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2010年1月31日 (日)

大正の新しい女たち

   大正という時代が近頃再評価されている。大正時代の資本主義の発展は、都市化と大衆化をもたらした。都会を中心にサラリーマンが現われ、そうした職場へ女性が進出するようになった。女性の洋装洋髪がみれらるようになるのもこの頃からである。平塚らいてうは、こうした女性を「新しい女性」といった。大正時代には世界でも珍しい女性だけの演劇集団が誕生した。宝塚少女歌劇が「ドンブラコ」「浮かれ達磨」「胡蝶の舞」を公演したのは大正3年である。同年、松井須磨子の「カチューシャの唄」が流行した。大正4年には三浦環がロンドンで「蝶々夫人」を歌い好評であった。この頃電気アイロンによる婦人の縮髪(パーマ)が流行した。大正5年には中条百合子が18歳で「貧しき人々の群」を発表。大正9年、サンガー夫人が来日し、産児制限を遊説。大正11年、婦人の断髪が流行。大正10年、羽仁もと子は夫吉一と共に、雑司ヶ谷に自由学園を創立。大正12年、伊藤野枝が大杉栄と共に扼殺される。大正には儒教的に婦徳に対する果敢な挑戦から、自由恋愛に悩む女性が多かった。遠藤清子と岩野泡鳴の「霊と肉」、原阿佐緒と石原純、岡本かの子と一平、華族夫人芳川鎌子とお抱え運転手との道ならぬ恋、婦人記者波多野秋子と有島武郎との情死、柳原白蓮は新聞に夫への絶縁状を公開し、宮崎龍介の許へ奔った。田村俊子、野上弥生子、吉屋信子、平林たい子、林芙美子、佐多稲子、若山喜志子、池田小菊、三宅やす子、北川千代、水野仙子、素木しづ子ら女流小説家や、与謝野晶子、杉田久子、深尾須磨子、九条武子ら女流歌人が活躍した。映画女優が登場したのも大正時代である。大正9年までは、映画も歌舞伎と同じように女形が使われていたが、栗島すみ子、沢村春子、英百合子、五月信子、柳さく子といったスターが活躍した。ほかにも夏川静江、浦辺粂子、川田芳子、梅村蓉子、森静子、筑波雪子、酒井米子、吾妻光、花柳はるみ、吉川満子、松井千枝子、松枝鶴子、八雲恵美子らが現われた。

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八雲恵美子は大正15年松竹入社なので正確には昭和の女優だが、田中絹代が台頭するまでの美人女優で、大正ロマンの風情があった。

2010年1月30日 (土)

地方紙を買う女

   平成4年8月4日に亡くなった松本清張の小説には携帯電話やインターネットは出てこない。だが最近に放送される清張のドラマ化には必ずといってよいほど携帯電話が出てくる。昨夜放送の松本清張ドラマ「山峡の章」もそうだった。朝川昌子(菊川怜)が妹と心中した夫の真相を調べるため銀座のバーにホステスとして勤める。そこで見つけた夫の同僚外務官僚をケータイで隠し撮りする。その他メールのやりとりなど携帯電話は頻繁に出てくる。われわれ年のいったものが清張のドラマを見ようと期待する何がしかのムードは木っ端微塵に裏切られる。たとえば「地方紙を買う女」という作品がある。甲府・臨雲峡の山林で心中とみせかけて男を殺した女は、死体が発見されたことを知りたいために「甲信新聞」を新聞社から直接取り寄せる。このとき連載中の小説を読みたいという理由をつけたために、小説家から嫌疑を受けるという奇妙な展開ながら、面白い短編である。ところがこれを現代に置き換えることは不可能だろう。ネット検索するから作品が成立しない。だが清張の時代を再現しようとすれば、セットや衣装などで経費はかかる。安くあげるためには、現代に置き換えられる清張作品を見つけることであろう。しかし、清張独自のムードはやはり昭和であってこそ生まれるものだとおもいたい。

    「地方紙を買う女」これまで映画「危険な女」(1959)、ドラマで8回製作されている。ヒロインの潮田芳子は渡辺美佐子(1959)、藤野節子(1957)、池内淳子(1960)、柏まゆみ(1962)、岡田茉莉子(1966)、夏圭子(1973)、安奈淳(1981)、小柳ルミ子(1987)、内田有紀(2007)が演じている。男女2人を心中にみせかけ山中で毒殺した女の話であるが、不幸な芳子の自殺で話は終わる。多くの作品はヒロイン芳子が主役であるが、1973年の夏圭子主演「地方紙を買う女」ではむしろ売れない小説家・杉本隆治(井川比佐志)の心理がよく描かれている。トップ屋・木次(山本圭)と杉本が作家の懊悩を表現しているラストが出色である。俳優座らしい演出といえる。

姉妹富士

   下田の富士、駿河の富士、八丈富士は三人姉妹でした。一番姉が下田富士、中が駿河富士、八丈島の富士は末の妹といわれます。中の妹の駿河富士は、姉妹の中でも一番美しく、誰でもその美しさをほめないものはありませんが、姉さんの下田富士は、みにくいので誰からもかえりみられませんでした。下田富士は悲しんで、天城山を屏風にたてて、そのかげにかくれこんでしまいました。末の妹の八丈富士は、それをみて、二人の姉さんのみえる海の中に陣どって、下田富士が早くきげんをなおして、駿河富士と仲よくしてくれればいいのに、と気をもんでいるといいます。下田富士に登って、駿河富士をほめると、下田富士が泣くといわれます。

鉄道万歳

    昨日、東海道新幹線は架線が切れるという事故で3時間以上ストップした。ほぼ満員の乗客たちはイライラで疲れた様子。でも昭和39年10月1日開業以来、乗客の安全運行だけは果たしてきたのは立派なもの。昭和30年代は未来の交通機関が何であるか激しい論争が繰り広げられた。当時、航空機が伸びて、高速道路も出てくる。有識者のなかには鉄道は長距離輸送は担当しなくてもいい、これからは飛行機の時代だと明言するものもいた。新幹線反対論の代表は「あひる飛びなさい」の作家阿川弘之。交通問題にも詳しい阿川は「万里の長城と戦艦長門と新幹線、これが世界の三馬鹿」となじった。「きかんしゃやえもん」「戦艦長門」などの作品を著わす阿川だが、山本五十六よろしくこれからは航空機の時代という考えが強いのだろう。ところが現実は日本航空の経営破たん。わからないものである。関西に住んでいるが、東京へ行くときは迷わず新幹線を利用するだろう。神戸空港や伊丹空港も近くにあるが、予約やロビーでの待ち時間、都心までの時間など考えると、けっきょく新幹線の方が楽だ。

2010年1月29日 (金)

その細き道

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    いまCSで伊藤麻衣子主演の「少女が大人になる時」を放送している。かつて大映テレビが人気だった1980年代のドラマであるが、バイオレンスは少なく、司法試験をめざす青年たちの純愛がよく描かれている。地方から上京した女子大生の中野加世(いとうまい子)を愛する二人の親友、坪田精二(金田賢一)と阿部宏(利重剛)。3人の相克、つまり恋愛と友情とのからみあいがこのドラマのテーマである。武者小路実篤の「友情」をおもいださせるが、原作は高樹のぶ子「その細き道」である。肉体関係を持った加世と宏は、精二への罪の意識を感じる。また、生きる希望を失った精二は試験にも失敗し、絶望に堪えて、辛うじて生きてゆく姿が強く印象に残っている。長いドラマだと思ったが全7話。この後の作品「不良少女と呼ばれて」で伊藤麻衣子はブレイクした。

江戸川乱歩「心理試験」

    最初から犯人がわかっている倒叙ミステリーは、「刑事コロンボ」でお馴染みだが、大正14年にすでに江戸川乱歩が「心理試験」という傑作の短編を書いている。蕗屋清一郎は、金目当てに、友人の斎藤勇の下宿する家の老婆を殺害する。老婆が植木鉢の底に隠しておいた金を半分だけ奪い、あとは残しておいた。その金を拾ったことにして警察に届けて、一年後にもらう計画であった。ところが、斎藤が老婆の死体を発見し、植木鉢の金をネコババした。斎藤は老婆の殺人犯として挙げられた。蕗屋と斎藤は警察の心理テストにかけられる。蕗屋は十分に準備して完璧に疑いをかわしたかに見えた。だが明智小五郎は老婆の家にあった屏風の傷に目をつけ、蕗屋に罠をしかける。問題は蕗屋は事件のその日、老婆の家にいたことを証明すればよいのである。屏風の傷はもともとない。犯行の際に生じたものである。蕗屋は傷のことを知っているはずだ。帰り際に、明智は蕗屋になにげなく屏風の傷のことを聞く。蕗屋は「その屏風なら覚えてますよ。僕の見た時には確かに傷なんかありませんでした」明智はとぼけた顔をして、判事に「ところで、あの屏風は、いつあの老婆の家に持ち込まれたのですか」「犯罪事件の前日ですよ。つまり先月の4日です」事件の二日前から、老婆の家へ行ったことのないという蕗屋が、嘘が露見した。

2010年1月28日 (木)

つんどく礼讃

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    野口米次郎はロンドン滞在中、毎夕4時の時計がなると、雨でも晴れでも下宿を飛び出し、軒並みに古本屋の店先をあさり歩くのを日課とした。しまいにはどこの本屋の何番目の書棚には、何という本があるか、本屋のおやじよりもくわしくなったという。そのころのことを述懐して「この道楽はかならずしも知識欲からばかりではない。書物に対する強烈な愛着心からでたもので、書物のにおいをかぎ、装丁をながめただけで喜んだものだ」と言っている。元来「つんどく」ということばは、まじめな読書家からは軽侮の念をもってみられるかもしれないが、それを読まなくても、その中からかもしだされる、雰囲気に陶酔することも、愛書家の三昧境というものであろう。

2010年1月27日 (水)

徳川家康と山岡荘八

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   山岡荘八は昭和25年3月から北海道新聞に「小説徳川家康」を連載し、以後、足かけ18年にわたり書き続け、昭和42年に完成した。単行本にすると26巻になる空前の長編小説であった。そのころから政財界で家康ブームがおこり、荘八も政治団体と関係をもつことが多くなった。現在の国会対策委員長の山岡賢次はむかし荘八の秘書をしていたが、娘(雅子、のちに秀江と改名)と結婚した。山岡賢次は議員になるや、小沢一郎の側近として頭角を現してきた。きっと家康のように天下をねらっているのだろう。

    ところでいまは「歴女」という流行語があるように、空前の歴史ブーム。週刊誌ムックの「江戸」も好評だ。江戸城跡は現在皇居となっているが壮麗な天守の姿はない。最初の天守は慶長12年、大御所となっていた家康によって建てられた。次の天守は秀忠によって元和9年につくられた。そして最後の天守は家光によって寛永15年に建てられた。しかしこの将軍の居城のシンボルも明暦3年1月18、19日の「明暦の大火」で焼失してしまう。時の将軍家綱は天守の再建に着手したが、補佐役の会津藩主・保科正之は「戦さがなくなった今の世では天守など、無用の長物なり」と進言し、天守が江戸城にそびえることはなかった。テレビドラマ「暴れん坊将軍」のタイトルにうつる江戸城(どうも姫路城にみえる)は、八代将軍吉宗の時代に、あのような壮麗な天守閣がそびえていることはなかったのである。いま「江戸城再建を目指す会」というのがあって、寛永度天守の復元に向けて活動しているそうです。会長は太田資暁(太田道灌第18代子孫)。確かに江戸城は東京のランドマークとしてはいいかもしれない。でもお金は誰が出すの?

