龍馬脱藩
文久2年(1862)3月24日の夕方、高知を出立した坂本龍馬(1835-1867)は、沢村総之丞(1843-1868)とともに宮野々の関所(高岡郡檮原町宮野々)を越え、土佐藩を脱藩した。28歳のことである。関所碑の裏面には、龍馬を筆頭に、大政奉還までの間にこの関から脱藩していった十数人の若い土佐藩士の名が刻まれている。3月26日、泉峠を越えて、宿間で一泊し、27日に大洲を経て、長浜に到着。海路、瀬戸内海を渡り、28日に上関に着く。29日には三田尻に着き、4月1日に下関に到着。
この旅の当初の目的は薩摩へ入国するつもりであったようだが、下関竹崎浦の白石邸でどのような話があったのかは不明である。長州藩の御用商人・白石正一郎(1812-1880)と龍馬が面会したかも、「白石正一郎日記」には記録が残されていない。ともかく龍馬は下関から一転、大坂へ向かい、江戸へ行く。
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