三一独立宣言
「吾等はここに朝鮮が独立国であり、朝鮮人民が自主民であることを宣言する」という言葉で始まる「三・一独立宣言書」は崔南善(チェ・ナムソン1890-1957)によって起草された。崔は漢城(現・ソウル)に生まれ、早稲田大学に学んだ。大正7年2月8日、李光洙(イ・ガンス1892-1950)らが神田のYMCA会館に集まり「独立宣言書」を採択した。高宗の急死後、国葬が行われる3月3日に向けて独立運動が計画された。仁寺洞の泰和館で「独立宣言書」を朗読し万歳三唱をした。参加者は、孫秉熙(ソン・ビョンヒ1861-1922)、李昇薫(イ・スンフン1864-1930)、韓龍雲(ハン・ニョンウン1879-1944)、白龍城(ペク・ヨンソン)ら33人といわれる。当時17歳だった柳寛順(ユ・ガンスン1902-1920)は独立運動で逮捕、刑務所に収監され、獄死し、「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と呼ばれている。起草者の崔南善も逮捕、投獄される。文学者の李光洙との出会いも日本においてだった。だが、独立運動の崔も、戦後、韓国で「親日派」としてみられ刑を受けた。
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GWに初めて韓国に行き、日韓の歴史を意識しました。今夜たまたまNHKで日韓の歴史のスペシャル番組をやっていて、三・一独立運動やイ・ガンスさんの事を知りました。早速検索してたどり着きました。
学生時代には、さら~と流してしまった時代ですが、ちょっと勉強してみようかなと思っています。
投稿: 黄色い涙 | 2010年5月16日 (日) 22時34分
コメントありがとうございます。シリーズ日本と朝鮮半島第2回「三一独立運動と親日派」実力養成論のイ・グァンスが「香山光郎」と創氏改名し、親日派となり、1950年、北朝鮮で病死。アメリカ在住の娘イ・ジョンファのインタビューもありましたね。コメンテーターが言った「親日派が言葉本来の意味で使われる日が来ることを望む」という言葉が重く感じられます。
投稿: ケペル | 2010年5月18日 (火) 08時28分