スキャンダルの世界史

   スキャンダルは三つの要素があって成立するという。主役、事件、観客。主役は、権力者、セレブなど誰もが知っている有名人でなれりばならない。それが滑って転ぶ、観客は喜ぶ、という構図である。ビル・クリントン米大統領とホワイトハウス実習生モニカ・ルインスキーとの情事は弾劾裁判にまで発展し、「青いドレスのシミ」がクリントンの精液であると判明した。これが当時普及していたインターネットによって世界中の観客が見て喜ぶという劇場型のスキャンダルとなった。チャールズ皇太子妃ダイアナのスキャンダルは長く続いたが、パリでの交通事故という最悪の結末となった。ケネディ大統領はマリリン・モンローとの関係が有名だが、実はもっと危ないスキャンダルがあった。ケネディが交際していたジュディス・キャンベルという女性は、シカゴの大物マフィアであるサム・ジアンカーナの情婦だった。キューバ危機とマフィアとCIA、ミサイルと不倫と麻薬、すべての要素が深く絡んでいた。昨年6月、マイケル・ジャクソンの急死のニュースの記憶は生々しい。その死因については自殺、事故死、あるいは他殺説など謎に包まれている。

2010年1月26日 (火)

プリムラ

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 永続する愛情

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9607  -63

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泣くな小鳩よ

   小沢一郎「実際に私自身が帳簿や収支報告書を見たことはない。担当秘書を信頼し、実務は一切任せていた」「私は関与していないので分からない」と弁明。鳩山総理は「母からの贈与を私が全く知らなかったことは、みなさんがあり得ないと盛んにおっしゃっても、現実にこれが真実だから、あり得てるんです」と自身の偽装献金事件を弁明する。政治家とカネの問題がとりざたされているが、政治家みんなというわけではないだろう。しかし民主党のツートップのピンチに若手議員は批判もできず、感想を聞かれたインビューには「捜査を冷静に見守ります」と答えるのが精一杯。それにひきかえ幕末維新の志士たちは威勢がよかったなあ~。小沢と鳩山、略して「小鳩」もう「♪啼くな小鳩よ心の妻よなまじ泣かれりゃ未練がからむ~」と歌うきゃない。

アラフォー・アイドルの逆襲

    40歳になった中山美穂が12年ぶりの主演映画「サヨナライツカ」が公開され話題になっている。監督は「私の頭の中の消しゴム」のイ・ジェハン監督。中山美穂といえば「ラブレター」で韓国でも知られた女優さんだ。かつてのトップアイドルが復活する。同世代のアイドル島田奈美も早くに引退したが、音楽ライターとして地味に活動していた。今月、「毎日、女子ジャズ」(駒草出版)というジャズの解説本を出した。本名の島田奈央子で活動している。1970年、1971年うまれのアイドル・女優さんも40代に入るが、大人の女性としての新たな魅力を生みだしている。朝ドラ「ウェルかめ」に出演している坂井真紀は編集員・須堂啓で活躍中。むかしCMで「絶対きれいになってやるッ」と言っていた女の子も本当に綺麗な女性になった。元祖八重歯のアイドル石野真子も山田勝乃新の母親役で出演している。もともと関西出身だけに徳島が舞台のドラマ(勝乃新の実家は大阪)、違和感なく関西弁でやさしい母親役をこなしている。彼女が出演するだけで、番組になごみがでる、アイドルの底力はスゴイ!

2010年1月25日 (月)

「魅せられたる魂」をもう一度

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 道徳ってものは男がこさえたんです。わたし知っているわ。結婚をせず、生涯子供の父親に身を献げるなんてことをせずに、子供を持とうという勇敢な女は、男から糾弾されるのです。そして多くの女にとって、結婚は奴隷生活です。なぜといって、夫を愛していないんですから。もしも勇気があったなら、自由になって子供とだけ一緒という女は、ずいぶん沢山あるでしょう。わたしはそういうふうにするつもりなの。

   有名なロマン・ロランの小説「魅せられたる魂」の一節。第一次世界大戦前後に生きた若いフランスの女性アンネット・リビエールの生涯の物語。アンネットは自我の自由を失うまいとして安易な幸福を拒否し、多難な人生に飛び込んでいく。そしてアンネットは自我的な母性愛から人類的な大きな母性愛に発展していく。当時珍しかった婚外子もいまでは欧米では、それほど珍しいものではない。フランスでは結婚していないカップルから生まれる子どもの割合は50%を超えている。スウェーデンでは54.7%である。

    東アジアでは少子化が急進している。経済が急成長した韓国、台湾、シンガポールの出生率は日本を下回る。東アジアの少子化の一因には、婚外子を許容しない国民性にあると指摘する学者もいる。婚外子差別を撤廃したり、未婚の母が堂々と子を産んで育てる環境が整えば、結果的には人工中絶を減らし、少子化対策につながる。事実婚の法的保護や選択的夫婦別姓についても同じだ。だが、これに対して家庭が崩壊するという根強い反対もあるだろう。近年の人口政策の立場からみると、東アジアの極端な少子化は、女性の地位が低く、仕事と子育てとの両立が困難で、女性が仕事か子どもかを選ばなければならない状態が続いているからであると分析する。伝統的な家族制度を維持させようとしても、核家族化は進行しており、欧米型の新しい家族へ移行するという未来志向で考える時期に来ている。人口学者エマニュエル・トッドは日本のように出生率が1.3前後が続くと「国の没落」が始まると指摘する。少子化対策で予算をいくら計上しようとも、国民の意識が変わらなければ、弱体化していく。長期的にみると。外交や経済問題よりも国民の結婚観は切実な問題なのだ。「魅せられたる魂」をもう一度読んでみよう。

2010年1月24日 (日)

ゆう子とヘレン

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    いまCSで関西テレビローカルで放送していた「青春INGSゆう子とヘレン」を放送している。昭和58年ごろの阪急沿線がロケ場所で使われているので震災前の神戸、芦屋、西宮の街並みが随所にあり、貴重な映像である。物語は女子大生ゆう子(斉藤とも子)の家にアメリカからの留学生へレン(ヘレン笹野)が下宿する。ゆう子は便利屋をアルバイトで営業しており、さまざまなトラブルに巻き込まれるが、明るく元気にチャレンジするという話。ちょっと「おせっかい」が珠に疵。実家は神戸の住吉川上流の高級住宅街でロケ。大学は六麓荘の芦屋大学のキャンパスが使われている。西宮のヨットハーバーもてでくる。少女が家出した先には芦屋霊園が出てきた。芦屋の仲池、芦屋奥池ハイランド、エンバ美術館。芦有道路の暴走族など当時が懐かしい。最後に斉藤とも子とヘレン笹野の英会話コーナーも楽しい。斉藤とも子は「青春ド真中」でも優等生だったし、NHKのマイブック・コーナーといい、真面目なお勉強家というイメージはいまも変わらない。ヘレン笹野も素直な娘で日本語がペラペラで、歌もなかなか上手だった。80年代はアイドル全盛だったので関西ローカルで損をした。また関西で「ヘレン」といえば、ヘレン杉本(西川ヘレン)だ。芸名がダブる!戦前の大スター高杉早苗が本当に車を運転してハイカラなところを見せている。現在の香川照之の活躍を天国でみて喜んでいるだろう。毎回のゲストも多彩である。とくに第19話「好きです、ゆう子さん」には高校生ころの川上麻衣子が出演。やがて「青が散る」では二谷友里恵と人気を二分した。病気の山城新伍を見舞ったのは彼女だけだったそうで、いい女優に成長した。それにしても回が進むにつれ、斉藤とも子が噴水に飛び込んだり、白い粉を頭からかぶせられたり、何でも挑戦で弾けた演技をしていて、隠れた名作とはコレだ!斉藤とも子&ヘレン笹野のコンビが最高。

2010年1月23日 (土)

女性の書斎ひとり好き

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    アット・ホームな雰囲気で芸術・文化に親しみながら読書が楽しめる環境を提供します。歴史・美術から趣味・生活まで魅力ある蔵書構成です。

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2010年1月22日 (金)

名前カタカナ系の復権

    NHK朝ドラ「ウェルかめ」のヒロイン波美を演じるのは「倉科カナ」である。過去カタカナ名の歴代朝ドラヒロインは2005年の本仮屋ユイカ(「ファイト」)だけである。カタカナ名が珍しいわけではない。むしろ昔はひらがな、カタカナがふつうだった。
  例 鍵屋カナ(特産伊予絣を考案)、管野スガ(社会主義者)

    カタカナはスピード感があってインパクトがあるので現在、芸能人はじめ文化人など分野、男女を問わずよく使われる。
  例 オダギリ・ジョー、黒木メイサ、山下リオ、金子ノブアキ、松尾スズキ、水嶋ヒロ、松山ケンイチ、香山リカなど。

    アイドル系カタカナ名は、黛ジュン、小山ルミ、山本リンダなど1960年代全盛期であったが、1970年から1980年代に入り百恵、聖子、明菜、桃子など復古調ブームでカタカナ名は著しく衰退する。リカちゃん人形だけが孤軍奮闘。(姫乃樹リカ)21世紀になって柴咲コオウあたりからカタカナ名に復活の兆しが見えてきた。現在は特に音楽関係に多い。
   例 西野カナ 加藤ミリヤ 青山テルマ 小野リサ

    カタカナ名の元祖は誰か。高倉テル(1891-1986)は国語・国字問題の独自の革新的見解から、「タカクラテル」という筆名を用いた。このほか戦後の漢字害悪論により津田左右吉(1873-1961)は「つだそうきち」と名乗った。だが漢字を避ける傾向は戦前からみられる。おそらく昭和モダニズムの影響だろう。

戦前モダニズム派
吉行エイスケ、花菱アチャコ、横山エンタツ、益田キートン、ミヤコ蝶々、ディック・ミネ

戦後ジャズブーム派
暁テル子、トニー谷、フランキー堺、フランク永井、ジェリー伊藤、ペギー葉山、バッキー白片、ナンシー梅木、ジェームズ繁田、ウイリー沖山

ロカビリー・安保派
ミッキー・カーチス、ジェリー藤尾、渡辺マリ、松島アキラ、清原タケシ、佐川ミツオ、鹿内タカシ、石橋イサオ、尾藤イサオ、ジミー時田、斉藤チヤ子、梅木マリ、青山ミチ、中尾ミエ、木の実ナナ、富永ユキ、スマイリー小原、ダン池田

バラエテイ派
丹下キヨ子、楠木トシエ、若水ヤエ子、中村メイコ、ビンボー・ダナオ、ヨネヤマ・ママコ、メイ牛山、アイ・ジョージ、アントニオ古賀、バーブ佐竹。フォークとロック。マイク真木、浅川マキ、中山ラビ、山崎ハコ、カルメン・マキ

