アメリカの青春、日本の青春
第1次世界大戦後、アメリカは軍需産業を平和産業に切り替えて、未曾有の好景気となった。1920年代は「ローリング・トゥウエンティーズ」「ジャズ・エイジ」などの別称でも明らかなように、殊に東部を中心としてパーティなどの乱痴気騒ぎに明け暮れた。ラジオ放送が実用化されたのは1919年のことであるが、1920年代にはラジオ受信機は全米に普及した。生活面ではダイヤル式の電話機が使われるようになった。自動車が大衆の足となってきたのも同じ頃である。女性を取り巻く環境も大きく変化した。参政権の付与が女性の社会的行動をより積極的にした。もはや未婚女性のデートには付き添い者はいなくなった。締め付けを嫌ってコルセットを脱ぎ、露出部分が多く、ショートスカートや裾が膝まであったワンピースを身につけて、髪型はショート(ボブヘアー)で、濃い口紅やアイシャドーで化粧した現代娘が出現した。1927年から突入したトーキーの時代はトーキースターが現われた。1930年代のキャサリン・ヘプバーンはアメリカの理想的な新しい女性像をスクリーンで見せてくれた。
このような生活スタイルの変化は若者たちの男女交際にも大きな変化をもたらした。デートの誕生である。男女交際のプロセス、つまり「出合い」「告白」「デート」「ファースト・キス」「恋愛」「プロポーズ」のスタイルはこの時期のアメリカにおいて成立したといわれる。電話機、自動車、ダンスパーティ、と条件が備わっていた。時代はチャールストン、ジャズの流行、といった話題が恋人たちの「アメリカの青春」を謳歌させた。では日本はいつごろだろうか。敗戦後の昭和30年代であろうか。太陽族の無軌道な若者文化に始まり、ロカビリー、「日本の青春」はアメリカより50年おくれて生まれた。このころポップスにも「渚のデイト」「ボーイフレンド」「ワン・ボーイ」「カレンダー・ガール」などのヒット曲にみられるようなアメリカ流男女交際術が移入された。ただしそれは映画やドラマのなかだけで、現実には、まだまだ家族制度による見合い結婚が多かったようである。
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