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2010年1月15日 (金)

土佐郷士・望月亀弥太

    元治元年6月5日、三条小橋の西にある旅籠「池田屋」で、新選組と密議をこらす志士たちとの大乱闘があった。世に言う池田屋事件である。その夜、池田屋に集合していた人物には、宮部鼎蔵(肥後)、松田重助(肥後)、吉田稔麿(長州)、杉山松助(長州)、広岡浪秀(長州)、野老山五吉郎(土佐)、石川潤次郎(土佐)、北添佶麿(土佐)、望月義澄(土佐)、藤崎八郎(土佐)、大高忠兵衛(播磨)、大高又次郎(播磨)、西川耕蔵(京都聖護院)など、名前の通った志士がいた。一方、新選組は10人。近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、原田左之助、谷三十郎、武田観柳斎、新田革左衛門、奥沢栄助、浅野藤太郎。近藤ら10人が斬り込み、遅れて加わった土方歳三ら20人とともに前後2時間の乱闘ののち、志士は16人が死に、23人が生捕り、10人が脱走した。脱走者は北村善吉、松山良蔵、有吉熊次郎、安藤鉄馬、高木元右衛門、宮部春蔵、大沢逸平、渕上郁太郎、山田信道、中津彦太郎らである。彼らは戦闘の初期に二階の客室から飛び出して400m先の長州藩邸に逃げ込んだ助かったものも多い。もし会津、桑名藩が最初から池田屋へ出動する態勢をとっていたら、こんなに多くの脱走者はでなかっただろう。

    ところで土佐人は池田屋で五人全員が亡くなっている。望月義澄(1838-1864)は、猛然と新選組に立ち向かい、数ヶ所の浅手を負ったが、逃走して角倉辺までやって来たが、覚悟を決めて路上で切腹した。通称を亀弥太といって、坂本龍馬とは幼なじみ。NHK大河ドラマ「龍馬伝」では音尾琢真が望月亀弥太を演じている。望月の死体をみたお竜は、のちにこう語っている。「望月さんは切り抜けて土佐屋敷へ走りこもうとしたが、門が閉まっており、ひきかえして長州屋敷へ行こうとするところを追いつかれ、横っ腹を槍でつかれたそうです。遺骸にはムシロがかけられていました」お竜はムシロにかけられた死体を見て、人から「槍で突かれて戦死」と聞いたのであるが、現在では切腹で死んだことになっている。真偽は明らかではないが、亀弥太は勝海舟門下で航海術につうじており、生きていれば明治に活躍したであろう。

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