死刑廃止は理想論か?
「正しかるべき正義も、時として盲ることがある」テレビドラマ「逃亡者」の真のテーマは、死刑廃止のキャンペーンだった。このドラマが放送された1960年代後半は死刑制度廃止の意見が高まりを見せていた。しかし、1980年代になると世論は再び死刑容認に傾きだした。全米50州のうち30以上の州で死刑制度が復活した。だがそれ以後も全米で発生した殺人事件は約35万件に上った。12年間に及んだベトナム戦争が6万人に達しないことと考え合わすと、これは恐るべき数字と言わなければならない。こうした数字を見ると、抑止力としての死刑の効果は疑問であろう。日本でも死刑の件数は増加している。だが凶悪犯罪も減る傾向はみられない。鳥取や埼玉の連続不審死など何人の男性が殺されたのだろうか。片手の指でたるだろうか。横溝正史の殺人事件よりも恐ろしい。事実は小説よりも奇なり。ただし、小説では名探偵が登場するが、現実の警察はお粗末である。さらに千葉景子法務大臣は死刑反対論者であるし、女性には同性の立場から身びいきしたり、情実を加えた発言をしている。つまり男性の側が警戒するしかないのである。美人に用心するのではなく、醜女に用心しよう。若くて綺麗だと男性の方に騙されているのではないかと警戒心がおきるが、醜女だとかえって結婚話が現実味をおびるのでいとも簡単に大金を与えるのであろう。金に執着した女性の殺人鬼はいまの日本国に多数いると思ってほしい。また自分だけが被害に遭わないという甘い考えをすてることだ。ところで話を死刑問題にもどすが、なぜ60年代にアメリカで死刑廃止が起きたかというと、やはり1927年3月に起こった保険金殺人事件があるからだろう。ルース・スナイダーは愛人と共謀して、夫に多額の保険金をかけて殺害した。犯行は疑問の余地なく、二人も自供している。単純な事件として、翌年二人は電気椅子にかけられ死刑に処せられた。しかし、殺人事件の多発するアメリカで一人殺して、減刑なく、即死刑というのはあまりにも極刑であったという反省が起こった。が後のまつりである。第1級殺人は死刑というのに疑問が生じてきた。だが、殺人事件は増加していく。犯罪に対する断固たる姿勢をとる政治家が有権者の支持をえるという構図はどこの国でも同じである。重罪裁判が厳粛に行われなければならないと考える人がいる一方で、死刑に対して単純明快な、あるいは素朴と言ってもよい考えをもつ人もいる。ルース、スナイダー事件はメディアの集団リンチの生贄になったといえる。死後もジェイムズ・M・ケインの小説「殺人保険」、映画「深夜の告白」(1944、バーバラ・スタンウィック、フレッド・マクマレー)、「白いドレスの女」(1981、キャスリーン・ターナー、ウィリアム・ハート)と二度映画化されている。日本でも死刑廃止は論議となるが、最近内閣府の調査によると、死刑容認は85.6%と増加している。
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