40年代ゴーゴー・ガール
黛ジュン、奥村チヨ、山本リンダ、高見エミリー、小畑ミキ、泉アキ、小山ルミ、朱理エイコ、川奈ミキ、ケイ・アンナ、小川ローザ、和田アキ子、岸ユキ、ジュディ・オング、篠ヒロコ、真理ヨシコ、真理アンヌ、牧葉ユミ、日吉ミミ、シルビア、麻田ルミ、安西マリア、夏木マリ、松尾ジーナ、鶴間エリ

タレント派
   幅広く活動するタレントにも。ミッキー安川、下条アトム、森本レオ、山田パンダ、イーデス・ハンソン、横山ノック、へレン杉本、シェリー、ミミ、アン・ルイス、ホーン・ユキ、研ナオコ、泉ピン子、タモリ、谷岡ヤスジ、高木ブー、鈴木ヒロミツ、純アリス、風吹ジュン、江角マキコ、所ジョージ、清水ミチコ、マッハ文朱、キューティ鈴木、幸田シャーミン、桐島ノエル、近藤サト。

無国籍・国際系
ミッチー・サハラ、アグネス・ラム、マギー・ミネンコ、テレサ・テン、アグネス・チャン、三東ルシア、テレサ野田、ルー・フィン・チャウ、ロウイナ・コルテス、チェルシア・チャン、ヒロコ・グレース、ヘレン笹野、グロリア・イップ、中山エミリ、梅宮アンナ、マリアン、オユンナ、アンジェラ・アキ、スザンヌ、瀬戸カトリーヌ、林マヤ、木村カエラ、藤井リナ、ギャル曽根、沢尻エリカ、カイヤ

その他(俳優、ピン芸人など)
デーモン小暮閣下、グッチ裕三、ケイン・コスギ、キートン山田、ルー大柴、ジョン・カビラ、パパイヤ鈴木、ビビる大木、ヒロシ、ヨネスケ、ユースケ・サンタマリア、ノッチ、エド・はるみ、ケンドーコバヤシ、コウケンテツ、立川キウイ、ウガンダ・トラ、ドリアン助川、コロッケ。

   やっぱりカタカナ名前の牽引者は、「イチロー」か。大女優の京マチ子という「マチ」というカタカナ名は大阪松竹歌劇団のモダニズムの現われであろうか。

熱湯風呂

   日本には古代「盟神探湯」(くかたち)といって、熱湯に小石を入れて、これを被疑者に取り出させて、手がただれるかどうかによって、罪の有無を判断する制度があった。昨年末のテレビ番組「さんま&SMAP美女と野獣のクリスマススペシャル」で木村拓哉が熱湯風呂にチャレンジしたことが話題になっているそうだ。芸能人が熱湯に入って、そのもがき苦しみのたうちまわるさまを見て視聴者が喜ぶという趣向は何年も前から人気コーナーだそうだ。上島竜兵は何十回と熱湯に入っているだろう。古くはビートたけしの番組「スーパージョッキー」では美人タレントがガラス貼りの風呂に入る(熱湯ではなかったが)エロコーナーがあった。しかし、やはり「抱かれたいタレント№1」のキムタク君だ。反響も大きい。これがフランス人ならアラン・ドロンやジャック・ペランを熱湯に入れて、美しい顔が苦痛にゆがみひきつる顔をみたいとおもうだろうか。決してそんなことはしないと思う。エレガントの国だから。そこへいくと日本人の残酷性、下品さは目にあまるものがある。歌舞伎でも石川五右衛門が釜茹での刑になったり、幡随院長兵衛が髪を振り乱して風呂場で殺される場面に観客は喜ぶ。江戸時代から日本人はあまり変わっていない。この日本人の変態的、奇形的な趣向はどうしょうもないものなのだ。うわべの礼法として品格や品性を貴ぶ国民とみせかけているが、内実はやおよろずの神々までが酒盛りをして裸踊りを好む民族なのだ。それは男性、女性とも関係無い。悪趣味の日本人はそれだけならまだしもだが、他国が大災害となっても、募金活動だけというのは悲しい。ニュースの扱いも他国に比べて小さい。エゴイストな黄色いサルと世界から言われているだろう。

2010年1月21日 (木)

ハリウッドスター最新情報

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   日本では小林繁・日本ハム投手コーチの急死のニュースがショックを与えているが、ハリウッドではブリタニー・マーフィーの急死が話題となっている。「ラーメンガール」では西田敏行と共演している。まだ32歳だった。でも新しいハリウッド女優の名前はなかなか覚えられない。アンジェリー・ジョリーなら知っている。ジョン・ヴォイトの娘さん。新作は夏公開の「ソルト」。ナタリー・ポートマンの新作は「ニューヨーク・アイラブユー」。アン・ハサウェーは「アリス・イン・ワンダーランド」。スカーレット・ヨハンソンは6月公開の「アイアンマン2」。ジョディー・フォスターは久々の監督作「ザ・ビーバー」がある。キャメロン・ディアスはサスペンス「ボックス」。ダイアン・クルーガーはメロドラマ「すべて彼女のために」。16歳になったアナソフィア・ロブちゃんの新作は「スペース・ビトウィーン」。男優ではマット・デーモンがクリント・イーストウッドの「インビクタス負けざる者たち」で南ア代表のラグビー・チームの主将を演じる。「トワイライト・サーガ」シリーズの大ヒットで人気者になったロバート・パティンスンは「リメンバー・ミー」。キアヌー・リーブスは「50歳の恋愛白書」で、ロビン・ライト・ペン扮する悩める年上女性を勇気づける青年を演じる。レオナルド・ディカプリオはスリラー「シャッター・アイランド」、SF「インセプション」がある。

    いま旬の若手女優。何人、知っていますか?クリステン・スチュワート、アシュリー・グリーン、ダコタ・ファニング、キルステン・ダンスト、アビゲール・ブレスリン、ゾーイー・デシャネル、クリスティナ・リッチ、マリオン・コティヤール、メラニー・ローラン、キーラ・ナイトリー、レーチェル・マクアダムズ、ヴァネッサ・ハジェンズ、マイリー・サイラス、アシュリー・ティスデール、エレン・ページ、キャサリン・メー二ッヒ、エマ・ワトソン、ミーガン・フォックス、ブレーク・ライヴリー、レートン・ミースター、キャサリン・ハイグル、クリステン・ベル。

   今日のニュースでフランス映画「オーシャンズ」の話題。監督はジャック・クルーゾー&ジャック・ペラン。ジャック・ペランといえばアラン・ドロンの影に隠れて人気はなかったけど名作は多い。「家族日誌」の病気で死ぬ弟。クラウディア・カルディナーレとの共演「鞄を持った女」。あの青年がいまや初老の監督だなんて歳月の流れか。

近江人物誌

    近江は商人の国である。とくに湖東と呼ばれる地域、近江八幡、日野などからは成功者が多く出た。豊臣秀次が八幡城城主になると、安土の住民を移して楽市楽座の制を施くなど、商業振興に意を注いだ。ところが5年後、秀次は転封となり、ほどなく八幡城も廃城となる。天秤棒を担いだ八幡商人が他郷進出が盛んになるのは、これから後のことである。西村太郎右衛門は朱印船で安南(ベトナム)に渡り、かの地で成功して巨富を積んだ。八幡商人の扱う特産品は蚊帳と畳表である。とくに蚊帳は西川甚五郎、伴伝兵衛、森五郎兵衛と八幡の御三家といわれた。このほか近江商人の名をあげれば枚挙にいとまがない。中井源左衛門、松居久左衛門、外村与左衛門、小林吟右衛門、塚本定右衛門、阿部市郎兵衛、伊藤忠兵衛。文化面では、浅見綗斎、近江聖人といわれた中江藤樹、対馬藩に仕え、朝鮮との応接に当たった雨森芳洲ら儒者がいる。歌人としては北村季吟や伴蕎蹊が出ている。木内石亭は鉱物や奇石の収集と研究をもって知られている。鉄砲鍛冶の家に生まれた国友一貫斎は空気銃や望遠鏡を製作して、天体を観測した科学者であった。

2010年1月20日 (水)

過去の記録を集積するということ

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    われわれは過去から大きな恩恵と制約とをうけている。歴史研究の目的のひとつは、その恩恵と制約をはっきりと確認するところにある。ほかの動物にも過去はあるが、彼らはそれを意識することはない。彼らに進歩というものがないのは、そこに原因があるといってよかろう。人間だけが過去を意識することができ、進歩することが人間の特権であるとするならば、われわれは人間として存在したいと思うかぎり、歴史から学ばなければならない。しかし、そのためには膨大な過去の記録を収集し、保存し、いつでも利用できるようにしておかなければならない。図書館、博物館、文書館、アーカイブスなどの過去の記憶装置の整備が必要である。ところが何が大切で何が不要であるか、その見極めがとくに重要である。歴史でも古代史を専攻すると感じることであるが、偉大な歴史家が過去の資料に基づいて編纂した歴史書が現存していても、歴史的事件は記録されているが、当時の日常的な暮らしが不明なことが多い。そういう時は、木簡などのような生の資料によって判明することがある。しかし木簡に記録された事柄は偶然性が伴うもので、あくまで断片的であり、全体像を究明することはできない。一次資料も大切だが、二次資料も重要である。経験上、図書館員(とくに公共図書館員)は装丁や形態に左右されやすく、中味を十分に吟味せずに廃棄することがしばしば見受けられる。保存といのは公的機関が責任を負うべきであると一般には考えられがちであるが、数千年の文化伝承の歴史をみれば、公がその役割を果たしたのはここ百数十年のことで90%以上は民間の力によって、収集と保存がなされてきたのである。蔵書一代ではあるが、一個人が生涯にわたって集積した記録も膨大で貴重なものであり、家庭文庫を充実されると研究のデータベースとなる。自分がかつて読んだ本が大切に保存されていることは、あとで大きな力となるであろう。

出羽人物誌

    出羽国は、米沢に上杉氏、鶴岡に酒井氏、秋田に佐竹氏が在城し、山形は最上義光が開き、「最上100万石」として繁栄したが、最上氏改易後、鳥居忠政、保科正之、松平乗佑、秋元凉朝、水野忠精、水野忠弘が城主となる。明治維新にさいし奥羽列藩同盟の中心となったが、官軍の進攻で降伏した。米沢藩の上杉治憲(鷹山)は藩政改革に努めた。酒田の本間光丘は酒田西浜の防砂植林や藩の借財の整理などに尽力した。雄勝郡西馬音内に生まれた佐藤信淵は農業技術の普及に努めた。角館の佐竹北家城代佐竹義郎は学問芸術を好んだ。若くして夭折した画家小田野直武は、時代を先取りした洋風画を描き、秋田蘭画が成立した。鈴木清風は尾花沢の紅花商人で俳人。蝦夷地探検家・最上徳内は村山郡楯岡村の生まれ。蛮社の獄で自決した洋学者・小関三英は庄内鶴岡の生まれ。酒田の本間光喜や飽海郡高瀬の佐藤政養らも優れた蘭学者であった。米沢藩主・堀内忠意は大槻玄沢の門にはいって米沢蘭学の草分けとなり、米沢は一時東北の長崎とまで称された。平田篤胤は秋田藩士大和田祚胤の四男。その門流は吉川忠行、忠安父子を指導者として、秋田尊攘論をおこした。幕末の憂国の士・清川八郎は庄内田川郡清川村の豪農(醸造業)斎藤治兵衛豪寿の三男。秋田立志会の柴田浅五郎は平鹿郡吉田村(現・横手市)の生まれ。近代短歌の第一人者・斎藤茂吉は山形県南村山郡堀田村金瓶(現・上山市)に生まれた。

