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2010年1月20日 (水)

過去の記録を集積するということ

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    われわれは過去から大きな恩恵と制約とをうけている。歴史研究の目的のひとつは、その恩恵と制約をはっきりと確認するところにある。ほかの動物にも過去はあるが、彼らはそれを意識することはない。彼らに進歩というものがないのは、そこに原因があるといってよかろう。人間だけが過去を意識することができ、進歩することが人間の特権であるとするならば、われわれは人間として存在したいと思うかぎり、歴史から学ばなければならない。しかし、そのためには膨大な過去の記録を収集し、保存し、いつでも利用できるようにしておかなければならない。図書館、博物館、文書館、アーカイブスなどの過去の記憶装置の整備が必要である。ところが何が大切で何が不要であるか、その見極めがとくに重要である。歴史でも古代史を専攻すると感じることであるが、偉大な歴史家が過去の資料に基づいて編纂した歴史書が現存していても、歴史的事件は記録されているが、当時の日常的な暮らしが不明なことが多い。そういう時は、木簡などのような生の資料によって判明することがある。しかし木簡に記録された事柄は偶然性が伴うもので、あくまで断片的であり、全体像を究明することはできない。一次資料も大切だが、二次資料も重要である。経験上、図書館員(とくに公共図書館員)は装丁や形態に左右されやすく、中味を十分に吟味せずに廃棄することがしばしば見受けられる。保存といのは公的機関が責任を負うべきであると一般には考えられがちであるが、数千年の文化伝承の歴史をみれば、公がその役割を果たしたのはここ百数十年のことで90%以上は民間の力によって、収集と保存がなされてきたのである。蔵書一代ではあるが、一個人が生涯にわたって集積した記録も膨大で貴重なものであり、家庭文庫を充実されると研究のデータベースとなる。自分がかつて読んだ本が大切に保存されていることは、あとで大きな力となるであろう。

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