土佐藩の身分制度
土佐は戦国時代、長宗我部元親が支配したが、子の盛親は関ヶ原の戦いで西軍に属したため、領国を没収されて、京都で斬られて長宗我部氏は滅んだ。土佐に新しく山内一豊が入って高知城を築いた。長宗我部氏の遺臣のうち、土佐に残る者の多くは、やむなく山内氏に仕えたが、山内氏は遠江から引き連れてきた家臣を「上士」とし、長宗我部の遺臣を「下士」として、差別した。上士と下士との間に「白札」という身分もあった。このように武士の間にも区別が設けられ、役職にも差がつけられた。郷士は下士の最上位で、あと用人、徒歩、組外、足軽となる。この身分制度が幕末まで続いたため、土佐には根強い不満が積み重なり、尊王運動が起こる一因となった。
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