蓬左文庫

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  徳川家康の「駿河御譲本(するがみゆずりぼん)」を基礎としていた蓬左文庫(名古屋市東区徳川町1001番地)は、尾張徳川家が、昭和10年に東京目白の徳川邸に隣接して設立した私設図書館で、創設時は5万点はあり、昭和25年に名古屋に戻り、現在およそ11万点ある。藩祖徳川義直(1600-1650)は徳川家康の第9子で、清洲から那古野に移り、今日の名古屋の発展の基礎を築いた。また儒学に熱心で藤原惺窩の高弟堀杏庵を招き、儒学の復興に努めた。寛永のはじめ、名古屋城内に孔子堂を建てて聖像を祀り、そのかたわら文庫を設けた。三親藩家のうち尾州家の蔵書は最も多く、おもに義直の時代に和漢の新刊書を購入して収集したものである。ことに義直は自ら神祇宝典10巻、類従日本紀174巻などの撰述に当たったが、この文庫本を資料とするため、とくに集書に力を注いだ。その後、紅葉山文庫に模して万治元年に、はじめて書物奉行をおき、慶応3年まで存続した。

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2010年1月19日 (火)

伊予人物誌

    戦国時代、四国は長宗我部元親によって全土統一がなされたが(天正13年)、同年豊臣秀吉の四国侵攻があり、敗北。長宗我部は土佐一国のみの領有となった。伊予は松山の久松氏、宇和島の伊達氏など8藩と天領が置かれた。伊予松山では、はじめ加藤嘉明が伊予20万石を封じられたが、寛永4年、会津に国替えとなる。蒲生忠知のあと、寛永12年には、家康の甥松平(久松)定行が15万石で就封。親藩松山藩が誕生し、明治まで15代続いた。伊予の人材としては、佐藤信淵は主君・大森城主・土居清良の諮問に答えた農談「親民鑑月集」がある。足立重信は、石手川を改修し、約8000ヘクタールの田地の灌漑開発にあたった。初代藩主松平定行は、久万山での茶、楮の栽培、伊予灘沿岸での水産養殖を奨励するなど、藩初の殖産興業に努力した。特産伊予絣を考案した鍵屋カナ、絣の前身伊予縞の生産に努力した松山城下の菊屋新助などがいる。幕末の四賢侯の一人として知られる宇和島8代目藩主・伊達宗城は開明藩主であった。英国外交官サトウは「四国の小領主にはもつたいない程有能」と記している。近代の短歌・俳句の改革者・正岡子規は伊予温泉郡藤原新町(現・松山市新玉町)に生まれた。高浜虚子は松山市長町新町に生まれ、伊予尋常中学の級友、河東碧梧桐を介し、子規と文通したのが俳句への機縁である。虚子は「俳句の目的は花鳥風月を諷詠するにある」として、碧梧桐と対立した。挿絵画家・高畠華宵は宇和島の生まれ。中将湯の広告絵から注目を集め、「少年倶楽部」で人気を集めた。

つり橋

   石坂浩二主演のドラマ「わが青春のとき」。恋人の樫山文枝が新聞で首木病が流行している記事を読む。山奥の寒村だが、そこへいけば医師の石坂に会えるのではないかと、山を越え谷を渡り村へ行く。つり橋で二人は再会する。だが石坂は首木病のことが夢中で、ここまで苦労してやってきたのに全然、樫山には無関心の様子。あの「つり橋」はどこだろう。いまでもあるのだろうか。二人の出逢いと別れが切ないシーンがある。電車での別れのシーンも良かった。樫山が「気持ちがあるのか、ないのか、答えて」という。石坂は、冷えた電車のガラス戸に一言「ある」と指で書く。あのころの役者さんの真面目な演技に好感がもてる。時代は変わり、青年が青年でなくなった。すくなくともテレビ・ドラマで見たかぎりでは、日本人は明らかに変化した。朝、「ウェルかめ」を見る。恋人の父親に国広富之が出演している。「岸辺のアルバム」の青年もお父さん役が似合う年齢となった。息子とはうまくいっていない様子。なにやら、「岸辺のアルバム」を思いださせる。国広くんの頭の中には、杉浦直樹の演技がどこかにあるのかもしれない。

2010年1月18日 (月)

黒川雪「悪魔降臨」

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    流石景「GE~グッドエンディング」の待望の単行本が発売された。「恋に臆病な男子、この指とまれ~」「動き出した片想いはGEにたどり着けるか?」のキャッチ・コピー2本立て。本書は内気な青年、内海聖志の男性としての成長を記録したビルディング・ロマンスとみることも可能である。しかしながら、内海に恋のレッスンをする同級生・黒川雪の魅力がただらなぬものがある。明治の「金色夜叉」のお宮や「雁」のお玉のような忍従の女とは隔世の感がある。まさに21世紀のヒロイン像を画像化したものである。アドバイスが的確でキツイ言葉と憂いを秘めた横顔。黒川のミステリアスな部分はストーリーが展開されるうちに解き明かされるであろう。

    少年マンガ誌に性的魅力をともなった等身大のヒロイン登場で昨年はちょっとした騒ぎが起きた。ウェブ掲示板で、読者は「少年マンガのヒロインは箱入り娘的な少女でなければならない」つまり従来半世紀の間ヒロイン像は、みんな男にとっての天使だった。「おそ松くん」のトト子、「鉄腕アトム」のウラン、「巨人の星」の日高美奈、星明子、「あしたのジョー」の白木葉子、「陽あたり良好」の岸本かすみ、「タッチ」の浅倉南、「ドラえもん」のしずかちゃん。純情可憐、欲望のない人形であった。はじめて男子の漫画に登場した熱き血のかよった女神が黒川雪なのだ。男の子たちは皆とまどいをみせた。エロスはいけないものと思っているかもしれない。中国語で「風流」という漢語の意味は「色好み」ということを知らないのだろう。風流を解することのできない人たちが掲示板とやらで女流作家を非難しはじめた。文学や芸術を真に理解する者ならばわかる。セシル(悲しみよこんにちは)、ヴァンカ(青い麦)のヒロインのように少女たちは性にめざめていく。女性の漫画家だからリアルに描けるエロスの世界がある。心理描写は男性漫画家では描けない。いま流行のファッションも黒川雪だけが着ているが、トト子の服は毎回同じのワンパターンだろう。男子は悪魔が降臨してきたことを素直に喜ぶべきである。タイトルの「GE」とはゲームのあがり(「良い結末」の意味)、反対語は「BE」。

尾張人物誌

   徳川家康はその子義直を清洲に封じたが、慶長15年、名古屋城を現在の地に築城し移転した。尾張藩開祖義直は入部以後、封62万石の御三家の筆頭となり、城下の繁栄をみた。明人陳元贇らを優遇し、また家康から多くの善本の遺贈をうけた。これらは現在、蓬左文庫として残る。吉見幸和、河村秀根、松平君山らも尾張藩の文人である。7代宗春は「贅沢は苦しからず。祭りも派手にすべし」といい、遊郭や芝居小屋が立ち並んだ。風俗開放策は尾張を三都に次ぐ繁華の地としたが、藩政は乱れた。杜固、荷兮らを中心に蕉風俳諧の一拠点となり、「鶉衣」の横井也有があらわれた。一宮に漢詩人の森春涛がでた。幕末の尾張藩は徳川慶勝が倒幕側となり、佐幕派の重臣14人を斬首した。(青松葉事件)藩士・吉田知行は明治になって、旧藩士の授産対策として、北海道の八海町に入植し開拓事業に従事した。吉田は大正2年、八海町で亡くなっている。

2010年1月17日 (日)

石見人国記

    石見国には浜田、津和野の両藩のほかに、大森にある石見銀山支配のために天領がおかれていた。浜田藩と津和野藩には、紙年貢というのがあり、米作の少ない石見では石見半紙を年貢米の代わりに納めさせた。幕末の津和野半では、多くの人材が輩出した。はじめて牛疫接種を試みた蘭医の吉木蘭斎、国学の岡熊臣、大国隆正らがいる。なかでも大国隆正の門下の福羽美静の手で、王政復古の大号令から神道国教育として、明治維新新政府の基本理念として具体化された。明治の文豪・森鴎外は津和野字横堀で、津和野藩の典医・森静男の長男として生まれた。

播磨人国記

    近世、姫路藩を中心に、明石、龍野、赤穂などの諸藩がおかれた播磨は、大国だけに、人材は豊富である。まず近世には稀な経世家として姫路藩家老の河合寸翁がいる。文化面では、三木郡細川荘から出た儒家の藤原惺窩、明石藩の詩人・梁田蛻巖、赤穂藩の赤松滄州、林田藩の河野鉄兜らがいる。明治以降の人としては、哲学の和辻哲郎、三木清、歴史学に三上参次、辻善之助、詩人では有本芳水、日本の象徴詩を代表する三木露風がいる。小説家には椎名麟三がいる。また神埼郡福崎町で代々医業に携わる松岡操(賢次)に8人の男児が誕生した。そのうち3人は早逝したが、残る5人はそれぞれの分野で名を成した。松岡鼎(医師)、井上通泰(歌人)、柳田國男(民俗学)、松岡静雄(言語学)、松岡映丘(日本画)である。明治の浪漫主義の作家・国木田独歩は龍野藩士・国木田専八の子である。

猟奇耽異博物館

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    図書館に勤め初めた頃、書庫出納といって利用者の求めに応じて、書庫から本を取り出す仕事をしていた。古い小説でも度々利用のある本があった。横溝正史の本だ。もちろん角川書店の横溝ブームの前の話である。ぼろぼろになった本だが、マニアがいるので人気だった。古谷一行の金田一耕助でドラマ化されたときにはじめて内容を知った。最近、CSで「八つ墓村」「犬神家の一族」を見た。戦後の25年頃の話だが、猟奇、耽美の世界などの昭和初期モダニズムに魅かれるようになった。その先駆者は江戸川乱歩だろう。(あるいは大正期の谷崎潤一郎か)乱歩が「新青年」に「二銭銅貨」を発表したのは大正12年4月。以後「D坂の殺人事件」「心理試験」「赤い部屋」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「パノラマ島奇譚」「陰獣」「猟奇の巣」「魔術師」「黄金仮面」「吸血鬼」「盲獣」「白髪鬼」「恐怖王」「妖虫」「人間豹」「暗黒星」などを発表する。雑誌「新青年」には乱歩にほかに、甲賀三郎、谷譲次、渡辺温、夢野久作、横溝正史、妹尾アキ夫、久生十蘭、海野十郎などが健筆を揮い、探偵小説から推理小説、冒険小説、空想科学小説など多様なジャンルの作品が現われた。

2010年1月16日 (土)

