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2010年1月18日 (月)

尾張人物誌

   徳川家康はその子義直を清洲に封じたが、慶長15年、名古屋城を現在の地に築城し移転した。尾張藩開祖義直は入部以後、封62万石の御三家の筆頭となり、城下の繁栄をみた。明人陳元贇らを優遇し、また家康から多くの善本の遺贈をうけた。これらは現在、蓬左文庫として残る。吉見幸和、河村秀根、松平君山らも尾張藩の文人である。7代宗春は「贅沢は苦しからず。祭りも派手にすべし」といい、遊郭や芝居小屋が立ち並んだ。風俗開放策は尾張を三都に次ぐ繁華の地としたが、藩政は乱れた。杜固、荷兮らを中心に蕉風俳諧の一拠点となり、「鶉衣」の横井也有があらわれた。一宮に漢詩人の森春涛がでた。幕末の尾張藩は徳川慶勝が倒幕側となり、佐幕派の重臣14人を斬首した。(青松葉事件)藩士・吉田知行は明治になって、旧藩士の授産対策として、北海道の八海町に入植し開拓事業に従事した。吉田は大正2年、八海町で亡くなっている。

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