポーツマスが基である。

  アイオワ州のウォータールーWorterlooはロンドンのテムズ川に架かるウォータールー橋(映画「哀愁」で知られる)と同名。本来はイギリスのウェリントンがナポレオンを敗ったワーテルロー(ベルギー、ブリュッセル南)の古戦場に由来する。なおアメリカにはウォータールーという地名が無数に存在する。

  ペンシルベニア州のランカスターLancasterはイギリスのランカシャー州のランカスターに由来する。

2010年3月 9日 (火)

歴史ミステリー

    歴史はこれまで誰もが信じて疑わないことが、大きく変わってしまうことも珍しくない。ここでは一笑に付してしまうような珍説もふくめて紹介しよう。

1.聖徳太子は本当に存在したのか?近年では架空の人物だったとの説が有力視されている。

2.本能寺の変は通説では明智光秀の信長への私怨が動機となっているが、朝廷、上流公方たちが織田信長暗殺計画の黒幕であったとする。

3,孝明天皇は岩倉具視によって毒殺された。明治天皇は替え玉であるとする説。

4.イエス・キリストには妻と子供がいた。妻のマグダラ・マリアは、紀元40年ごろ小舟に乗って、サント・マリー・ド・ラ・メールへと逃れた。このときマリアは、イエスとの間に生まれたサラという娘を連れていた。イエスとマリアとの血脈は、フランク王国のメロヴィング朝につながっているとされる。

5.ジョン・F・ケネディの真犯人はオズワルドではなく、CIAとマフィアであるという説。

6.1969年7月20日、アポロ11号のニール・アームストロング船長は、人類で初めて月面に降り立った。ところが、この20世紀最大の偉業は実はハリウッドで撮影されてもので、アポロ11号の月面着陸はアメリカの捏造だった。

    そしてここにまた新たな歴史ミステリーが生まれた。民主党の藤田幸久議員がワシントン・ポストの取材に対し、「9.11テロ、世界貿易センタービルの倒壊が飛行機の衝突による火災ではなく、起爆装置で起こった可能性がある」と発言した。つまりオサマ・ビンラディンらの関与に疑義を挟んだことになる。そして「陰の勢力が株の利益を得るために実行」と推理している。このようなネタは面白ブログには使えても公人の発言としては日米関係に影響することは間違いない。確たる証拠を示して欲しいものだ。歴史はさまざまな憶測は可能であるが、8年余り経過してもビンラディンの行方は杳として知れず(死亡説もあるが不明)、その真相は謎につつまれている。

ギリシャ問題はペリクレスの時代から

    いま世界の投資家を悩ます頭痛の種はギリシャ問題かもしれない。2009年10月にパパンドレウ政権が発足し、カラマンリス前政権が巨額の財政赤字を隠していたことがわかった。EU加盟国のギリシャの財政危機はユーロ危機に発展する。

    あまり世界経済の話は庶民には縁遠いものであるが、考える世界史、ギリシャ問題の種はすでにアテネの黄金時代ペリクレス(前495-前429)の頃から内包していた問題でもある。伝クセノフォン「アテナイ人の国制」(岩波文庫にあるアリストテレスの「アテナイ人の国制」とは別書)には当時の問題がよく著わされている。つまり民主制と貴族制との対立、はたまたドーリア人の南下以来の民族性の相違などがギリシャの分裂的な性格を示している。もともとギリシャは方言によって大きく五地域に区分される。アテネを中心としたイオニア人の地域。テーベを中心としたアイオリス方言の地域。オルコメノスなどの古い文化を持つアルカディア方言の地域。ドーリア人がペロポネソス半島に定住した古い文化を持つトロイアを中心とした地域。それにスパルタを中心とした北西方言を持つ地域である。とくにアテネとスパルタという指導的ポリスが相反した国策をとっており、民族的統一をとるこが難しいことは歴史が雄弁に物語っており、ギリシャ問題は古くて新しい問題である。

2010年3月 8日 (月)

芭蕉発句集 あり~いく

Photo_3     落柿舎

61  有明も みそかに近し餅の音

62  ありがたき 姿拝まん杜若

63  ありがたや 雪をかをらす南谷

64  栗稗に まづしくもなし草の庵

65  家は皆 杖に白髪の墓参り

66  烏賊売の 声まぎらはし杜宇(ほととぎす)