金子兜太句集

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細腰で巨乳の君よ子持鯊

青饅に調子外れの演歌かな

去年今年男根ゆれて精おぼろ

湯面に浮くほどの乳房白鳥来

枕抱き猥歌いくつか寝正月

けけけくくくと子どもが笑う白鳥来

冬眠の戦さするものなどいない

土佐藩の身分制度

   土佐は戦国時代、長宗我部元親が支配したが、子の盛親は関ヶ原の戦いで西軍に属したため、領国を没収されて、京都で斬られて長宗我部氏は滅んだ。土佐に新しく山内一豊が入って高知城を築いた。長宗我部氏の遺臣のうち、土佐に残る者の多くは、やむなく山内氏に仕えたが、山内氏は遠江から引き連れてきた家臣を「上士」とし、長宗我部の遺臣を「下士」として、差別した。上士と下士との間に「白札」という身分もあった。このように武士の間にも区別が設けられ、役職にも差がつけられた。郷士は下士の最上位で、あと用人、徒歩、組外、足軽となる。この身分制度が幕末まで続いたため、土佐には根強い不満が積み重なり、尊王運動が起こる一因となった。

池田屋襲撃、隊士のその後

    池田屋襲撃は新選組の名を一夜にして轟かせたが、隊士たちのその後の人生にも大きな転機となっている。当夜、近藤勇は隊員を二手に分けて、表出口には谷万太郎、武田観柳斎、浅野藤太郎が、裏口には奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門らが固めた。そして店内へ近藤勇が先に立って、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の3人を従えて突入したとするのが通説である。だが永倉新八の「新撰組顛末記」によれば、表口には谷三十郎、原田左之助となっている。また池田屋襲撃には谷三兄弟の3男、谷周平が参加したという記録もある。事件当日の奮戦ぶりから、周平は近藤の養子となって、近藤周平と改名する。その後、周平は近藤の信を失なって縁組は解消され、旧姓に復している。原田左之助は十七両の褒賞金を受領している。裏口を固めていた3人は斬られて突破され、多くの志士が脱走した。当夜の新選組の犠牲者は奥野栄助ひとりとされている。後日、安藤、新田ら死亡した。

    武田観柳斎は長沼流軍学をもって知られ、二十両の褒賞金を受領している。その後、薩摩に通じ、竹田街道の銭取橋で斎藤一に斬殺される。浅野藤太郎も同額の二十両を受領している。浅野はその後、金策が露見して、島原において斬殺されている。藤堂平助は活躍により二十両を受領している。その後、高台寺党に加わり、三条油小路において新選組に斬殺される。沖田総司はよく知られるように池田屋襲撃時、戦闘中に喀血昏倒する。池田屋襲撃の近藤配下の隊士の中で明治まで生存したのは永倉新八ただ一人だった。原田左之助に関しては死亡時期不明。通説では上野戦争で戦死したとされるが、満州で馬賊となったという生存説もある。

雪は天からの手紙です

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   明日で震災から15年。ハイチ大地震の情報を聞くと、あの日を思い出す。鎮魂と教訓の思いを込めて、明日は「女性の書斎・ひとり好き」の入館は無料とさせていただきます

2010年1月15日 (金)

現代の礼法

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    東京女子高師の小川淑子先生の「礼法」(柴田書店)は戦後の女子礼法教育のスタンダードな教科書だった。小笠原流を基本としている。近著では坂東眞理子先生の「女性の品格」も礼法の本には珍しくベストセラーとなった。品格をキーワードに現代女性にこまごまと書かれていて納得させられることも多い。この本を読んだある女子高生がわたしの友人にこういう事を尋ねたそうである。「いったいキスをする時には目をつぶっているものなの?それともあいているものなの?」残念ながら小川先生や坂東先生の名著にはデートの礼法が記されていないのをはなはだ遺憾に思っている。

作家のDNA

    白石一文が直木賞を受賞したが、父の白石一郎とともに親子での直木賞は初めてだそうだ。世間に父と子が同じ職業となることはよくある。たとえば歌舞伎などの伝統芸能の場合は当たり前のような気がする。野村克也や長嶋茂雄も息子は一応プロ野球選手として育った。親子鷹という言葉が使われる。医者や俳優なども二世が同じ道を選ぶケースはある。政治家の場合は何かと批判は多いが現実として多くみられる。ところが唯一、作家という職業だけは父と子が小説家というケースは稀である。作家の子は父の背中を見て育つので、小説家がどんなにたいへんなものであるか知っているからだろう。世界文学をみても、「三銃士」のデュマ・ペールと「椿姫」のデュマ・フィスが文学史に名をとどめたくらいで思いあたらない。文豪トルストイにはセルギイ、イリヤ、レフと3人の息子がいたが、何を成しえたか知らない。日本で親子作家というのは、幸田露伴・文、森鴎外・茉莉・小堀杏奴、広津柳浪・和郎、吉行エイスケ・淳之介、福永武彦・池澤夏樹、太宰治・津島佑子・太田治子、阿川弘之・佐和子、青野季吉・聰、吉本隆明・ばなな、井上光晴・荒野、田中英光・光二、大西巨人・赤人、佐藤紅緑・愛子、江國滋・香織。他にもいるだろうが全体としてはそれぼど多くない。つまり作家のDNAはあまり文芸的遺伝子は含まれておらず、文才は生得的なものではないのである。ちなみに親子ではないが、幸田露伴の甥の高木卓は昭和15年の芥川賞を辞退している。

土佐郷士・望月亀弥太

    元治元年6月5日、三条小橋の西にある旅籠「池田屋」で、新選組と密議をこらす志士たちとの大乱闘があった。世に言う池田屋事件である。その夜、池田屋に集合していた人物には、宮部鼎蔵(肥後)、松田重助(肥後)、吉田稔麿(長州)、杉山松助(長州)、広岡浪秀(長州)、野老山五吉郎(土佐)、石川潤次郎(土佐)、北添佶麿(土佐)、望月義澄(土佐)、藤崎八郎(土佐)、大高忠兵衛(播磨)、大高又次郎(播磨)、西川耕蔵(京都聖護院)など、名前の通った志士がいた。一方、新選組は10人。近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、原田左之助、谷三十郎、武田観柳斎、新田革左衛門、奥沢栄助、浅野藤太郎。近藤ら10人が斬り込み、遅れて加わった土方歳三ら20人とともに前後2時間の乱闘ののち、志士は16人が死に、23人が生捕り、10人が脱走した。脱走者は北村善吉、松山良蔵、有吉熊次郎、安藤鉄馬、高木元右衛門、宮部春蔵、大沢逸平、渕上郁太郎、山田信道、中津彦太郎らである。彼らは戦闘の初期に二階の客室から飛び出して400m先の長州藩邸に逃げ込んだ助かったものも多い。もし会津、桑名藩が最初から池田屋へ出動する態勢をとっていたら、こんなに多くの脱走者はでなかっただろう。

    ところで土佐人は池田屋で五人全員が亡くなっている。望月義澄(1838-1864)は、猛然と新選組に立ち向かい、数ヶ所の浅手を負ったが、逃走して角倉辺までやって来たが、覚悟を決めて路上で切腹した。通称を亀弥太といって、坂本龍馬とは幼なじみ。NHK大河ドラマ「龍馬伝」では音尾琢真が望月亀弥太を演じている。望月の死体をみたお竜は、のちにこう語っている。「望月さんは切り抜けて土佐屋敷へ走りこもうとしたが、門が閉まっており、ひきかえして長州屋敷へ行こうとするところを追いつかれ、横っ腹を槍でつかれたそうです。遺骸にはムシロがかけられていました」お竜はムシロにかけられた死体を見て、人から「槍で突かれて戦死」と聞いたのであるが、現在では切腹で死んだことになっている。真偽は明らかではないが、亀弥太は勝海舟門下で航海術につうじており、生きていれば明治に活躍したであろう。

亭主を尻に敷島の道

  新春恒例の宮中「歌会始の儀」が14日午前、開かれた。皇后さまの御製和歌。「君とゆく道の果たての遠白く夕暮れてなほ光あるらし」結婚50年を迎えての感懐が詠まれている。歌会始の儀は古く平安時代から行われている。和歌を詠むことを古来から「敷島の道」という。敷島とは日本国の別称であるが、俗に別の意味もある。「歌をつくる女は妻に持たぬもの、亭主を尻に敷島の道」という歌から、夫より学問のある妻、夫より権力をもつ妻をいうらしい。さしずめ紫式部などは幼児から聡明で父の藤原為時は「この子が男であったなら」と嘆いた。20歳をすぎて父の友人の藤原宣孝の妻となったが、結婚生活2年ほどで夫は亡くなった。「源氏物語」はやもめ生活の中で書かれたのである。

2010年1月14日 (木)

世界ダッチワイフ一千年史

    今週号の記事に「南極1号からラブドールまてせ、ダッチワイフ開発60年史」が目につく。ダッチワイフは合成樹脂のものからシリコン樹脂のものまで進化しているらしい。ダッチワイフの起源は中国だろう。「竹夫人」(ちくふじん)といって、夏、涼をとるために抱いて寝る長さ5尺(約1.5m)ばかりの円筒状の竹籠が古代中国から既にあった。竹奴、青奴ともいう。男が抱くと竹夫人で、女が抱くと青奴というのか。これが朝鮮に伝わり、日本にも伝来して抱籠、添寝籠ともよばれた。台湾、東南アジアにも伝わり、とくに南洋華僑の間で広く用いられた。ジャワはオランダの植民地だったので、「ダッチワイフ」(オランダ人の妻)として主にイギリス人が広めた。いまでは世界各地に人形のようなものが流布している。宋の蘇軾に「俗に竹几を以て竹夫人と為す」とあり、すでに1000年以上の歴史がある。

天にあらば比翼の籠や竹夫人(与謝蕪村)

蓬生や手ぬぐい懸けて竹夫人(大島蓼太)

潮騒やリオのホテルの竹夫人(坂倉けん六)

ジャワの夜のスマトラの夜の竹夫人(清水忠彦)

「ある日わたしは」と「冬のソナタ」

    地方から上京した女子大生の恋愛を描く石坂洋次郎の青春ドラマ。東宝の作品では「隠し砦の三悪人」でデビューした上原美佐、テレビでは松原智恵子がヒロイン城山ゆり子を演じている。映画(岡本喜八監督)は、ゆり子は幼なじみの矢吹健次郎(山田慎二)にものたらなさを感じ、医学生の金子大助(宝田明)にひかれて二人は結ばれるという結末である。ドラマでは山崎次郎(和田浩治)の孤独な魅力にひかれながも、健次郎(川口恒)も再度復活する。結局ゆり子は医学生・金子大介(津川雅彦)という新たな恋人と結ばれるが、ドラマの主役は松原智恵子と和田浩治であった。恋人たちの障害となるのは、ゆり子の母(三宅邦子)がむかし大助の父親(上原謙)と恋人同士だったこと。まるで「冬のソナタ」の原形のようなストーリーだ。ドラマには歯科医山崎良夫(松山省三)とジュディ・オングの恋、健太郎(川口恒)と秀子(太田雅子、のちの梶芽衣子)の結婚、山崎信一(早川保)のプロポーズ、次男の山崎次郎(和田浩治)の三兄弟が新たに設定されて物語をふくらませている。つまり「陽のあたる坂道」の石原裕次郎の役が和田浩治となるわけで、ドラマ「ある日わたしは」は高視聴率で大評判となった。資料によればドラマは松木ひろしの脚本で、小説「ある日わたしは」と「青春の海」を併せたストーリーだそうだ。平板な映画版にくらべ、筋の展開が変化に富みヒロイン松原智恵子の最高の作品となったが、昭和43年から44年、連続ドラマのほうが映画より面白いことを証明した作品となった。主題歌はジャッキー吉川とブルーコメッツが歌ったがCD化されていない。「愛のしぐさはうれしく、愛のしぐさは悲しい。××××大人になる。ああ、これを恋といえるのなら。ああ、燃えてる。いつのまにか。女ならば知りたい。女ならば××××。」(ウロ覚えの歌詞)「冬のソナタ」と対比すると、チェ・ジウ(上原美佐、松原智恵子)、ペ・ヨンジュン(宝田明、津川雅彦)、パク・ヨンハ(山田慎二、川口恒)、パク・ソルミ(水野久美、梶芽衣子)、ユジンの父(上原謙、佐野周二)、カン・ミヒ(三宅邦子、高峰三枝子)、ユジンの妹(星由里子、ジュディ・オング)。石坂文学のよく見られる親子二代にわたる運命的な純愛をベースに、サスペンス効果と風景の映像美とサウンド効果を巧みに取り入れたのが「冬のソナタ」である。映画版、ドラマ版のキャスティングを見ると、上原、佐野、三宅、高峰と戦前松竹メロドラマスターを配置しているところなど心憎い演出であった。

