大正の新しい女たち
大正という時代が近頃再評価されている。大正時代の資本主義の発展は、都市化と大衆化をもたらした。都会を中心にサラリーマンが現われ、そうした職場へ女性が進出するようになった。女性の洋装洋髪がみれらるようになるのもこの頃からである。平塚らいてうは、こうした女性を「新しい女性」といった。大正時代には世界でも珍しい女性だけの演劇集団が誕生した。宝塚少女歌劇が「ドンブラコ」「浮かれ達磨」「胡蝶の舞」を公演したのは大正3年である。同年、松井須磨子の「カチューシャの唄」が流行した。大正4年には三浦環がロンドンで「蝶々夫人」を歌い好評であった。この頃電気アイロンによる婦人の縮髪(パーマ)が流行した。大正5年には中条百合子が18歳で「貧しき人々の群」を発表。大正9年、サンガー夫人が来日し、産児制限を遊説。大正11年、婦人の断髪が流行。大正10年、羽仁もと子は夫吉一と共に、雑司ヶ谷に自由学園を創立。大正12年、伊藤野枝が大杉栄と共に扼殺される。大正には儒教的に婦徳に対する果敢な挑戦から、自由恋愛に悩む女性が多かった。遠藤清子と岩野泡鳴の「霊と肉」、原阿佐緒と石原純、岡本かの子と一平、華族夫人芳川鎌子とお抱え運転手との道ならぬ恋、婦人記者波多野秋子と有島武郎との情死、柳原白蓮は新聞に夫への絶縁状を公開し、宮崎龍介の許へ奔った。田村俊子、野上弥生子、吉屋信子、平林たい子、林芙美子、佐多稲子、若山喜志子、池田小菊、三宅やす子、北川千代、水野仙子、素木しづ子ら女流小説家や、与謝野晶子、杉田久子、深尾須磨子、九条武子ら女流歌人が活躍した。映画女優が登場したのも大正時代である。大正9年までは、映画も歌舞伎と同じように女形が使われていたが、栗島すみ子、沢村春子、英百合子、五月信子、柳さく子といったスターが活躍した。ほかにも夏川静江、浦辺粂子、川田芳子、梅村蓉子、森静子、筑波雪子、酒井米子、吾妻光、花柳はるみ、吉川満子、松井千枝子、松枝鶴子、八雲恵美子らが現われた。
八雲恵美子は大正15年松竹入社なので正確には昭和の女優だが、田中絹代が台頭するまでの美人女優で、大正ロマンの風情があった。
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