小林豊造
年末にテレビで「輝く!日本レコード大賞」を見る。といっても1986年の中森明菜が「DESIRE」を受賞した年である。古い音楽祭を見ると意外な発見がある。むかしの歌番組は著名人が登場している。日本文芸家協会会長の山本健吉(石橋忍月の三男)はレコード大賞は常連だ。金田一春彦(金田一京助の長男)も出演している。山本健吉は高峰三枝子が特別功労賞のプレゼンターだった。ところが賞状を別な人と間違えてオタオタしているのが面白かった。
レコード業界と詩人や文人との関係は深かった。わが国でレコード針を開発したのは小林秀雄の父である。小林の代表作に「モオツァルト」があり、「母上の霊に捧ぐ」とあるから、母精子は音楽が好きだったのだろう。戦中・戦後の文芸評論家には中村光夫、河上徹太郎、中村真一郎、青野季吉などいるが、いまでも最も知られているのは小林秀雄だろう。小林秀雄は東京の出身だが、実は父の小林豊造(1874-1921)は兵庫県の出石郡鉄砲町の出身である。出石という町は江戸時代は仙石氏3万石の城下町として但馬の政治、経済の中心地だったが、明治末期に鉄道が敷設されたさい、それを敬遠したので繁栄を豊岡市に奪われた。
明治7年生れの清水豊造はおそらく旧幕の士族の出身だと思うが、但馬藩の家老職であった小林家の養嗣子となり、学問で立身するため東京へ行ったのであろう。明治34年に長男の秀雄が生まれたときは、東京高等工業学校機械科の助教授であったが、のち御木本真珠店貴金属工場長をへて、二度留学して、ベルギーでダイヤ加工研磨の技術を学び、日本の洋風装身具製作の先駆者となり、自ら日本ダイヤモンド株式会社をおこした。また最初に蓄音機用のルビー針を作るなど、多くの技術を開発した。大正10年3月、48歳で死亡している。
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