    異母兄妹ではないかという疑惑は、冬ソナではミヒ(女性)がミニョンとユジンが同級生であることから、ヒョヌとチヌとの関係が同時期であるはずがないという疑問をチヌは抱いた。結局、ミニョンとサンヒョクが兄弟だった。「ある日わたしは」では上原謙が三宅邦子と沢村貞子と同時期に交際していたとして、大助とゆり子とが兄妹である疑惑が生ずるのであるが、この映画ではあまり追求するシーンはなかった。山田慎二が二人の結婚に待ったをかければ物語はさらなる展開をみせたであろうに。ドラマでは出生の秘密を知った山崎次郎はレーサーとして勝利するが、ゆり子と別れて谷川岳で自殺する。

    ところで知的で清潔な印象の上原美佐がなぜ数年間で引退したのかは真相はわからない。顔立ちはともかく声質は悪く、情感がなく演技力は感じられなかった。当時の東宝は、日活・東映・松竹・大映に比べ女優陣がひじょうに豊富だった。高峰秀子、淡島千景、新珠三千代、八千草薫、有馬稲子、久我美子、香川京子、淡路恵子、司葉子、岸恵子、草笛光子、そして第二世代として団令子、白川由美、水野久美、星由里子、藤山陽子、浜美枝らが台頭してきた。上原美佐に主役が回ってくる可能性はあまりなかっただろう。

2010年1月13日 (水)

龍馬脱藩

   文久2年(1862)3月24日の夕方、高知を出立した坂本龍馬(1835-1867)は、沢村総之丞(1843-1868)とともに宮野々の関所(高岡郡檮原町宮野々)を越え、土佐藩を脱藩した。28歳のことである。関所碑の裏面には、龍馬を筆頭に、大政奉還までの間にこの関から脱藩していった十数人の若い土佐藩士の名が刻まれている。3月26日、泉峠を越えて、宿間で一泊し、27日に大洲を経て、長浜に到着。海路、瀬戸内海を渡り、28日に上関に着く。29日には三田尻に着き、4月1日に下関に到着。

    この旅の当初の目的は薩摩へ入国するつもりであったようだが、下関竹崎浦の白石邸でどのような話があったのかは不明である。長州藩の御用商人・白石正一郎(1812-1880)と龍馬が面会したかも、「白石正一郎日記」には記録が残されていない。ともかく龍馬は下関から一転、大坂へ向かい、江戸へ行く。

クリント・イーストウッド

    映画雑誌「キネマ旬報」恒例の2009年日本公開のベストテンが発表された。外国映画ではクリント・イーストウッドの2作品が挙げられている。第一位の「グラントリノ」と第五位の「チェイサー」。クリント・イーストウッドはテレビ「ローハイド」のカウボーイとしてお茶の間で知られた俳優だ。マカロニ・ウエスタン、ダーティ・ハリー、マディソン郡の橋とイメージを変化させてきた。あれから50年。俳優だけでなく、政治活動も盛んで、イラク戦争に反対したり、映画の過激な描写を規制する法案に反対したりしている。また「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」で米国と日本との相互理解の促進に貢献したとして、日本で再び人気がたかまってきた。意外にも煙草は吸わないし、ベジタリアンだそうだ。知日家なのは黒澤映画を通じて、日本の文化に敬意が生まれたのかもしれない。ともかくも虚飾の町ハリウッドが生んだ異色スターは偉大な映画人となったことだけは間違いない。

2010年1月12日 (火)

魁皇は太刀山をめざせ

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    魁皇博之が歴代最多の幕内808勝目を挙げた。足かけ18年の大記録達成を心からおめでとうといいたい。かつての旧友綱部屋といえば太刀山、國見山、荒岩など猛者がいて全盛時代があった。作家の舟橋聖一は本町横網町の生まれで、友綱部屋の近所で育った。子どもの頃から相撲が好きで、戦後は横綱審議委員をつとめていた。戦後の復興期を支えた千代の山が引退したとき、舟橋は記者に次のことを語った。「太刀山は40歳で40貫になった。40歳まで相撲がとれないようでは、立派な力士とはいえない。千代の山はいうなれば六場所制とマスコミの犠牲者だ」と。その前年に六場所制がスタートしたのだ。今では六場所制を批判する人は皆無だが、力士にとって40歳というハードルはむかしからあったのだ。魁皇はまだ37歳。太刀山峰右衛門(1877-1941)は40歳まで現役だったというから、まだ3年はある。来場所で100場所を迎えるのは当然だが、通算勝星の千代の富士の1045勝まであと69勝。太刀山の引退年齢を超えて、どこまでも白星を積み重ねてほしい。

かつての新鋭現代作家たちが老いるとき

    高校生だった黒井千次は「将来文学をするには何学部に進学したらよいか」という相談の手紙を野間宏に出したところ、「経済学部へ進んで工業の会社に就職するのがよい」という丁寧な返事をもらった。その薦めに従って東京大学経済学部を卒業し、富士重工業に就職し、かたわら小説を書いた。戦後に現われた黒井のような新鋭の作家たちもいまでは80歳前後になっている。学生作家としてデビューした大江健三郎も昨年12月に久しぶりに長編小説「水死」を刊行し健在ぶりを示している。大江健三郎と犬猿の仲といわれる、「雲の墓標」の阿川弘之(90)は戦争世代で一時戦後不遇の時代があったが、現代文壇の長老的存在であろう。(以下、カッコ内は2010年の満年齢) 「どくとるマンボウ航海記」の北杜夫(83)、「アメリカひじき」「火垂の墓」の野坂昭如(80)、「日本沈没」の小松左京(79)、「遠来の客たち」「無名碑」の曽野綾子(79)、「太陽の季節」の石原慎太郎(78)、「蒼ざめた馬を見よ」の五木寛之(78)、「手鎖心中」の井上ひさし(76)、「鶸」の三木卓(75)、「飼育」の大江健三郎(75)、「杳子」の古井由吉(73)などが老大家といえよう。ところがこれに続く世代は昭和11年生まれから20年生まれまでの作家はあまり見当たらない。やはり戦争の惨さを物語るのであろうか。昭和19年生れの椎名誠、昭和20年生れの池澤夏樹、昭和21年生まれの中上健次(平成4年没)、昭和22年生れの宮本輝、立松和平、昭和23年生れの三田誠宏、昭和24年生れの村上春樹となる。現代作家は大きく二つの世代に別れている感じがするのである。

2010年1月11日 (月)

関西の若大将

    加山雄三といえば湘南というイメージがある。若大将シリーズ第5作「海の若大将」はシリーズ中屈指の名作である。「エレキの若大将」の前作でまさにブレイク直前の予感を感じさせる。映画は京南大学水産学部の田沼雄一が航海術を学ぶべく、青大将石山の船で、親友の江口と3人で八丈島めざして航海へ。ところが途中、船内にスーパーの店員澄子(星由里子)が忍び込んでいた。船酔いをする4人は台風に遭い、御蔵島に漂流する。網元の孫娘に救われた雄一は娘に惚れられる。ふたりの仲を誤解した澄子は雄一と喧嘩する。日豪対抗水泳大会に出場するが雄一は苦戦する。誤解を知った澄子の応援で見事優勝を飾る。この映画は宝塚映画制作で関西ロケが行われた。大学のキャンパスは関西学院大学である。海岸シーンは西宮沖で撮影された。プールは扇町プール。「関西の若大将」や、おまへんか。

2010年1月10日 (日)

幕末維新土佐人国記

   いま放送中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」は面白くなりそうだ。土佐藩を脱藩し、薩長同盟を成し遂げ、世界に眼を向けて疾走した坂本龍馬(1835-1867)の33年の短い生涯であるが、大志、現実的な判断力と行動力が現代の多くの日本人に共感を呼ぶことであろう。坂本龍馬と岩崎弥太郎が育った土佐とはどんな国だったのか。そして土佐が近現代の日本の発展に与えた影響はどのようなものだったのか。

    龍馬の盟友中岡慎太郎は土佐国安岐郡北川郷柏木村。大政奉還で知られる山内容堂、後藤象二郎は高知城下に生まれる。土佐勤皇党の武市瑞山は長岡郡吹井村。吉田東洋は城下帯屋町に生まれたが、土佐長浜村の鶴田で少林塾を開いた。「人斬り以蔵」と恐れられた岡田以蔵は土佐郡江ノ口。西南の役の熊本鎮台司令長官だった谷干城は土佐窪川村。天誅組の吉村寅太郎は高岡郡芳生野村。三菱財閥の創始者岩崎弥太郎は安芸郡井ノ口村字一ノ宮。海外新知識を日本に伝えた中浜万次郎は幡多郡中浜。五箇条御誓文起草者の一人といわれる福岡孝悌や開明派知識人の河田小龍は高知城下の生まれ。土佐藩家老の岩村英俊、法学者の小野梓は土佐宿毛の人。このほか明治の自由民権運動家の板垣退助、片岡健吉、中江兆民、植木枝盛、大江卓、林包明、林有造、中島信行、馬場辰猪、大石正巳、竹内綱、楠瀬喜多など幕末から明治にかけて土佐は多くの偉人を輩出している。中江門下の幸徳秋水は社会主義者として革命的民主主義を説いた。

2010年1月 9日 (土)

佐渡島の鳥越文庫と鵜飼文庫

  百人一首の最後の順徳院御製一首。

   ももしきや古き軒端のしのぶにも

               なほあまりある昔なりけり

(宮中の、古く荒れた軒端には、忍ぶ草が生えているが、その忍ぶ草を見るにつけても、いくら忍んでも忍びきれない昔の御代であることよ)   

   承久の乱で佐渡に遷御となった順徳院(1197-1242)の遺跡としては真野御陵がある。その近くに、元早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長であった鳥越文蔵の所蔵していた演劇関係の図書2万冊を納めた鳥越文庫(佐渡市猿八329)がある。

