死刑と無期懲役の境は?近代日本の暗黒裁判史
死刑と無期懲役との間には大きな違いがある。ある被告は「無期懲役」と宣告されて、「命が助かった」とほんとうに喜びをかみしめた。人が人を裁くことの意味、法曹に関わらない一般人がその問題に直面して正しく公正な判断が可能なのであろうか。裁判員制度がスタートして、誰もが裁判所から呼び出し状をもらうことがあるかもしれない。近代日本の裁判史を学習することは無駄ではあるまい。しかし日本の裁判史は公正なものとは対極の隠微で卑劣な歴史である。
劈頭を飾るのは、やはり大逆事件だろうか。明治44年、管野スガ、幸徳秋水ら12名は処刑された。石川啄木は、「日本はダメだ」「朝に枕の上で国民新聞を読んでいたら俄かに涙が出た」「畜生!畜生!さういふ言葉も我知らず口に出た」と日記に書いている。
昭和11年7月、香田大尉以下15名のニ・ニ六事件の主謀者に死刑を執行。また青年将校に思想的影響を与えたとして北一輝、西田税も死刑とした。これらクーデータの軍人、あるいは右翼の思想家、幸徳秋水らの社会主義者、無政府主義など、思想そのものを弾圧するための死刑がいかに問題であるかは、ここではおいておく。むしろ終戦まもなく起きた帝銀事件などに問題は多くはらんでいる。画家平沢貞通は物的証拠なきまま死刑の判決をうけ、のち確定した。ただし死刑は執行されず昭和62年、獄死。享年95歳。収監期間37年は世界最長記録。このレコードは到底自慢できる記録ではない。日本の法曹界の暗部を物語るものであろう。
死刑か無期懲役か。平成22年2月、米子強盗殺人の裁判員10人が選任された。裁判所は事前の選考で「絶対に死刑を選択しないと決めてますか」と聞いている。これは宗教上の理由で死刑にできない人を除外する目的のようだ。こういった事前調査は裁判員制度法で認められているという。つまり立場や思考の異なる人を集めるのではなく、最初から死刑に適用する者だけを選別して判決をくだすというものである。被告にとっては不利なリンチ刑である。裁判員制度にはまだまだ多くの公正でない点が感じられるが、石川啄木の「日本はダメだ」という叫びは現在も続いている。
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