中国史 13
UNIT.13 秦の滅亡
始皇帝の死 前210年、東方巡幸の途中、沙丘の平台で病没。享年50歳。暗愚な胡亥が継ぐと、農民反乱が起こった。
兵馬俑坑 1974年、皇帝の死後の軍隊ともいえる兵や軍馬の俑がおさめられた坑が発見された。坑は4つあり、1号坑だけで6000体をこえる俑がある。ただこの坑が始皇帝のものだとする文献的な証拠はまだ発見されていない。
陳勝・呉広の乱 前209年、農民反乱が各地で起こり、旧六国の遺臣も挙兵した。前206年、咸陽は劉邦によって落とされ、項羽によって滅ぼされた。
滅亡の原因 あまりに急激な改革は、人民の反感を高め、外征や長城の修築などが負担となり、人民の苦しみは極点に達し反乱が起こった。
option 中国史上における秦の重要性を述べよ
秦の治世はわずか15年に過ぎなかったが、その天下統一の歴史的意義は大きい。中国4000年の歴史というが、秦はほぼ半ばに位置し、中国史を二分している。「先秦」という言葉が、中国では使われるが、秦以前と秦以後とを明確にへだてる史観の表れである。
第1の業績は全国統一にあるが、最大領域は今日の中国の領土に近い。秦の時代に中国民族の居住地域が確定したといえる。
第2は皇帝制度の採用である。1911年の清朝滅亡まで2100余年も存続した帝政は、アジアの周辺諸国にも影響を与えた。
第3は封建制を郡県制に代えたことである。漢のように郡県制と封建制とを併用(郡国制)したことはあっても、大筋としては中央集権の郡県制が採用された。
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