エグモント山の裾野に広がる羊牧場
UNIT1.概観
北島と南島の2島を中心に、スチュアート島、オークランド島、クック島などの小さな島から成る。国土の面積は約27万k㎡で、およそ日本の本州と九州を合わせた広さに相当する。森と湖、山と峡谷、氷河とフィヨルドなど変化に富む大自然が美しい。海洋性気候で温暖、雨量も通年平均しているため農・牧畜業に最適である。
UNIT2.探検家と開拓者
ニュージーランドに最初にやってきたポリネシア人は、クペという航海の名人で西暦950年の頃だったという。確証のない伝説ではあるが、すでに9世紀頃にはポリネシア人開拓者が島々にやって来たであろう。マオリ族はこの島を「アテオアロア」(長く白い雲の地)と呼んで、言い伝えでは、ハワイキ(タヒチ島らしい)からの大船団が島到着して、大規模なポリネシア人の移住をもたらしたらしいことになっている。
ヨーロッパ人として初めてこの島を発見したのは、オランダ人のアベル・タスマン(1603-1659)で1642年に南北両島を探検した。1769年から1770年にかけてイギリスのジェームズ・クック(1728-1779)がエンデバー号でオーストラリア、ニュージーランドなどの太平洋地域を探検した。この調査の結果、イギリスを初めヨーロッパから移民活動がおこった。
NUIT3.植民活動
1788年、イギリス人がオーストラリアのシドニーに植民するようになってまもなく、流刑囚の仕事のために、ニュージーランド北島特産の木材と亜麻の開発が始められた。北島では、捕鯨船や貿易船がアイランズ湾を、水の補給や修理のための基地として利用していた。
UNIT4.マオリ族との抗争
1840年、1000人を超すヨーロッパ人がニュージーランドに入植してきた。新しい植民地にはウェリントン市が建設された。1842年、最初の入植者はネルスンという都市計画地区を開拓した。その後、ニュージーランド会社は、農耕と牧畜に適した土地をを探してタラルア山脈をめぐりワイララ湖に達した。1840年にイギリスは先住民マオリ族との間にワイタンギ条約を締結した。その後、1843年と1872年の二度にわたってマオリ族と大きな抗争があったが鎮圧した。
1852年、E.J.リーが1800匹のヒツジを引き連れて、ネルスンから峠を越えて東海岸に達することに成功した。これから牧羊業が本格的に始まり、今日の酪農国の基礎が築かれた。
UNIT5.民主主義の発達
1880年代にはバター、チーズ、食肉などを冷凍にしてイギリスに積み出しすることができるようになり、牧畜農業が着実に発達した。1889年には、普通選挙法が制定され、1893年には世界最初の女性参政権が導入された。1907年イギリスの自治領となり、その地域はウェストミンスター憲章で確認される。リチャード・ジョン・セットンは1893年から1906年まで首相の地位にあり、産業・労働政策で成果を収めた。
UNIT6.第1次世界大戦から第2次世界大戦まで
二度の大戦では軍隊の海外派遣、食糧など本国イギリスを支持した。国内においては、輸出市場が確保され、戦争が繁栄をもたらした。1942年のシンガポール陥落以後はアメリカ軍がニュージーランドの唯一の防衛力となった。
UNIT7.戦後
せんごははアメリカはイギリスに代わって主導権を握り、ニュージーランドは反共軍事体制の一翼を担うことになる。1975年政権を握った労働党は中国を承認し、アジア諸国、特に日本を重視する外交政策をとった。1975年には国民党が、1984年には労働党が、1990年にはボルジャー国民党が誕生した。1997年には初の女性首相シップリーが、1999年にはヘレン・クラック率いる野党労働党が政権を回復し、連続して女性が首相を務める。
option 地名「ニュージーランド」の由来は?
発見者タスマンはこの島を「スターテンランド」Stoten Landtに国有地)と名づけたが、この地名は固有名詞として定着しなかった。1665年には、「ノヴァ・ゼーランド」いう地名がオランダの公文書に見られる。「ノヴァ」は「新」の意味であるが、「ゼーランド」というのは、オランダ南部の島の多いゼーランド地方のことである。海と海岸線からなるこの島の風景が似ているため、「新ゼーランド地方」なる地名がつけられたとされる。しかし命名者が誰であったのかは、明らかではない。1766年、クックがこの島を探検して、イギリス領となり、それが英語化してニュージーランドNew Zealandとなった。
option ワイタンギ条約の問題点とは何か?
ワイタンギ条約とはイギリスとニュージーランド先住民マオリ族との間に1840年に締結された約定。ニュージーランドの基本法とみなされているが、わずか3条の簡単なもので、多様な解釈が可能で、これがマオリ戦争(1860-1872年)の悲劇をもたらした。内容は、
①ニュージーランドの主権はイギリスに帰属すること
②その代わりに、マリオ族はイギリス国民としての権利と特権を与えられる
③イギリスは彼らの土地所有権を十分保障するが、売る場合には必ずイギリス政府に対して売ること
二度にわたるマオリ戦争によって、マオリ族の数は4万人に激減し、民族の意義はすっかり沈滞してしまった。政府は1996年10月ワイタンギ条約に違反して土地を奪われたと訴えるマリオの二ターフ人に、イギリス植民地時代の不正土地取得を正式に謝罪している。
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