カルチェラタンとサン・ジェルマン・デ・プレ
パリがなぜ文化、芸術の都となったのか。理由はいくつか考えられるが、歴史的にはヨーロッパの知識人、学生が集まる場所だったからだ。14世紀のパリの人口はおよそ15万人ぐらいだった頃、1万人以上の学生がいたといわれている。彼らはヨーロッパ中からやってきたのだが、自国語ではおたがいに話が通じないので、共通語としてラテン語を話した。そのため、高等教育機関が多く集まりパリの第5区と第6区にまたがる地区、いまのソルボンヌ大学のある周辺はカルチエ・ラタン(ラテン地区)と呼ばれている。
サン・ジェルマン・デ・プレには、哲学書や専門書の版元が集中している。アカデミックな地区は、両大戦をはさんで、若い学生や芸術家がここに集まった。サルトル、ボーボワール、レヴィ・ストロースが実存主義を語った。いまでも夜半すぎてもこのあたりのカフェで議論が続いている。、
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