    また佐渡の自由民権運動家の鵜飼郁次郎(1855-1901)の1万余りの図書を納めた鵜飼文庫が西海岸真野の入江の港町(佐渡市原黒)にある。晩年は禅の信仰と読書に精進したといわれる。鵜飼(旧姓は羽生)は佐渡で最初の代議士で電話の開通などに尽力した。文芸評論家・青野季吉(1775-1833)は佐渡出身で、母・ヒサの兄が羽生郁二郎(鵜飼郁二郎)である。

小林豊造

Img_0017 右から秀雄、叔父・城谷宏、父・豊造、妹・富士子、母・精子

    年末にテレビで「輝く!日本レコード大賞」を見る。といっても1986年の中森明菜が「DESIRE」を受賞した年である。古い音楽祭を見ると意外な発見がある。むかしの歌番組は著名人が登場している。日本文芸家協会会長の山本健吉(石橋忍月の三男)はレコード大賞は常連だ。金田一春彦(金田一京助の長男)も出演している。山本健吉は高峰三枝子が特別功労賞のプレゼンターだった。ところが賞状を別な人と間違えてオタオタしているのが面白かった。

  レコード業界と詩人や文人との関係は深かった。わが国でレコード針を開発したのは小林秀雄の父である。小林の代表作に「モオツァルト」があり、「母上の霊に捧ぐ」とあるから、母精子は音楽が好きだったのだろう。戦中・戦後の文芸評論家には中村光夫、河上徹太郎、中村真一郎、青野季吉などいるが、いまでも最も知られているのは小林秀雄だろう。小林秀雄は東京の出身だが、実は父の小林豊造(1874-1921)は兵庫県の出石郡鉄砲町の出身である。出石という町は江戸時代は仙石氏3万石の城下町として但馬の政治、経済の中心地だったが、明治末期に鉄道が敷設されたさい、それを敬遠したので繁栄を豊岡市に奪われた。

    明治7年生れの清水豊造はおそらく旧幕の士族の出身だと思うが、但馬藩の家老職であった小林家の養嗣子となり、学問で立身するため東京へ行ったのであろう。明治34年に長男の秀雄が生まれたときは、東京高等工業学校機械科の助教授であったが、のち御木本真珠店貴金属工場長をへて、二度留学して、ベルギーでダイヤ加工研磨の技術を学び、日本の洋風装身具製作の先駆者となり、自ら日本ダイヤモンド株式会社をおこした。また最初に蓄音機用のルビー針を作るなど、多くの技術を開発した。大正10年3月、48歳で死亡している。

トンネル貫通石を受験のお守りに

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    JR糸魚川駅ではトンネル工事で採取した貫通石を受験生たちに配布している。「難関突破」「初志貫徹」として合格祈願のお守りとなっている。ある動物園ではコアラの「ふん」が受験生のお守りとして人気がある。めったに木から落ちないコアラの「うん」(運)にあやかろうとするものだ。こうして受験開運のお守りを収集するため受験生たちは、いま菅原天満宮はもとより日本国中をくまなく旅しているそうだが、そんな時間があれば家で勉強すればいいのにと思うのだが…。

藤原鎌足の墓

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   藤原鎌足の墓の所在に関しては、鎌足の長男の定慧が鎌足の遺骨の一部を摂津国阿威山(大阪府高槻市)から大和の多武峰山に改葬し、妙楽寺と称したことが記されていた。大正期の史学界では喜田貞吉、谷井済一らが阿威山墓説、大和多武峰改葬説など諸説論争のテーマであった。ところが昭和9年、大阪府高槻市の阿武山で古墳が発見された。石室には60歳前後の男子の遺骸を納めた棺があり、被葬者は藤原鎌足ではないかと騒がれた。調査にあたった梅原末治は「其の何人であるやの問題は蓋し永久の疑問たるを免れないであろう」と結んで断定をさけた。戦後になって、直木孝次郎は「阿武山古墳が鎌足の墓であることは文献上からも肯定することができる」として阿武山・鎌足説が再浮上した。その後も決定打はなく、藤原鎌足の墓の所在は明らかでない。

病は気から

    CS放送を見ていると、健康食品や健康器具のコマーシャルが多い。さすがにマイナスイオンを謳ったものはみかけなくなったが、アルカリイオン水など奇跡の水であるかのように謳うものは今もある。最近は脳科学神話といって、「三歳まで教育を開始しないと手遅れである」「早期英語教育で英語をペラペラに」「右脳を鍛える」とメディアを通じてあたかも本当であるかのように信じこまされてしまう。MRI(磁気共鳴画像)の普及によって脳の解明が進歩したのは事実であるが、脳の特定部位に赤みをおびて活動していることが判明するだけであるらしい。つまり1+2が6だと考えていても赤みをおびているわけだ。しかしながら現代は人の心理にたくみにつけこんで、科学的根拠のない擬似科学が横行している。癒しの効果があるといわれればそれまでである。ゲルマニュウムや各種の入浴剤なども単なる気分の問題であろう。よく「病は気から」というが、科学的に立証することは難しいだろう。癌とストレスとの因果関係の究明も今後の課題だろう。新薬開発の治験の際に、プラセボ(偽薬)を被験者にのませると、有効な効果が現われることがある。これらは一種の暗示効果である、「効くぞ」という心理状態が体に作用しているのであろうか。

いつも心の避難所を確認しましょう

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    「避難所」という言葉を聞くと、いまでも関西では阪神大震災を思い出す方も多いでしょう。普段は特定の目的でつくられた施設ですが、災難をさけるために指定された臨時の場所です。でもいつでも、だれでもが、災いの多いこの世からさけるためにつくられた場所を「避難所」という表現もつかわれます。「心のオアシス」などという喩えをされる人もあります。宝塚の読書スペース「女性の書斎・ひとり好き」は、そんなあなたの「心のオアシス」になりたいと願っています。

   昨年4月に「女性の書斎」は、主の光にみちびかれてオープンしました。女性専用(ただし土・日曜は男性も入館できます)で入館料200円。一日読み放題。美術・歴史から趣味・生活まであらゆる分野の本・雑誌があります。小学生以下は無料です。開館時間は10時から20時まで。定休日はありません。

   来る1月17日(日曜)は阪神淡路大震災から15年。さまざまな思いがあり、17日当日に限り入館無料とさせていただきます。場所は阪急逆瀬川駅を降りて市役所通りを東へ徒歩10分、消防本部の交差点を右折し、小林方面へ徒歩2分のところにあります。「女性の書斎・ひとり好き」は伊藤整形外科病院の向いあります。

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2010年1月 8日 (金)

かるたクイーン

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    お正月、百人一首をする家はどのくらいあるのだろうか。百人一首がブームだとは思わないが、ドラマやコミックの世界では「かるたクイーン」が数年前から話題になっている。2003年のNHK連続ドラマ「かるたクイーン」(石田ひかり主演)、漫画では末次由紀の「ちはやふる」が「ビーラブ」に2008年から連載中である。明日からNHK土曜時代劇「咲くやこの花」がはじまる。深川の漬物屋の娘こい(成海璃子)が「大江戸かるた腕競べ」に出場する物語だそうだ。

    かるた競技はスピードを競う。百人一首で一字決まりの歌の初めの音を並べると「むすめふさほせ」(娘房干せ)となる。つまり娘さんが襷がけで干し物をしている姿を想像する。成海璃子ちゃんの日本髪姿がよく似合っている。「ちはやぶる」の綾瀬千早ちゃんも応援したくなる。敏捷性もさることながら、耳のよさも条件の一つであろう。ともかく「かるたクイーン」になるのは至難のことである。

なんと(710年)見事な平城京

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  今年は、日本の本格的な首都「平城京」が誕生して1300年。これを記念して平城遷都1300年祭が開かれる。最大のイベントは、復元された大極殿のお披露目(4月下旬)である。

    和銅3年(710年)3月、元明天皇は藤原京から平城京に都を遷した。以来、延暦3年の長岡遷都まで74年間、元明、元正、聖武、考謙、淳仁、称徳、光仁、桓武の諸天皇の都となった。

 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば

       君があたりは見えずかもあらむ

                             万葉集78

(明日香の里をあとにして、奈良の都へ行ってしまったなら、あなたの家のあたりはもう見えないことであろう)

    この歌は第43代の天皇、元明女帝の歌であるが、「君」とは亡夫草壁皇子(天武天皇の子)のことだろう。遷都は天皇ばかりか、貴族たちにとっても、生まれ育った飛鳥の地をさることであり、愛惜の情をつのらせたことであろう。元明天皇(661-721)は第42代文武天皇の母で、文武が病弱で25歳の若さで亡くなり、その子の首皇子(のちの聖武天皇)が幼少であったことから、皇位を嫡孫に確実に継承するという理由で即位した。慶雲4年(707年)7月17日のことである。先帝の母の即位は異例である。今日では、平城京遷都の理由は、時の権力者、藤原不比等が首皇子を即位させるための舞台設定だった、との見方が有力である。

2010年1月 7日 (木)

携帯の画像撮影の危うさ

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    東京メトロ・表参道駅。若い女性たちが必ず立ち止まって携帯で撮影していく場所がある。人気グループ嵐が主演するドラマ「最後の約束」の大きなポスターが貼っている。ちょっと恥ずかしい上半身裸だけれど現代の女性は平気なのだ。「立ち止まらないでください」というアナウンスも馬耳東風。撮った画像は友達に転送するのだろうか。いまではありふれた光景。空港で韓流スターが来日すれば、携帯を持った女性たちであふれる。数年前に「女性の品格」がベストセラーになったが、みんながやれば平気。「はしたない」「つつしみがない」という感覚はゼロである。大人の女性がこのようであるから、子供たちの世界はもっと危ない。今日の朝日新聞に「子供の携帯、各国でも悩み」米国では子供の裸の画像がやりとりされ、いじめや自殺につながっているという。日本でも児童の猥褻画像を集めている教師が逮捕されたという嘆かわしい話が頻繁にニュースとなっている。携帯はほとんどの人が持っているが、便利さとひきかえに自分を亡ぼす人たちが哀れだ。ケペルは携帯を持っていない。おそらく一生持たずに死ぬだろう。携帯でテレビを見たり、写真を撮ったりすることには興味がない。

貝がらを持つニンフ

Img_0017 貝がらを持つニンフ  1683-85年 大理石  ルーヴル美術館

   アントワーヌ・コワズヴォクス(1640-1720)は、ルイ14世時代のフランスの彫刻家で、シャルル・ルブランに委嘱されて、ベルサイユ宮殿のために「正義と力」「ルイ14世の戴冠」など多数の彫像を作った。この「貝がらを持つニンフ」は、原形が二つあるが、一つはローマのボルゲーゼ美術館所蔵のものである。古代彫刻とコワズヴォクスの作品を比較すると、彼は古代彫刻の典雅さを失うことなく、人物をよりしなやかに、より優雅に、より人間的になっている。このニンフの像は、生きたモデルをもとにして制作されたらしいが、やはり古代彫刻から受け継いだ節度とリズムが作品のすみずみにまで行きわたっている。彫刻史上にその名前を残したコワズヴォクスだが、残念ながらわが国ではあまり知られていない。「クワズヴォクス」など表記の揺れもあるが、ウィキペディアにも項目がない。

2010年1月 6日 (水)

