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2010年1月17日 (日)

石見人国記

    石見国には浜田、津和野の両藩のほかに、大森にある石見銀山支配のために天領がおかれていた。浜田藩と津和野藩には、紙年貢というのがあり、米作の少ない石見では石見半紙を年貢米の代わりに納めさせた。幕末の津和野半では、多くの人材が輩出した。はじめて牛疫接種を試みた蘭医の吉木蘭斎、国学の岡熊臣、大国隆正らがいる。なかでも大国隆正の門下の福羽美静の手で、王政復古の大号令から神道国教育として、明治維新新政府の基本理念として具体化された。明治の文豪・森鴎外は津和野字横堀で、津和野藩の典医・森静男の長男として生まれた。

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