67  いかめしき 音や霰の檜木笠

68  生きながら 一つに氷る海鼠かな

69  幾穐の せまりて芥子に隠れけり

70  幾霜に 心ばせをの松かざり

人名に由来する島の名前

                 ウランゲル島▼Img_0026_2

  世界にある島の名前には、人名がしばしば用いられることがある。それは領有権を主張しようという意図が込められているのであろうか。東シベリア海にあるウランゲルWrangel島、あるいはウランゲリ島の場合でみてみよう。1867年、帝政ロシアの探検家フェルディナント・フォン・ウランゲル(1796-1870)は数回の探検を試みたが、この島を発見できなかった。(島の発見者はアメリカ人のトマス・ロング)のち、アメリカ、ロシア、カナダの人々が探検して、イギリス、アメリカ、ロシア間にその領有について紛争がおこったが、1916年ロシアがその領有を宣言した。島を発見しなかったのに島名にその名が因んでいるのもめずらしい例である。

    マリアナ諸島Marianasは、1668年スペイン国王フェリペ4世の王妃マリア・アンナの称号であるマリアナ・オブ・オーストリアMariana of Austriaにちなむ。マーシャル諸島Marshallは、1788年イギリス東インド会社のマーシャル船長に由来する。ソロモン諸島の北端にあるブーゲンビル島Bougainvillは1768年、この島を発見したフランスの航海者ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンビル(Louis Antoine de Bougainville、1729-1811)の名にちなむ。植物ブーゲンビリアも彼の名にちなむ。ニューギニア北方にあるビスマーク諸島Bismarkは、1884年、ドイツが占領し、時のドイツの首相ビスマーク(1815-1898)にちなんで命名された。ポリネシア諸島のクック諸島はもちろんイギリス人の航海士ジェームス・クック(1728-1779)にちなむ。南極大陸に近い島ウィルクスランドWilkes Landは、1804年、アメリカの南極探検家チャールス・ウィルクスCharles Wilkes(1798-1877)によって発見され、ウィルクスの名と、ランドLand「陸地」を合わせた地名がつけられた。南太平洋トリスタン・ダ・クーニヤ諸島Tristan-da-Cunhaは、1506年、この島を発見したポルトガル人航海者トリスタン・ダ・クーニャTristao da Cunha (1460頃-1540頃)の名にちなむ。アルゼンチン沖にあるフォークランドFalklandはイギリスのフォークランド卿の名にちなむ。大西洋上のバミューダ諸島Bermudasは、1515年、この島を発見したスペイン人ホアン・デ・ベルムデスJuan de Bermudas の英語読みである。ベーリング海にあるプリビロフ諸島Pribilofは、1786年から1787年、この島を発見したロシア人のG.プリビロフ(Grvrill Pribilof)の名にちなむ。

2010年3月 7日 (日)

自分をみつめる

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  NHKの「ようこそ先輩」を見る。脚本家の田渕久美子が母校(島根県益田市立吉田小学校)へ行って課外授業をする。テーマは「心を掘りまくれ」。生徒2人を対面さして、相手の悩みを聞きだす。そして将来の夢や相手のいい面を見つける。お互い話し合うことで、理解し、自分の心もすっきりするらしい。たった二日間だけど、自分をみつめるよい機会になったのではないか。

    田渕久美子は自己の経験から「自分を信じること。自身を持つことの大切さを感じていた。それにはまずもう一人の自分がいて(双子の妹のような存在)、自分をはげましてくれる。」そのような気持ちを生徒に伝えたかった。自己肯定。成長期は自分を他人と比べたりして、落ち込んだり、悩むことが多い。周りの人に関心をもって、話かけたり、コミュニケーションをとることは、自分の存在にもプラスになる。いいアドバイスだったと思う。この種の講演は郷土の出身者が中央で成功した、憧れの人、という目線でなく、人間としてのフツーの話がいい。セレブに憧れてもプラスにならない。基本は毎日の授業だ。担当の教師の話を真剣に聞いてほしい。宇宙飛行士や野球選手の話を聞くというのがもともとのスタートだったが、番組を継続していくうちに、制作サイドもだんだんとどういった講師がいいか、わかりはじめてきたのだろうか。