菅止戈男

    流石景「GEグッドエンディング第18話プレゼント」勉強合宿のおかげでテストは好成績だった。内海はユキへお礼のプレゼントを考える。①ブランド物②有名なスイーツ③花束。でも女の子が喜ぶものじゃなくて、ユキだけが喜ぶものは何か。カラオケへ行ったときのことを思い出す。スガシカオを歌っていた。スガシカオの出演するライブのチケット。1万5千円。2枚で3万円也。「うれし・・・」という黒川ユキの表情は最高!!でもスガシカオの曲が好きな女高生ってスゴイ。詩の意味を深く理解する、大人の女性みたいだ。

あの人は今…

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    彦根市のキャラクターひこにゃんに年賀状1万通突破というニュース。兵庫県のマスコットはばタンには何通きたのだろう。人気者もいずれは忘れさられる。かつて店先で商売繁盛の縁起人形として知られた福助も忘れさられたマスコットだろう。ところがいま滋賀県日野町の町立近江日野商人館で「福助サミット」が31日まで開催中であるという。福助のモデルといわれる人物は摂州西成郡の百姓佐五右衛門の子佐太郎といわれる。身長2尺にみたない大頭の小人であるが、幸運にめぐまれ、享和2年に長寿で死んだ。江戸期、享保、寛政、文化と何度も福助人形の流行があった。しかし人気はいつか必ず衰えるもの。このように「あの人は今…」になぜか心ひかれるものである。

Photo_7     東映のスター伏見扇太郎や「月光仮面」の大村文武などは消息不明である。数年前によくテレビの出演していた新しい人でもほとんど見かけなくなったりする。愛内里菜、矢井田瞳、鬼束ちひろ、小柳ゆき、松田樹利亜、大黒摩季など。ライブ活動を中心にしたり、シングルがでなかったり、理由はさまざま。でもネットで調べると芸能活動を頑張って継続している。テレビ出演だけが活動ではない。これからも注目していきたい。

セミの歌

   ロバがセミの歌をきいて、その気もちのいい声をうらやましがって、「何をたべるとそんなにいい声が出るのです?」と、きいた。すると、セミが、「草のつゆです」といったものだから、ロバは草につゆがつくのを待っているうちに、おなかがすいて死んでしまった。

   NHK紅白歌合戦に英歌手スーザン・ボイルが出演して、その美しい歌声にききほれた。いま出演オファーが殺到して、春には再来日するという。日本人はどんなにお金を積んでもいいから、最高のものを聞きたいのであろうか。ふとセミの歌をきいたロバを思い浮かべた。先日、NHK「スタジオパークからこんにちは」に大江健三郎が出演していた。大江は愛媛県の出身で子どもの頃、近くの公民館の本を2年間で全部読んだという。この話はよくきいたことのあるエピソードだが、本人の口から改めて確認した。なぜ図書館でないのか、というと、当時は図書館が十分に整備されていない時代で公民館に本があって図書館の代役をしていたのであろう。おそらく冊数は1万を超えない、数千冊程度のものであろう。でもたとえ2千冊としても子どもにとっては多い。100万冊の図書館が隣にあっても1冊も読まない人がいるし、1キロ離れた2千冊の公民館図書室に毎日通い全部読んだ子どももいる。問題は「すべて読む」ということである。すべてということは大人の本もあり難しい本もある。本好きの程度は並外れていることは言うまでもない。、「すべてを読んだ」ということは、つまり片っ端からシラミつぶしに読む。公民館の本が特に選書に優れていたとはおもわれない。専門の司書がいたということではないだろう。ただ常識的に職員がいいと思えるような本をそろえていたのだろう。昭和20年代のことであろうから、あるいは戦前の本もあるだろうし、戦後の粗末な紙質の本であるが、内容はむしろいまより良心的な本ばかりだったであろう。それらを偏見や好き嫌いなしに一端はすべてを受け入れてみることが大事なんだろう。いまの子どもは沢山の本の中から自分の面白そうな本を選ぶ。むしろつまらないと見向きもしない本に宝があるのに気づかない。大人たちも沢山の新しいきらびやかな本があれば本好きになり、偉くなると思いがちである。子どもにとって理想は数千冊の本であらゆるジャンルの本があって、森に囲まれた静かな環境で本に集中するゆったりした時間のあることだと思う。多読は必要だが、どこかの学校で冊数を競いあうことなどあまり感心しない。学校図書館の充実もいいが、学校には当然一日中いるので、学校とは別の建物、それは公民館図書室でも公共の図書館でも地域文庫でもいいから学校以外の建物で読むことが出来ればもつといい。なぜなら学校は学習と直結しているが、街の施設であれば、より自由に空想の世界にひたれるからである。ロバは自分にないものを望んで死んでしまった。今の日本人はなんでも金を出して最高のものを求めようとしている。でも貧乏な時代に貧しい文庫の本を全部読んでノーベル賞をとった作家がいた。読書環境はいまの子どもたちと比べて大江がとくに恵まれていたとは思われない。むしろもっと立派な図書館が日本にはたくさんできている。感想文のコンクールをすればいい文章を書く賢い子どももたくさんいる。でもそれだけでは知性のある大人は育たない。多分デラックスで最先端の設備のある大学で学んでも優れた人材は出ない。企業化した大学からは薬物汚染が拡大するだけで、学びの場とは無縁となっている。結局は音楽も読書も金をかけたらいいかというとダメだろう。むしろ自然の音に耳をすましてきき、散歩をして、何度もじっくりと本を集中して読み、自分の考えをまとめて書く、つまり「歩く」「読む」「書く」(大江流読書法)は特別なことではなくてスタンダードであろう。

ベストリーダー「ぐりとぐら」

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    一年間でよく売れた本のことをベストセラー、長年にわたり読み継がれている本をロングセラーといいますが、図書館の世界では一年間に多く読まれた本をベストリーダーといいます。この統計はコンピュータ管理が進んでいるので、どこの図書館でもわかるのですが、公表している図書館としていない図書館があります。複本の多さによって差がでることと、必ずしも優れた本であるとは限らないからです。昨年の統計はまだ公表されていませんが、2008年のある図書館のベストリーダーは一般図書は宮部みゆきの「楽園、上下」です。ティーンズ向けは美嘉の「君空」、2位も美嘉の「恋空」です。これも上下2冊本だとおもいますが、ケータイ小説で早く読めるという条件もあるでしょう。昨年のベストリーダーの一位は何でしょうか。ところで児童書の第一はかなりむかしから不動の絵本があります。中川李枝子、大村百合子の「ぐりとぐら」です。おそらく普通の公共図書館では十数冊以上の複本がありますし、幼稚園などでもお馴染みで何度も借りて帰るこどもが多いのです。のねずみのぐりとぐらは、森で大きな大きな卵をみつけました。大きな卵からは、大きなカステラが出来ました。こんな楽しい絵本はほかにありません。昭和38年に発行された絵本で、最初に「ぐりとぐら」を手にした子どもも50歳になります。つまりほとんどの日本人は「ぐりとぐら」を知っています。ちなみにケペルはもう大きかったので「ぐりとぐら」を知らない世代ですが、公共図書館に長く勤めていたので、この絵本の思い出はたくさんあります。大人になっても児童室に幼いころに読んだ絵本、お母さんに読んでもらった絵本を見つけるととても幸せな気分になることでしょう。今年は「女性の書斎・ひとり好き」でも絵本をもっと増やしたいと考えています。

2010年1月 5日 (火)

「正気の歌」の忠臣

   1279年、厓山の戦いで、蒙古軍の攻撃をうけ、南宋は滅亡した。ここにひとりの忠臣がいた。文天祥(1236-1282)。厓山の戦いのときは、すでに蒙古軍の捕虜となっており、自軍の悲劇を蒙古の船上から目にするのであった。文天祥は重要な捕虜として大都に送られる。そこでフビライ汗は文天祥を統治しにくい江南支配に利用したいと考えて、しきりに帰順を勧誘したが、彼は最後まで節を曲げず死を願い、4年間の幽閉ののち、処刑される。至元19年12月9日、それはフビライ汗と面会した翌日であった。享年47歳。獄中でつくった「正気の歌」は後世に強い影響を与え、藤田東湖ら日本の幕末の思想家にもそれは認められる。
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2010年1月 3日 (日)

ロチェスター卿のモデルは誰か?

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    外国の女の子に好きなタイプを聞くと、大概は文芸作品上の人物から答えてくるそうである。例えば、ヒースクリフとかジュリアン・ソレルとかレッド・バトラーとか。そんな中でロチェスター卿という人物もかなり人気がある。あまりハンサムなイメージはなかったので意外だった。

    シャーロット・ブロンテ(1816-1855)は1847年にカラー・ベルという筆名で「ジェイン・エア」を出版した。生まれて間もなく両親を失ったジェイン・エアは、冷酷な叔母のもとで子ども時代を過ごしたあと、さまざまな人生遍歴をして、ロチェスター卿と結ばれる。原作に書かれたジェインは「ちびで、血色がさえない上に、不細工で、ひと癖もふた癖もある顔」をした家庭教師ということだが、愛と自由を求める情熱の女性として現代女性の支持をうけ、何度も映像化されている。1度目はジョーン・フォンティンとオーソン・ウェルズ(1944年)2度目はスザンナ・ヨークとジョージ・C・スコット(1970年)3度目はズィーラ・クラークとティモシー・ダルトン(1984年)4度目はシャルロット・ゲンズブールとウィリアム・ハート(1993年)5度目はルース・ウィルソンとトビー・スティーヴンス(2006年)。キャスティングは次第に美男美女化しつつあるように思える。ところでロチェスター卿のモデルは誰だろうか。シャーロッテ・ブロンテはブラッセルの学校で指導を受けた妻帯者のエジェに特別な感情を抱いていたことが知られている。おそらくこのエジェがロチェスターのイメージとなっているであろう。ただ敬愛する作家サッカレー(1811-1863)にはロチェスターの狂った妻と同じ状況にある細君がいたため、一時「ジェーン・エア」の作者はサッカレーの情婦ではないかという噂が流れたことがある。

2010年1月 1日 (金)

いつも喜んでいなさい

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   2010年の新しい年を迎えました。皆さま、明けましておめでとうございます。開業して初めての正月です。「新年の白紙綴じたる句帖かな」(子規) 新年を迎えた清々しさには格別のものがあります。今年がどんな年になるのか、全く予測がつきませんが、どんなことがあっても、希望を持ち、前を向いて進んで行きたいと思います。

   朝、8時頃に起床し、郵便ポストを見ますと、新聞と年賀状があります。新聞は特別記事で読物がいろいろ豊富です。テレビをつけると、面白そうな正月番組がたくさんあります。昨夜みた紅白歌合戦も特別ゲストを招待したり、一流歌手の熱唱がありました。子ども紅白歌合戦というコーナーも、ちょっぴり緊張した子どもを見ていると、こちらまでハラハラドキドキ、親のような気分になります。不景気ですが、お正月だけは、そのことを忘れたいと思っている日本人が多いのでしょう。

  いつも喜んでいなさい

  絶えず祈りなさい

  どんなことにも感謝しなさい

                    テサロニケ 5:16-18

   この一年も皆さまの上に、神様のあふれる恵みがありますようお祈りいたします。

Always be joyful,Never stop praying.

Be thankful in all circumstances,for this is God‘s will for you who belong to Christ Jesus.

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