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2010年1月27日 (水)

徳川家康と山岡荘八

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   山岡荘八は昭和25年3月から北海道新聞に「小説徳川家康」を連載し、以後、足かけ18年にわたり書き続け、昭和42年に完成した。単行本にすると26巻になる空前の長編小説であった。そのころから政財界で家康ブームがおこり、荘八も政治団体と関係をもつことが多くなった。現在の国会対策委員長の山岡賢次はむかし荘八の秘書をしていたが、娘(雅子、のちに秀江と改名)と結婚した。山岡賢次は議員になるや、小沢一郎の側近として頭角を現してきた。きっと家康のように天下をねらっているのだろう。

    ところでいまは「歴女」という流行語があるように、空前の歴史ブーム。週刊誌ムックの「江戸」も好評だ。江戸城跡は現在皇居となっているが壮麗な天守の姿はない。最初の天守は慶長12年、大御所となっていた家康によって建てられた。次の天守は秀忠によって元和9年につくられた。そして最後の天守は家光によって寛永15年に建てられた。しかしこの将軍の居城のシンボルも明暦3年1月18、19日の「明暦の大火」で焼失してしまう。時の将軍家綱は天守の再建に着手したが、補佐役の会津藩主・保科正之は「戦さがなくなった今の世では天守など、無用の長物なり」と進言し、天守が江戸城にそびえることはなかった。テレビドラマ「暴れん坊将軍」のタイトルにうつる江戸城(どうも姫路城にみえる)は、八代将軍吉宗の時代に、あのような壮麗な天守閣がそびえていることはなかったのである。いま「江戸城再建を目指す会」というのがあって、寛永度天守の復元に向けて活動しているそうです。会長は太田資暁(太田道灌第18代子孫)。確かに江戸城は東京のランドマークとしてはいいかもしれない。でもお金は誰が出すの?

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