    それにしても田渕久美子さんって…、素敵な女性ですね。

2010年3月 6日 (土)

銀盤の女王ソニア・ヘニーとキンブル

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  昔のハリウッドはオリンピック選手を映画スターにした。水泳のジョニー・ワイズミュラー、スキーのトニー・ザイラー、フィギアのソニア・ヘニー(1912-1969)らである。とくにソニアの人気はいまの浅田真央やキム・ヨナなど比べることもできないほどの人気だったらしい。なにせオリンピックで三度も金メダルを獲得している。(1928年、1932年、1936年)引退後、映画入りして大スター。「逃亡者」の若かりしデビッド・ジャンセン少年はこのソニアのスケート物の映画でデビューしている。1945年のことなので日本未公開。翌年、ターザン映画「燃える密林」には出演。似たような映画に出されたものだ。これはステージママのBerniece Graf(1910-1995)の売り込みのせいだろう。ネブラスカ州Naponeeで生まれたデビッド・ジャンセン、本名David  Harold Meyer(1931-1980)は両親の離婚のため1938年、映画の町ロサンジェルスにやってきて演技と歌のレッスンをうけた。子役で小さな役をもらっていたが、兵役で休止、本格活動は戦後からである。

難破船

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After a storm comes a calm 
嵐のあとには凪が来る(いやなことのあとには、もっといいことが起こる)

a storm in a teacup 
コップの中のあらし

a any old port in a storm 
嵐の時にはどんな港でもありがたい

ウィキペディア日本語版

   へなちょこブロガーとしてはウィキペディア日本語版にお世話になることが多い。ウィキペディアの記述をベースにしながらも、ウィキペディアではふれられていない事柄を記事にする。ウィキペディアにはたいへんに詳しく書いてある項目と粗い項目、項目そのものがない場合など、よくも悪くも今の日本の事情を反映している。英語版と比較すると日本語版との優劣は明瞭である。たとえば笠智衆という役者は昭和40年代、テレビのお祖父さん役で多数出演したがそのフイルムグラフィーは粗い。倉本聡脚本のドラマ「わが青春のとき」に出演していたが、ウィキペディアには記事がなかった。英語版ウィキペディアは英米の役者の出演リストはかなり詳細、小さな役でも出演記録は残っているのには驚く。ドナルド・プレゼンスは多数の出演作のある役者で知られるが、漏れなく記載されている。だが笠智衆はプレゼンスを超えると思われるが、これでは立証できない。これから外国スターの記事は書きやすくなる。日本のウィペディアは若いアイドル・タレントは異常に詳細で往年の大スターが簡素の記事というアンバランスが目立つ。おそらく学術的な歴史事項などもアマチュアの歴史好きが書き込みしたもので、読物としては面白くとも、学問的厳密性でいうと難あり。もっと学際的な関係者が協力すべきであったろう。海外の日本学研究者からみると、「あいまい」「でたらめ」な国民性がはからずもウィキペディアから見えるようになってしまった。

非情な追跡者ジェラード警部

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   「逃亡者」の魅力の1つにあの執念深いジェラード警部(barry morse)のキャラクターがある。当時こどもの噂では「真犯人はジェラードだ」という友だちがいた。それほどバリー・モース(1918-2008)は有名な外国俳優である。最近までロンドンで静かな余生(著作などかなり活発な活動をされていたようだが)を送っていた様子がネットでわかる。頭髪が薄いので高齢にみえたが50歳前後だった。第85話「非情な追跡者」は最新のコンピュータを駆使して、季節により異なるが、今頃は果樹園で働き、貨物列車で移動する、という結果がでた。警官を手配して待ちかまえていると、案の定キンブルが現われた。人間の行動パターンを研究しているライダー博士の研究の正しいことが実証された。記者がこれをニュースにする。偶然にこれを知ったキンブルは、行動パターンを変えてしまう。

   初期のコンピュータの登場の様子がたいへん面白い。このコンピュータでキンブル事件を割り出すと、98%の確立で無罪とでた。ジェラードは「わたしは2%を信ずる」と断言する。ところでいまでもアメリカ社会ではコンピュータによって裁判の判定をしていない。どんなに詳細にデータを集めていても、人間の犯罪心理はコンピュータには予測不能である。将来も可能かどうかわからない。でも陪審員や裁判員などよりは正しい、という皮肉が込められているような一編である。

