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2010年2月27日 (土)

窪田空穂門下の歌人たち

この子ゆゑ命懸けにし母なりと我は知られど子は知らずけり

   大正6年、窪田空穂(1877-1967)の妻の藤野は産のために30歳の若さで亡くなった。ここに歌われている子は当時まだ5歳の幼女にすぎなかった長女のふみである。その娘が今はすくすくと育って、あれほど愛してくれた母を忘れて育っていくのは、ある意味では自然であり、それがまた父親としての救いでもあろう。だが、無邪気な娘のさまをみていると、あれほどかわいがっていたのにと、ふっといいようのない寂しさが作者の胸をよぎるのだ。亡妻へのいとおしみ、子供を育ててきた父親としての喜びとかなしみともつかぬ感慨、そういういわば人間のあわれとでもいうべきものがしみじみ読者の胸をうってくる。

    窪田空穂の本名は通治。明治10年6月8日、長野県東筑摩郡和田村に生まれた。大正3年、雑誌「国民文学」を創刊。その門下から多数の歌人が生まれた。松村英一(1889-1981)、半田良平(1887-1928)、植松寿樹(1890-1964)、対馬完治(1890-?)、川崎社外(1884-1934)、宇都野研(1877-1938)らが出た。なお空穂門下から出発した歌人には、菊池庫郎(1881-1964)、宗不旱(1884-1942、氏家信(1882-1949)、丸山芳良(1884-1932)、豊島逃水(1895-1932)、谷鼎(1896-1960)、菊池剣(1893-1977)らがいる。比較的空穂系に近い歌人として、尾山篤二郎(1889-1963)がいる。大正6年、雑誌「自然」を創刊。自然に集った歌人には岸良雄(1884-?)、日比野道男(1905-1957)、矢沢孝子(1877-1956)、横山良一郎(1899-?)らがいる。また現代の歌人、馬場あき子、梅内美華子、坂井修一、米川千嘉子、今野寿美、日高堯子、松村由利子、日置俊次など窪田空穂の系譜に繋がる。

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