安藤昌益をめぐる人々
「自然真営道」などの著作でしられる安藤昌益(1703-1762)は「万万人にして一人なり」と述べ、人の平等を説いた。昌益をめぐる八戸の江戸中期の人々については詳しいことはわからない。上級藩士の岡本高茂、藩主側医の神山仙庵、側医の関諄甫と関立竹、天聖寺の則誉守西と延誉擔阿和尚、法光寺充胤大棟和尚、南宗寺関龍祖雄和尚、禅源寺大江東義和尚、高橋大和守、中村忠平、上田祐専、福田定幸、北田静可、高橋栄沢、中村信風、嶋盛慈風、中居伊勢守など名のみ知られている。藩士、藩医、神官、僧侶たちである。このうち神山仙庵は昌益の号の確竜堂良中が一字もらって仙確と号した。ふつう神山仙確で知られる。昌益の原稿を校訂し、宝暦2年、江戸で「自然真営道」を刊行した。孫の由助は和算家神山久品として知られる。
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