2010年3月 5日 (金)

ジョアンナ・ペティット

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   ジョアンナ・ペティット(JOANNA  PETTET)といっても日本では知られていない。いや多数のテレビ、映画に出演しているセクシー女優だ。代表作はテレンス・スタンプの「血と怒りの河」、ロッド・テーラーの「復讐」。「逃亡者」第84話「白鳥の歌」で地方に住む刺激を求める若い娘で出演していた。キンブルを誘惑するが振られた腹いせに警察に密告する。放火して恋人を殺す。池のほとりの白鳥を見るのが好きで、キンブルに発見される。元警官の叔父が甘やかしたため悪い娘に育ったようだが、最後には叔父の手によって捉えられる。そんな活劇はあるものの、結局は現代アメリカの崩れてゆく家庭を描いている。逃亡者は追撃のアクションと思われるようだが、佳作は家庭劇のようなのがおおい。ゲスト出演者は若手であれば現役もいる。とくに女性の場合長生きなのはどこも同じ。もちろんジョアンナ・ペティットも順調に作品に出演を重ねて、セクシー女優としての確固たる地位を築いた。本編は「逃亡者」シリーズに中でも屈指の好編。

3月のケベック

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   カナダ東部の人口49万人の都市ケベック。セントローレンス川中流、川の北岸に位置し、モントリオールから270㎞下流にある。1535年に、最初のヨーロッパ人であるフランス人J・カルティエが上陸し、1603年サミュエル・ド・シャンプランが、内陸探検と毛皮交易の根拠地として要塞を築いた。1663年から100年間、「新しいフランス(ラ・ヌーヴェル・フランス)」の首都であったが、1759年イギリスによって占領され、以後イギリスの支配下にはいった。住民の94%はフランス系で、標高100mたらずの断崖の上には、城壁で囲まれた旧市街があり、川岸に沿って狭い石畳の坂道が曲がりくねる古い家並みの密集した下町があって、城壁の中の落着いた美しさとは対象的である。ケベックとは、インディアンの言葉で、「海峡」または「川の狭くなったところ」を意味する。このインディアン地名がフランス人に伝えられ現在の地名となった。1852年創立のラヴァル大学(現在は博物館になっている)がある。

2010年3月 4日 (木)

北条政子のやきもち

    いまCSで放送中の大河ドラマ「草燃える」がおもしろい。「尼将軍」とよばれた北条政子は勝気で謀略家というイメージがあるが、岩下志麻だとかわいい感じ。鎌倉入りしてまもなくのころ、政子が身ごもった。すでに大姫がいるので2番目の子、のちの頼家である。当時の習慣にしたがって、政子は御所を出て、産所に移って出産。と、その間に、頼朝は、伊豆でなじみを重ねていた亀の前(結城しのぶ)という女性をひそかに鎌倉に呼び寄せた。伊豆での流人生活時代に、頼朝は、政子以外の多くの女性とも交渉を持っていたのである。御所に戻った政子は、この頼朝の浮気をたちまち嗅ぎつけた。憤慨した政子は家来をやって、亀の前の隠れ家を討ち壊わさせてしまった。亀の前は命からがらその場を逃れたというが、この夫婦げんかは、鎌倉中の評判となってしまった。

名脇役ドナルド・プレゼンス

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    その映画が面白いかどうかを判断する材料に、名脇役がでていればその映画は見て損はない、という俳優がいる。ドナルド・プレゼンスはケペルのお気に入りの名脇役の一人である。

    逃亡者第83話「喝采の影に」には天才バイオリニストの厳しい指導者としてドナルド・プレゼンス(1919-1995)が出演している。先日「刑事コロンボ」で「別れのワイン」ではワイン作りにすべてを捧げた男の役だった。プレゼンスは何かに異常に執着する狂人的な役に面白い味がでる。イギリスのノッティンガムシャー州ワークソップの生まれ。第二次大戦中に捕虜の経験があり、「大脱走」では、ほとんど視力を失いながらジェームズ・ガーナーと一緒に飛行機で脱走するが失敗するプライス役で知られるようになった。以後、「世界で最も多忙な俳優」といわれるほど、出演作は多い。代表作に「ミクロの決死圏」「将軍たちの夜」「007は二度死ぬ」「鷲は舞い降りた」「アガサ・クリスティー、サファリ殺人事件」「ハロウィン」など。「私は役者だ。役の話が来る。脚本を読む。出ると決めたらセリフを覚える。演技には何の理論も持っていない。ただやるだけのこと」と語る。

2010年3月 3日 (水)

昭和一桁世代早死説は本当か?

