死刑囚、最後の18秒
16世紀の人文主義者トマス・モアは死刑廃止論者として知られる。だが彼自身も1535年に死刑に処せられている。18世紀のブラック法は厳罰主義で知られており、後世「血の法典」と呼ばれている。一般庶民は絞首刑、貴族は斬首が適用された。1800年には10歳の子供が死刑に、1808年には7歳の少女が放火犯として死刑になっている。19世紀には英国の植民地であったオーストリアへ流刑するようになり、死刑回避の方法が考えられるようになった。1908年には16歳以下に対する死刑が禁止され、1933年には18歳以下に対する死刑が禁止された。また1931年には妊婦の死刑が禁止された。戦後、1949年のエヴァンス事件や1961年のハラッティ事件(A6殺人事件)などをきっかけに死刑が見直されるようになった。1965年に5年間死刑執行を停止する時限立法が議会で可決され、1969年にイングランド3地区で廃止された。1973年に北アイルランドで廃止、1998年に完全に死刑が廃止された。
ここではイギリスの死刑執行官の実態をみてみよう。死刑執行官一行は、運動中に、あるいはドアののぞき穴から、囚人を観察して、身長、体重、体格などを推測した。そして、体重とほぼ同じ重量の砂袋を使って、死刑台のテストが行われる。この砂袋は、ロープを伸ばしきるために、一晩中吊るしたまま放置された。首の筋肉が発達していない痩せ細った死刑囚の場合、通常より長い落下距離が必要とされた。絞首刑の前夜には、刑務所長が死刑囚監房を訪れて、遺言を聞くのが習わしだった。死刑執行当日の朝がくると、通常、聖職者が囚人と最後の時間を過ごし、執行が完了するまでかたわらで見守った。死刑執行官と助手は、看守長とそのほか1名の看守とともに死刑囚監房の外まで出迎えにいく。合図とともに、死刑執行官が房内に進み、死刑囚を後ろ手に縛った。次に死刑囚は両側を1人ずつの看守にともなわれて、収監されて以来初めて開かれる死刑囚監房の別のドアから死刑台に連れて行かれる。死刑囚は、「落とし穴」の上、落とし板の合わせ目の真上に立たされ、両足を縛られる。死刑執行官は囚人の頭に白い帽子をかぶせ、ロープの輪を首にかける。そしてレバーが押されるのだ。死刑囚監房を出てからここまでのプロセスは、わずか18秒ですむ。死刑囚には、気分を落ち着かせるためらブランデーが与えられることもある。医務官が死刑囚の絶命を確認する。次に、執行室まの鍵がかけられ、死刑囚は1時間吊るしたままにされる。検視と埋葬は、その日のうちに行われる。死刑は必ず午前9時に執行されるのが、慣例だった。
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