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2010年3月18日 (木)

中国史 11

UNIT.秦始皇帝と皇帝制度

称号「皇帝」 統一君主の称号として三皇五帝から皇帝なる名を用いたとする説は誤り(三皇五帝伝説は後代の創作)。泰皇の「泰」の字を削除し、代わりに「帝」という字を付け加えて、「皇帝」という称号をつくった。

諡法の廃止 諡法とは、君主の死後、その君主の業績に適しておくり名を定めることである。始皇帝はこのような諡法は、子として父を批判することであるから、みずからを始皇帝と称し、2世、3世と万世に伝えることにした。

皇帝専用語 一人称を「朕」、命を「制」、令を「詔」という。「制詔」とは命令一般をさす。配偶者を「皇后」といい、墓を「陵」という。居処を「宮闕」という。

アジアの皇帝制度 始皇帝の皇帝制度は中国の国家構造の基本形態として、1911年の清朝末、宣統帝廃位まで2132年間存続した。アジアの周辺諸国にも影響(朝鮮王朝、日本の天皇制など)日本の天皇家が万世一系であるのは、秦始皇帝が創始したものである。

option 英語チャイナは秦が語源か?

    秦(Chin)の名は匈奴により西方に伝わり、インドではチナ(China)またはチニスタン(Chinista)となり、ローマに伝わり、シネイ(Sinae)またはティン(Thin)となる。これが現在の英語のチャイナ(China)、仏語のシーナ(Chine)、独語のヒーナ(China)となる。

    ところで戦前に日本でも中国のことを「支那」と呼んだがいまでは使われない。差別語と考える人も多いが、語源を調べると古い言葉で、玄奘の「慈恩伝」の中に「支那」という語が見える。7世紀ころ仏教関係者は使っていたことばで、差別的な意味は含まれなかった。また、秦(Chin)とも音が似ているが、語源的には無関係。

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