    俗に昭和一桁生まれは早死にするという。成長期に戦中、戦後が重なって十分な栄養が採れなかったからだ。確かに、仕事の先輩たちが次々と亡くなるのをみれば、思いあたる。明治、大正生まれは頑丈だったのに、昭和一桁は何故か退職しても余生が短い。たとえば俳優にもいえる。東映の千恵蔵、右太衛門両御大は長命だったが、橋蔵、錦之介、千代之介、それに市川雷蔵らみな早死にしている。外国スターにもいえる。テレビ草創期のスターはだいたい1930年前後に生まれた昭和一桁世代。スティーブ・マクイーン、デビッド・ジャンセンなど50歳であっけなく亡くなっている。マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーンも長生きとはいえない。戦勝国アメリカの食糧事情が悪いはずはなく、どうやら戦争に起因するトラウマが体に悪影響していると考えている。大雑把な話ではあるが、昭和一桁世代は世界的な大戦のために家庭も崩壊するか、何らかの悲しい出来事が成長期にあり、戦後、恵まれた生活ができるようになっても、かえってそのギャップが本人を苦しめる結果となっていることが多い。もちろん個人差があり、一概に言えないことであるが、世界大戦という未曾有の出来事の代償は計り知れないものなのである。

ニューシネマとは何だったのか

    アメリカの代表的な週刊誌「タイム」は、1969年12月号で「ニューシネマ、暴力、セックス、芸術、自由に目覚めてハリウッド映画の衝撃」という大見出しをつけて、「俺たちに明日はない」の特集記事を掲載した。このあとアメリカでは「卒業」「イージー・ライダー」「明日に向かって撃て」が次々とヒットした。だがニューシネマとは何か。ある人はベトナム反戦で生まれたといい、ある人はアメリカという国の体制にうまくなじめない若者を描いたという。しかし、このような定義では括れない映画もニューシネマといわれる。「俺たちに明日はない」はベトナム反戦の主張が含まれているわけではない。新しいスター、非ハリウッドというが、主演のウォーレン・ビューティは「草原の輝き」で知られた既成のハリウッドの美男スターだ。「アリスのレストラン」という映画が、ベトナム戦争、徴兵制度、ヒッピー、麻薬などニューシネマ的素材をてんこもりにした作品だろうか。しかし、「バニシング・ポイント」などただ猛スピードでアメリカを横断し、爆死するという内容に映画的な新しさを感じても、ニューシネマ運動という共通の芸術理念を見出すことは困難である。つまり、イタリア・ネオリスモやフランス・ヌーベルバーグのような映像作家の共通した芸術意識をニューシネマからは見出しにくいのである。そうしてニューシネマはパニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」などのグランド・ホテル形式の既成の豪華ハリウッド・スター映画のヒット作の攻勢によって自然的に消滅していった。スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスなどニュー・シネマ後期から出現した新しい若手監督によって、ハリウッドは再び活発になっていったことがニューシネマの功績といえる。

高校無償化は民族差別なく

    高校無償化制度で朝鮮学校を除外するかどうかが焦点となっている。今年は日韓併合100年にあたる。政府は拉致問題や経済制裁を理由にしており、有本恵子さんのお母さんの「一律反対」の声のように、北朝鮮への感情的なものが大きいように思える。だが教育問題を政治の拉致問題と絡めて論議すれば、特定の民族だけを差別することとなり、人種差別に関わる大きな人権問題に発展するであろう。いまは日韓百年の歴史をふまえた冷静な判断が求められる。

    明治43年8月22日、韓国併合条約の調印が行われ、これをもって「大韓帝国」の名が消滅し、日本が昭和20年8月15日までの36年間にわたっての日帝36年が存在した。朝鮮に対して、あるときは土地や食糧の補給地として、さらに兵士の兵站基地として、朝鮮を搾取したことは明白な歴史的事実である。そして皇民化政策によって、日本語が公用語として教育された。敗戦後、在日朝鮮人は母国に引き揚げるよりも、そのまま日本に暮らしたいと思った人も多数いただろう。GHQは昭和21年11月に声明を出した。「現在、在日朝鮮人は約60万だが引き揚げを要請している者は総計僅かに7万5千に過ぎない。日本当局は朝鮮人には、どんな差別待遇もしないよう保障する言明を発しており、また占領軍当局は、こうした指令が完全に行われるよう常に腐心している。」とある。日本政府は在日朝鮮人に対して、いかなる差別もしない、と約束したのだ。歳月は経ち、為政者は戦後の経緯など忘れ、目先の政治情勢のみを優先する。だが戦後も日本の復興に尽くしてきた外国籍の人たちの子供たちに、いまの経済制裁は無関係な話である。朝鮮学校には北朝鮮だけでなく韓国の国籍の人も多くいる。南北分断は昭和25年の話で米ソの冷戦構造で生まれたものだ。そしてその元凶は日韓併合である。つまり日本に朝鮮学校があるのは日韓併合100年の結果であり、日本人がその責任をとるのは当然のことである。朝鮮学校を高校無償化から除外することは明白な人種差別にあたり、人権差別撤廃条約の「教育に関する権利の平等保障義務」に違反することになる。国連から差別改善の勧告を受けることは国際社会の一員として不名誉なことであり、日本が世界中から非難されることになる。国際社会で人種差別の日本に支持する国はなく、結局、日本は孤立化し、拉致問題の解決そのものにも逆効果となってしまう。

2010年3月 2日 (火)

人類愛の金メダル

    昭和39年、第18回オリンピック東京大会が開かれたときのことです。ヨットレースは相模湾の江ノ島沖でおこなわれました。この日は朝から、北西の強い風が吹いていましたが、レースは予定通りに開始されました。スウェーデンのラース・キエル、スリグ・キエルの兄弟選手が操縦するハヤマ艇は快調に先頭グループにいました。ハヤマ号はオーストラリア艇を追い込んでいました。そのとき、突風により、オーストラリア艇が大きくローリングして、ウィンター選手が海に投げ出されました。スリグは「たいへんだ、兄さん、ダイアブロ号が遭難だ」スリグ選手とラース選手はこのとき、さまざまな考えがうずまきました。もし、助けようとすれば、時間をくってハヤマ号のこれまでの快走はほとんど無意味になってしまう。これまで金メダルをとるためだけにどれだけに激しい練習をしてきたことも、まったくむだになってしまう。ウィンター選手はあのままにしておいても、だれかに助けられるだろう。それならこのまま、ハヤマ号を走らせて…。そんな考えも浮かんだ。海の王者としての勝利をめざすか、それとも、命の尊さにすべてをあきらめるか。ふたりの考えは、同時に決まった。ウィンター選手を援けるのだ。それが、ヨットマン、海に生きる男のとうぜんするべきことです。すぐにハヤマ号はたくみに風を利用して、ウインター選手を救助しました。けれどもレースを中断して、救助にあたったので、とりかえしのつかない時間となったのです。最後まで力走してゴールインしたときは、第12位の成績でした。勝ち負けよりも、命のとおとさを選んで、競争相手の選手を助けたキエル兄弟。「母国の人たちの期待にそえず、まったくもうしわけない。けれども、波にもまれているウインター選手を見たとき、レースのことは忘れました。助けだすのは、海の男としてはあたりまえのことです。ぼくたちは、海のほんとうのルールを守っただけです」12位だったキエル兄弟のこの行為に対する母国スウェーデンの人たちはもちろん、世界中の人々が金メダル以上の大きな拍手を送りました。オリンピックのスポーツマン精神は「より速く、より高く、より強く」という目標とともに「より美しく」というのがあります。この兄弟の立派な行いは、「より美しく」というオリンピックの精神をみごとに示してくれたものです。

硝子のジョニー

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    「硝子のジョニー」は不思議な曲である。作曲者はアイ・ジョージ自身だということだが、彼はどこかでこのメロディーを聞き覚えたのかもしれない。戦後、ギター流しをしていたが、大阪のクラブの専属歌手をしていたところを、森繁久弥に認められレコード歌手となった。紅白歌合戦には1960年から1971年まで連続出場している。まさに1960年代はまちがいなくアイ・ジョージは日本の歌謡界の頂点にいた。その後、テレビなどに出演することもなく、彼の代表曲「硝子のジョニー」や「赤いグラス」さえ聞かれることは少ない。そんな彼の勇姿を映画「硝子のジョニー、野獣のように見えて」(蔵原惟繕監督)で拝見することができる。彼の声質の聞きよさ、ムード、いままで聞いた日本人歌手の中で最高である。彼は軍歌も得意のレパートリーである。流しの頃覚えたのだろうか。とくに「戦友」はいい。映画でもワン・フレーズ聞くことができる。国際感覚を生まれながらにもったアイ・ジョージだが、やはり太平洋戦争の孤独が彼の人生に影響しているといえる。

   ところで標題の「硝子のジョニー」が何者であるか分からない。歌詞は大阪の作家・石浜恒夫(1923-2004)のものでアイ・ジョージの実体験が現われているとは思えない。「黒い面影、夜霧に濡れて、ギターも泣いてる、ジョニーよどこへ、いつかは消えてゆく、恋の夢よ」しかし曲と歌詞が一体をなし心にしみる。劇中で芦川扮するみふねは「硝子って壊れ易いものよね。だから大切にしなくちゃいけないわ。わたし、ジョニーよどこに、という所が好き」という。大阪弁のアイ・ジョージが何人であるのか知らないが、背丈は低いが頑丈な肉体を持っている。この映画には長身の宍戸錠とアイ・ジョージが登場するが、どちらも野獣のような精悍さだ。ヒロインみふね(芦川いづみ)は北海道・稚内の貧しい昆布採りの娘で人買い(劇中では玉ころがし)の秋本(アイ・ジョージ)に身売りされたが、途中で逃げ出し、函館の見知らぬ競輪の予想屋ジョー(宍戸錠)に助けられる。だがジョーも5万円の金欲しさからみふねを売り飛ばす。ジョーは野獣のような男だが、白痴のみふねは、いつかジョニーが助けてけれると思っているらしく、慕いつづける。秋本が函館でみふねを見つけ、列車で大阪へ連れ出す途中、秋本は暴漢に刺される。懸命に看病するみふね。病中に「硝子のジョニー」を弾く。ヤクザな二人は小悪人だがいつしか天使の心をもった芦川いづみの大切さに気がつき、探し出すがそのときはすでに遅く、いづみは海で死んでいた。まるでフェデリコ・フェリーニの「道」のようなテーマである。つまり「ジェルソミーナのテーマ」が「硝子のジョニー」なのだ。ソチ・オリンピックでは高橋大輔選手は「硝子のジョニー」でアジアの戦争の悲しみを表現してもらいたい。

   日活アクション映画全盛期にあってこの映画「硝子のジョニー」は高い評価では無かったが、半世紀経て名作に見えるから不思議である。黛敏郎が音楽を担当している日活作品にはみるべきものがある。

2010年3月 1日 (月)

ウェルかめ外伝

    NHK朝ドラ「ウェルかめ」も終盤に向かう。そこで今後のストーリーを大胆予想してみよう。ウミガメ館の伊崎光男(温水洋一)は45歳を過ぎてもいまだ独身。うどん屋のフミも何度か縁談をすすめたが、どれも気がすすまない様子。それはメキシコへ旅立った学芸員・亀園由香(松尾れい子)への思いがあるからだ。そんなある日、亀園由香からフリオとの結婚式の招待状が届く。伊崎は悩んだ。そして人生最大の決心をする。

   ここは青く晴れわたったメキシコの海が見える小さな教会。由香とフリオは祭壇の前にたち、誓いの言葉を述べる。そのとき、「エレーン」という叫び声がするかと思うや、中条きよしが新婦の由香を掠奪して教会を抜け出してしまう。まるでダスティン・ホフマンのような早業だ。「さあ、ここまでくればもう大丈夫」と中条は言うや、背中をチャックを下げ、ハンサムスーツを脱ぎ捨てると、なんと伊崎光雄ではないか。「由香さん、あなたを愛しています。結婚してください」と伊崎はプロポーズすると、由香もうれしくなって伊崎に抱きついて思いっきりキスをした。

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